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翠雨緑化  作者: roro
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すいうりょっか

――[[rb:翠雨緑化 > すいうりょっか]]――




 未来なんて、本当に決まっているのだろうか。

 覆そうに無いことが、避けられそうに無いことが。

 本当に、俺たちを苦しめるために、待ち受けてるのだろうか。

 笑い合えることが、愛しむことが。

 本当に、俺たちに幸福を与えるために、待っているのだろうか。

 未来なんて、誰かが決めることなのか?

 じゃぁ、誰がそうなると決めている?

 俺は、信じない。

 誰かが決めてるなんて、思わない。

 誰かの言いなりに、明日が動いてるなんて、信じない。

 俺たちの未来は、俺たちが創りだしてるんだろう?

 お前の笑顔は、誰かが決めたことじゃないだろう?

 だからさ。

 一瞬、一瞬。

 紡いでいこうよ。

 遠い先のことなんか、考えずに。

 明日のことを、考えていこう。

 そして、幸せを、見つけていくんだ。

 奇跡でも、偶然でもない。

 俺たちの、生き方を。

 一つ、一つ。

 創っていこう。







「わおーん……」


 夜に、月。その光の影響かどうか、犬たちがよく吠える。


「……くそっ。またあの夢だ……」


 俺は、手を開いた。なにもない、手のひら。


「わふっ!」

「うるせぇよ……」


 誰も通らない街角。そこに座りこんだ俺に餌をねだる犬が、得意げに遠吠えした。俺の言葉を知ってか知らずか、満足げに俺の顔を見る。


「わふっ」

「わふっじゃねぇよ。なにも無いんだよ。これか? これは酒なの。分かるか? お前は飲めない、さ、け」

「わふっ」


 つまらなそうに俺から顔をそむけたと思えば、風の匂いを嗅いで急に走って行った。


「一人酒か? つまらんのう」


 いきなり現れた人影。毛皮を被った人間が、そこに立っていた。犬が、嬉しそうにその人間の周りをぐるぐる回る。尻尾の振り方が、嬉しさを強調させる。その犬が、妙に静かになった。座り込み、お辞儀でもしているように頭を下げる。


「誰だ」

「わしか? わしは……[[rb:灑羅 > しゃら]]」

「シャラ?」

 その言葉を呟いた瞬間、不思議な感覚が沸き起こった。そう思った時、一つの大きな風が吹き抜ける。毛皮を脱ぎ捨てたその人物は、彼女は、言った。


「盗賊じゃ」


 それが、こいつとの出会いだった。



「最近景気がいいのう。この分じゃ予定より早くなりそうぜよ」

「それは、都に入ったばっかだからだろ。まだ警戒されてない分、稼ぎやすい」


 屋敷からの帰り、妙に機嫌がいいらしい。金の入った巾着を見ながら、嬉しそうに語る。


「それはそうじゃが、わしらなら、そう簡単には捕まらんじゃろ」

「まぁ、そうだがよ……」

「これからは少し回数を増やすかの? 屋敷には入れるだけ入りたいじゃき」


 機嫌がいいこいつに変わって、俺はうんざりだ。


「それならもっと、持っていけるだけ盗もうぜ……。小銭少々と小判一枚なんて、どこの欲なし盗賊だ。これじゃちょっとした悪戯と変わんねぇよ……」

「致し方なかろう。『[[rb:翆 > すい]]』が宿っていなければ意味が無い。生活費以外の金に興味は無いぜよ」


 こちとら命張って忍びこんでんのに、盗むのは少々ってどういう事だよ。しかも、小遣いは小判一枚をこいつと半分の半分ときた。目の前に山の様に積んである金を盗めば、豪遊できるってのに……。まぁ、別にいいが。


「なんじゃ? 不満か?」

「…………」


 めんどくせぇから言わねぇけど。


「……、その喋り方。言葉の使い方やっぱ変だろ」

「いやーこの間のあやつの話し方が面白うてな。つい真似したくなるぜよ」

「あれはな、方言なんだよ。確か……えっとどこだったっけ……」


 この間、飲み屋で会った奴だよな、なんつったかな。酔ってたから思いだせねぇ……。


「何でも構わん。わしが使いたいように使う。なぜお前に指図されねばならんぜよ?」

「んじゃ、どうでもいいよ……」


 なんとなく、疲れた。そりゃそうか。都に入ってすぐ、毎晩盗みに出てるからな。

「おーい、若夫婦! 何だぁ? 夜にお出かけとは、仲のよろしいこって」


 近くに住んでるおっさんか。酔ってやがる。俺と[[rb:灑羅 > しゃら]]は家を借りる時、夫婦って設定にしたからな。そうでなけりゃ怪しまれる。……まぁ、こいつがまともな女に見えねぇから、元々怪しまれてんだろうけど。


「うらやましいねぇ。……ん? 嫁さん、何だか変な格好だな」

「まず……! お前毛皮被れよ!」

「酔っておるんじゃ。問題無かろう」

「いいから! 忍び装束なんて目立ちすぎんだろ! お前はもっと危機感を持て!」


 俺は無理やり毛皮をかぶせると、おっさんに声を掛ける。


「いやー、まだ来たばかりで道が分からなくて。お互いに方向音痴なもんで、町を見回ってたら、こんな時間になってしまって困りましたよ」

「なんだ? まだ慣れてねぇのか。お前んちはそこを曲がった突き当りだよ」

「すみません。ありがとうございます」


 俺は[[rb:灑羅 > しゃら]]の毛皮を引っ張り、そそくさと家に戻る。


「ふう……。危なかった……」

「そこまで気にすることもないじゃろうに、[[rb:狩之 > かりの]]は心配性じゃな」

「だから、お前は危機感が足りないんだよ! ここは一応都なんだぜ? 他の町ではまぁ、それなりに変わった夫婦って思われるだけだろうが、ここは違うんだよ! 怪しまれたら、追われやすくなる。ここで警戒勧告されたら、他の町に行ってもすぐにばれちまうんだぞ!」


 まったく。疲れて、大声出したくねぇってのに……!


「盗みを働くなら、町に溶け込まなきゃならねぇ。それも、ごく自然に、普通にだ。ここでは夫婦って設定なんだ。外では嫁らしく振舞うとか、言葉づかいに気をつけるとか……」

「わしはわしじゃ。自分を変えようとは思わん」


 その言葉に、腹が立つ。


「じゃぁ勝手にしろよ! 俺は知らねぇぞ」


 俺は布団を被る。あいつは、ああいう奴だって分かってるのに、なぜか無性に腹が立つ。


「くそっ! 都になんざ来るんじゃなかった……」


 落ちつかない。尾心地が悪い。


「この町は、空気が、汚れてる……」


 息が、しにくい。



 本当に、[[rb:灑羅 > しゃら]]を見た時、目を奪われたんだ。毛皮の羽織り物が宙に舞って、白い手足が月明りに照らされて。真っ白な光が、そいつを包んでるように感じた。「盗賊じゃ」なんて言葉が嘘かのように、妖艶な雰囲気を纏ってて、年寄りのような喋り方が似合わないほど美しかった。俺はきっと幻を見てるんだろうって、本当に思ったんだ。その光景が、いつまでも……。


「ん……」


 カラスが鳴いてる? いつの間に……?


「夕方かよ……」


 朝方まで起きてたのは覚えてるけど、いつの間に熟睡してたんだ? しかも夕方って……。どれくらい寝てたんだよ。いつもなら、情報集めとか、下見に行ってんのに……。


「今日も盗みに行くのか?」


 起きながら言うが、[[rb:灑羅 > しゃら]]がいない。


「灑羅?」


 外にもいない。どこ行ったんだ?


「まさか、昨日の気にしてるとか……。そんなわけねぇか」


 どっか行ってんだろ。そう思い、戸を閉めようとした時、かすかに声が聞こえる。


「ん? あっちか?」


 家を出て、すぐそこ。そこで子供に囲まれてる灑羅がいた。普通の着物姿で、子供たちと笑ってる。あいつ、あの着物着てたのか……。


「ねーちゃん! 勝負しようよ!」

「おっ、なんじゃ。わしと勝負とは、勇気があるのう」

「絶対負けねぇからな!」

「よし、かかってくるぜよ」


 灑羅が子供と遊んでる? そんなとこ見たこと無かった。


「うわー、負けた」

「まだまだじゃのう」


 チャンバラで負けても、子供は嬉しそうだ。


「あら灑羅ちゃん! 子供たちと遊んでくれたのかい? いつもすまないねぇ」


 あの人、近くのおばさんだ。灑羅と親しいのか?


「別に、こっちも楽しいじゃき。子供は素直でよい」

「そう言っても、旦那さん待ってるんでしょ? ほら、これ持って早く帰りな。新婚なんだから」

「なんじゃ、いつもすまんのう」

「いいんだよ! 灑羅ちゃん、可愛いから」

「じゃーね! また遊ぼうね!」

「ああ、またの」

「やばっ」


 灑羅が家へ帰ってくる。俺は家へと急いだ。何も無かったように座って待った。すぐに、戸が開く。


「ん? なんじゃ、起きてたのか」

「あ、ああ、まあな。どこ行ってたんだよ」


 灑羅が、笑う。くそっ。やっぱりきれいだな、ちくしょう。今更ながら、俺なんかと一緒に居るのがもったいない。


「散歩じゃき。これ、近所からもらったぜよ」


 散歩じゃねぇくせに。なんで本当のこと言わねぇんだよ。俺が、出てる間、近所と仲良くしてるって。


「よもぎ餅じゃ、美味しそうじゃのう」


 何も気にしてないように、明るく笑う灑羅に、申し訳なくなってきた。


「あのよ」

「なんじゃ?」

「昨日は、悪かったな」

「なんのことじゃ? 変な奴じゃのう」


 やっぱり、こいつと会えて良かった。

「今日も盗みに行くのか? 悪いが、下見してねぇぞ?」

「今日は、探しに行くぜよ」


 よもぎ餅をほう張りながら、灑羅は言う。


「探しに? 何をだよ」


 俺もよもぎ餅を一口。あ、うまい。


「『神の使い』じゃ」

「はぁ?」


 俺は思わず、よもぎ餅を床に落とした。



「もう一度聞かせろ。頭の整理がつかん」

「なんじゃ、頭悪いのう……」

「今の話で理解できるか!」


 夜遅く。俺たちは人気のない街道に来ていた。歩きながら話しは聞いたが、こいつの言ってることが分からない。


「だからのう。『[[rb:翆 > すい]]』を取り出す人間が必要なんじゃ」

「お前じゃダメなのかよ」

「ダメじゃな。わしは維持しかできん」

「んじゃ、どこに居んだよ。その『神の使い』とやらは」


 こんな街道まで来て、なんだって言うんだ。


「分からん」

「はぁ?」

「信仰心の強い者であること。女性であること。あとは……まぁ、色々条件があるじゃき。そうそう、見つからんじゃろう」


 やっぱり訳分からん。


「分からねぇのにどうやって探すんだよ!」

「人売りじゃ」

「人売り?」


 確かに、人売りで売られてるのは、主に女だが……。


「わしには匂いで分かる。この辺りは都の出入り口。人売りが多く通る道じゃ。探すにはうってつけじゃき」

「いや、でもよ。町ん中歩くとか、その方が見つけやすくないか? そもそも、何で今まで探さなかったんだよ」

「『翆』がある程度集まってからと思っていたんじゃ。人数が多いと、何かと行動しづらいしの。じゃが、最近『翆』の集まりがいいからの。そろそろ、と思ってな」


 いつ見つかるかも分からないのに、悠長な奴だよな。


「でもよ、盗みはどうすんだよ。毎晩ここで人売りを待ってんのか? それじゃ盗みに行けねぇじゃねぇか」

「そうじゃのう。盗みが終わったら、ここに来て人売りを待つ。それでどうじゃ?」

「はぁ!? それじゃ徹夜じゃねぇか! 毎晩そんなんじゃ死んじまうだろ!」

「わしだけでもよい。狩之は休むといい」

「…………」


 んなかっこ悪りぃことできるかよ。女ひとりを人気のない夜道に置いて行けって? 馬鹿言うな。


「ここに来てから、居心地が悪そうじゃの」

「え?」

「都に入ってから、体調がすぐれないのじゃろう?」

「いや……それは、別に……」


 くそ……反論できねぇ。


「昨日の苛立ちといい、お前らしくないからの。都で何があったかは知らんが、あまりいい思い出はなさそうじゃな」

「……[[rb:灑羅 > しゃら]]。俺は……」

「別に話さなくてよい」


 俺の言葉を遮り、今まで夜道に向けていた目を、俺に向ける。


「お前に会った時、言ったはずじゃ。『過去などどうでもよい』と。お前が誰であろうと、どんな過去があろうと、わしには何の問題も無い。お前だから、わしは選んだ。それだけのことじゃき」

「あ……」


(俺はそんな人間じゃない。最初から黒なんだ。人をいっぱい傷つけたし、金で世界が回ってると思ってた)

(それを認識している所が、純粋の証拠。もしお主が黒だったなら、それはすごいことじゃ。黒は何にも染められない。藍にも朱にもなれない。そんなお主が今純白なのは、何にも変えられない、お主の努力。黒から純白になるなんて、そう簡単な事じゃない)

(過去などどうでもよい。お主がお主であれば、わしには何の問題も無い)


 忘れられない、記憶。俺を、黒じゃないと言ってくれた。


「手を貸せ。[[rb:狩之 > かりの]]」

「わっ……」


 差し出された手に、反射的に俺は思わず、手を引っ込めた。


「……狩之」


 それでも、灑羅は俺の手を握る。俺の手は、恥ずかしい程に、震えてた。


「まだ、自分は汚いと思っておるのか? 馬鹿なやつじゃな。こうして触っても、わしは汚れないじゃろう?」

「…………!」


 人に、触りたくない。触られたくない。自分が黒だから、こいつを、誰かを、また塗りつぶしてしまいそうで、怖い。名を捨てても、ついて来る。


「お前は、『[[rb:狩之助 > かりのすけ]]』じゃろう? もう、虎はいない。お前自身が狩ったからの」

「…………」


 でもまだ、牙が生えてそうで。爪が誰かを傷つけそうで。

「触るな……」

「ダメじゃ」


 俺は手を振りほどこうとするが、灑羅はそれを許さない。


「穢したくない」

「穢されたりしない」

「俺は……! 黒なんだよ!」


 灑羅を突き飛ばそうとした瞬間、いつの間にか灑羅に包みこまれる。温かい……。


「な……! 止めろ! 触るな……!」

「どうしても、お前は、黒か?」

「そうだ! 俺は……」


 何も見えない、黒。お前は純白の白。そうだろ? わざわざ、俺に穢されること無いんだよ。……あいつのように。


「なら、わしも黒でよい」

「え……」

「なら、これからわしも黒になろう。それでよいじゃろ? 狩之」


 灑羅は、笑う。どうして、そこまで言うんだ? 俺のこと、何も知らないだろ? どういう風に育って、どういう世界で暮らしてきたか、知らないだろ?


「なんで……」

「お前の生きた世界は知らない。じゃが、お前自身が悪いわけじゃない。お前がどういう風に生きていたとしても、お前は間違ってない。そうやって泣けることが、何よりの証じゃろ?」

「あ……」


 いつ間にか、泣いてた。かっこ悪すぎだろ……。


「今日は、もう帰ろう。ほら、行くじゃき」

「ちょ、待て」


 俺は、[[rb:灑羅 > しゃら]]に手を引かれ歩き出す。かっこ悪いし、落ちつかない。でも、悪くない。手が温かくて、悪くない。



「狩之、茶が飲みたいぜよ」

「あーはいはい。分かったよ」


 ここ数日、気分の悪さもなくなり、俺の体調も戻って来た。あれから、盗みにも出てないし、『神の使い』とやらも探しに行ってない。灑羅が、俺に気を使ってるんだろう。


「ほら、茶」

「すまんの」


 あれから、ほとんど家に一緒に居るが、何かが変わったわけじゃない。というか、昼間に家に一緒に居ること自体あまりないから、たまに何しゃべっていいかよく分からなくなる。灑羅自身は、別に気にしてないようだが。


「そういえば、近所から干し芋貰ってたんじゃが、どこ置いたかのう?」

「あー、これか? こんなとこに置いとくなよ。踏んじまったらどうすんだ」

「おお、すまん、すまん。食べるとしようかの」


 灑羅は、俺のことどう思ってんだろう。もう一年近く一緒に居るけど、夫婦とか、恋仲とか、そんなんじゃないし、灑羅も特別気にしてはいないらしい。……今更だが、こいつ、男を分かってるんだろうか。普通に一緒の家に住むし、家は転々としてるから、野宿もする。俺も気にしないわけ無いんだが……。


「ん? 何じゃ、黙りこくって、わしの顔を見つめおって」

「あ、いや、何でもない」

「変な奴じゃ。それより、今日は探しに行くからの」

「え?」

「『神の使い』じゃ」


 まあ、俺も甘えてばかりはいられないからな。それは当然だが……。


「でもよ、いつになったら見つかるんだか分かんねぇって……結構きつくねぇか?」

「それがの、今日はたぶん見つかるじゃろう」

「は?」

「匂いが近くに来てる気がするんじゃき。……アオヤミと同じ匂いが」


 アオヤミ。この名前を聞くのは、久しぶりだ。……あまり、聞きたくはなかったが。


「『神の使い』が見つかったら、どうするんだよ。……予定通り、北の地へ行くのか?」

「いや、まだ『翆』が十分とは言えないからの。もうしばらく『翆』集めは続けたい」


 ……俺としちゃ、一生見つからなくてもよかったけどな。このまま二人、こうしていられたらよかった。


「これから三人での行動になるじゃろうが、あまり今までとは変わらんじゃろ。都に来たのは、元々この為じゃしのう。お前も居心地が悪いようじゃし、早めに出るにこしたことは無い。今日、ここを引き払って、都を出るぜよ」

「今日……か?」

「ん? なにか都合でも悪いか?」

「ああ違う。何でもない、気にしないでくれ」


 このまま、都を出る……か。ここには、あいつが……。


「ちょっと出てくる。夜には戻るから、心配しないでくれ」

「狩之?」


 俺は、外に出る。もう、夕暮れ。時間的には、ちょうどいいか。


「ほんとは、会わない方がいいんだろうがな……」


 俺は、複雑な思いのまま、歩き出した。



 ひと際明るい街並みが、夜に浮かぶ。花街と呼ばれる、芸者の住む街。男どもは色めき立ち、この雰囲気に酔いしれる。座敷に上がる前に、番頭に呼びたい芸者の名前を告げる。


「[[rb:雪耶 > ゆきや]]だ」

「雪耶……ですか? そんな芸者、ここにはいませんが……」

「上の人間に告げてくれればいい。分かるはずだ」

「はぁ……、では、こちらの座敷でお待ち下さい」


 俺は座敷に入り、待つ。


「来ない方が、よかったか……」


 いや、でも、来ないというのも、やはり……。


「失礼いたします。[[rb:白君 > しらきみ]]様のお入りです」


 その声に、すぐにふすまが空いた。そして、入って来た彼女は、俺に微笑んだ。


「お久しぶり。来てくれて嬉しいわ」

「よう、[[rb:雪耶 > ゆきや]]」

「それは昔の名。今は[[rb:白君 > しらきみ]]よ。って分かってるでしょ?」

「いいだろ。それに、『白君』じゃ、目立ち過ぎてお前が困るだろう」

「まぁ、そうね」


 白君は笑いながら、俺の横に座る。一緒に運ばれてきた杯を俺に渡すが、俺は拒んだ。


「酒は飲まない」

「あら、どうして?」

「ん、飲む気じゃないからな」


 白君は、残念そうに酒を置いた。


「そう。……今日都に来たの?」

「いや、結構前だな」

「どうして来てくれなかったの? ずっと待ってたのに」


 白君。この花街の頂点に君臨する太夫。絶世の美女と謳われ、知らぬものはいないほどだ。だが、位の高い大名でさえもなかなか会えないということで、庶民は当然、大名でさえも、その姿を見た人間は少ない。そのため、いつしか『幻の花』とまで謳われ、実は存在しないんじゃないかと、庶民の間では議論になる程だ。俺とは、ちょっとした縁で、顔見知りだ。


「それより、言葉づかい大丈夫なのか? 花街の言葉を使うのが掟だろ?」

「あなただからいいの。それに、こっちの方が話しやすいでしょ?」

「まぁな」


 俺は、まともに白君の顔を見れない。やっぱり、来るんじゃなかった。


「お酒飲まないなら、何かお料理でも頼む?」

「いや、長居するつもりはないからいい。今日は、あいさつしに来ただけだ」

「え?」


 俺はようやく、白君の顔を見た。


「元気にしてるか? 足は大丈夫か? 誰か……大名の人間とかで嫌な思いはしてないか?」

「してないわ。……そんなの、気にしなくてもいいのに」

「そうか、よかった」

「……まだ気にしてるの? 昔のこと」


 俺は、目を逸らす。気にしない、訳が無い。


「あなたは悪くないのよ?」

「…………」


 触れたくないのに、付きまとう。俺の、黒。



 俺は、元々大名の家の出身だった。長男で、生活は安泰。金は腐るほどあったし、将来なんて考えなくても、俺の未来は確実に、大名としての裕福さを約束されていた。親父のやることには、何の疑いも無かったし、俺もそれにならって生きていた。毎日が宴会。毎日が豪遊。花街遊びだって、小さい頃から知っていた。


 俺が成人して間もない頃、俺は友人と花街で酒宴を開いた。親父と同じように芸者をはべらせ、酒に酔い、遊んだ。そこに居たのが、雪耶。つまりは今の白君だった。雪耶は他の芸者よりも無愛想で、俺は腹を立てて怒鳴った。何を言ったか、今でも覚えてる。


「お前らみたいな女は、俺たちに媚びてればいい」

「金さえあれば、何でもするんだろ?」

「お前ら芸者なんてな、男を喜ばせてりゃいいんだよ! そんなことさえできねぇのか? それしかできねぇくせによ! そのために生きてんだろうが!」


 そんな俺の発言に、他の芸者も身を強張らせた。しんと静まり返った座敷に、雪耶が言った。


「あなたは間違ってる」


 その言葉に、俺は怒ったが、雪耶は臆せず言った。


「今は、あなたに言える立場ではない。……だから、あなたに言える立場まで、上り詰めます」

俺は笑った。

「やってみろ」


 そう言って、酒宴はお開きになった。その何年か後、一つの噂が耳に入ることとなる。


(白君という芸者が現れた)


 俺はたいして興味も無かったし、聞き流していたものの、年々それは形を変えて膨らんでいった。


(白君は絶世の美女)

(高官や大名でさえ、なかなか会えないらしい)

(幻の花)


 とうとう親父たちの間でも噂され始め、俺も興味を持ち始めた。そんな時だった。白君から俺宛に招待状が届いたのだ。それには条件があり、「三日間、名を捨てること。家を忘れること。都から出ていくこと」。


 俺は不審に思いながらも、白君という存在に会えるのが楽しみだった。座敷に着くと、特別な部屋に連れられ、待たされた。余計に高ぶった。そして、白君が現れた。


「ようこそお越し下さいました。太夫の白君と申します」


 俺はただただ見惚れた。白銀の着物に身を包む、まさに絶世の美女。輝くその姿に、ゾクリとしたほどだ。


「お酌、よろしおすか?」

「あ、ああ。頼む」


 緊張で、手が震える。なんで、白君から招待状が? それより、幻と謳われる、あの白君が目の前に……!


「どうですか? 久しぶりの再会ですけど」

「え?」


 俺は、杯を獲り落とす。今の喋り方って……。


「お久しぶりです。私のこと、もしかして忘れましたか?」

「何言って……まさか、お前……!」

「はい。[[rb:雪耶 > ゆきや]]です」


 俺は驚きで、声が出ない。


「お約束通り、この位まで上り詰めました。すごいでしょう?」

「う、嘘だろ?」

「嘘ではありません。私は雪耶。正真正銘の、あの時の芸者です」


 そういえば、どことなく面影が残っている気がする。


「結構大変だったんですよ? 努力したんですから」


 そう言って微笑む白君だが、さっきから足が震えてる。


「では、もう一度言わせて頂きましょう」


 白君は、はっきり言った。


「あなたは、間違っている」


 あの時と、同じ言葉。


「この遊郭で働く女たちは、みな、事情があってここに来ます。借金の方にされた者、幼少に親を亡くした者、ここにいる女の数だけ、事情があるのです。そして、ここに来たら、働かなければなりません。言葉を覚え、芸を身につけ、お座敷で披露する。そうしなければ、生きて行けないからです。私たちは、遊びでこの世界に居る訳ではないのです」


 俺は、言葉が出ない。少しの沈黙の後、さっきから気になっていることを、かすれた声で口にした。


「足、どうしたんだ? 震えてるようだが……」

「……これは、折檻されて、動きにくくなってしまって」

「折檻!?」


 俺は叫んだ。女が折檻を受けるのか!? 何でだよ!


「そんなに珍しいことじゃありません。ここに居る者は、大体が折檻を受けます。舞いなどの覚えが悪かったり……逃げ出そうとしたり」

「…………」

「私がこの数年でここまでこれたのは、無理をしたからです。毎日、先生に頼みこみました。もっと上に行きたいから、教えてほしいと。それを『生意気』だという人もいて、それで折檻を受けました。……まぁ、当然です。古き良き伝統を、こんな小娘に汚されたくなかったのでしょう。それでもしつこく、毎日頼みこみました。最終的には、折れてくれましたが、私の右足は、酷使しすぎて、使い物にならなくなってしまった」

「…………」

「別に、あなたのせいではありません。勘違いしないでくださいね。私の、自業自得ですから。それに、後悔なんてしてません」


 そう言って笑った後、白君は言う。


「……[[rb:虎之助 > とらのすけ]]さん。あなたの生きる世界が、全てではないのです。当たり前ではないのです。そして、どの世界の人間も、無関係ではないのです。あなたの食べるものは、誰かが汗水流して作ったものです。あなたの着る物の糸は、誰かが心をこめて紡いだ糸です。そして、あなたの持つお金は、誰かから幸せを奪ったお金かもしれない」

「幸せを奪う?」


 そんなこと、考えたことも無かった。起きれば、着替えが置いてある。座れば、勝手に飯が来る。財布にはいつも、勝手に金が入ってる……。誰がどうしたかなんて、考えたこと無かった。


「ここに来たということは、条件をのんでもらえたという事ですね?」

「え、ああ……」

「では、これから三日間。あなたは名も、家も捨ててもらいます。そして、都から出て頂きます」


 そう言って、引きずるようにふすまに移動し、開ける。


「どうぞ、お金はどれだけでもお持ちください。見張りも、同行者もお付けは致しませんので、三日で無くとも構いません。都を出て、過ごす。それだけに、意味がありますから」

「わ、分かってる。別に都から出た所で何かが変わるわけないだろ。三日間、絶対に外で過ごしてやる」


 白君は、笑う。


「では、行ってらっしゃいませ」

「ふん」


 俺は、そのまま、都から出ていった。


「……金さえあればなんとかなる。何が三日じゃなくてもいい、だ。見くびりやがって……隣町に、そう言えば宿があったな。そこで過ごすか」


 俺は、さっそく歩き出した。……が、程なくして足が痛くなってくる。


「くそっ! ……何で籠が通らねぇんだよ!」


 いつもは籠での移動だったから、歩くことに慣れてなかった。


「まぁ、いつかは着くだろう……」


 そうこう言っているうちに、日が落ち始める。どれくらい歩いただろうか。どんなに歩いても、進んでない気がする。


「はぁ、はぁ……どこだ、ここ……」


 一直線に来たはずなのに、森の中に入ってしまったらしい。


「少し、休憩を……」


 俺は、石に腰かける。その時、老人が通りかかった。


「兄ちゃん。ここで何してるんだ? もう暗くなる。ここは野犬が多いから、野宿はせんほうがいいぞ」

「ああ、なら、籠を呼んでくれ……隣町に行きたいんだ」

「籠って……兄ちゃん。そんなもんどこで呼ぶんだ? それに、兄ちゃんの足じゃ、隣町にはすぐ着くだろう」

「んな……!」


 籠が呼べないって……。それに隣町ってこんなに遠かったか……?


「んじゃぁ、頑張んなよ」

「待て! 俺は……!」


 去っていく老人に、自分の名を言おうとして、口をつぐんだ。名を捨てろって言われてた……。


「くそっ! ……本当にすぐ着くんだろうな……!」


 それからまた、どのくらい歩いただろうか。もう真っ暗で、先が見えなくなった。


「すぐ着くって言ってたくせに……全然着かねぇじゃねぇか……。灯り、灯りは……」


 そう言って気づく。俺、灯りの付け方が分からない。足も、もう限界だ。


「うおーん……」

「わっ!」


 野犬か!? これ以上歩けないし、ここで野宿も出来ない。……しかたが分からない。俺は、寒さと怖さで震えた。どうしよう、どうする……!?


「やっぱりか、さっきの兄ちゃんだろう?」


 灯りが突然、目の前に現れた。助かった……。


「心配で来て見れば、こんなところで何してる。火も付けずにいたら、野犬に食われてしまうだろう」


 それは、さっきの老人だった。


「さあ、こっちへ来なさい。家に案内しよう」

「いや……その……」


 俺の足は、ぶるぶると震えて、動かない。


「なんだ歩けないのか? 仕方ない」


 よいしょっと、俺を軽々背負い、歩いて行く。俺は、安心したからか、気を失った。


「ん……ここは?」


 見慣れない景色。少し、煙くさい。


「おお、兄ちゃん。目ぇ覚めたか?」

「あんたは……」


 先の老人が、囲炉裏の向こう側に居た。


「安心しなさい。ここは私の家だ。兄ちゃん、名前は?」

「…………」

「言えないならいい。じゃぁ、私も『おじさん』と呼んでもらおうか」


 おじさんは、器に何かをよそうと、俺に差し出した。


「食べなさい」

「う……」


 なんだこれ。色の悪い粥だな……。


「しかし、骨でも折れて歩けないのかと思ったが、ただの疲労だったとはな。兄ちゃん、どこかの坊っちゃんかい?」

「……金なら払う。だから、ここに泊めてほしい」


 俺の言葉に、おじさんは笑った。


「わははは! 金なんかいらん。元々ここに泊めるつもりだった。じゃなきゃ連れてこんだろう。それに、一人で隣町にも行けない兄ちゃんを追い出してどうなる」

「何だと……!」


 反射的に怒鳴ろうとした俺の言葉を、おじさんは遮った。


「兄ちゃん。都の出身だろう? それも、位の高い。……こんな庶民に言われるのは癪か?」

「…………」

「兄ちゃん。どうしてあんたみたいな奴が歩いてたのかは知らんが、火打ち石も持たず、そして自分の体力も考えずに歩くなんて、死んでも文句は言えんぞ」

「……だったら、いい。出ていく」


 俺は足を引きずり、外に出ようとした。だが、うまく動かない。


「出て行ってどうする気だ」

「……金で用心棒でも雇って帰る」

「用心棒? わははは!」


 おじさんは、また笑う。


「兄ちゃん。金さえあれば何でもできると思ってるだろう。でもなぁ、金は自分を守ってはくれんぞ」

「どういうことだ?」

「……野犬に襲われそうになっても、野犬に金を出して見逃してもらおうってのかい?」


 俺は、一瞬固まった。おじさんの言ってることが事実だったからだ。


「金はなぁ、誰にでも価値のあるものではないんだよ。そりゃぁ、まったく無かったら困るかも知れんが、無くても生きてはいけるもんさ」

「どうやって生きていく。金が無ければ、食べ物も買えない」

「兄ちゃんは、物々交換は知らんのか?」

「物々交換?」


 初めて聞いた。


「その人が欲しいものと、自分が欲しいものを交換するんだ。お互いに満足するものであれば、金が無くとも手に入る」

「じゃ、自分が何も持って無かったらどうするんだ」

「自分で採りに行くのさ。きのこでも、薬草でも、この土地にはたくさんある」


 道草を食べるのか? なんだそれは……。


「兄ちゃん。悪いことは言わない。帰りなさい。明日、私が都へ送るよ。物を運ぶ車もあるから、歩かなくてもいい。というか、歩けんだろう」

「…………!」

「それから、一度お金を捨ててみなさい」

「はあ!?」


 何言ってんだ? 金がなきゃ、生きられないだろ!


「兄ちゃんにとって、一番大切な物は金か? そうじゃないだろう?」

「一番、大切なもの……」

「金は人の心を蝕む。よく考えてごらん。ただの金属じゃないか。それと人の気持ちは同じ価値なのかい?」


 おじさんは、俺に何か訴えている。だが、意味が分からない……。


「形あるものと、形の無いもの。どちらが大切かは、人によって違う。でもね、私は形の無いものの方が、大切だと感じる。兄ちゃんはどうだい?」


 その言葉に、返事は出来なかった。


「私は、人間が好きだ。こうして独りでいても、誰かが心配してくれる。ここに来たばかりの頃は、本当に勉強の毎日だったよ。生活の仕方、人との関わり方。色んなことを教えてもらい、支えてもらった」

「おじさんも、なにも知らなかったのか?」


 おじさんは、少し黙った。その後、微笑みと共に言う。


「私にも色々あるからね。兄ちゃんとは、違う人生を歩んできた。みんなそうだろう?」


 そう言って、また黙る。俺には、おじさんの言葉が理解できなかった。


 翌日、俺はおじさんに送られ、都へと着いた。おじさんは、どうしても、金は受け取らず、「また、来なさい」と言って、帰って行った。その足で家へ帰ると、どうしようもなく、おじさんの言葉が離れなかった。その後の俺を待っていたのは、親父の権力の引き継ぎの為、大名とのあいさつ回り。いつもなら、……白君とおじさんとの出会いが無ければ、別になんら大したことは無い、ただのお茶会。でもそれが、俺の気分をどんどん害していく。いつしか俺は、この当たり前の世界に疑問を持ち始めていた。


「金が、世界をまわしてる?」


 外に出るたびに、人の優しさに触れた。そのたびに、俺のいる世界が、汚らわしく見えてくる。人の笑い声が、お茶会が、大金を手にする、人間が。全てが、黒く見えてくる。そしてそこに居る自分も、黒く染まっているのだと気づく。俺はそんな世界から抜け出したくて、家を飛び出した。行先は、白君。


「戻ってこられたのですね。どうでしたか? 外の世界は」

「……俺、旅に出るよ」

「旅?」

「自分で、生きてみたい」


 俺の顔を見て、白君は微笑む。


「……意味があったようですね」

「今まで、すまなかった」

「いいえ。……最後に言わせて下さい。自分の世界を、そうそう簡単には捨てられないものです。そして、そこから簡単にも抜け出せない。でも、あなたは気づいた。それはとてもすごいことなのですよ。そんな自分を責めてはいけません」

「……ありがとう。さよなら」


 俺は、そのまま旅に出た。おじさんには、あの時の答えを出してから会いたかったから、会わずに去った。



 あれから数年。ようやく答えが出かかってたのに、風の便りで、おじさんは亡くなったと聞いた。そして、現在に至る。


「虎之助さん? どうしたの?」

「……いや、昔を思い出してた」

「今は、元気にしてるの? 生活は?」

「ああ。充実してる。でも、まだ抜けきれたわけじゃない」


 白君は、少し声を落した。


「まだ悩んでるのね」

「でも、形の無いものが、大切だと分かった。教えてくれた奴がいるから」

「え?」

「あ、そうだ……」


 思いだした。これから一人加わるんだよな。しかも女が。女の旅支度、みたいなのは聞いといた方がいいのか? ……あいつも女だが、あんまり頼りにならねぇしな……。


「男の俺が、こんなこと聞くもんじゃねぇかもしれないが……」

「なあに?」

「女の旅支度で、必要なものってあるよな……?」

「え? ……そうね。女は特にね」

「それって、男が買うと、やっぱり……変か?」


 白君は笑うと、馬鹿にすることなく、真面目に答えてくれる。


「待って。今、紙に書いてあげるから。あなたが読んでもいいけど、直接その人に渡せばいいと思うわ。……どんな女だって、必要なものくらい分かってるはずだけどね」

「わ、悪い……」

「いいわよ。そうやって気にしてくれる方が、女としてはありがたいと思うわ。……幸せね、その人。……はい、これ」


 俺は、白君から、紙を受け取る。


「ああ、ありがとう。……もう行くよ」


 白君は、困ったように、笑う。


「あなたは、本当に勝手な人だわ。人の気持ちも知らないで」

「勝手なのは、性格だからな。今更直せない。悪いな」

「そうじゃなくて……まぁ、いいわ。また来てね、虎之助さん」

「名前、変えたんだよ。[[rb:虎之助 > とらのすけ]]じゃなくて『[[rb:狩之助 > かりのすけ]]』。虎はもう、自分で狩ったから」


 じゃあな。そう言って、ふすまを閉めた。あいさつは済んだし、灑羅も待ってるだろうから、早く帰ろう。


「あいつのいる、所へ」



「遅いぜよ。何しておったんじゃ。遅いから、家は引き払ってしまったきに」

「悪い悪い、ちょっと用事が長引いてな」

「まぁ、良いが。ん?」


 [[rb:灑羅 > しゃら]]が、いきなり俺の服を嗅ぎ始める。


「な、なんだよ……!」

「香の香りがするのう……。花街にでも行っておったか?」

「いやちが……」

「隠さんでもよいじゃろう。……それとも、なにか後ろめたいことでもあるのかの?」


 いたずらっぽい笑みに、俺は堂々と言ってやる。その手には乗るか。


「……別にねぇよ。花街には俺の友人がいる。あいさつに行っただけだ」

「ほう。わしも会ってみたいのう」

「いつか、な」


 その後、都の街道で待ち続けるも、人の気配が現れることはない。


「まだかよ……」

「もう少しじゃ。匂いが近くなっておるじゃき……ほら、来るぜよ」


 その言葉通り、荷車の音が微かにする。微かに見えてきたのは、屋根付きの荷車。


「あれじゃ」

「ちょっと待ってくれ。いい娘はいるか?」

「…………」


 強面の男が、俺を睨む。


「灑羅! 本当にいるのかよ?」


 俺は、小声で言う。もう、中を見てやがる……。


「匂うのぉ……いる、間違いない。こやつじゃ」

「え……」


 一人の女を、灑羅は指差す。女は驚いた様子で、周りを見渡していた。


「よし、買った! いくらだ?」

「…………」


 客だと分かった途端、男が笑みを浮かべる。いや、その顔で笑うと怖えぇんだが……。


「出な」

「え、ちょっと……!」


 男に引っ張り出された女は、少し震えてる。でも、俺たちの目をしっかり見てる。十六、七か? それなのに、しっかりしたもんだ。女ってより、娘って感じだな。


「行くぜよ」


 灑羅は、気にした様子も無く、歩き出してしまう。俺は気にかけつつも、灑羅の後ろを歩く。


「結構な出費だっだぞ。本当なんだろうな?」


 俺は財布を見ながらいう。人売りから買うなんて、ちょっと心苦しいが。


「当たり前じゃき。信じとらんのか?」

「信じてるけどもよ……」

「ん? 元気ないのう。腹でも減ったかの?」


 後ろからとぼとぼ着いて来る娘に、灑羅は声を掛ける。


「んなわけねぇだろ。売られた人間にどんな元気があるってんだ」


 灑羅は娘の肩を触るが、娘はそれを振りほどく。


「気安く触らないで! くだ……さい……」

「なんじゃ?」


 灑羅はなぜか分からないという顔をしてるが、そこは当たり前の反応だろう。


「いや、今のはお前が悪い。……悪いな。こいつ、配慮ってもんが無いからよ。毛皮被ってるからそうは見えねぇかもしれねぇが、こいつも一応女だから、安心してくれ」

「女の人!?」


 うん。その反応は正しい。


「なんじゃ失礼なやつじゃのぉ。わしが女に見えんで何に見えるんじゃ?」


 灑羅は腰に手を当て、胸を張ってるようだが、残念ながら説得力は無い。


「おいおい、そりゃ毛皮被って「わし」って言ってるやつの言うことか? どっから見ても怪しいやつだよ。かろうじて人間に見えたとしても、女には見えん」


「おお! 毛皮羽織っていたのを忘れておった。すまん、すまん」


 忘れてたって……とことん鈍感だな。


「これでどうじゃ? どこからどう見ても女じゃろう?」


 灑羅は、口調とは裏腹に見た目はきれいだからな。毛皮を脱げばちゃんと女に見える。……が、娘が驚いたのは、そこだけじゃなかったらしい。


「な、何ですか!? その格好! 女が足を出すなんて……!」


 うん。それも、当然の反応だ。灑羅はやたらと忍び服を着たがるからな。必然的に足が出る。俺も最初は戸惑ったもんだ。


「いちいち文句が多いのぉ。動きやすい、それだけじゃが? 盗賊なら動きやすいに越したことはないからのう」

「盗賊!?」


 あ、馬鹿……!


「何でいきなりばらすんだよ!?」

「盗賊って……! 私をどうするおつもりですか!? 辱しめを受けるくらいなら、舌を噛み切って死にます!!」

「ほら、動揺しちまった……」


 いきなり「盗賊です」なんて言う馬鹿がいるか? そんなこと言われてみろ。動揺するのは当たり前だ。この娘の立場だったら、俺は命乞いをしてるだろう。


「まぁ、アオヤミのことは追々説明でいいじゃろう。この男もわしも、お主になんら危害を加えるつもりはないじゃき、安心いたせ。時にお主、名はなんという」

「[[rb:志乃 > しの]]……」

「よい名じゃな。わしは[[rb:灑羅 > しゃら]]。よろしくの。ほれ、お前も名乗れ」


 当たり前だろう。これまで名乗らなかった方がおかしんだよ。


「[[rb:狩乃助 > かりのすけ]]だ」

「盗賊とは、どういうことなのですか?」

「その名の通り盗みをするからじゃ」

「だからお前は……!」


 ああ。話がどんどん悪い方向へ行ってる気がする。


「私は盗みなどいたしませんよ! そんなことをするくらいなら……!」

「分かってる。分かってるから、落ちついてくれ。俺たちは事情があって盗みをしてる。志乃も、事情があって人売りに売られてた。……色々と説明したいが、立ち話もなんだろ? これから、ゆっくり話そう。な?」

「はい……」

「ふむ……」

「ふう……」


 三人の声が響く。少し、緊張が解けたようで、志乃は笑う。


「すみません……動揺してしまって」

「まあ、よい」

「お前が動揺させたんだろ? ……ったく、今日はここで野宿だな……」


 俺は、小枝を集めながら、ちょうどいい場所を探す。そして火をおこした。


「俺が火の番をしてる。二人は寝てくれ」

「ああ、悪いの、狩之」

「えっと……」


 志乃が、困ったようにおどおどして座ろうとしない。


「どうしたんじゃ?」


 灑羅は不思議そうに見ているが、俺は分かった。


「男の俺が近くに居たんじゃ、眠れないよな。……でも、どうすることもできねぇし……そうだ、話でもしてよう。眠れないなら、眠らなくていい。明日には隣町の宿をとるから。それでいいよな? 灑羅?」

「…………」

「灑羅?」

「おお、なんじゃ?」


 なんだ? ぼうっとして……。


「明日は宿をとって休むから、今日は志乃に眠らなくてもいいって言ったんだ」

「ああ。それでいいぜよ。……おやすみの」


 そう言って、灑羅は眠った。


「すみません」

「何で謝るんだよ。志乃が悪いわけじゃないだろ」

「私は、村の外で暮らしたことがありません。だから、これからどうすればいいのか、何をされるのか、分からないんです」

「それは、当然な気持ちだろう。人に売られて、買われて。訳も分からない内に、巻き込まれたんだからな。……すまないな。不安にさせて」


 俺の言葉に、志乃は驚いたように目を見開いた。


「人買いなんて、凶悪な人間ばかりだと思ってました。……でも、狩之助さんは違うんですね。さっきからずっと、私の心配をしてくれてます」

「まぁ、心配ってか……不安なんだろうなって思っただけだ。お前みたいな年頃の娘が、訳の分からん人間に囲まれて、強制的に一緒に過ごせと言われる。そんなの、怖いだろ?」


 俺の質問に、志乃は微笑んだ。


「怖いです。でも、これが自分の運命ですから」

「……泣き叫んだっていいんだぞ? お前は、まだ子供だろ? さっきだって大したもんだ。自害を選ぶなんて、俺なんて嘘でも言えねぇよ。きっとお前の立場だったら、命乞いしてた」

「一応、覚悟はありますから」


 志乃は、静かに言った。この度胸といい、普通の娘には見えないな……。


「あんまり、我慢しすぎるなよ」

「優しいんですね」

「……優しくなんかねぇよ。勘違いするな」


 俺は急に恥ずかしくなって、顔をそむける。志乃は微笑んだままだ。


「あ、そういや、これ」

「何ですか? 紙?」


 俺は照れながらも、説明する。


「これから、旅になるだろうから。……女の旅支度って、よく分かんねぇから、友人に書いてもらった。中は見てない。これを見れば、必要な物は分かるだろうって」

「あ……ありがとうございます……」


 志乃も、中をみて把握したらしいが、少し赤くなってる。男の俺に気遣われるって、やっぱりまずかったか……?


「嫌な思いさせてたら悪い。気遣っていいのか、俺もよくわかんなくてな」

「いえ、嬉しいです」

「入用の物があったら、灑羅に言えよ。あいつも一応女だから、分かってくれるだろ」

「ふふっ」

「な、なんだよ……」


 俺の言葉に、志乃は急に笑い出した。


「本当に、盗賊なのかなって思ってしまって。狩之助さん、そんな風には見えないから」

「盗賊なのか、俺にもよく分かんねぇよ……色々灑羅に制限されてるからな」

「制限、ですか?」

「まぁ、この話は、灑羅もいる時にしよう。……もう、眠れるか?」

「はい。ありがとうございます。……おやすみなさい」

「おやすみ」


 そう言って、志乃は灑羅の横に寝る。少しすると、小さな寝息が聞こえる。その姿を見ると、改めて子供なんだと実感する。……最初はあんなに大人びて見えたのに、不思議なもんだ。志乃は、泣かない。本来なら、泣き叫んだっていいくらい、志乃にとって俺たちは怖い存在だろう。でも、志乃は笑う。悲しんでる所を、泣いてる所を人に見せないように。明るく、明るくふるまってるのか? どうして、こんな状況で笑えるんだ? ……分からない。


「何で俺、こんなに気になってんだ?」


 俺は志乃じゃないから、分からないのは当然なのに。


「ん、なんじゃ。結局寝たんじゃな」

「やっぱ起きてたのか。寝息が聞こえねぇから、おかしいと思ったよ」


 灑羅が起きてくる。


「しかし、狩之は志乃に優しいのう?」

「別にそんなんじゃねぇよ」

「んん? さっきの紙切れといい、おなごを迎える気満々じゃったのにか?」

「だから、そんなこと……」


 こいつ、自分のこと分かってないだろ。……俺がどんな気持ちでいんのか……。


「まぁ、『神の使い』も無事に見つかって、わしも安心したぜよ」

「あ、ああ……」


 最終目的地、『北の地』。なんか、どんどん、こいつとの旅が終わろうとしている気がする。


「狩之と会って、どのくらいじゃ?」

「ん、一年くらいか?」

「まさかこんなに早くなるとは、思わんかったぜよ」


 嬉しそうに話すこいつとは反対に、俺の気持ちは沈んでく。


「……なあ」

「なんじゃ?」


 俺は、恥ずかしさをかみ殺し、言う。


「手、握ってもいいか?」

「いいぜよ」


 差し出された手に、恐る恐る触れる。


「……く……!」

「大丈夫じゃき。穢れたりせん」


 震えながら握った手は、やっぱり温かい。


「お前の手って、温かいのな……」

「狩之の手が冷たいんじゃろう。そうじゃ、いつもこうしてようかの? そうすれば、温かいままじゃぞ?」


 いつもなら、少し反論する所だが、今はそんな気も起らない。


「ああ、いいかもな……」

「狩之?」


 心地いい。このまま……。

「まだ、放さないで……く……」


 このままが、いい。このままで、いたい。



「あっ……!」

「ん……?」


 空が明るい。火も消えてる。いつの間にか、眠ってたのか……? 今、誰かの声が、聞こえた気が……。


「……志乃?」

「え、あの……その……」


 志乃は何だか動揺してる……。一体何が……。


「え……?」


 目の前に、灑羅の顔。


「うわっ!」


 そして、手が繋がれてて……。どうやらぴったりとくっついて寝てたらしい。


「ご、ごめんなさい! お二人が、そんな仲とは……その、知らなくて……」

「違う違う! 誤解だって! おい、灑羅! 起きろよ!」

「ん……? なんじゃ、騒がしいのう……」


 灑羅は起きても、たいして動揺していない。手は、繋いだまま。


「俺、昨日……」

「ん? なんじゃ。狩之から寄り掛かって来たのじゃろうが。覚えとらんのか?」

「え、俺?」


 そうだ! 昨日、手を握って、そのまま寝ちまったんだ……。


「あの、私! 何も見てません! 本当ですから!」

「だから、違う……けど……違くもないってわけじゃない……っていうか……」

「お邪魔しませんから!」

「だから、志乃! 勘違いするな!」

「もう少し、寝ててもよいかの?」

「その前に、手を放してくれ!」


 そんなこんなで、騒がしい朝となった。


 その後、志乃の誤解は解けたものの、やはり俺たちに気を使ってるらしく、後ろから少し離れてついて来る。


「……志乃。あのな、さっきも言っただろ? 俺たちは何もないんだって」

「いえ、その、分かってはいるんですけど……」


 もじもじと答える志乃は、やはり俺たちの関係が気になるらしい。


「そうじゃ、手を繋ぐかの? 狩之」

「はぁ!? 何でだよ!」


 今、志乃の誤解を解いたばかりだってのに……!


「昨日言ってたじゃろうが。『温かいから繋いだままがいい』と」

「俺そんなこと言ったか?」

「言ったじゃろう。忘れたのか?」


 ……つくづく馬鹿だな、俺って奴は。言ってたとしたら、本当に恥ずかしい。俺は志乃の顔を伺いつつ、咳払いをして言う。


「悪かったな。花街に行って酒も飲んでたし、疲れてたから変な事を言ったかも知れん。すまない。忘れてくれ」


 本当は酒なんて飲んでないが。


「酒臭くはなかったぜよ。それに、手を繋ぐことぐらいでなぜ謝るんじゃ? わしは別に構わんがの」

「私も、昨日の狩之助さんからはお酒の匂いはしなかったと思います……」


 くそっ! 志乃が灑羅側に付きやがった! ってか、空気を読め! 灑羅、お前が話しをややこしくしてんだよ!


「……この話は終わりだ。ってか終わりにしてくれ。頼むから、志乃も距離を取るな。だんだん俺が恥ずかしくなってくるだろ」

「あ、はい。すみません……」


 俺の言葉に、志乃がすっと近づいて来る。


「改めて、昨日の話だ。なぜ俺たちが盗賊をしてるかって話し。灑羅、お前が説明してやれ」

「翆を集めておる。それを届けるのが、わしらの役目じゃき。だから、金を盗む」

「…………? えっと……」


 人選を間違えた。


「……待て、灑羅。そこまででいい。俺がお前に説明させたのが悪かった。志乃、今のは一旦忘れてくれ」

「え、は、はい……」

 

 ……ここは一から、俺が説明するしかないな。


「まず、『[[rb:翆 > すい]]』の説明からだな。翆ってのは……」

「翆とは清らかな気のことじゃき」


 お前が説明するのかよ! ……まぁ、翆については、こいつの方がいいか。


「清らかな気……ですか?」

「ああ、北の地の神が衰弱しておってな。翆を集め、届けなければならんのじゃき」

「北の地の神……」


 志乃の顔が、急に引きしまった。いきなりそう言われてもな。分かるわけない。


「アオヤミ。と言う名の神じゃ。古来より、神は人間の信仰など、気で身が成り立つ。それが失われつつある今、少しでも、世に散らばる翆を集め、アオヤミを回復させねばならん。それで、金を盗んでおる」

「待った。お前からの説明はここまででいい。志乃、翆については、理解できそうか?」


 難しい顔をしながらも、志乃は頷く。賢い娘だ。


「それで、何で俺たちが金を盗まなきゃいけないか、だ。なんでもな、翆ってのは、人や物に宿るそうだ」

「人や物に……?」

「ああ。……誰かを労いたい。誰かを喜ばせたい。そんな純粋な使い方をされた金には、その人間に宿っていた翆が少しだが移る。だが、金は持ち主がころころ変わるだろ? それを追ってちゃ話しにならないからな。最終的に行きつく所でまとめて回収するのさ」

「行きつく所とは?」


 俺は胸がざわつくのを押さえ、言う。


「大名や高官の屋敷さ。奴らの元には、金がわんさか入ってくる。その屋敷に忍びこみ、翆の宿っている金と、生活費である小判一枚を盗むのが、俺たちのやり方だ」

「…………」

「ほれ、お前の話しで、理解しておらんぞ」

「理解は出来なくても、お前より分かりやすく話せた自信だけはある」


 志乃は、考え込んで黙ってしまう。俺だって、これくらい説明できる程になるのに、何十回と話しを聞いたからな。一度で理解するのは難しいだろう。


「一つ、質問してもいいですか?」

「何じゃ?」

「翆は清らかな気とおっしゃっていましたよね? では、自然に発生するものではないのですか?」

「その通りじゃき。翆はどこにでもあるぜよ。志乃は賢いの」


 ってか、もう理解してんのかよ! 頭良すぎるんじゃないのか? 何十回も話しを聞いた、俺が馬鹿みたいだな……。


「それではなぜ、お金にこだわるのですか? どこにでもあるならば、それを集めればいいのではと思うのですが……」

「お主の言う通りじゃき。じゃが、わしらが集めるのは人の翆じゃ」

「人の?」

「ああ。人に宿りし翆と、自然に発生する翆では違う」


 志乃は大方理解しているようだが、俺にはこの手の話しはさっぱり分からん。


「人の翆は、集めるのが難しい。清らかな気を持っていても、人に宿っておったら持ち帰ることができん。だから、その人間が手放した物を集める。そうすると、必然的に金になるじゃき」

「だから、盗むのですか?」

「ああ、薄汚れた世を渡れば、翆も次第に消えていく。その前に盗み、わしの手元に置く必要があるんじゃ。わしは、翆を維持できるからの」

「なるほど……」

「はは……」


 俺は笑うしかない。一度でこの話を理解し、受け入れるって……人間できる奴はできるんだな。


「じゃあ、もう一つだけ質問してもいいですか?」

「いくつでも構わん」

「灑羅さんと狩之助さんは、なぜ翆を集める事になったのですか?」

「わしは北の地出身だからじゃき。……狩之は、わしが適当に選んだ」

「え!? 俺を選んだのって適当だったのか!?」


 おいおい。俺はお前に選ばれた理由が何かあるんだと思ってたぞ! それも、結構重大な……。


「まぁ、簡単に言えばそうじゃな」

「…………」


 何だか、悲しくなってきた。……と言うより、うぬぼれてた自分が恥ずかしくなってきた。


「そう、ですか……」


 そんな中、志乃はまた考え込む。もう、この話、止めないか?


「お、町が見えて来たぜよ。どこの宿に泊まろうかの」


 そう言って、灑羅は足早に行ってしまう。俺は、志乃を見た。まだ、考え込んでるようだ。


「北の地出身……ですか……」

「志乃?」


 俺の声でようやく顔を上げ、はっとした様子で俺を見る。


「す、すみません。ちょっと考え込んでしまって……」

「いや、考え込むのは当然だろう。……しかし、理解が早いよな、志乃は。俺なんか何回聞いてもさっぱりだ」

「いえ、全部を理解してるわけではありません。まだ、色々聞きたいことがあるのですが……」


 そう言って、灑羅の姿を目で追いかける。俺は、溜め息をついて、志乃に言う。


「まぁ、後は宿で話そう。その方が、ゆっくりできるだろ?」

「そうですね」


 志乃は、笑った。



「どの宿に泊まるかの。たまにはゆっくりしたいものじゃ」


 灑羅は一軒の宿屋に足を止める。


「ここがいいかの?」

「ちょっと待て! こんな高級宿に泊まれるほど、俺たち金持ってねぇだろ!」


 だいたい、何で高級宿なんだ? 宿を取ると言っても、それなりの所があるだろうが……。


「いや、わしの小遣いでなんとかなろう。せっかく志乃が仲間になったんじゃ。豪勢にしたいじゃろ」

「ちょっと待て……小遣いってなんだよ。お前そんなに持ってんのか? 俺と五分じゃなかったのかよ!?」

「五分じゃが?」


 それはちょっと聞き捨てならないぞ。俺と五分で、何でそんなに持ってやがる!


「じゃあ何でそんなに持ってんだよ! おかしいだろ!?」


 その言葉で、灑羅は溜め息を付く。


「お主が酒を飲んだり、芸者と戯れたりするからなくなるだけじゃろう。わしはこの一年、小遣いを使うことはあまりないからの。その分貯まっておるじゃき」

「いやいや! 俺は芸者と戯れたりしてねぇだろ!」

「この間は、花街の友人とやらに会っていたじゃろう?」

「あれ一度だけだろ! それに、お前だって居酒屋で飲んだりするじゃねぇか! しかも、俺と一緒の時は全部俺が払ってただろ!」


 俺は、不平を叫ぶが、灑羅は意に介さず言う。


「それはそれ。これはこれ、じゃき。それにわしがおごると言うんじゃ。文句は聞かん。この宿に泊まる」

「くっ……!」


 納得できないけど、まぁ、いいか。こいつのおごりで、高級宿に泊まれるんだから。


「志乃、行くぜよ」

「え、はい……でも私、こんな立派なお宿、初めて……といいますか、お宿自体、初めてで……」

「ゆっくりすればいいんじゃき。そんなに固くならんでよい。主人! 三人じゃ!」

「へぇ! ようこそお越し下さいました。さ、どうぞ中に」


 俺は、不安になりつつ、宿へと踏み込む。本当に、大丈夫なんだろうな……。


「では、ごゆっくり、おくつろぎ下さいませ」


 部屋を案内され、おかみが部屋から出ると、志乃は息をついた。


「はぁ……緊張しました」

「どこに気をつかってるんじゃ。こっちは客じゃき、くつろげばよい。狩之、茶じゃ」

「お前にはもっと緊張感を持って欲しいけどな!」


 俺は少し不機嫌ながら、茶の準備をする。


「あ、狩之助さん。お茶なら私が出します」

「いいよ。茶くらい出せる。……普段はこいつ、何もしないからな」


 志乃の気づかいを断って、俺は灑羅を睨む。


「さっきから何を怒ってるんじゃ? こんな宿、滅多に泊まれないんじゃき。お前も楽しめばよいものを」


 俺がなぜ不機嫌か。それは、宿に入った途端、灑羅が毛皮の羽織り物を脱ぎ捨てるからだ。忍び装束だった故に、主人は俺たちを泊めるか相談してたようだし、最悪の場合、奉行所にでも通報される可能性もあった。なんとかごまかしたものの、さっきのおかみさんの目、見たか? 明らかに俺たちのこと疑ってただろ!


「そうだ、これからどうすんだ? 俺たちの関係性」


 俺は、お茶を配りながら灑羅に話す。


「ありがとうございます。えっと、関係性とは?」


 お茶を受け取った志乃が、首をかしげる。


「おお、すまんの。そうじゃな……」


 灑羅も、考えてたわけではないらしい。俺は志乃に説明する。


「俺と灑羅は、町に滞在する際、空家をよく借りるんだが、その時、俺たちは夫婦だ、ってことにしてるんだ。その方が怪しまれないし、自然だからな」

「あ、なるほど……」

「志乃は、わしらの娘ってことでどうじゃ?」

「はぁ? 俺の年を考えろ! どう考えたっておかしいだろ!」


 俺はまだ二十二だ。そんなに老けてたまるか。


「そうじゃ! お前と志乃が夫婦ってことでどうじゃ?」

「え、私が狩之助さんと?」


 志乃は、少し顔を赤くして驚いてる。


「ふりだけじゃ。それなら自然じゃろう?」

「……ちょっと待て。それじゃぁ、お前はどうなるんだ?」


 嫌な予感がしながらも、尋ねてみる。


「志乃の姉でよいじゃろ」

「やっぱり。それは却下だ」

「なぜじゃ?」

「お前と志乃が似てなさすぎる」


 大体、何もかも違いすぎる。灑羅と志乃が姉妹……? ありえん。


「じゃぁ、どうするんじゃ? 不満ならお前が決めればよかろう」

「えっと……。そうだな。年的に俺と灑羅は夫婦でいいだろう。志乃は……俺の妹、とかか?」

「却下じゃな」


 俺の言葉が終わらない内に、灑羅は却下を申し出る。


「え? 何でだよ!」


 俺の言葉に、灑羅はにやりと笑った。


「似てなさすぎるの。それに、志乃がお前を『お兄様』などと呼ぶには、あまりに可哀想じゃき」


 くそっ! さっきのお返しかよ! 可哀想って何だよ! いいじゃねぇか。『お兄様』。


「じゃぁどうすんだよ! 志乃はやっぱり妹って位置だろ!」

「お前の妹、じゃ可哀想じゃと言っておるじゃき。わしの妹でよかろう?」

「それは無い! 絶対無い!」


 そう口論すること約半刻。結局、志乃は俺のいとこという位置に収まった。……いや、志乃が収めたんだけど。


「はぁ。そろそろ風呂にでも入ろうかの。ここは温泉じゃそうじゃき。志乃行くぜよ」

「あ、はい」


 灑羅も俺も、さっきの口論で体力を消耗してしまった。俺自身、なんであんなに突っかかったんだろうと不思議でならない。灑羅と志乃が部屋を出るのを見て、俺は呟いた。


「……お前が、俺と志乃が夫婦でいいだろ、なんて言うからだろ……」


 呟いて、初めて分かった。嫌だったんだ。何だか無性に嫌だった。今まで疑似だが、夫婦としてやって来た。それを簡単に灑羅が変えたのが、嫌だった。俺が志乃と夫婦でお前はいいのか? お前にとって、そんなに簡単に変えられるもんなのか? ……何だか、俺自身がおかしいんじゃないかと思うほど、俺は嫌だった。いつか離れて行く、みたいな。


「最初から、分かってるけどよ……」


 決まりごとなんて、結末なんて。聞かなきゃよかった。



「はーいい湯じゃったの」

「はい。私、あんなに広いお風呂、初めてでびっくりしました。中も、とってもきれいでしたね」

「ああ、こんなに気持ち良い風呂は初めてじゃ」

「おかえり、って長いだろ。もうすぐ夕飯来ちまう所だったぞ」


 俺なんか、さっき風呂入って、帰って来たとこだ。確かにいい風呂だったのは分かるが、長すぎだろ。髪も乾いたほどだ。


「失礼します」


 おかみさんが、部屋を訪ねてくる。


「あの、お料理、お持ちしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、お願いする」

「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」


 俺の返事にお辞儀をして、退室していった。やっぱり、もう来るころだと思った。


「料理か、楽しみじゃのう」


 そう言ってるうちに、料理が運ばれてくる。……豪華だな。


「わっ……! 見て下さい、灑羅さん! お魚が、お魚が生きてますよ!」


 魚の活け作りに、志乃が興奮したようにはしゃいでる。なんか、やっと年頃の娘らしい反応を見た気がする。


「志乃は魚が生きてる所を見たことがないのかの?」

「川魚は見たことありますけど、海のお魚は初めてです。私の村は、山の奥深くにありますので、こんな大きなお魚は見たことがありません。それに、これお刺身ですよね。私、生で食べるの初めてなんです。村では、いぶした物とか、干したものを食べるのが主流なので」

「じゃあ、志乃は、初めて食べる物が多いな。ここは新鮮な魚介類、つまり海の物が特産物だからな」


 俺の言葉に、志乃はますます顔を輝かせた。そして、豪華な食事を終えたあと、食後のお茶で余韻に浸る。


「はぁ……お腹いっぱいです……お刺身が、あんなにおいしいなんて、知りませんでした」

「しかし、あれだけの量、よく食べたもんだ」


 俺の言葉に、少し顔を赤らめながら言う。


「すみません……残しちゃったらもったいないなと思って……」

「それにしては、ずいぶんと食べるの早かったな」


 その言葉に、ますます顔を赤らめる。


「えっと……それは……」


 俺は笑った。


「おいしかったんだろ?」

「……はい」


 志乃は、笑う。でも、その表情が、すぐに暗く沈む。


「どうした?」

「私、これから、どうなるのでしょうか」


 それを聞いた灑羅は、お茶をすするのを止め、志乃に尋ねた。


「志乃は、これからどうしたいんじゃ?」

「え?」


 その言葉に、志乃の顔つきが真剣なものになる。


「最初に言った通り、わしらは盗賊じゃ。このような宿に泊まることはほとんどない。野宿か空家での一時的な生活。一ヶ所に留まることは限りなく短い。そんな生活に、志乃は耐えられるかの?」

「……私は、買われた身です。戻る所も無い。ちゃんとした扱いを受けられるだけで、私は幸せ者なんだと思っています。それを今、噛みしめました」


 志乃は、沈んでいた表情を、決意めいた表情に変えた。


「盗みをする理由も、旅をする目的も、知ることができた。そして私が一番知りたいのは、私が買われた理由です」


 真っ直ぐに俺たちを見つめ、志乃は問う。


「どうして私を買ったのですか? その理由が聞きたいです」


 その言葉に、灑羅が答える。


「それはお主が、『神の使い』だからじゃき」

「『神の使い』……ですか?」

「わしは、翆を維持することは出来る、と言ったはずじゃの?」

「はい。お聞きしました」


 志乃は、頷く。


「じゃが、裏を返せば、維持しかできないと言うことじゃ。アオヤミに捧げるには、金から翆を取り出す人間が必要となる。それは、『神の使い』のお主にしかできないことじゃき。だから、お主を選んだ」

「どうして、私が『神の使い』だと?」

「信仰心の強い者であること。女性であること。それと、神を崇めし者であること。それが『神の使い』の条件なんじゃ。わしは、それを感じ取ることができる」

「…………」


 沈黙が流れる。神を崇めし者って、なんだ?


「わしとしては、志乃がなぜ売られていたのか、その経緯が聞きたいの」

「……分かりました。お話しましょう。私の村のことを」


 そうして、志乃が語り始める。


「私の村は、西の地の奥深く、山々に囲まれた所にあります。本当に小さな村で、信仰心が強く、[[rb:刻砥 > こくと]]の民と呼ばれ、恐れられています」

「恐れられる?」

「はい。村から出るには、許可が必要です。それも、山を降りた所にある、町にしにか行くことはできません。逆に、村の出身でなければ、村に入ることも許されません。……神を崇め、生きる。それが私たちの生き方なのです」

「ずいぶんと、閉鎖的じゃのう」


 灑羅の言葉に、志乃は頷く。


「はい。だからこそ、町の人々に気味悪がられてしまうのです。そして、気味悪がられる理由は、もう一つ。それは、生贄の存在です」

「生贄……」


 そんなもの、とっくの昔に無くなったものだとばかり思っていた。


「他の小さな村でも、雨乞いなどの儀式に生贄が捧げられることはありますが、今ではごく一部です。私も、雨乞いの生贄として捧げられたことになっていますから」

「捧げられたことになっている、ということは、雨乞いではなく、別の儀式だったということかの?」

「その通り、ただの口実です。町では、さっきも言った通り、私たちの信仰心が異質に思われております。……軽蔑的に見られては、町では物を売買してはくれません。その為、雨乞いと偽らなければならないのです。雨乞いの儀式は、他の村でも行われている分、認められるからです」

「では、本来何の儀式なのじゃ?」


 灑羅の言葉に、志乃はうつむく。


「それは……神隠しの儀式です」

「神隠し?」

「はい。……信仰心が強い私の村では、神隠しが起こることこそが、神の存在を示すものなのです。ご先祖様の書にも、神隠しのことが書かれています。……ですが、百年ほど前から神隠しが起こっておらず、神から見放されたと思ったのでしょう。……村人は、その事を認めようとせず、自らが神隠しを起こすことで、神の存在を示そうと考えました。それが、神隠しの儀式です」

「それはまた……」


 どういう考え方なんだ? 神隠しを自ら行うって……。


「生け贄は『神が生まれし時』に産まれた子供が村に二人いた場合に決まります。一人目が『神の亡骸』。二人目は『神の甦り』と呼ばれ、一人目、『神の亡骸』は、の占いにより決まった年に、神隠しの儀式の生け贄になります。……今から二十七年前に、同じ儀式で、神隠しにあった人がいるそうです。私は、儀式が行われ始めてから、二人目となります」

「神の亡骸、のう……」


 灑羅もさすがに考え込む。


「ひでぇ話だな……。恨んだりしてないのか?」


 俺の言葉に、志乃は凛とした表情で答える。


「恨んでなんかいません。私は……産まれた時すでに、生け贄に選ばれていたのですから。……子供の頃から、父と母には言われておりましたし、覚悟も決めていました」

「じゃが、どうして人売りに売られたのかの?」

「それは、私にもよく分かりません。ですが、儀式だと言われ、ついて行ったら、人売りに売られていました。……今考えると、儀式とは、人売りに売られることだったのかもしれません。神隠しは、その村から消えることですので……」


 さすがに声が出ない。そんな状況にありながら、なぜ志乃は凛とした顔でいられるのだろうか。


「……人売りに売られてしまったのは悲しかったですが、私は役目は果たしたのだと思っています。それに、お二人にお逢いできたのも、儀式のおかげです。今では、その為に生け贄になったのだと、思えます」


 志乃が笑う。どうして、笑えるんだろう。


「私は、お二人が盗みを行うならば、それに従いたいと思っています。それが、私の運命ならば」

「わかった。じゃが、無理強いはせん。お主は翆を取り出す人間じゃき、それ以外のことは、本来しなくてもいいことじゃからの。だから、わしらのことは、仲間だと思ってほしい。買っただなんだということは、結果的にそうなってしまったに過ぎん。お主は、わしらと同じ立場なのじゃ。買われたから、などと変に自分を押さえる必要はない。言いたいことは、堂々と言えば良いのじゃ」

「お前は、堂々としすぎだけどな」


 俺の言葉に、志乃が笑う。


「そういえば志乃。お主、『守り神の盃』を知っておるか?」

「『守り神の盃』……?」


 それは、俺も初めて聞く。


「お主は神の使い。その守り神は『[[rb:白大狼 > はくたいろう]]』じゃき、早く盃を交わすといい」

「盃を交わす……?」



 志乃は、目を丸くして驚いている。


「お主が信じておれば、夜に御会いできるじゃろう」

「どういうことだ?」


 俺の言葉に、灑羅は笑う。


「それはわしにも分からん。御会いできるのは、『神の使い』だけじゃきのう」

「さっぱり分からん」

「お前は分からんでもよい。さて、今夜は酒でも酌み交わすかのう。こんな機会滅多にないじゃき、久々に大騒ぎしたいぜよ」


 ……灑羅が飲むと大騒ぎになるが、俺としても、このひと時をゆっくり過ごしたい。


「そ、その前に、一ついいですか?」


 志乃が、おどおどしながら尋ねてくる。


「ん? どうかしたんじゃ?」

「えっと、その……やっぱり、この部屋で寝るんですよね?」

「当たり前じゃろう?」

「……狩之助さんも、ですよね?」


 あ、そうか。志乃は男がいたら眠りにくいんだよな。


「何か問題でもあるのかの?」

「いやいや、志乃は年頃の娘だぞ。男と一緒の部屋なんて嫌だろ」


 灑羅の配慮の無さに、俺は溜め息をついて言う。


「あーどうするかな。俺は廊下で寝た方がいいのか? ……いや、でもおかみさん辺りに邪魔だとか思われそうだな……」

「別に構わんじゃろう。狩之は志乃に危害を加えたりせん。のう?」

「いや、そりゃもちろんだが……」


 男として、そんなことは絶対無い! と言いきりたい所ではあるが、酒飲んで、我を忘れる……とか、絶対に無いとは言い切れないわけだし……。


「これから一緒に住んだり、野宿したりするんじゃ。そんなこと考えてたら、どうしようもなかろう」

「そ、そうですよね。慣れなきゃいけませんよね……。無理言ってすみません」


 灑羅の言葉に、志乃は申し訳なさそうにうつむく。そう言ったって、年頃の娘には酷だろう。


「わしがおるじゃき。心配せんでよい。大船に乗ったつもりでおればよいのじゃ」

「ふふ、そうですね。ありがとうございます」


 ……全然説得力はないが、まぁ、志乃が笑ってるなら、よしとしよう。


「よし! では今夜は宴じゃの! おかみ! 酒を頼むぜよ!」


 そんなこんなで、酒宴が始まった。……そして、夜が更ける。


「灑羅さん、飲みすぎじゃないですか……?」

「何言うとるんじゃ。これっぽっち、飲んだうちに入らんぜよ」

「……いやいや、この長子の数を見ろ。ほとんどお前が飲んだんだぞ」


 部屋に散乱してる長子が、どれだけの量かを語る。灑羅は酒に強い上に、酔っても顔に出ない。だが、酔ってくるとやたらと人に絡むから厄介だ。


「志乃は全然飲んでないのう」

「私は、お酒は飲めませんから」

「何じゃ、つまらん」


 つまらん、じゃねぇよ。年端もいかない娘に、酒を勧めるな。


「狩之。お前ほとんど飲んでおらんではないか」


 ……お前が飲みすぎなんだよ。


「何じゃつまらんのか? それとも何か不満な事でもあるのかの?」


 絶対酔ってるな、これ。やたら絡んできやがる。


「ああ、分かったきに。お前、わしがお前を選んだ理由が適当だと聞いて、いじけておるのじゃろう?」


 ……正直、気にしてないわけじゃない。でも、それが悔しいとか、悲しいとかじゃない。当たらずも遠からずってとこだな。


「別に、気にしてねーよ。逆に、納得したんだ。俺は、お前に選ばれて、心のどこかで不思議に思っていた。何で俺なんか選んだんだろってさ。だから、適当だって聞いて、納得した」


 俺は笑いながら喋る。もう、いいんだよ。


「俺は自分が嫌いだから、俺の知ってる俺を、お前の知らない俺を、どうでもいいと言ってくれたお前には感謝してるし、嬉しかった。それだけでいいんだ……」

「狩之」


 灑羅は俺の前に座ると、真剣な目つきで言った。


「わしがお前を選んだのは、お前にわしが選ぶ何かがあったからじゃ」


 そう言って、俺の手を引き、手のひらを自分に向ける。その手のひらに、自分の手のひらを重ねた。


「まっ……!」


 俺が手を引こうとしても、灑羅の力で動かない。


「お前は穢れてはいない。純粋で、周りの世界の汚れに自分が染まったと勘違いしておるだけじゃ。お前自身は、人を傷つけまいとする、こんなにも真っ白ではないか」

「…………!」


 どうする、泣きそうだ。志乃が見てるだろ。泣いたら男の恥だろ。でも、でも……。


「うわ!」


 俺の涙が零れるか否か、その瞬間に、灑羅の身体が俺に覆いかぶさる。な、なんだ……!


「灑羅?」

「……ん……」


 …………寝てやがる。酔い潰れたな。


「ん、重……志乃、悪いが、布団敷いてくれないか?」

「え? 構いませんが……。灑羅さんはどうされたんですか?」

「酔い潰れたらしい。寝ちまった」

「ふふ。お疲れだったんですね」


 そう言って笑うと、志乃は布団を敷いてくれる。志乃が敷いてくれた布団に灑羅を運ぶと、俺は息をついた。


「ふう。こいつ重いな……」

「女性にそんな失礼なこと、言っちゃだめですよ」


 志乃は眉を寄せるが、すぐに笑顔になる。


「でも、狩之助さんは、灑羅さん以外に、そんなこと言う人じゃありませんよね」

「……付き合いが志乃より長いだけだ。口が悪いことには変わりない」

「ふふ。そういうことにしておきます」

「な、なんだよ。「そういうことにしておきます」って……。志乃、お前も寝ろよ」

「でも、お長子が……」


 志乃は、散乱した長子を指差す。俺は頭を掻きながら言った。


「あーいいよ。俺が片づけとく」

「ですが……」

「いいから。もう休め」


 志乃は笑うと、自分のを敷き始める。


「分かりました。ありがとうございます。……おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 そう言って、志乃は眠りに付く。


「俺も、寝るか……」


 そう言って、散乱した長子を片づけていると、さっきの言葉を思い出す。


(わしがお前を選んだのは、お前にわしが選ぶ何かがあったからじゃ)

(お前は汚れてはいない。純粋で、周りの世界の汚れに自分が染まったと勘違いしておるだけじゃ。お前自身は、人を傷つけまいとする、こんなにも真っ白ではないか)


「…………あ」


 ひとりでに、涙が落ちる。


「はは……。どんだけ嬉しかったんだよ、俺」


 俺は一人、笑いながら、泣いた。



「ん?」


 真っ暗な空間。そこに俺は一人座っていた。


「なんだ、ここ……」


 ああ、夢か。とは思いつつ、こんなはっきりした夢があるか? と、顎に手を当て、考えていた。その時。


「我が名を、与えられたし」

「名を……?」


 向こうで、声がした。その方向を見ると、少し離れた所で、志乃と、あれは……白い狼?  が、向き合って、座っている。俺はぼうっと見つめてるだけだった。


「我が名を、ここへ」


 狼が、鼻先で目の前の盃を差した。志乃は、少し考え込んだあと、口を開いた。


「[[rb:深陽 > しんよう]]」

「では、この盃へ口付けを」


 志乃は盃を手にし、口づける。


「我、守護神となりそなたに風の力を。そして、[[rb:命真名 > みことな]]を」

「[[rb:命真名 > みことな]]……?」


 そこだけ、聞こえない。


「そなたが危機を感じし時、我の名を口にすれば、守護神としてそなたを護ろう」

「はい」

「……最後に告げよう。命真名は誰にも話してはならぬ。何があろうと、絶対に」

「ありがとうございます……」


 そう言って、志乃は消えた。その狼が、おもむろに俺に近づいて来る。


「お前と会うのは、二度目か」

「俺と会った? いや、初めてなはずだが……」


 狼は、ふっと笑った……ような気がした。


「お前が幼き頃、一度会いに行った。盃も交わしたはずだ」

「盃を交わす……?」


 そんなの、記憶にない。


「お前は我の名を忘れたか? お前が付けた、我の名を」

「……覚えてない」

「我が教えるのは、簡単なこと。だが、自分で思い出せ。……我の名を。そして、[[rb:命真名 > みことな]]を」

「[[rb:命真名 > みことな]]?」


 狼は、やはり笑う。


「命真名とは、我が授けた名を心に思い浮かべ、口にすることで、己を守る、盾となろう。しかし……」


 狼は苦笑するような、ため息交じりの声で言う。


「まったく、ややこしい命真名を付けてしまったものだ」

「ややこしい?」

「……それが知りたくば、思い出すことだ」


 そう言って、狼は消えた。



「うっ……身体が痛い……」


 どうやら、俺はざこねをしてたらしい。……布団くらい、敷けばよかった。


「よい名を、頂けたかの?」

「はい」


 灑羅と志乃は、もうすでに起きていて、何やら喋っているようだ。


「おお、狩之、おはよう。昨日はすまんかったな」

「おはようございます。……すみません、先に寝てしまって。まさか、お布団敷かずに寝てしまうとは思わなくて……」

「おはよう。いや、別に構わん。自業自得だからな」


 変な夢を見た。いや、あれは夢だったのか? そんなことを考えていると、志乃が呟く。


「[[rb:深陽 > しんよう]]……」


 そっと口にした言葉に応えるように、小さな風が、風鈴を鳴らした。今のって……。


「いや、深く考えるのはよそう。頭痛い……」

「ん? 何か言ったか?」

「何でもねぇよ」


 こうして俺たちは、宿を出たのだった。


「ふざけるなよ! 結局酒代は俺かよ!」


 高級宿は、酒も高級。そんなことを忘れて、頼みまくった挙句、灑羅の小遣いでは間に合わなくなり、結局俺が酒代を払うことになった。まぁ、俺もそれなりに溜まってるからいいが。


「あまり騒ぐでない。茶屋の主人に迷惑じゃろ」

「くそ……!」


 その団子代も、俺の支払いだろうが!


「それより、志乃にも小遣いが必要じゃの。割り方を変えるか」

「…………」


 別にあまり使わねぇからいいけどよ……! ありがとう、とか言えねぇのか!


「えっと、私はお小遣いはいりませんから……」

「いや、必要じゃろう。それに早急に用意せねばならん。わしの小遣いは無くなってしまったじゃき、狩之に立て替えてもらうとしよう」

「早急にって、何に使うんだよ……」


 灑羅は、立ち上がると、笑う。


「志乃の服じゃき」

「服……ですか?」

「ああ、そうだな」


 確かに、志乃に服は必要だ。それは必要経費だろう。ただ、灑羅が笑ってるあたり、嫌な予感がしないでもないが……。


「さっそく行くぜよ!」

「あ、待って下さい!」


 俺は呆れつつ、灑羅の後を追った。


「ほう……いいのう」

「い、嫌です!!」

「奥方、もっとここを削れんかの。もっとこう……」

「はぁ、できますけども……よろしいのですか?」

「駄目、駄目です!!」

「それじゃ動きにくかろう」

「これ以上は無理です!!」

「よいではないか」

「やめて下さい!! いやー!!」


 ……どんな会話だ。何やってんだよ……ったく……。早速仕立て屋に来たはいいが、俺を外に残して中に入るなり、この状況。服というから、志乃も多少胸躍らせていたらしい。だが、灑羅がまともな服を作るはずもなく、結局忍び服を作らされる羽目になった……。で、現在、灑羅と志乃の攻防が、中で繰り広げられてるらしい。俺は中に入れないから、どうなってるか分からんが、まぁ、十中八九、灑羅の圧勝に終わるだろう。


「まったく、どんな服なんだか……痛って!」


 急に頭を叩かれる。灑羅が俺を見張りに来たらしい。


「覗くでない、馬鹿者」

「覗いてねぇだろ! いきなり叩くな! それに、ここからどうやって覗くんだよ! 出来るわけねぇだろ!」

「頭の中で覗いてると思ったのでな。すまん、すまん」


 くそっ! どんな服なんだろな、と想像はしたが、それすら許されねぇのか。


「ここは全部隠して下さい! それと、ここも……」

「これ、志乃! わしのおらんうちに決めるでない」

「だって……!」


 そんなこんなで時が経ち、向かいの道で話していたおばちゃんたちも、情報が尽きたのか、井戸端会議はお開きとなったらしい。しかし、いい天気だ……。そう言えば、さっきから、町でちらちら、薄緑色に輝くものを見るな……なにか、流行りの飾り物か? まぁ、どうでもいいか……。


「待たせたの」


 俺がうとうとしかけた頃、灑羅たちが出て来た。


「やっと決まったのか……。あやうく寝ちまう所だった……。どんな服なんだ?」

「わしのよりは動きにくかろうの」


 ほう。結局は志乃が勝った、と言うことか?


「んじゃ、あんまり恥ずかしい服でもないんだな」

「十分です!! あんな恥ずかしい服、着なきゃいけないなんて……」


 志乃は眼に涙を溜めて叫ぶ。ああ、結局負けたか……。


「泣くほどの服ではなかろう。嫌なら、何かしら羽織ればよいことじゃ」

「羽織るって言っても……あんな、恥ずかしい……」


 恥ずかしい……。少し期待しておこう。


「それでは、次は羽織を買いに行くじゃき!」

「うう……」


 灑羅は威勢よく。志乃は泣きながら。俺は溜め息をついて、歩き出そうとしたその時、袖を誰かに掴まれる。仕立て屋の女主人だ。


「まさかとは思いますが、お代を払って頂けない、などと言うことは、ありませんよね?」


「……すみません、今払います……」


 女主人のにこやかな笑顔と、俺の引きつった顔が、しばらく、沈黙した。



「はぁ……」

「なんじゃ、溜め息をついて。良い羽織ではないか」


 もっとまともな羽織りがあっただろ。なんでお前と同じ毛皮なんだよ。確かに軽くて、毛皮が丁寧に編み込まれてて、温かそうではある。それに頭から羽織れば、首元で絞れる装飾がされてるし、長さもある。一風変わってはいるが、腰に巻けばそれなりに洒落たものだ。……だが、頭に当たる所に、動物の耳を模した物が付いてるのはどうだろうか。それも結構細工が細かく、本物と見間違えるほどだ。だが、灑羅はお気に入りらしく、こんなの要らないだろうと言おうとしたら、「耳付きが良いじゃろ?」って勝手に決めてたし……。志乃が溜め息を付くのも当然だ。


「…………」


 ん? 志乃がぼうっと何かを見つめてる。あれは……反物? しかし、きれいな藍色だな……。


「どうしたんじゃ? 志乃」

「え、あ、いえ。少し疲れただけで……」


 そう言って、慌てて眼を逸らした。もしかして……。俺は、すばやく財布の中を見る。少々心配だが、まぁ、大丈夫か。


「志乃。少し俺に付き合ってくれ」

「え?」

「なんじゃ? 狩之」

「いいから」


 俺は、さっきの呉服屋へ歩き出す。


「俺は、志乃には落ちついた色がいいと思うんだよな」

「あの、狩之助さん?」


 志乃も、呉服屋に入る。俺の行動に戸惑ってるようだ。


「灑羅は灑羅の好きなもんを志乃に着せるだろ? 俺も、俺好みのものを着せたいと思ってな。きれいな娘が、自分の好みの服を着て歩く。男にとっては最高だぞ」


 少々強引だが、これくらい言わないと、志乃は自分の好きなものを買わないだろう。


「狩之助さん……」

「俺の為に、着てくれないか?」


 志乃は顔を赤らめながら、頷いた。


「はい……」

「わしはこれがいいと思うがの」

「お前は黙ってろ。俺好みって言っただろ」


 それから、反物を選ぶのにどれくらいかかっただろうか。志乃は安い物ばかりを選び、先ほど目に止めていた反物には触れようとしない。


「これはどうだ?」


 その反物を勧めるが、志乃は選ぼうとしない。


「いえ、それは……」


 その反物を見る、志乃の眼は輝いてはいるが、どこか諦めの目をしている。


「なぁ、どうして自分を押さえこむんだ?」

「え? そんなこと……」

「好きなら好きって言えばいいだろ? 安いとか、高いとか。お前が心配することじゃない。はしゃいで、わがまま言って、ねだって。お前はそれでいいんだぞ? なにも、背伸びして、大人のように振舞って我慢することはない。「あれ買って」とか、言ってもいいんだ」


 志乃の顔が、少し歪んだ。……今まで、相当我慢してきたんだろう。生贄としての覚悟とか、そんなものを背負わせるなよ。こいつはまだ子供なんだぞ? それも、飾りたい年頃だろう。そんな娘が、なんで飾ることを我慢しなきゃならない。それくらいのわがまま言うくらい許されるほどの苦しみを、こいつは味わってるはずだ。


「……昔から、そうなんです」


 志乃が、話し始める。


「なぜだか、昔から自分を押さえてしまうんです。……自分はどうせ生贄だから、私にお金を使うことないのに、とか。自分は着飾っちゃいけない、とか。……両親が、生贄の私を気づかい、贅沢をさせてくれようとしてくれましたが、それも心苦しく……」


 そうか。志乃が大人びてるのは、このせいか。


「だが、今はもう生贄じゃない。普通の娘だろ」

「でも、私は……」


 志乃から、涙がこぼれる。無理に微笑んでるのが、痛々しい。


「私は……神隠しの生贄だから……村にとってはいない方が……いいから……とか……」

「……もういいよ。もう、そんなの、考えなくていい」


 俺は、志乃の頭を撫でようとした手を止めた。俺の手で、汚してしまうかも知れない。そう思った時、灑羅が、俺の手の上に手を置き、俺の手で志乃を撫でさせる。


「志乃。わしらに遠慮は無用じゃ。そう、最初に言ったであろう? 狩之に、うんと甘えさせてもらえ。お主のわがままくらい、わしらにとっては可愛いもんじゃ」

「う……うえ、うわぁぁぁああん!」


 俺の胸に飛び込んできた志乃を、俺と灑羅は、静かに見守った。



「あの反物でよかったかな。……なんか勝手に決めて来ちまったが」

「それが一番、志乃が気にしていた反物だったのじゃろう? 良いではないか」


 泣きながら寝てしまった志乃を背負い、灑羅と俺は道を歩く。


「最初に丈とか、色々図ってもらっててよかったよな。まさか志乃が寝ちまうとは思わなかったし」

「色々疲れが溜まっておったのじゃろう。心身共に限界だったのを隠して……元気なふりをしていたんじゃな」


 灑羅はそう言うと、志乃の頭を撫でる。


「それはそうと、家はどうする? 服の仕立てにも時間がかかるし……宿代も無ぇし……。野宿決定か?」

「空家を探そうかの。わしの小遣いも、お前の小遣いもすっからかんじゃが、一応まだ、生活費は多少残っておるじゃき。……この町で、盗みをするわけにもいかないしのう」


 忍び服を仕立てたヤツが、忍び服を着て盗みを働く。……そんな、まるで「捕まえて下さい」なんてことは当然しない。ましてや高級宿に泊ったんだ。その時点で、この町での盗みは無理となる。俺たちは適当な空家を見つけ、大家さんに何とか数日の滞在を許された。志乃を布団に寝かせると、灑羅と俺は一息つく。


「さて、これからどうするか……」

「まぁ、それはゆっくり決めればよい。静かにしてやらんと、志乃が起きてしまうじゃろ」


 志乃の泣き疲れた顔を、灑羅は優しい目で見た。


「ああ、そうだな」


 それから俺たちは何も喋らずに、時折吹く風で鳴る風鈴の音に、耳を澄ませていた。


「すみません! 寝てしまうなんて……!」


 志乃が目を覚ましたのは夕暮れだった。最初はなぜ見知らぬ家で寝ているのかと戸惑っていたようだが、空家を借りたことを説明してるうちに、なぜ自分が寝てしまったのか思い出したらしく、さっきから謝ってばかりだ。


「いいよ。疲れたんだろ。服の仕立てには時間がかかるし、当分はこの空家での生活だ。……こっちこそ悪いな。勝手に決めちまって」

「いえ、そんなこと……。あの、狩之助さんが私を運んでくれたんですか?」

「ん? ああ、そうだけど……」


 ……もしかして、身体を触られたのが嫌だったとか? いや、極力触ってないし、あの場合、仕方ないと……。


「あの、私……重くなかったですか……?」


 顔を真っ赤にして、志乃が問う。


「え、そんなことかよ……。細い身体してるくせに、重いはず無いだろ」

「でも、私、灑羅さんと同じくらいですよ? 昨日、灑羅さんは重いって……」

「わー! 言うな!」


 俺の声に、志乃ははっとしたように口をふさいだ。自分のことでいっぱいで、気付かなかったらしい。


「馬鹿、そのこと言うなよ! 俺がどうなってもいいのか?」

「す、すみません……。自分のことで、頭いっぱいになってしまって、つい……」

「ん? なんじゃ。わしがどうかしたか?」


 小声で話している俺たちを、不審そうに灑羅が見る。ちょうどかまどに火を焚いている所だったから、話しは聞こえなかったらしい。


「何でもない」

「何でもありません……」


 同時に答えた俺たちに怪訝そうな顔をするが、元の作業に戻ってくれる。


「はぁ……」

「すみません……」


 志乃は、ますます小さくなって、謝る。


「そんなに気にするな。そして謝るな。とにかく、服の仕立てが終わるまで、この生活だ。一応、近所には、俺と灑羅が夫婦で、志乃は……まぁ、どっちでもいいか。とりあえず、いとこってことだからな。それだけ覚えててくれ」

「はい。分かりました」

「ふう。一休みじゃき」


 灑羅が、土間から上がり、畳に座る。


「何やってたんだ?」

「湯を沸かしてたんじゃ。もらった野菜を汁物にしようかと思っての。味噌も借りたし、今日はそれで良いじゃろ」

「へぇ、珍しいもんだな。お前が自分から何かするなんて」


 その言葉に、灑羅は顔をしかめた。


「わしとて、色々と出来るぜよ。甘く見るでない」


 ……いや、甘くは見てないが、事実、これまで何もしてねぇじゃねぇか。


「暮れてきましたね。灯り、付けましょうか?」

「ああ、そうだな。頼む」


 志乃が、蝋燭に火をつける。外はもう、暗くなってる。


「そういえば、今朝から、町中でちらちらと薄緑色に光るものを見るのですが……」


 蝋燭の火を見てか、志乃は思い出したように話す。……ん? 奇遇だな。俺もだ。


「お主は盃を交わしたから、見えるようになったのじゃろう。あれが翆じゃ」

「え? あれが翆なのか? 俺はてっきり、なにか流行してる飾り物かなんかだと思ってたが……」


 俺の言葉に、灑羅は驚いた様子で俺を見る。


「狩之。お前も翆が見えるのか? いつからじゃ」

「いや……俺も、今朝からだが……」

「盃を交わしてないのに見えるじゃと……?」


 灑羅は考え込むように、視線を床に落とした。


「盃と言えば、変な夢見たんだよなぁ……。高級宿に泊まった時、夢に志乃と、白い狼が出てきてさ。志乃がなんか、狼に名前付けてたんだよな。『[[rb:深陽 > しんよう]]』とかって。そんで、志乃が盃に口づけして……」

「それ、私の夢です!」


 その言葉に、志乃も、驚いたように声を張り上げた。


「志乃の?」

「はい。私が見た夢と同じです。……それが、『守り神の盃』だと……」


 志乃は、ちらっと灑羅を見る。灑羅は真剣な目つきで、俺に問う。


「狩之、もう少し詳しく話せ」

「え、ああ。……えっと、そんで、『[[rb:命真名 > みことな]]』がどうとか言ってたが、そこだけ聞きとれなかったな。その後は、志乃は消えちまって、その狼が俺に近づいてきたんだよ。お前と会うのは二度目だな、とか、お前が幼いころに盃を交わしてるとか言って来て。で、自分でつけた、我の名を思い出せ……って言われて、終わった」


 ……なんか俺、変な事言ったか? 灑羅が、口を開いたまま呆然としている。しばらく経って、小さな声で呟く。


「お前、ミモリじゃったのか……!」

「ミモリ?」


 なんだそれ。聞いたことのない言葉だ。


「神の結末を語り継ぐ者のことじゃ。生れし時から、守り神と盃を交わし、自分が語り継ぐべき神と契約する。……契約者は永遠の命を与えられ、神の死後、全国を回り語り継ぐ。そして、次にミモリとなるべき人間に守り神を託し、自らが神となる者のことじゃ。……アオヤミも、元はミモリであった」

「ちょっと待て待て! 話しが突拍子すぎる! ミモリって人間じゃないのか? じゃぁ俺は一体何なんだよ!」


 おいおい、段々話しがややこしくなってる。そんなの一度に理解できるはずねぇだろ!


「ミモリの存在は、聞いたことがあります。おそらく私の村を作ったのが、ミモリという存在……」

「……文字通り、『見守る者』と書く。その神のあらゆる行動、結末を記憶することが、ミモリの務めじゃ。だからこそ、お前は志乃の『守り神の盃』の儀式を見ることができたのであろう」

「で、永遠の命ってなんだよ。あと、自分が神になるとか……」


 灑羅は、うつむき加減で答える。


「神の最後を見届ける、ということじゃ。……神とて終わりはある。じゃが、それは人間の寿命をはるかに超える。だからこそ、寿命という枷から外された存在になるのじゃ。人間でないわけじゃない。……そして役目を終えれば、今度は自らが神となる。……神の力を受け継ぐと考えれば良いじゃろう」

「ですが、それでは矛盾してしまいます。ミモリは神の誕生から存在するはずですよね。……でも、狩之助さんは、アオヤミ様の誕生を知らない。それどころか、アオヤミ様が誕生してから、かなりの時間が経っているのでしょう? それなのに、狩之助さんの年はまだ二十二。 ……それでは、ミモリとして、神の全てを記憶することはできない……」


 ……志乃も灑羅も。何を言ってるのかさっぱり分からない。


「そうなんじゃ。それ以前に契約もしていないと言う……どういうことじゃ? なぜアオヤミと契約をしておらんのじゃ? 志乃の儀式を見たということは、アオヤミのミモリに間違いないというのに……」

「訳分かんねぇけど……、それはアオヤミに直接聞けばいいんじゃねぇか? どうせ翆を集めたら、そいつの所に行くんだしよ……」


 正直、北の地なんか行きたくない。ミモリなんて、どうでもいい。……それに、さっきから、灑羅の様子がおかしい。まるで俺とどう接していいか悩んでるような……。


「……じゃが、わしはどうすればよい……ミモリのお前とは、各が違う存在じゃ。わしは所詮、アオヤミの道具に過ぎんが、お前は……」

「止めろ!」


 俺は、声を張り上げていた。そんなの、聞きたくない。……お前が、なぜそんな目をする。まるで、俺を怖がっているような。怯えたような、目。


「この話しは終わりだ。これ以上考えることも許さねぇ」

「狩之……じゃが!」


 格が違うって、なんだよ。俺はミモリだから、お前に敬われなきゃならないのか? 気を使われなきゃならないのか? 今までみたいに、笑い合うことも許されねぇのか?


「自分のことを、二度と道具なんて言うんじゃねぇ。それから、俺を二度とミモリ扱いするな。……俺はなにでもない。ただの人間だ」


 しんと静まり返った家。湯が沸く音が、やけに響いた。



「ん? ここどこだ?」


 見慣れない道。俺は一人、立っていた。……いや知ってる。


「ここは……」

「ぎゃああ!」


 急に聞こえた叫び声に、俺はびくっと身体を震わせた。


「あの声は……うわ!」


 その時、誰かに足首を掴まれた。血まみれの男が、這いつくばってる。


「お前だって……いつか……」

「は、放せ! 止めろ、止めてくれ……!」


 そいつの手首をつかんだ時、ぬるっとした感触が手にあった。


「あ、あああ……!」


 手のひらが、血まみれだった。


「違う……俺は……!」


 俺は着物で手を拭うが、血は落ちない。


「汚れてなんてない……! そう言ってくれたじゃねぇか!」


 そう叫んだ時、目の前に人影が立っている。


「灑羅……!?」


 灑羅は、悲しそうに俺を見た後、去っていく。


「待ってくれ! 頼む! 灑羅!」


 叫び声が、響いた。


「はっ!……はっ……は……」


 目を開けると、天井が見える。……また、あの夢だった。俺は、息が苦しくなって、起きあがった。


「…………」


 子供のころ、母親が付き人を手討ちにしたことがあった。その付き人は、死ぬ直前、俺の手を握って言った。「お前だっていつか……」。俺の手に付いた血が、あまりにも鮮明で、今でも忘れられない。その時は、俺たちの邪魔をしたのだから、当然だと思っていた。……[[rb:白君 > しらきみ]]に諭されるまでは。白君に諭され、灑羅に会うまでの期間、道中でたくさんの人間を見た。餓死した者。手討ちにされる者……その人たちを見る度、手のひらが赤く染まってるような気がした。それ以来、たまにこの夢を見る。……だが、今回は違う。灑羅が出て来た。それも、去っていく灑羅が。


「……くそっ!」


 あれから、灑羅はどこかへ出て行ってしまった。どうしようもなく不安になった俺を志乃は気づかい、汁物を作り、夕食としてくれた。その後、いくら待っても戻らない灑羅を残し、俺たちは寝ることになった。……そして見た夢が、これだ。


「灑羅……」

「……どうしたんじゃ、狩之」

「え?」


 俺の呟きに、答える声がした。あれは間違いなく、灑羅の声。見渡すと、天窓からの月明かりに照らされた灑羅がいた。顔が、影って良く見えない。


「また、嫌な夢でも見たか」


 落ち着きのある声。灑羅らしくない。


「お前、戻って来てたのかよ」

「まぁ、さっきの」


 灑羅が、去っていく。それは、最初から決まってたことだ。分かってるつもりだった。でも……。


「さっきは悪かった。別に、怒るつもりはなかったんだ」

「別によい。気にしてはおらん」


 なんだろう。さっきから、灑羅の声に違和感がある。いつもの、灑羅じゃない。


「……なぁ、手を繋いでくれないか?」


 俺は、手を差しだす。その手を灑羅は、戸惑いながらも握ってくれる。温かい。


「どうしたんじゃ。お前から差し出すなど、珍しいではないか」

「……なぁ、俺とお前は、違うのか? ミモリって存在は、お前にとって苦しいか?」


 灑羅は、少し黙った後、答える。


「……狩之とわしは、違う。それに、ミモリの存在が苦しいわけではない。ただ……」

「ただ?」

「わしは、お前にどう接すればいいのか分からなくなったんじゃ。……本来、ミモリの存在は神と同じ。つまりアオヤミと同じということじゃ。所詮写し身であるわしが、ミモリのお前に従うのは自然なこと。……じゃがわしは、お前をミモリとしては見れん。いつものように、接したい。でも……」


 灑羅の声が、小さくなる。……もう、駄目だ。


「頼むから、いつものように接してくれよ」


 涙が零れて、止まらない。


「今、お前が去っていく夢を見た。……絶望した。お前が俺から遠ざかっていく。そんなの、耐えられない」

「狩之……」


 お前がいなきゃ、意味がない。


「俺が手を差しだすのも、俺が白だって証明してくれるのも。全部、お前だけだ」


 お前しか、いない。


「そばに居てくれ。居なくならないでくれ。お前がどんな存在だろうと、俺にはお前が必要なんだ……」

「狩之……」


 繋いだ手を、引く。灑羅が胸に飛び込んでくる。灑羅は、笑う。


「写し身にこれだけ執着するのも、お前くらいのものじゃ」

「そんなの関係無い」

「馬鹿じゃの……」


 俺たちは寄り添って笑う。温かくて、ほっとして。こいつがいれば、不安なんて無くなる。未来に起こることを、俺たちは知ってるけど、今はこれでいい。


「ミモリはの」


 一瞬口を開きかけた俺に、灑羅は黙って聞くよう、指で俺の唇を押さえる。


「ミモリは、翆の塊りのようなものなんじゃ。清き心に溢れ、世の汚れを取り去る。だから、お前は最初から、純白だったんじゃ」

「そんなんじゃない。俺を純白だと証明してくれるのは、ミモリだからじゃない。さっきも言っただろ? 俺は、お前がいるから、純白だと思えると」


 その言葉に、灑羅は笑う。


「そうか……そうじゃったな」


 俺と、灑羅は違う。確かにそうだ。でも、そんなのどうだっていい。


「灑羅……」

「狩之……駄目じゃ」


 口づけようとした俺を、灑羅は制止する。


「わしは最初に言ったはずじゃ。わしの存在と、結末について。じゃから……」

「そんなの認めない」

「狩之?」

「お前がどんな存在でも関係ない。お前が迎える結末なんて信じない」


 誰が決めたことでも、覆そうになくても。


「お前は、お前だから。一緒に居るこの時間は、今は。そんなの考えたくない。だから……大切にしよう。一瞬一瞬を。俺はお前を……」


 強く、手を握る。灑羅が泣いているように見えた。


「愛してるから」

「狩之……」

「嫌か? 俺じゃ駄目か?」


 灑羅は、首を振る。


「そんなことはない……じゃが、わしは写し身じゃぞ……?」


 顔を上げた灑羅は、泣いていた。


「わしは、人を愛しては駄目なんじゃ……。最終的に、お前を傷つける」

「そんなの気にしなくていい。絶対守るから。だから、俺にお前の結末、預けてくれないか? 不安なら、俺がそばに居る。泣きたいときは、俺が胸を貸してやるから……だからさ」


 俺は笑う。


「こんなどうしようもない俺でもいいなら。愛して欲しい」

「……わしは、お前を……」


 灑羅も、笑う。


「愛しておる。お前に、全て預ける」

「灑羅……」


 俺たちは口づけをして、寄り添う。


「もう、寝よう。……不安なら、俺の胸、貸してやるから」

「ああ。……狩之は、温かいのう……」


 灑羅を胸に抱き、静かに眠る。俺たちには、不安が多すぎる。でも、この一瞬は、誰にも邪魔させない。


 灑羅が泣いた。初めてのことだった。どうして今まで、こいつの不安を汲みとってやれなかったんだろう。どうして自分の不安ばかり、灑羅に受け止めさせてしまったんだろう。そんな想いが、溢れて止まらない。こいつを守るために、俺が出来ること。そう遠くない未来の不安を、俺たちは、どう迎えるのか。


 でも、それよりもまず、今一瞬の、こいつの温かさを。感じながら、眠る。もちろん手は、繋いだままで。



「はぁ……」

「なんじゃ志乃。溜め息なんぞつきおって」


 数日後、俺たちは空家を引き払い、灑羅希望の忍び服を取りに行った。どんな服かはまだ見てないが、志乃にとって、悩ましい服なんだろう。茶屋に腰かけ、団子を食べてる灑羅とは違い、さっきから溜息ばかりだ。


「まあまあ、それを着るかどうかは志乃次第だ。着ないって選択肢もある。そんなに気にするなよ」

「ですが、せっかく仕立ててもらった物には変わりありませんし……」

 そう言いつつも、また溜め息をつく。俺は、その姿がおかしくて笑った。

「なんで笑うんですか?」

「いや、なんかおかしくて」


 志乃は拗ねたように言う。


「狩之助さんには分からないんですよ。これを着る勇気なんて……」

「あーあー拗ねるなよ。これから、いいとこに連れて行ってやるから」

「え? いいとこって……」

「言葉通り、いいとこじゃな」


 目配せをする俺と灑羅を見て、志乃はむくれる。


「お二人で、私の知らない何か、企んでません?」

「そんなことはないじゃき。のう? 狩之」

「ああ。ほら、行こう。灑羅、志乃」


 俺は灑羅の手を引く。灑羅のもう片方の手が、志乃に向けられる。志乃は、笑いながら、その手を取った。三人手を繋いで歩くなんて、周りにはおかしく見えてるだろうか。でも、それでも構わない。志乃が、灑羅が、俺が。楽しくて、仕方ないんだから。灑羅は、もういつも通りだ。普通に接してくれる。あれから、何も変わってない。いや、ただ一つ変わったこと。俺と灑羅が、手を繋ぐようになったこと。それが嬉しくて、俺は手の温もりに笑った。


「ここって……」


 呉服屋に入る俺たちを、志乃は驚いたように見た。


「あの、どうしてここへ?」

「覚えてない、か?」

「いえ、私がここで泣きじゃくったことは、覚えてるんですが……」


 志乃は恥ずかしくてたまらないらしい。顔が真っ赤だ。


「主人、この間の、出してくれ」

「はい。少々お待ちを」


 そうして主人が持ってきたのは、あの反物で仕立てた着物。それを見るなり、志乃の顔が驚きに満ちる。


「こ、これって……!」

「ん? 志乃の着物だぞ」

「え……うそ……」


 志乃は、仕立て上がったばかりの着物に、恐る恐る触れる。そして、これまで見せたことの無いような、驚きと困惑と嬉しさが混じったような顔で、俺を見た。


「本当……ですか……?」

「ああ、お前が寝た後、頼んでおいた。嫌だったら悪い」

「そんなこと……! そんなことないです! 狩之助さん!」


 志乃が、いきなり飛びついて来る。びっくりして、俺はのけぞった。


「うお!」

「あの、あの……! ありがとうございます……!」


 今にも泣きそうな顔に、俺は笑う。


「泣いてどうする。ほら、中で着せてもらえ」

「はい!」


 そう言って、主人と奥に入ってからしばらく、着付けを済ませた志乃が出てくる。


「あの、どうですか……?」


 おずおずと、歩く志乃は、恥ずかしそうにうつむく。


「おお! 志乃、似合っておるぞ!」

「ほー……似合うもんだな」

「着物負け……してません?」


 上目づかいに、染まる頬。うーん……人一倍大人びた志乃が、もっと大人に見えてくるから不思議だ。


「しておらん。自信を持つぜよ」

「よし、それを着て、出発するぞ」

「はい!」


 そして俺たちは、町の外れで地図を片手に、行先を決めることにした。


「今、ここだろ? 東に行くか?」

「このまま南でも良いじゃろ」

「……暑そうだな。西は?」

「あ……」


 その時、志乃が小さく声を上げる。


「どうした?」

「……西には、私の故郷があります」


 少し悲しげに、微笑む。


「家族に報せたらどうだ? 生きてるって」

「そんな!? そんなこと、できるはずありません……!」

「なぜじゃ?」


 微笑んだ顔が、真剣なものに変わる。


「……私は役目を果たしました。私が戻れば、不幸を招くかもしれません。家族には恥となりますし、差別されるかもしれません」


 それに、と言葉を足して、また微笑んだ。


「今は、灑羅さんと狩之助さん。お二人と居るのが楽しいんです。一緒に旅をしたい……。私の願いは、戻ることではないんです」


 そう思ってくれるのは、ありがたいことだ。俺も、灑羅も。その言葉に笑う。


「……そうか」

「じゃあ、南でいいじゃろう。のう? 志乃」

「はい。構いません」

「南は暑いじゃろうからの。毛皮も羽織れなくなる。楽しみじゃの」

「え?」

「志乃の忍び服、楽しみだなー」


 俺と灑羅は、歩き出す。一瞬固まった志乃も、急いで付いて来る。


「それで、南を選んだんですか!? ずるいですよ!」


 俺たちは笑いながら、旅に出た。



「ただいまー」

「あ、お帰りなさい。狩之助さん」

「どうじゃった? 今回の屋敷は」


 あれから二週間。俺たちはとうとう南の大きな町につき、空家を借りて生活していた。俺は、早速下見に出て、今帰って来た所だ。


「んーざっとこんな感じか? 警備は手薄っぽいが……問題はここだな」


 俺は、見て来た屋敷の大方の地図を見せる。


「ここが、どうかしました?」

「これが厄介なんだけどよ……、城みたいになってんだよなぁ」

「城?」


 灑羅も志乃も、首をかしげる。


「まず、高さが尋常じゃねぇ。三階建ての蔵になってて、しかもこの蔵の入り口はどの位置からも監視できるようになってる。入り口に近づこうものなら、即見つかるだろうな。出来るとすれば、まず、一人が塀からかぎづめで蔵の一番上の小窓から侵入。他は、塀の上で待機。翆を集めたあと、盗んだもんを塀の上で待機中の奴が受け取り塀を伝って下りる。蔵に侵入した奴は、蔵の影を伝い、見つからずに脱出……と、こんな感じか?」

「結構難しいですね……」

「なるほど、二手に分かれるか……。この蔵に金があるのは間違いないの?」

「ああ、わんさかあるだろうぜ。金の匂いがぷんぷんした」

「お金の匂い……ですか?」


 志乃は、驚いたように俺を見る。


「こやつは金の匂いに敏感だ。どこに金品があるのかすぐに分かる。盗みにはうってつけじゃ」

「まぁそうゆうことだ。忍びのごとき身のこなしに長けたこいつと、金の匂いをかぎ分ける俺。俺たちが捕まったことは、今まで一度も無い」

「すごいですね……でも、なぜ高官のお屋敷を狙うのですか? 大名のお屋敷の方が、お金がたくさんありそうな気がするのですが……」


 鋭い質問だな。だが、ちゃんと理由はある。


「大名の所には、翆を含む小銭なんかは入らねぇんだ。高官の屋敷に一度集められ、小判の様な大きい金に換金してから大名に渡す。だから、小銭を狙うなら、高官の屋敷がうってつけって訳だ……まぁ、全部が全部って訳じゃねぇけどな」

「な、なるほど……」


 志乃は、驚きもあるだろうが、不安で仕方ないという顔をする。


「私、うまく出来るでしょうか……」

「ん? 不安なら、留守番でもいいんだぞ? 灑羅が言った通り、強制することじゃねぇからな」

「ですが、生活費を、お二人は命をかけて稼ぎに行くのに、私だけ安穏としてられません」


 志乃は、本当に律義だ。そんなの考えなくてもいいのに。


「志乃には見張りをしてもらえば良いじゃろう。それなら、大して問題あるまい?」

「見張り、ですか……。が、頑張ります!」


 志乃は自分に気合を入れるように、拳を握る。


「志乃が盗みに参加するのは、初めてだな」

「頑張ります!」

「忍び服、期待してるぞ」

「頑張り……え?」


 俺の言葉に、急に赤くなった。その反応が面白くて、つい笑ってしまう。


「わ、笑わないでください! 今の今まで、忘れていました……」

「わしの仕立てた忍び服なんじゃ。似合うのは当然のことじゃき。楽しみにしておれ」

「ああ、楽しみにしとく」

「うう……」


 それから夜にかけるまで、志乃がぐずっていたのは、言うまでも無い。


 そして夜。外で待つよう言われ、待たされること暫し。やっと戸が開いたと思うと、毛皮を被った志乃が出てくる。


「やっとか……って暑くないのか?」

「大丈夫です……」

「そんなに恥ずかしがることなかろう。ほれ、暑いじゃろう。わしのように腰に巻いておけばよい」


 それでも、志乃はかたくなに毛皮を脱ごうとしない。


「大丈夫です……うう……」


 志乃の忍び服を拝むのは、まだまだ先になりそうだな。


「いいか。満月だろうと、新月だろうと。どんな状況でも、影に身を隠すこと。これは鉄則だ」

「はい」

「あと、今日は大丈夫だと思うが、風の強い日は、絶対に毛皮は羽織るな」

「え、なぜですか?」


 志乃が、少しだけ顔を上げた。月明かりで、毛皮に隠れてた表情が見える。


「風をまともに受けて、高い所から落ちたらどうする」

「あ……そっか……」


 そこは、志乃も納得したようだ。


「それでは、行くとするかの」

「はい!」


 俺たちは、目的の屋敷へと歩き出した。


「た、高いですね……」

「塀だけでもなかなかのもんじゃ」

「もたもたできねぇぞ。灑羅、俺の肩から上れ」

「ああ」


 俺の肩から、するりと塀を登る。さすがの身のこなしだな。


「志乃も上れ」

「は、はい」

「俺の膝に足掛けて……そうそう、んで、俺の肩に上がって……灑羅、上から引っ張ってやれ」

「あ、ありがとうございます」


 ようやく、志乃も上れたな。俺も行くか。俺は、助走をつけて壁に足を付け、踏ん張る。


「よっと!」


 その手を、灑羅が引っ張る。高い塀だったが、登れる範囲で良かった。


「相変わらず重いの、狩之」

「仕方ねぇだろ。俺は男なんだっつの」

「お二人とも、すごいです……!」


 感心したように、志乃は静かに手を叩く。いや、和んでる場合じゃないぞ。


「俺たちはここで待機だ。出来るだけしゃがんでろよ」

「はい」

「では、行ってくるの。ほれ、これ持っておけ」

「ああ、気をつけろよ」


 灑羅は、かぎづめの付いた縄を、蔵の屋根に引っ掛ける。そして、蔵の一番上の小窓へ、飛び移り、静かに木枠を外し、中に入る。


「あの、それなんですか?」

「ん? ああこれか?」


 俺の手に握られた、灑羅へと伸びる縄が気になったらしい。


「これに盗んだもんを入れた袋を伝わせて、俺に渡すんだ。投げたりなんかしたら、受け取れるか分からんだろ?」

「あ、なるほど……」

「人は来てないか? 見張っててくれ」

「あ、はい!」


 しばらくした後、縄から伝って、袋が俺の元に来る。どうやら成功したらしい。小窓から顔を出した灑羅に頷き、俺は、じっとしゃがんだまま見張りをしている、志乃に声をかける。


「志乃、撤収するぞ。あとは灑羅と合流……」

「は、はい!」


 よほど緊張していたのだろうか。志乃は急に立ち上がり、俺の方を向く。その時、一つの大きな風が吹いた。


「え……?」


 そこからは、ゆっくり動いているように感じた。風がちょうど志乃の羽織った毛皮に集まる。その影響で、風を受け止めた毛皮が、大きく広がり、志乃が後ろへと倒れていく。


「志乃!」


 寸前のところで手を握ったはいいが、風の影響が強すぎて、俺まで引っ張られる。まずい、このままじゃ落ちる……! 俺は志乃の手を引き、抱き寄せるが、落ちていくのには変わりない。もう駄目だ……。そう思った時、悲鳴一つ上げなかった志乃が、叫ぶ。


「[[rb:深陽 > しんよう]]!」


 その瞬間。落下速度がみるみるうちに減速した。そして、何かに包みこまれるように、俺たちは静かに地面に降りた。


「はっ……はっ……! だ、大丈夫か? 志乃」

「はい、なんとか……」


 起きあがった志乃は、何が起きたか分からない様子だったが、自分が風にあおられたことを思い出したようだ。


「す、すみません! 私……」


 そして、頭を下げると同時に、自分の服装を見て声を失う。……毛皮が飛ばされて、忍び服が丸見えだ。


「あ、…………。きゃあああ!」

「ば、馬鹿!」

「誰だ! 何をしている!」


 志乃の声を聞きつけ、警備の者の声と足音が近づいて来る。まずいってこれ!


「退却だ!」

「きゃっ!」


 俺は、志乃を担ぎ、毛皮を拾い上げ、夜の道へと逃げた。



「はははは! それは大変だったのう、志乃」

「笑ってる場合か! 肝が冷えて仕方なかったぜ……」

「す、すみません!」


 家に無事戻ったはいいものの、俺は凍りつくあの感覚が消えなかった。


「しかし、志乃のおかげで、わしは楽に脱出出来たぞ?」

「まったく、落ちた時は悲鳴一つ上げなかったのに、俺に忍び服見られて騒がれるとは……」

「本当にごめんなさい……」


 忍び服を見せることには、もう観念したらしい。自分の行動を反省して、志乃は落ち込む。まぁ、反省してるなら、もういいか……。


「まぁ、無事だったからいいが……あれはなんだったんだ? 俺たちは、塀から落ちたはずだよな?」

「あ。あれはたぶん、私の守護神の力だと思います。私、とっさに名前を叫びましたから」

「ほう、風の力か。便利じゃのう」

「ですが、迷惑をかけたことには変わりありません。本当にすみませんでした……」


 志乃は、またしょぼんとする。


「志乃に助けられたんだし、無事に帰ってこれたことだし、もう気にするな。ただ、風だけは気をつけろよ? 本当に危ないんだからな」

「はい……」

「まぁ、志乃の初仕事じゃ、お祝いでもしようかの」


 灑羅は、今日盗んだ物が入った袋を持ち上げる。


「翆は入っているのですか?」

「ああ、少ないがの。ちゃんと入っておるじゃき。見て見るか?」

「はい!」


 そういえば、翆が見えるようになって、ちゃんと金に宿る翆を見たことなかったな。俺も見せてもらおう。


「ほれ、手を出すぜよ」


 灑羅は、袋から金を、志乃の手のひらに出した。小銭がゆらゆらした、青緑色の光に包まれてる。初めて見た……。


「きれいですね……」

「しかし、少ないな」

「あの蔵には、あまり無かったんじゃ。しかし、地道ながら、確実に集まっておる。もう少しじゃ」


 少しだけ、灑羅の声が落ちた気がした。……不安なんだろう。


「まぁ、これで、生活費も大分楽になるし、良かったよな」

「おお、小遣いも分けんとの。志乃、お主にとって、初めての小遣いとなるか?」

「はい、初めてですが……。私は必要ないです」


 志乃は、笑って首を振る。


「なぜじゃ?」

「もらっても、使い道が無いといいますか……何に使っていいものか、分からないんです」

「髪飾りとか、櫛とか……なんか飾りもんでも買えばいいんじゃないか?」

「ですが……」


 盗品の金だから、気を使ってるのか? それとも、自分にお金を使うのがもったいないとか、また下らないこと思ってんのか?


「まぁ、ゆっくり考えればよいじゃろ。明日分けてくるじゃき、町中でも見て来たらどうかの?」

「そうだな、まだ着いたばかりで町中あんまり見てねぇもんな。明日町中見て回ろう」


 志乃の顔が、明るくなる。


「はい!」



「うわー……すごい」


 思った以上の店の数だ。南だけあって、舶来品もあるようだ。灑羅が、分けてくれた小遣いを、ぎゅっと握りしめ、志乃は目を輝かせる。


「色々ありますね。珍しいものがいっぱいです」

「本当だなー……。まぁ、ぐるっと回って見るか」

「そうじゃな。なにか、志乃の気に入る物が見つかるかも知れんしの」


 そうして店々を回る。


「見て下さい、これ。……一体なんでしょうか?」

「びいどろで出来てるな……しかし、なんに使うんだ? これ」

「お客さん! あまり乱暴に扱わんで下さいよ!」


 灑羅は、何か分からず、振り回していたようだ。……壊したら弁償だぞ。


「おお、すまん。しかし、これはなんぜよ?」

「これはびいどろ製の玩具です」

「玩具?」


 こんなの、子供がどうやれば遊べるんだ?


「ほら、こうして吹くと……」


 店主が吹くと、ぺんぺんと響きある音が出た。


「おお! なるほどの!」

「わあ! すごいです! やってみてもいいですか?」


 志乃は嬉しそうに吹く。ぺんぺんと音がする度、顔が輝く。まるで子供みたいに。


「しかし、どういう原理なんだ? 分からん……」


 ま、志乃が楽しそうならいいが。


「……なにか虫でも入っておるのか? いや、入っておらんの……」


 灑羅、さすがに虫はないだろう……。


「結局買わなかったんだな」

「はい。なんだか、壊してしまいそうで……」

「灑羅なんか、あのまま放っておいたら、店主が泣きそうだったぞ。……壊す勢いで、振ったり叩いたりしてたからな……」

「不思議だったんじゃ。店主も仕組みを教えてはくれんしの」


 だからって、振り回すなよ……。こうして店を回ったが、結局志乃は何も買わなかった。


「ふう、主人。茶と団子を頂くじゃき」

「はい、少々お待ちを」


 俺たちはとりあえず、茶屋で休むことにした。


「どうだ、楽しいか?」

「はい! 色んな物があって、楽しいです」

「しかし、何も買わなかったんじゃな。目につくものは無かったかの?」

「うーん、そうですね……」


 少し考え込んだ志乃は、なにかを思いついたように顔を上げた。


「そうだ! あの、灑羅さん。もう一度付き合ってくれませんか?」

「ん? 構わぬが……狩之はどうするんじゃ?」

「狩之助さんには、ここで待っててもらいます」

「ああ、構わないが……」


 どうしたんだ? 俺がついてると買いにくい物か?


「すぐ戻ってきます。行きましょう! 灑羅さん!」

「そんなに急ぐこともなかろう」


 志乃は、嬉しそうに灑羅の手を引いてった。俺は、のんびり茶と団子を味わいつつ、二人が戻ってくるのを待った。しばらくして、二人が戻ってくる。


「お待たせしました!」

「おお、なんだ、用は済んだのか?」

「はい! 次は、狩之助さんに付き合ってもらいたいんです」

「ん? わしはここで休んでて良いのか?」

「はい! すみませんが、少しだけ待ってて下さいね。狩之助さん、行きましょう!」

「ん、ああ。おいあんまり引っ張るなよ……」


 さっきからどうしたんだ? 志乃は楽しそうだが……。茶屋から離れると、志乃が話し始める。


「実は、灑羅さんに贈る物を買おうと思ってるんです。だから、狩之助さんに手伝ってもらいたくて……」

「そういうことか。んじゃ、なんでさっきは灑羅と行ったんだ? 買えなかったのか?」

「いえ、灑羅さんが手に取ったものを見てたんです。どんな物がいいかなぁと……」


 なるほどな。


「でも、灑羅さんの欲しいものが分からなかったんです。だから、狩之助さんに聞こうと思って」

「んー灑羅の欲しいもの、か……」


 あいつが欲しいもの? ……思いつかん。


「あ、そうだ。あいつ、髪長いだろ? 髪留めなんかどうだ? まぁ、飾りっけもないが、あって困る物ではないだろう」

「髪留め……ですか。いいですね! 探しましょう!」


 何だか、志乃が生き生きしてるような気がするな。そうして、髪留めを探すこと暫し、灑羅に似合いそうなものを見繕い、志乃は店で金を払っている。その近くに、もう一軒飾り物の店を見つける。


「……俺も、二人に、なにか買うか……」


 ちょうどきれいな簪と櫛が並んでいた。志乃には簪、灑羅には櫛を買い、志乃の元へ戻る。帰ったら渡そう。そして茶屋に戻る。


「おお、帰ってきたか。待ちくたびれたぜよ」

「すみません。時間がかかってしまって……」

「ってか、その団子の串の数はなんだ! どんだけ食べたんだよ!」


 串の数、ざっと見ても二十本は下らない。


「ここの団子はうまいじゃき。ついつい止まらなくなっての」

「はぁ……主人、勘定を頼む」


 こうして、俺が灑羅が勝手に追加で頼んだ団子の支払いをし、家に戻ることとなった。その帰り、志乃の顔がいつになく嬉しそうで、俺も嬉しくなった。


「お二人とも、座って下さい」

「なんじゃ?」

「どうした?」


 今日はやけに嬉しそうだ。まぁ、灑羅に喜んで欲しかったんだろうな。


「これ、開けて下さい」

「「え?」」


 俺と灑羅は、同時に言った。志乃が、包み紙を俺たち二人に差し出したからだ。なんだ? 灑羅にあげるんじゃなかったのか?


「ふふ、私からの、贈り物です」


 包みを開けると、俺のは手ぬぐい。灑羅のは、俺と選んだ髪留めだった。


「なんじゃ? 狩之に贈り物がしたいと言っておったではないか」

「俺にも、灑羅に贈り物をしたいと……」


 ……そういうことか。


「狩之助さんには、灑羅さんと選んだ手ぬぐいを。灑羅さんには、狩之助さんと選んだ髪留めを贈りたかったんです」

「だから、俺たち一人ずつと買い物に行きたいと言ったわけか。灑羅と買い物行った時、俺のを選んでたわけだな?」

「はい。そして、狩之助さんと買い物に行った時、灑羅さんのを買いました」


 灑羅の手に取った物が見たいから、というのは、内緒にするためだったのか。


「きれいな髪留めじゃの。ありがたく使わせてもらうぜよ。ありがとう」

「ああ、俺も、ちょうど手ぬぐいが欲しかったんだ。ありがとな」

「いえ、いつもお世話になってますから、ほんの気持ちです」


 んじゃ、俺も渡すとするか……。


「「実は……」」


 そう言って、びっくりした。また灑羅と声が重なったからだ。


「どうかしました?」

「いや、俺も、灑羅と志乃に贈り物を……」

「わしも、狩之と志乃に……」


 そう言って、俺は志乃と灑羅に。灑羅は俺と志乃にそれぞれ包み紙を渡した。


「なんじゃ、お主も買っておったのか」

「お前もかよ」

「え? これ、私にですか?」


 それぞれ、包み紙を開ける。灑羅からは、志乃には櫛。俺には扇子を。俺からは、さっき買った、志乃には簪。灑羅には櫛を。


「扇子、ありがとな。使わせてもらうよ」

「いや、わしもありがとうじゃき。櫛、大切に使うぜよ」

「私に、二つも……? 狩之助さんからは簪。灑羅さんからは櫛……」

円い机に、三人それぞれ二つずつ、包み紙が置いてある。俺たちは最初、不思議そうにそれを見ていたが、段々とおかしくなって、笑った。

「まさか、三人で贈り物をそれぞれ買っておったとはの」

「志乃は自分の買おうとしないからな。でも、三人で同じこと考えていたとは」

「お二人とも、ありがとうございます! 櫛も、簪も。大切に使わせてもらいますね……!」


 嬉しさのあまりか、志乃は泣き出してしまう。


「泣くなよ。しかし、偶然もあるもんだな」

「志乃の、贈りたいという気持ちに動かされたんじゃ。偶然ではない。たまには、こうゆうのも良いの? 志乃?」

「はい!」


 こうして、俺たちの日々は、不安も無く過ぎていった。



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