秋
あの日から僕は、部屋で精神をすり減らしながら生きていた。
何もする気が起きず、眠ることもまともにできない。気晴らしの読書も文字が散らばり逃げていき、捕まえることが困難で、音楽鑑賞もそのリズムが不規則に聞こえ、より不安を掻き立てるのであった。
"精神をすり減らす"とはこういうことか。ふとそんなことを考えてしまう毎日だった。感情がどんどん小さくなっていく気がした。
僕が失意の中にある時にいつもしていたことがある。追憶の中にどっぷりと肩までつかることだ。限りなく美化され、もう戻れないという無力感を味わわされる記憶をたどる作業に身を投じることで現在と現実への逃避をしていた。
この数日も僕はそうして生きていた。彼女とのやり取りを、最後の返信を見ないようにしながら読み返し、彼女との写真を見返す。楽しかった日々を思い出す。
一年前にある港の観光外に行った日の写真だ。少し肌寒い秋の日で、寄り添いあいながら歩いていたことを歩いたことを思い出す。一枚の写真が想起させる情報の多さはそこに映るものの数よりずっと多いが、写真を見返すたびに色はくたびれる。
最期の返信には彼女が自殺する旨が書かれていた。
忘れようと、楽しいことを考えようとするとすることは付き合っていた日々を思い出すことにつなぎ目なく続いている。
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僕は秋の肌寒さに耐えながら銀杏並木を眺めた。今の寒さをそのまま色にしたような透き通る青を、埋め尽くそうと必死に小さな黄色の葉を散らした景色を見上げていた。港らしい潮の香りが鼻腔を満たす。石畳はこれまで多くの人に踏まれてきた苦痛を静かにその身に沈みこませていた。
僕は過去を断ち切るためにここを訪れた。自分をそう騙し切れなかったが、あの部屋が僕の精神をこれ以上小さくしていくことには耐えられなかった。
しかし私は感傷に浸りきれない自分に気づいた。無意識がそうさせたのか、もはや色はくたびれすぎてしまったのか。
失意に似た喜びの中、僕の靴は石畳から引きはがされた。