幼馴染みのエプロン姿
「ゆうちゃん遅〜い! ごはん冷めちゃうよ」
しかしそんな俺を待ち受けていたのは幼馴染みのエプロン姿であった。セーラー服の上に薄ピンク色のフリフリエプロン、手にはフライパン。それはさながらエクスカリバーを装備したアーサー王なみの攻撃力で……。
「ゲフゥ!」
ヤバイ、モロに喰らってしまった。バトル系の漫画だったら肋骨が2、3本ヤられるレベル。このまま正視するのは危険だ。そう判断した俺は、みなみから顔を逸らし無言で食卓に座る。
「はーい! 今日の朝ごはんはみなみ特製オムレツだよ」
差し出されたオムレツにはケチャップの『love』の文字。ラ、ラブ……!!その意味は愛している……。
「ひでぶっ!」
畜生、今度は右腕を持っていかれた!みなみの奴め、本格的に俺をヤるつもりだな!
「い、いただきます」
俺はスプーンの背で文字を潰すと、オムレツを素早く口にかき込んだ。とにかく一刻も早くこの『幼馴染みイベント』を消化しなくては……。
「ごちそうさま」
この間わずか30秒。よし、なんとか持ちこたえたぞ。食器を片付けようと席を立つと、怖い顔をしたみなみが目の前に立ちはだかる。
「ゆうちゃんったら、よく噛まなきゃ駄目だよ。中学一年生の時クラスメイトと早食い勝負して、ジャガイモが喉に詰まったことが……」
「そ、そんな昔のこと引っ張り出すなよ」
「なんだよぉ、私はゆうちゃんのこと心配してあげているのに」
「余計なお世話だっつーの」
ああ、なんて幼馴染みらしい喧嘩なんだろう。喧嘩中なのになぜか心はポカポカと温かい。誰かとめてくれ! じゃないと俺は……。
「ほーら、喧嘩しない。2人とも遅刻しちゃうわよ」
キッチンの奥から母さんが顔を出した。ああ、なんという救世主。
「本当に仲がいいわね〜。そうだ、みなみちゃん将来優太のお嫁さんになってくれない?」
オイ、ババア!なんで、俺の背中を打ってるんだよ!味方じゃなかったのか、エエ?
「もう、おばさんたら。変なこと言わないで下さいよぉ」
「いやいや、私は本気よ!みなみちゃん可愛いし、いい子だし。娘になって欲しいな〜、なんちゃって!あははは」
……駄目だ。もうこの空気には耐えられない。俺は逃げるようにダイニングから出ると、そのまま玄関から飛び出した。
外へ出て3分、早くも俺は後悔しはじめていた。
「寒い……」
今日は雲ひとつない晴天だというのに、冷蔵庫の中に入ったのかと錯覚するほど寒かった。俺は大きく身震いする。急いで家を飛び出したから、コートどころかマフラーも身につけていない。
「くそっ、今日は朝からツイてない」
しかし、引き返すのも億劫だ。それに何よりみなみと顔を合わせたくない。ここは我慢するしかないか。俺はその歩みを早める。
古い家屋が立ち並ぶ住宅街を抜け、商店街に足を踏み入れた。数百メートルを越えるアーケード、しかし早朝のためほとんどの店のシャッターが下りている。人通りもなく閑散としているが、静かなのは今だけだ。
ここは『十条銀座』と呼ばれる、十条駅前の商店街。夕方にもなるとこの数百を超える店のシャッターが開き、広い道は買い物客で埋め尽くされる。魚屋の客引きの声が響き、人気の惣菜を求め長蛇の列が伸び、セール品に主婦が群がる。この平成の時代に珍しいくらい人情と活気あふれる商店街だ。何でも『東京三大銀座』に数えられるくらい有名なんだとか。八百屋のオッサンが得意げに教えてくれたっけ。
「ちょっと待ってよぉ!ゆうちゃん」
長い商店街もようやく半ばに差し掛かったかという時、後ろからみなみの声が聞こえた。聞きなれた声のハズなのに、俺の心は大きく乱される。
やっぱり、今日の俺は何か変だ。
そんな自分を信じられなくて、知られたくなくて、後ろを振り返ることなく歩き出す。歩幅は広く、速度も早く……。それなのにみなみはあっという間に追いついて、俺の横にぴったり並んだ。
隣を歩いているみなみを横目でチラリと見る。俺の歩幅に合わせ少し早足気味で、距離は付かず離れずの10センチをキープ。
コートを着込み首にはマフラーを巻いているが、この寒さのせいで頰はほんのり赤い。
……おかしいな、なんだか心臓がドキドキしてきたぞ。
早歩きをしてるけど、動悸がする程の運動量ではないはずだ。あっ、もしかして心臓に何か問題でもあるのかな? 今度病院に行ってみよう。
ああ、それにしても困った。俺たちの通う高校はこの商店街を駅方向に抜けてから、さらに歩いて10分もかかる。そんな長時間、俺は耐えらるだろうか。
「ゆうちゃん、今日なんだかスゴく変だね?何かあったの? 」
「べ、別になんでもねーよ」
「嘘!だってさっきから一回も私の目を見ないじゃん」
ぎくり!やっぱりみなみにはバレていたか。
「ま、いっか。ゆうちゃんが挙動不審なのはいつものことだしね。それよりゆうちゃん、そんな薄着で寒くないの?」
「寒くない。俺のことなんて放っておいてく……はっくしゅん!」
「ほらやっぱり。本当にゆうちゃんは仕方ないなぁ、私のマフラーを貸してあげるよ」
みなみは自分のマフラーを外すと、俺の首に巻きつけた。マフラーはみなみの体温でほんのりと温かい。
「ほら、これで寒くないでしょ」
そしてみなみはにこりと微笑んだ。そのひまわりみたいな笑顔は最高に眩しくて、俺はーー。
「うわあああぁぁぁ!」
太陽から逃れるヴァンパイアの如く、その場を全速力で逃げ出した。マズイ、このままだと確実に灰になる!
「ちょっと、ゆうちゃんどうしたの?」
しかしみなみはあっという間に追いつき、俺にぴったり並走する。こちらがいくら速度をあげても、涼しい顔。くそッ!帰宅部の俺がテニス部のエース様に勝てるわけねえ!
「なんで追いかけて来るんだよ!」
「だってゆうちゃんが逃げるから」
「頼むから、俺を1人にしてくれーー!」
「あはは、鬼ごっこみたいで楽しいねえ」
こうして俺たちは、全速力で十条銀座を走り抜けたのだった。