うまく幼馴染できない
目覚まし時計のけたたましい音で、俺は目を覚ました。カーテンの隙間からは淡い日の光が差し、スズメの囀りが聞こえてくる。吐き出す息が白くなるほど部屋の空気は冷え切っていた。布団から出るのが億劫で、腕だけ伸ばして目覚まし時計をとめた。時刻は6時50分。このまま二度寝したら確実に遅刻だな、そんなことをぼんやり思いながら瞼を閉じた。
しばらくするとバタバタと騒がしい足音が近付いてきた。やれやれ、ようやく来たか。
「ゆうちゃん! 起きて朝だよ!! 」
ドアを開ける激しい音と共に可愛らしいソプラノボイスが部屋に響く。
「早くしないと遅刻だよ! ほら起きて」
布団を剥ぎ取られた。かなり寒いがここは我慢だ。
「むにゃむにゃ、もう食べられないよ」
このようなテンプレ寝言を言うのがポイントだ。すると相手は次の一手を打ってくる。
「いい加減に起きなさーい!」
ベッドから突き落とされる。フローリングの床に後頭部のがクリーンヒット。かなり痛くて叫び声を上げたいところだが、ここが踏ん張りどころだ。
「むぅ、これでも起きないなんて! これでどうだ!」
ぐえっ! 鈍い衝撃、俺の腹の上に何かが乗った。それはほんのり温かく、適度に柔らかい。
計画通り!
心のなかでニヒルに微笑むと、ゆっくり目を開ける。セーラー服の少女が、俺の腹にどっかりと座りこちらを見下ろしていた。やや茶色かかったショートヘアーに、子犬のような人懐っこいクリクリとした瞳。すごい美少女ではないが、親しみやすい雰囲気を纏っている。神岸みなみの笑顔はひまわりみたいに眩しくて、俺は思わず目を細めた。
「ゆうちゃん、おはよウォンバット!」
みなみはそう言ったきり口をつぐみ、キラキラした瞳でじっと俺を見つめている。『おはよウォンバット』って返して欲しいんだな。コイツは昔から、変な造語をつくる癖があるんだ。全く、朝から面倒臭い。いかにも不機嫌そうな表情を顔に貼り付け、こう答えてやる。
「おはよ」
「あれーー、そこは『おはよウォンバット』って返すところでしょ。ゆうちゃんノリ悪いねーー? あっ、それともウォンバット知らないの?ウォンバットっていうのはね、コアラの仲間でお腹に袋が……」
言葉の散弾銃が俺の鼓膜を蜂の巣にした。ああ、こうなることはなんとなく分かっていたよ。少し後悔。
「うるせーー!ウォンバットなんてどうでもいいわ!」
「あはは、やっと目が覚めたみたいだね」
「こんだけ騒がれたら白雪姫だって目を覚ますわ!」
「やだーー。ゆうちゃんたら白雪姫だなんておこがましいーー。ゆうちゃんなんてせいぜい小人の癖にーー」
みなみは俺を見下したようにゲラゲラ笑っている。もちろん俺の腹に座ったままなので、その振動が俺にダイレクトに伝わってくる。馬鹿みたいに甲高い笑い声と相まって、俺のイライラは臨界点を超えた。
「マジウザいんですけど。いつも思うけど、なんでお前って朝からそんなにテンション高いんだよ。もしかして馬鹿なの?」
「馬鹿じゃないもん! 私は朝5時には起きてスクワット100回、ランニング5キロ、素振り100回してるからね。体はもう完全にエンジンがかかっているんだよ」
「はぁ、聞いているだけで筋肉痛になりそうだぜ。朝から御苦労様」
「えっへん! 私の将来の夢はプロテニスプレイヤーだからね。これでも足りないくらいだよ」
みなみは得意げに胸を張った。まあ、張ったところでお前の胸の慎ましさは変わらないけどな!
「はいはい、みなみちゃんは偉いですね~~。ほら、褒めたんだから早く退いてくれよ。なんだか息苦しくなってきたから」
「それはできない相談だよ」
みなみの大きく見開いた瞳が半目、いわゆる『ジト目』になった。あ、なんか嫌な予感……。
「これは罰なんだよ! 一人で朝起きられないことに対する罰!」
「罰って……。俺は何も悪いことしてないけど」
「全然自覚がないんだね。もうあと1ヶ月もしないうちに私達は高校2年生になるんだよ! この意味わかる?」
「わけわかんねーよ」
「ゆうちゃんはもっとしっかりしないとダメってことだよ!」
みなみそう言うなり、俺の胸ぐらを掴むとそのまま床に叩きつけた。目の前で、たくさんの星が瞬いた。
「痛っ! 何するんだよ」
「はっきり言って、ゆうちゃんのダメダメっぷりは最近目に余るよ」
「そうか? 別に普通だと思うが」
その瞬間、みなみのジト目が一気に釣りあがった。あれ、もしかして怒っている?
「普通? もしかして今普通って言ったの? ゆうちゃんが普通? なにそれ? 私のゲシュタルトがたった今崩壊したよ!」
「なに怒っているんだよ。俺はどこにでもいる普通の男子高校生代表なような男だぞ!」
「全然普通じゃないよ! だって普通の男子高校生は、1日に7個も忘れ物しないよ!」
「うっ!」
いきなり痛いところを付かれてしまった。
「こ、この前はたまたまだよ。時間割を別の日と間違えちゃって……」
「期末テストでは、数学と化学は赤点だったし!」
「俺は文系の人間だから! ほら、俺ほど登場人物の気持ちになりきれる人間はなかなかいないと思うんだよ。はは……」
「昨日の体育では、クラスで一人だけ跳び箱5段が飛べなかった!」
「いやーー。直前で足を挫いちゃってさーー。あーー、アレがなければなーー、跳び箱10段も目じゃなかったよーー」
言い訳ばかりする俺にみなみは呆れ顔だ。
「もう! 私は本気でゆうちゃんのことを心配しているのに」
「別にお前には関係ないだろ。放っておいてくれよ」
「放っておけるわけないよ。だって私はゆうちゃんの幼馴染みなんだよ!」
ーー幼馴染。
ああ、なんと美しい響き。俺の中の『声に出したい日本語ランキング』栄えある第1位! 自然と頬がほころんでくる。
「ゆうちゃん、何ニヤニヤしているの? マジキモいんだけど」
「ニヤニヤなんてしてないぞ。それに俺はキモくない。むしろイケメンだし」
「もうふざけないでよ。とにかく私とゆうちゃんは幼馴染なんだよ」
「ああそうだな。お前が隣の家に引っ越してきたのは8年前、それから小中高と同じ学校に通い、思春期真っ盛りの今でもこうして互いの家を行き来するほど仲がいい……。そんな俺達を幼馴染と呼ばないでなんと呼ぶんだ」
「なにその説明口調。まぁいいや。とにかく私は幼馴染としてゆうちゃんの将来が心配だってこと。このままだとゆうちゃんは良くてフリーター、最悪ニートだよ。私だっていつまでも側にいられるとは限らないんだから……」
「え?」
「とにかく!」
再び、床に叩きつけられる。口の中で歯と歯がぶつかる音が響いた。
「痛え! もう少しで舌噛むところだったぞ!」
「ゆうちゃんはもっと努力しなくちゃだめ! まずは朝一人で起きれるようになることからはじめようよ」
「えーと」
「……返事は?」
みなみにしては珍しい、刺すような鋭い目付き。まるで俺を値踏みしているみたいで……。
これ、完全に見下されているよね? クソッ、ムカつくぜ!いいぜ、俺はやればできる男だってことを証明してやんよ! 表情筋を引き締め格好いい表情をつくり、
「無理」
そう短く答えた。
「は?」
「無理なものは無理。だって俺って低血圧じゃん。朝弱いのは当然しょ」
みなみは呆気にとられたようにぽかんと口を開けた。そしてそのまま大きく息を吸い込むと、
「ばかーーーーーー!」
俺の耳元で大絶叫しやがった。もはや俺の鼓膜はボロボロである。難聴になったらどうしてくれるんだ!
「やる前から諦めないでよ!ゆうちゃんのバカ!根性なし!クズ」
「痛い痛い!殴るのはやめろ!」
「ゆうちゃんがやる気を出すまでやめないよ!」
みなみにグーで顔を殴られながは、俺はしみじみ思う。なんて騒がしい朝なんだろう、と。世話焼きな性格のみなみは、頼んでもいないのにこうして毎朝俺を起こしに来る。つまりは幼馴染みがいる限り、静かな朝は訪れない。ああ、俺はなんと不幸な男子高校生なのだろう。こんなことなら、そう、いっそのこと幼馴染みなどいなくなればいいのにーー。
ーーゆうはみなみちゃんのことが好きなんだよ
その時、なぜか昨日のリョウの言葉が脳内で反響した。
ーードクン
心臓が大きく脈打つ。
「どうしたの、急に黙り込んじゃて」
するとみなみは殴る手をとめ、俺の顔を心配そうな表情で覗き込む。か、顔が近い。それに冷静に考えたらこの状況はマズイ。今俺はみなみにマウントポジションを取られているわけで。
つまり、太ももとお尻が完全に密着している。スカートも短いせいで、今にもパンツが見えそうだ。うっ、コレは思春期男子には刺激が強すぎる……。早く離れなくては!
「お、重い。お前太っただろ」
「太ってないよ!本当にゆうちゃんってデリカシーないよね!そんなんだから彼女ができないんだよ」
みなみはリスのようにぷくっと頬を膨らますと、あっさり俺から退いた。最初からこうしておけば良かったぜ。
「着替えるから早くでてけよ」
「はいはい、朝ごはんできてるから早くリビングに来てね」
「わかってるっての! 」
みなみを無理矢理部屋から押し出し、ドアを乱暴に閉めた。みなみの足音が小さくなるのを確認すると、そのままドアに背を持たれかかるようにへたり込む。床の木目を見つめながら、さっきまでの自分の言動を思い返す。うん、今日の俺は明らかにおかしい。上手く幼馴染みできてない。みなみのことを妙に意識してしまっている?まさか、アイツはただの幼馴染みだぞ。
……
わかりました。オーケー、本音を言おう。みなみが起こしに来てくれることは正直嬉しい。わざわざちょっと早く起きてスタンバイする程度には楽しんでいる。そこまでは認めよう、オーケー?でもそれはみなみが好きだから、という理由ではない。
だって俺が本当に好きなのはーー。俺は顔を上げた。
「ああ……!」
彼女と目が合い、思わず感嘆の声をあげる。部屋の一番奥、そこには俺の最愛の人が静かに佇んでいた。
茶髪のふわふわショートヘアーにキラキラした大きな瞳。そんな彼女の慎ましい肉体を包むのは、ピンク色のセーラー服。両手を広げたポーズは、まるで俺に抱きしめられるのを待っているようである。俺は彼女に歩み寄ると、その顔に手を伸ばした。
彼女の肌はツルツルと冷たくて、不自然なくらい凹凸がない。
「誤解しないでくれ、陽子。俺が本当に愛しているのはお前だけだからな」
しかし、陽子は何も答えない。当たり前だ。だって彼女は壁に貼り付けられた等身大ポスター税込3980円なのだから!
そう、いくら俺が幼馴染を愛しているといってもそれは2次元限定の話だ。生粋のオタクの俺にとって 3次元は恋愛対象外、いやむしろ嫌悪の対象と言っていいレベルだ。
でもまあ、幼馴染みがいるってラノベ主人公みたいじゃん。ラノベ主人公を体験できる機会って貴重だよね?だから仕方なく、本当にしぶしぶ受け入れているだけなんだよ。本当は三次元幼馴染みなんて嫌で嫌で仕方ないんだからね。あーー辛え。っかーー、マジで辛いわーー。
ーーゆうはみなみちゃんのことが好きなんだよ
もう一度、リョウの声が脳内で響いた。その言葉を追い出すように、激しく頭を振る。
「俺が愛しているのは陽子だけだ」
自分に言い聞かせるようにそう呟く。陽子が嫁、みなみはただの幼馴染み。今までもそうであったようにこれからもずっとそうに決まっている。昨日あんなに狼狽えたのは、急に突拍子もないことを言われて驚いてしまっただけ。陽子とみなみが似ているのは単なる偶然。だからもう大丈夫。この後は幼馴染みできるはず……いや、できる!
「覚悟しろよ、みなみ。俺の幼馴染の実力を見せてやるぜ」
気分はまさにバトル漫画の主人公。俺は学ランをマントのようにバサッと羽織ると、みなみが待ち構えているであろうダイニングへ向かった。