もう、幼馴染は嫌だ
帰宅した俺は、母さんの「遅くなるなら連絡しなさい」のお小言を華麗にスルーし、自分の部屋へ駆け込んだ。着替えるのも億劫で、学ランのままベッドへダイブ。柔らかいマットレスが俺を優しく受け止める。今日はいつもの十倍、いや百倍は疲れている気がする。
まさかこの俺が女の子、しかも同時に2人から告白されるなんて……。最初は夢かと思い、つい自分の顔を100発ほど叩いてしまったぜ。顔は腫れたがなんとか現実と認識できた。そう、これは紛れもない現実なんだ。頰が自然と緩む。気を引き締めないと笑みがこぼれてしまう。帰り道は苦労したぜ。1人ニヤニヤしていたらただの変質者だからな。
でももうここは自分の部屋だ! つまりプライベート空間。いくら変顔をしようと、奇声を上げようと、変な舞を踊ろうと、誰も咎める者はいないのだ。この喜びを全身で表現してくやろう!
「バンザーイ、バンザーイ!」
ベッドで飛び跳ねながら万歳三唱かーらーの、くるりと前転! 俺は勢いよくベッドから滑り落ち、頭をぶつける。痛い。でも俺の顔面筋は笑顔を崩さない。三次元に興味はない!キリッ!とか言っていた俺だけどやはりリアルで告白されると嬉しい。しかも相手は学校でも有名な美少女ときた!
っやべー、ハーレム展開きちゃったよ!
やっぱり恋人になったら一緒に登校、昼は俺のためにお弁当なんか作ってきてくれちゃったり、もちろんアーンして食べさせてくれて、放課後はデート、雰囲気が盛り上がったらキ、キスなんかもできちゃうんだろうなぁ。それでもっと親密になれば……ゲヘヘ。 俺の脳内はショッキングピンク一色に塗り替えれていた。
ドン!ドン!
「うひょい!い、一体何事だ! 敵襲か?」
俺の妄想がノークターンの領域に入ろうかという瞬間、鈍い音が部屋に響いた。音がした方向に視線を向ける。
「窓……?」
窓のアルミサッシが揺れている。何者かが外から窓を叩いているようだ。そんなここは二階だぞ!しかも今は夜。まさか、幽霊……? 俺は震える手で窓を開ける。
「おっ、ようやく出てきた」
そこには幼馴染みがいた。窓から体を乗り出し、いたずらっぽく微笑んでいる。
そう、俺とみなみの部屋は真向い同士。窓も隣り合っていて手を伸ばせばノックもできるし、その気になれば互いの部屋の行き来も可能だ。
こうして窓越しに話すことも珍しくない。俺たちにとっては何気ない日常のワンシーンのはずだ。でもなぜか、今のみなみは特別輝いて見える。まるで彼女の周りだけ夜の暗闇が切り取られているみたいだ。月明かりのせいだろうか?それとも無防備なパジャマ姿が妙にエロティックなせいだろうか?
それともーー。
「よ、夜は窓を叩くなって言っただろ!」
「あはは、もしかしてお化けかと思った? 相変わらずゆうちゃんは怖がりさんだねぇ」
みなみは俺を馬鹿にしたように笑っている。
「びびってなんかねーよ。それよりなにか用か?」
「いや、今日は帰ってくるの遅いなーって思って。なにかあったの?」
「……別に何もない」
嘘をついた。それになぜか幼馴染みの目を見ることができない。
「えーっ、本当? なんだかすごく楽しそうな声が聞こえたけど」
「好きなラノベのアニメ化が決まったんだ。嬉しくてつい叫んじゃっただけだ」
「それに顔もなんか腫れてるよ」
「もともと俺は下膨れ顔だろ!」
「ふうん?」
口から次々と嘘が溢れ出す。なぜか山田さんと先輩に告白されたことを知られたくなかった。それになんだこの気持ちは? さっきまではあんなに興奮していたのに、みなみの顔を見た瞬間一気に冷静になった。こんな寒い夜に窓を全開にしているからか? いや、違う。たしか告白された瞬間も、みなみのことを思い出したっけ。
まさか……?
いやそんなことあるわけない。だって俺の嫁はーー。
俺は室内の一角に視線を向ける。そこには俺の最愛の人、陽子がいるはずだった。しかし、そこにあったのは壁に貼り付けられた一枚の薄汚れたポスター。今朝までは目が合うだけであんなにドキドキしていたのに、今は何の感情も湧いてこない。
これは
単なる
絵だ
それは二次元オタクが決して抱いてはいけない感情であった。どうやら魔法は完全に解けてしまったらしい。つまり俺が本当に好きな女の子は……。その事実を確かめるべく、幼馴染みの顔を真っ直ぐに見た。
やや茶色かかったショートヘアーに、子犬のような人懐っこいクリクリとした瞳。すごい美少女ではないけれど、笑顔は向日葵みたいに眩しい。
ーードクン
心臓が大きく脈を打った。
「なあに、ゆうちゃん。さっきからジロジロ人の顔を見て。あっ、もしかしてなんか顔に付いてる?」
「み、見てねーよ。そういえば、お前の部屋ずいぶん綺麗に片付いてるな。いつもは散らかってるのに」
「ゆうちゃんのエッチ! 乙女の部屋をジロジロ覗き込むなんてエチケット違反だよ」
「俺の部屋にはノックもしないで入ってくるくせに」
「男と女は違うのー! 」
みなみは顔を真っ赤にし、カーテンを引いてしまった。そしてカーテンの隙間から顔だけひょっこりと出す。
「ふふっ、これで見えないでしょ」
「ドヤ顔しているところ悪いが、かなり間抜けに見えるぞ」
「ぐぬぬ! ゆうちゃんのいじわる」
みなみはリスみたいに頰を膨らます。不貞腐れた時にする幼い頃からの癖。きっと今後も変わらないだろう。そして俺たちはこれからもずっと幼馴染みだ。急に胸がぎゅうと痛くなる。苦しいような切ないような、なんだか不思議な痛み。なぜだ? 俺はみなみと幼馴染みで満足しているはずだろ。なんでこんなに胸が痛いんだ? 俺はみなみと一体どうなりたいんだ?
本当はわかっているくせに。もう1人の俺が耳元で囁く。
そう、心はとうの昔から決まっていた。でも俺は心地よい『幼馴染み』関係にどっぷり浸かり、本当の気持ちから目を逸らしていたんだ。でも気が付いてしまった。俺はみなみのことをーー。
もはやこの思いを偽ることはできない。俺は重い口を開いた。
「なあ、みなみ。明日から別々に登校しようぜ。朝も起こしにこなくていいからな」
「えっ、なんで?」
「もう少しで俺たちも高校2年生だ。幼馴染みが一緒に登校するなんてガキっぽいじゃないか。よく考えたら恥ずかしいだろ」
また嘘をついた。今まで恥ずかしいなんて一瞬も思ったことはない。でも俺は自分の気持ちに気が付いてしまった。もう今までみたいに『幼馴染み』はできない。俺達は少し距離をとるべきなんだ。そう、全ての決着が付くまでは。
「わかったよ。でもゆうちゃん1人で大丈夫? 」
「大丈夫だ。俺だってやるときはやるんだ」
「そっか。なんだか少し寂しいな」
みなみの表情が一瞬曇るが、すぐにひまわりが咲き乱れる。
「でもゆうちゃんの成長は素直に嬉しいよ!」
「ふふ、俺はあと2回変身を残している……。この意味が分かるか?」
「わけわからないよ〜。くしゅん!」
「おっ、大丈夫か? 体冷やすのはよくないぞ」
「うん、それじゃあそろそろおやすみなさ……おやすみウォンバット!」
まだコイツ、ウォンバット引っ張ってやがる。もちろんスルーだ。
「ああ、おやすみ」
「あっ、そうだゆうちゃん」
「なんだよ。風邪ひくぞ」
「明日から頑張ってね」
みなみはとびきりの笑顔でそう言うと、窓を閉めた。カーテンも締め切られ、わずかに部屋の光だけが漏れている。なんだかその光を見ていると、心がほんのりと暖かくなる。
「もう、幼馴染みは嫌だ……」
言霊は白くなり、そしてすぐに消えた。