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幼馴染みとして

空港は俺が思っていた以上に広く、おまけにどこも人で溢れていた。


「ハァハァ、オーストラリアの飛行機だからこっちでいいんだよな」


 息を切らせながら目的の出発ロビーにたどり着く。白一色のフロアはどこか無機質で、やはり無慈悲なくらい広い。頭上には行き先を標す電光掲示板が静かに煌き、大きな窓から見えるのは滑走路とたくさんの飛行機。このどこかにみなみはいるはずだ。俺はロビーを走り回る。チェックインカウンター、待ち合い室、ショップ……。いない!


 どうしよう。もしかしてもう搭乗してしまったのか?そうしたらもう手も足も出ないぞ。

 そう諦めかけたその時、搭乗口に向かう人の波の中に見覚えのある後ろ姿を見つけた。茶色いフワフワした髪の毛に真っ白なワンピース、大きなキャスター付きトランクをガラガラと引いていて……。間違いない。あれは俺の幼馴染だ。


「みなみーー!」


 俺は大声で叫んでいた。たくさんの人たちが足を止め、こちらを怪訝そうな目で見ている。でもその中に俺の大好きな人はいなかった。なぜかアイツの歩みは止まらず、むしろ早くなり、ついには駆け出した。

 えっ、なんでだよ。そんなに俺と顔を合わせたくないのか? 俺は慌てて追いかける。


「みなみーー!なんでだよ!なんで何も言ってくれなかったんだよ」


 しかしこの人混みだ。思うように前に走進めない。もう体力も限界で、息も苦しくて、足も痛い。


「ハアハア、俺たちは幼馴染みだろーー!み、みなみーー!」


 喉もカラカラで、声も掠れてきた。心臓は今にも破裂しそうなくらいドキドキしている。でも俺の足は止まらなかった。


 向こうは大きなトランクがある。そこまで早くは走れない。距離はどんどん縮まっていき、ついにーー


「待ってくれ!」


 走り去ろうとするみなみの手を捕まえる。今まではあまり気にしたことはなかったけれど、コイツの手って皮膚が硬くて豆だらけなんだな。でもこれはテニスを頑張っている何よりもの証拠なんだ。だから誰がなんと言おうと、俺はこの手が世界で一番大好きだ。ああ、ずっとこうしていたい。もう絶対に離してなるものか。


「お前に話したいことがあるんだ。聞いてくれ」


 みなみはビクッと肩を震わせると、ゆっくりと振り向いた。
























「ーーゆうちゃんの、バカァ!」


  振り向いた幼馴染みの顔は怒りで歪み、ゆでダコみたいに真っ赤だった。


「なんで来ちゃったんだよ! なに考えているの! この女の敵!」


  そう言うが早いが、みなみは俺の腹にパンチを叩き込んだ。もちろん殴られる準備などしていなかったので、モロに喰らってしまう。


「グフォッ、な、なんでそんなに怒っているんだよ……。俺なにも悪いことしてないのに」


「悪いよ! 極悪人だよ! 彼女がいるのに、私のところに来るなんて! 本当にどういうつもり?」


「か、彼女? な、なんの話をしているんだ?」


「隠さなくていいよ。エレナちゃんか貴音先輩、どちらかと付き合っているんでしょ。彼女がいるのに他の女の子と2人きりで会うなんてマナー違反も甚だしいよ」


  コイツは一体なにを言っているんだ? 目を白黒させ混乱する俺。しかし無情にもみなみは再びその拳を振り上げた。情けないかな、俺は思わず声を張り上げる。


「ご、誤解だ。俺は2人とは付き合っていない」


「はぁ、どういうこと? 告白されたんでしょ」


「断ったんだよ! 2人をすっぱり振りました!」


「……え?」


  みなみは驚いたように大きく目を見開き、振り上げた拳はだらんと下へ垂れた。……どうやら俺たちはお互い大きな勘違いをしているようだな。


「出発時間まで時間はまだあるんだろ。少し話そうぜ」


   さすがにあのままでは通行人に迷惑なので、俺たちは近くのベンチに移動し並んで腰をかけた。目の前をたくさんの人々が通り過ぎていく。彼らも何かを置き去りにして海の向こうへ旅立つのだろうか。


「酷いこと言っちゃってごめんね」


  みなみはすっかり冷静になっていた。


「いや、いいよ。それよりさ、俺が貴音先輩とエレナに告白されたことを知っていたんだ? お前には秘密にしていたんだけど」


「私達幼馴染なんだよ。ゆうちゃんの様子がおかしいことにはとっくに気がついていたよ」


「そ、そうなのか。普通にしていたつもりなんだけどなぁ」


「それになにより、2人が告白するように仕組んだのは私だしね」


  みなみが意地悪そうに、ニッと笑う。は? 予想外の答えに俺の頭が真っ白になった。


「ぷぷ、ゆうちゃんぽかーんとしている。相変わらず間抜け面だねぇ」


「ちょ、ちょっと待てよ。どういうことだよ、全然わけわかんねーよ」


「エレナちゃんに貴音先輩、2人ともあからさまにゆうちゃんに好意を持っていたからねぇ。ちょっと発破をかけてあげたの」


「そ、そうじゃなくて! なんでお前がそんなことをする必要があるか聞いているんだよ」


 みなみの顔からサッと、笑顔が消える。それからたっぷり1分ほどの沈黙の後、みなみはようやく口を開いた。


「だって……私はもうゆうちゃんの側にいられないから」


 一番聞きたくなかった言葉。幼馴染の口から発せられるその現実は、想像以上の破壊力だった。まるで心が打ち砕かれたような俺の全てを否定されたような、そんな強い絶望感。ああ、全身から体温が消えていくーー。


「私のかわりにゆうちゃんを支えてくれる人が必要だと思ったの。あの2人はしっかりした女の子だからゆうちゃんを安心して任せられる、そう思ったの」


 何か言わないと。でも俺の唇は震えていて、上手く言葉を紡げない。だからみなみの独白は続く。


「ーーと、いうのは方便かな。本当は私ゆうちゃんに甘えてくなかったの」


 みなみは立ち上がると、そのままゆっくりと数歩前へ出た。


「実は私、テニスをやめようと思ったことがあったんだよ。それも何度も。小学校3年生の時だったかな、大会の一回戦でボロ負けしたでしょ。それと小学校6年生の時は足を怪我して。部活の先輩に嫌がらせをされて、それは中学2年生の時だっけ? 忘れているのも含めるときっと100回以上はあると思うよ」


 手を伸ばせばすぐに届く距離なのに、その背中はとても遠くにあるように思えた。


「ゆうちゃんは私が諦めそうな時、いつも励ましてくれた。大会の時だっていつも応援してくれて。だから私は頑張って続けることができたの。今の私があるのはゆうちゃんのおかげなんだよ。でもいつまでも甘えることはできないよね」


 みなみがこちらを振り向いた。


「だから留学も1人で決めたの、ごめんね。それと今までありがとう、ゆうちゃん」


 そう言うと、みなみは優しく微笑んだ。その顔はなんだかすごく大人びていて、俺が知ってる幼馴染みじゃないみたいだった。それに『今までありがとう』って。つまりもう、これからはないってことなのか……? そんなの嫌だ!


「な、なぁ!日本じゃだめなのか?日本でだってテニスはできるだろう」


 気がつくとそう叫んでいた。やっぱり幼馴染のいない生活なんて考えられない。俺にはみなみが必要なんだ!

 しかし、みなみはゆっくり首を横に振る。


「やっぱり本気でプロテニスプレイヤーに目指すなら、海外の有名な養成所に行かなくちゃダメなんだよね。中学時代のライバルたちの中にはもう留学した子もいるくらいだし」


「で、でも、他になにか方法が……」


「今のままじゃ、私の夢は叶わないんだよ」


 俺を真っ直ぐ見つめ、みなみはそう言い放った。その双眸には、決意の炎が赤々と燃え上がっている。眩しい、眩しすぎる。そんな幼馴染の顔を正視できず、俺は反射的に目を閉じてしまった。みなみはやっぱり俺の手の届かないところへ行ってしまうんだなーー。


「……そう思っていたのに。ゆうちゃんのそんな顔を見ていたら、留学やめたくなってきちゃったじゃん」


 さっきとは打って変わって弱々しい声。俺は慌てて目を開いた。


「私ね、本当は留学するのが怖いの。いくら夢のためとはいえ、たった1人で海外に行くんだよ。それに、本当はゆうちゃんがここまで来てくれてすごく嬉かった」


 みなみの顔がくしゃりと歪む。この顔は転んだ時にする表情だ。はやく手を差し伸べてやらないと大泣きしてしまう、そんな見慣れた顔だった。

 その時になってようやく、俺は幼馴染みの気持ちが分かった。そうだよな、みなみはまだ16歳の女の子だ。知らない土地に知らない人々。不安でいっぱいにきまっている。きっと今の今まで、精一杯強がっていたんだ。


 それなのに俺ときたら、自分のことばかり考えていて……。


「それにね、私は器用な女の子じゃないの。夢と恋、両立なんてできないんだよ。ゆうちゃん、私の言っていることがわかるかな?」


「そ、それってつまりお前は俺のことを……」


「ねえ、私とこれからも一緒にいたい? もしゆうちゃんが望むなら私……」


  俺の質問には答えず、みなみはそこで言葉を切った。みなみの瞳に灯っていた決意の炎が、今にも消えそうなくらい大きく揺らいでいる。


 これはチャンスかもしれないぞ。もう一人の俺が耳元でそう囁く。今みなみは留学か日本に残るか、2つの選択肢の間で大きく揺いでいる。そしてどちらを選択するかは、俺の裁量次第だろう。

 俺が手を差し伸べたら、一言「好きだ、行かないでくれ」と言ったら、おそらく日本に留まることを選ぶだろう。そうすれば俺があんなに心から望んでいた『幼馴染みエンド』を迎えることができる。




 でもーー。





「り、留学やめるなんて言うなよ」


 口から出てきたのは全く逆の言葉だった。その後も、自分の意思とは関係なく口はペラペラと勝手に動く。


「俺のことは気にしなくていいぞ。朝だって一人で起きられるし、勉強だって頑張るよ。お前がいなくても大丈夫、というかむしろいない方がいいくらいだぜ」

 

 嘘だ。本当はずっと一緒にいたいと思っている。もうみなみが朝起こしにくることも、同じ通学路を歩くことも、部屋の電気が灯ることもない。そう考えただけで、もう気が狂いそうだった。


「今は不安かもしれないけど、きっとむこうは楽しいぞ。それに明るいお前のことだから、すぐに友達もできるよ」


 でもみなみを引き留めることなんてできなかった。だって俺はいつも頑張るみなみの姿を見ていたから。頑張り屋なところが一番好きだったから。俺は『幼馴染み』だったから、みなみに『好き』とは言えなかった。


「夢のために頑張れよ!俺は幼馴染みとしてずっと応援しているからな」


  俺は精一杯笑ってみせた。口の筋肉がピクピクと痙攣しているのが分かる。目からはいまにも涙が溢れそうだが、なんとかこらえる。きっとすごく不自然な笑顔だろう。

 

 でもみなみは……、俺の幼馴染はにっこりと微笑んで、こう言った


「ゆうちゃん、ありがとウォンバット!」


 ヤレヤレ、コイツは最後までウォンバット引っ張りやがった。絶対流行らないからな、ソレ!




 ーーこうして俺の幼馴染みは海の向こうへ旅立っていった。

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