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『シェリス放浪記』  作者: 奈良野あすか
1/1

1 ゆだねられた運命

揺れる馬車のうえで女はじっと目をとじていた。


これから自身にふりかかる理不尽な処遇をすっかり受けいれてしまったのか、あるいはなにも考えないほうがいいと悟ったのだろうか。


「おい、なにか企んでいるのだとしたら容赦できないからな。お前の腕にかけられている手錠は魔力を吸いとる。吸いとられた魔力は腕をつなぐ鎖のまんなかで練磨され、電流を発する。馬鹿なことを考えるなよ、電流によって焼け焦げてしまうからな」

僕のうしろから親方の声がつたってくる。まるで岩石をこすりあわせたかのようにがさついた声だ。


女はおびえるようすもなく、ただじっと目をとじている。両腕を魔法封じのリングでつながれたうえ、腹部をロープでぐるぐる巻きにされている。さらし者として馬車の前方に座らされ、左右に監視をつけられている。どうしたって逃げられないはずだ。


僕は左がわで馬をあやつりながら女の動向を監視している。女の右がわには祖父がいる。鉄仮面をかぶった祖父の表情はうかがえない。いざというとき女をとりおさえることができるのかどうか、あやしい。もともと祖父はこころやさしい騎士だったのだ。隣国との戦争があったときも憐れみながら敵の兵士と対峙したという。


祖父のような戦士気質でもない兵士をそろえた我が国は戦争に負けて敵の属国となった。国有の古代魔法をたよりに前線では熾烈な戦闘がおこなわれたようだが、強大な帝国の兵力に事実上屈した周辺国の裏切りによって本土は侵攻され、農民、商人、教徒まで剣をとった。八方ふさがりとなり、古代魔法を戦力とした国王軍の背後、首都エルソフィアが陥落した。


それから二十年がたち、まるでなにごともなかったかのように我が国には平和な時がながれていた。ただ、古代魔法と豊かな魔法の伝統がうばわれてしまった。


帝国領と化したいまでは国家管理のとどかぬところで魔法技術を有してはならず、教えてもならず、調べてもならなかった。伝統の魔女修行さえ違法だった。


捕縛された女は魔女だ。首都郊外の修道院に身をひそめていた修道女だったのだが、失踪した飼猫をさがすために夜道を魔法で照らしてあるいていたところを夜警にみられてしまったそうだ。


いまでも魔女捕縛の報告は新聞記事から疎くもならない。魔女弾圧を二十年つづけてもなお、国のあちこちで魔女がみつけだされる。それも無理のないことだ、ソフィ王国は千年以上の長い歴史をもつ国で、その歴史とともに魔女の伝統がうけつがれてきたのだ。


囚人を収容するラヴィリアという町まではまだもう一日かかる。女はその町で一定期間収牢されたあと、裁判にかけられ、おそらくは極刑――。


どうみてもまだ二十歳にはなっていない。顔だちにもまだ幼さがのこっているようにみえるし、もしかしたら十七歳の僕よりも年下なのかもしれない。この年齢で一生を終えてしまうということは、どれだけ悔しいことだろう。いや、僕の想像にもつかないことだ。おもいえがいた夢や憧れもあっただろう。恋愛とか、結婚とか、幸せな家庭とか、いろいろなことを夢想しては月のない夜もあざやかな憧憬で胸中を輝かせていただろう。


僕のとなりでじっと身動きもしない女のことを考えていると、自分の人生なんて価値のないものにおもえてきた。かつては罪でもなんでもなかったものを受け継いでしまったがために人生を終わらされてしまいそうになっている少女と、親の畑の世話さえしていれば安穏と生きてゆくことができる僕。平凡な人生にも価値をみいだすことはできるだろう。しかし、目のまえで、いやすぐとなりの席で理不尽ともいえる終焉の旅路へ引きずられてゆく少女を助けたいと、こころのどこかでおもいながら、なにもできないこと。むしろこの女をラヴィリアまで護送しているのは僕たちだった。


うちは馬と馬車を多数所有している家で、近場で罪人がつかまるとたびたび駆りだされる。農業と貸馬車屋の二足で家計をまかなっている。


警備職の親方がひとり、それから僕と祖父とが警護の兵を模して座っているだけ。魔女とはいえ危険な古代魔法をつかう魔法使いでもなければ戦闘能力をもっているわけでもない少女ひとりを護送するだけなので警備はこれだけで済まされている。これが隠れていた国王軍の古代魔法導師にもなると監守と助手四人、衛兵が十人から二十人、騎兵もついて行列になる。


もし僕が少女を逃がそうと提案したらどうなるだろうか。祖父は危険な道をえらばない人だ、きっと理解してはくれるだろうが、けっきょくは反対するのだろう。親方はたぶん僕に平手うちを喰らわせたあと、ながながと説教をするだろう。きびしい人なのだ。


おまえはまだガキだ、そんなあまい考えで世のなかを渡っていけるとおもうな。じいさんからも言ってやりなさい、そういう言動がどういう結果をまねく時代なのかを教えてやらなきゃだめだ。


そんなことを怒鳴りちらすのだろう。


僕はうしろをふりむいてみた。親方は山なみにしずんだばかりの西日の残光をながめながら煙草をふかしている。もう町は遠かった。


「親方、馬がすこし疲れてくるころです。ここいらの泉で水をのませなければいけません」

僕はできるだけ若造だとはおもわれないように声を低く張って言った。罪人になめられてはいけない。


「そうか、老いぼれた馬ばかり飼ってるからな、そりゃしかたねえ」


祖父は小声で笑っている。女はそれでもじっとまえをにらんだまま、身動きもしない。


「夜は長い。ひとりずつ交代で見張り番しなきゃならないのもあるからな。小一時間は休んでおこう」


泉のほとりにたどりついて馬車からおりる。


「すこしくつろいでもいいですよ、その姿勢のままだと辛いでしょう」

祖父が女に語りかける。女はすこしの反応もしめさない。目をとじてはいるが、ねむっているのではなさそうだ。


その日はそれから峠のふもとまですすんでキャンプを張る日程だった。しかし日没後の空には不穏な雲がじわじわと流れてくるようだった。ひと雨あるかもしれない、と僕は女にきこえるようにつぶやいた。女はそれでもじっと身をかためていた。


祖父と親方が遠ざかる。仮面をとって顔でも洗っているのか水の音がたつ。馬も水をのんでいる。僕は女の監視のために馬車のかたわらで座っていた。


「見栄を張ったってごまかせないよ、君が子どもだってことくらい、わかる」


頭上から女の声がすべりおりてきた。泉の水がひとの言葉にかたちを変えたみたいな響きだった。


「あまり盾突かないほうがいい。反抗の態度をとるようなら刑の重さにも影響する」


「どうせ死刑。よくても一生牢屋のなか。変えられない運命がそこにあって、いま私がなにかを言ったとしても、辿りつくところはおんなじ」


とても絶望しているとはおもえないような言いぶりだった。


「変えられない運命なんてものがあるか。もしかしたら……わからないじゃないか、もしかしたらだけど」


「もしかしたらなんてことを期待できる身分じゃないの。私は魔女、罪人なの。いつかこうなるかもしれないってことくらいは予測できていた。適当なことを言って希望でももたせようとしているんですか」


「君が罪人だとはおもえない。僕はそう、たしかにまだ十七歳の少年だ。ほんとうは君を、逃がしてあげたい。でも君をラヴィリアまでおくりとどけなくてはならない、仕事だから。でも運命というものは一歩さきの未来まで縛りつけられない。もし僕がいま君の手錠をはずし、縄をほどくなんて過ちをおかしたら、その運命というものは簡単にうち砕かれる」


「でも、そんなことしないでしょう」


すこしだけ女の声がよわったようにきこえた。ちいさな女の子がなにかを諦めたかのようにつぶやく声だ。


「しない。言ったでしょう、仕事なんだ」


仕事――?

それが僕にとってのなにものであるのか。そんなことはよくわからない。


「君の名を知りたい」


「知ってどうするの、これから消えていく罪人の名まえなんて」


「どうもしないさ。僕はルシアス。十七歳の農家だ」


女はすこしだけ表情をやわらげてこちらをむいた。馬車に背をあずけて座った僕をまっすぐにみおろしていた。黒い長髪が風になびき、夜の泉のような光沢をたくわえた瞳に虚ろな輝きをうつしている。


「シェリス、十六歳。こんなところで逢わなかったら、あなたとはもうすこし楽しく話せたかもしれないのに」


僕もそうおもった。なにも言いかえすことなどできなかった。

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