先輩編:しりとり
時系列的には本編開始前で、3人のヒロインを掘り下げたいと思います。全3話で閑話終了後、第2章を開始する予定です。
「ふぅ……」
俺はため息をひとつ付くと、読んでいたラトノベルを閉じた。長い時間本を読んでいたせいだろうか、目が痛くてこめかみを押さえる。
「もう本を読むのも飽きてしまいましたね」
隣に座っている貴音先輩が優しく微笑む。その膝の上にはしおりの挟まった分厚い本、タイトルは『罪と罰』。読書家の先輩らしい難しそうな本だ。おそらく俺が読んだら三行で眠くなってしまうだろう。
「そうですね。まさか図書当番がこんなに暇とは」
俺は図書室を見渡しながらそう呟いた。大きな本棚が規則正しく並び、部屋の中央には読書をするための大きな机。しかし人の影は一切なく、夕焼けの光が室内をオレンジ色に染めている。
「いくら今日が2学期の最後の日だと言っても、不自然すぎるくらい人が来ませんね」
「……きっと皆さん遊びに行っているんですよ」
「クソッ、リア充爆発しろ! それにしても先輩も災難でしたね。いくら委員長とは言え、急に当番を変わるハメになるなんて」
「いえ、わたくしは優太君が一緒なら楽しいですから」
微笑む先輩には一切の怒りや悲しみといった感情が見られない。しかも俺に対する気遣いも忘れないとは! なんとボランティア精神溢れた人だろう。先輩マジ天使!
「当番が終わるまであと15分か。なんだか時間を持て余しちゃいましたね。なにかやることはないですか?」
「うーん困りましたわね。委員の仕事も終わってしまいましたし」
先輩は顎に手を当てて10秒ほど思案した後両手をパンと叩き、
「そうですわ。しりとり、しりとりをしましょう」
と満面の笑みで言った。
「しりとりですか?」
「はい、あの単語の最後の文字から始まる言葉をつなげていく遊びの『しりとり』です。ちょうどいい暇つぶしになると思うのですが、どうですか?」
まぁどうせ暇だからいいか。俺は特に深く考えることもなく、頷いた。
「では私からはじめますね。しりとり、の『り』だから……『リップサービス』」
「『す』か。す、す……『すあま』。あ、和菓子のアレです。分かりますか?」
「はい大丈夫ですよ。『すあま』だから『ま』ですね。では『マンホール』」
「『る』か。じゃあ『ルーペ』」
「『ペペロンチーノ』」
んん? さっきから先輩の言葉……いや気のせいか。
「『の』……うーんじゃあ『農地』で」
「『ちんすこう』」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 先輩、そんな下品な言葉は言っちゃダメですよ!」
俺は思わず声を荒げた。すると先輩は不思議そうに首を傾げる。
「え、下品? わたくしは普通にしりとりしていただけですけど。何か変なことを言っていましたか」
「うっ……」
先輩がじっと俺を見つめている。長いまつ毛の下にある黒目がちな大きな瞳は一切の濁りもない。『リップサービス』、『マンホール』、『ペペロンチーノ』、『ちんすこう』。どの単語もエロく聞こえるが一般的な名詞、何も変なところはない。そうだよな、先輩は純真無垢な天使なのだからエロいことなんて言うはずないんだ。むしろ問題なのは、エロいことを連想してしまう俺の穢れた心の方だ。いくら思春期とはいえ、頭の中ピンクパイナップルすぎだろ! 俺は心から自分の行いを恥じ、先輩に頭を下げた。
「すいません。俺の思い違いでした」
「いえ、気にしないで下さい。それよりも先を続けましょう。次は優太くんの番ですよ」
「え」
まだ続けるの? 正直イヤだったが、先輩の笑顔の前ではそんなこと言い出せるわけもなくーー。
「う、『うに』」
こうして俺の言葉を皮切りに、地獄のゲームが再開してしまった。
「『乳液』」
「『き』、き、き……き、『キリギリス』」
「『筋子』」
先輩は一切悩むことなく、スラスラと続ける。その艶やかな唇から出る言葉はどこか淫靡で……。ダメだダメだ! 考えるな。
「う、うぅ……。『こ』……『工場』」
「『うまい棒』」
う、うまい棒だと! せ、先輩の口からそんな言葉が出るなんて。
「あらあら、どうしたんですか。急に黙り込んでしまって」
先輩が体を乗り出す。俺の腕に何か柔らかいモノが押し付けられた。
「あ、もしかして知らないんですか『うまい棒』。『うまい棒』というのは駄菓子の商品名です。実はわたくし、『うまい棒』が大好物なんですよ」
うまい棒を食べる先輩……だと……?
ぎこちない手つきで包装紙を破り、バナナの皮を剥くように棒状のうまい棒を中から取り出す先輩。お嬢様の彼女のことだ、最初はきっと物珍しかっただろう。澄んだ瞳でうまい棒を隅々まで観察し、食べてよいかしばらく思い悩む先輩。しかし鼻腔をくすぐる美味しそうな匂い、ついに誘惑に負けうまい棒を食べることを決心する。長い黒髪をかきあげるとためらいがちに口を大きく開き、うまい棒にかぶりつくーー。
うわっ、なにこれ。うまい棒食べているだけなのに滅茶苦茶エロいんですけど!
「う、ううう……『う』、うぅ、『牛』!」
俺は妄想を振り払うように大声で叫んだ。しかしーー。
「『しゃ、せ、い、た、い、か、い』」
耳元で囁かれる、生暖かい吐息と言葉はより一層刺激的で。腕の柔らかい感触も相まって、このままだと色んなところがスタンディングオベーションしてしまう! 俺はたまらず、
「『インディアン』! あっ、『ん』が付いちゃったなぁ。いや〜、うっかりうっかり俺の負けですね」
と早口でまくし立てた。さらにわざとらしく時計を指差す。
「あ〜〜、もうこんな時間かぁ。そろそろ帰りましょうかぁ」
……我ながらなんという不自然さ。しかし先輩はいつもの天使の笑顔を浮かべ、
「はい」
と小さく答えるだけだった。それから俺たちは言葉も交わすことなく、帰り支度をすると図書室から出た。
「ではわたくし、鍵を職員室に返してきますので」
「あ、ありがとうございます」
「では先に失礼します。ごきげんよう」
「はい、さようなら」
俺は先輩の背中を見送ると、壁にもたれかかり大きなため息を吐く。俺ってなんて汚れた人間なんだろう。先輩を見習ってもっと立派な人間になれるよう努力しなくちゃなぁ。
◆
車窓から見える校舎が段々と遠ざかっていきます。日が落ちた今は、どこも黒で塗りつぶされたように真っ暗です。そんな夜の街を眺めながら、先程の彼の姿を思い出していました。わたくしが少し揺さぶっただけでわかりやすいくらい慌てふためく優太君。
……アレ、絶対勃起してましたよね!
今夜はひとり寂しく自分を慰めるのことでしょう。彼の脳内でグチャグチャに犯される、そう考えただけで体がゾクゾクと疼いてーー。
「お嬢様」
低く、しかし聞き取りやすい初老の男性の声。車を運転している執事の桂木とルームミラー越しに目が合いました。
「随分とご機嫌のようですね。なにか良いことでもあったのですか」
やはり桂木には見抜かれてしまいましたか。わたくしが生まれた時から仕えているだけはありますわ。
「えぇ、とてもよいことがあったのよ」
わたくしはそう言うと、再び窓の外に視線を移しました。空には大きな満月、いつもと寸分も変わらないはずなのに今日は特別綺麗に見えました。




