神獣リンドヴルムの油断①
おおっと、これは驚天動地だ。
三百年ぶりだろうか、廃都市ゴモラから生物、というか人間の声が聞こえる。
……ということはだ、奴ら七人はオレたち神獣を喚ぼうとしているのか。仲間らしき男女の遺体を伴ってやがる。装備もズタボロ、体も傷だらけじゃないか。
世界を救うため、とか魔王を倒すためだろうな。
そういうのは殊の外、面倒くさいな。
もう飽きた。
まあ、奴らの会話を聞く限りでは召喚対象の指定方法を知らないようだし、数十もいる神獣からオレが喚ばれる可能性は低いだろう。
運が悪かった、三百年前のようにはならない。
まあ……前回は結果的にそこそこ楽しめたんだが。
そう高を括り獣界の雷雪原で滞雷藁を幾重に織り重ねて造り上げた自慢の寝床で寛いでいたはずのオレは、瞬きのあとに廃都市ゴモラの風化しかけた煉瓦に寝そべっていた。
「って、うぉぉい……」
阿呆が発したのかという間抜けな声を漏らす。動揺のせいか、声が極端に上ずっているようだった。
これはアレか、“てれび”だったか……確かそうだな。
前回喚ばれた世界に“てれび”とかいう機械を通して醜態を自ら晒すことを生業にしている、お笑い芸人という人間たちがいたが、奴らの得意な“のりつっこみ”のようなものか。
「と、突然お喚びたてして、誠に申しわけありません。あなた様は……」
両手を煉瓦につき、紺藍色の髪が煉瓦に触れるほどに頭を垂れた、剽悍そうな体躯の青年が震える声で問うてきた。
他の六人も同様、深くかしづいている。
いかにも、だ。この引き締まった顔の青年がリーダー格なんだろう。伏し目がちにオレへ向ける大きな群青の瞳から強い意志を感じる。
だが、こちらは喚ばれて至極迷惑、迷惑千万。名乗りたくもないが、戦闘面において比類なき天錻の才を有すると言われ、幾多の世界の強者を噛み砕いてきたオレの口が勝手にぱかりと開き、名乗り口上を始めてしまう。
「神獣三柱が一柱、雷獣リンドヴルムだ。高位の神獣たる我を喚び寄せた理由はいかなるものであるか。矮小な命よ、我に何を求める」
毎度思うが、この口調はどうにかならないもんか。
最高なのはこの口上が飛び出さないようにできることだが、本能というか……これも前世界でいうところの”こんぴゅーたーぷろぐらむ“のようなものなんだろう。
オレは“ぷろぐらむ”じゃないが、たぶん。
「み、三柱の……そ、それは」
光気を帯びた騎士剣らしきものを携えた青年は極度に恐縮した声だが、恐るおそる上げた彫りの深い顔は紅潮していた。三柱を喚びだした意味はしっかり理解しているようだが、ま、そんなことはどーでもいい。
実のところ三柱なんて、あの放蕩好きな婆さんーー神獣王が獣界の治世を怠けるために権力を分散しただけに過ぎないもんな。
にも関わらず、三柱のうち一柱は神獣王に選ばれた特別な存在だと自負し、獣界の統治に粉骨砕身しているけどな。豪快に嫌われまくってるが。
「ーーで、何の用だよ?」
自由になれば口調が一変する。人間らが驚くのは想定内だったが、自分の口から飛び出した可憐な声にオレのほうが先んじてひっくり返りそうになっていた。
よく見ればおかしいじゃないか。オレは立っているのに、何ともいえない表情で中腰になった青年より少し目線が高いだけだ。それに、額に髪の毛が触れて……?
「おお、お……」
その先の科白は続かなかった。
オレは人間の女の姿。それも、まだ年端もいかない。
肩には届かない、糸のように細い鳶色の髪にそこらへんで摘んだ花のひとつでも差し込んでいそうな、幼い女。纏っている全身を覆う黒一色の旅装束はわりと肌触りが良い。消え入りそうに可憐な声がまあよく似合っている。
「リ、リンドヴルムさま?」
胸や腰まわりに柔らかな起伏がある体を一心不乱に触り、この世界での姿を確かめるオレを不安に思ったのか、青年はおずおずと言った。
「い、いや、なんでもない。問題はない、いや、あるっちゃああるんだが……あっ、そうだお前。オレは何歳くらいに見える?」
「え……あ、そうですね、だいたい十三歳くらいとお見受けできますが……」
じ、十三歳。いわゆる少女というやつか。
これは参った。これまで六つの世界に喚ばれたが、人間の姿になったのは前回に引き続き二度めだ。
まあ、どのような姿になろうが紫雷は撃てる。何より神獣の姿に変化できる限り戦闘面に特段の問題はないのだが、これはどうにも居心地が悪い。
「リンドヴルムさま、私どもがお喚びだていたしましたのは……」
「いや、待て。この姿じゃ色々落ち着かない。元の姿に戻ってから話を聞くよ」
経験上、召喚先の世界で元の姿に変化できるのは朝昼晩の三度だ。いちど戻れば一時間ほど神獣の姿を維持できるが、次の変化までに約五時間の間隔を要する。
かつ、召喚時に消耗しているのか、本来の力を出せるようになるまでは一年もの時間がかかる。
要は様々な制限を課されてしまうわけだ。
で、実際に変化してみると、更なる違和感がオレの肌の表皮と真皮の間でざわつき始めた。
「……なんか、小さくねえか?」