第十四話 会津征伐
家康が派遣した使者に対して上杉家がどう対応したか? もちろん謝罪はしなかった。世にいう直江状を返書として送り返したのである。内容は軍備の強化や城の整備を咎め、早々に上洛して弁解するように促す手紙を持ってきた使者に対して、弁解する気などさらさらない挑発的な書状を書いて返したのである。
これは当然、家康を畿内から留守にさせ、その隙に俺が挙兵するための策略の一環であった。あんな挑発的な弁解の書状を読んだら、きっと家康は激怒するだろう。そう踏んだのである。
案の定、その態度に家康は激怒したらしい、諸大名に会津征伐の出陣命令を出した。出陣の中止を求めた者もいたようだが、怒りのせいかまったく聞き入れられなかったようだった。六月の半ば、家康はついに大坂から出陣した。
そして俺は今、今か今かと出陣の機会を伺っていた。家康はあまり急ぐ気はないのか、ノロノロ進軍している。それなりに離れてもらわないと、すぐに引き返されて殲滅されても困るからだ。
結局、俺は六月をひたすら挙兵の用意だけで過ごした。鉄砲や弓などの武器や食糧を事前に調達しておかないといざというときに思うように動けないからだ。
七月に入り、挙兵の時期がさらに近づいてくると俺は、親友である大谷吉継を城に招いた。打倒家康のために味方になってもらうためである。
吉継到着の知らせを聞き、大広間に向かうとすでに彼は待っていた。
「治部……重大な用とはなんぞ?」
そう、尋ねられる。まだ呼んだ理由は伝えていなかったのだ。
「刑部、と心が前とは違う俺がいうのはおかしいか……」
「いいや、そんなことはない。お主は間違いなく我が友の石田治部少輔三成じゃ。それに心も前とまったく変わらないではないか。義に厚いし、けっして人に媚びたりはせぬ。凡百の人間ならとっくに内府の犬になっていたであろう」
そう褒められるとなんだか嬉しい。では……ここで本題を切り出そう。
「では、本題に入る……家康打倒の軍に加わってはもらえぬか?」
「……それはできぬ」
吉継は俯きながら言った。よかった、よかった。やっぱり歴史通りだったなって……え? ええ!? すっかり快諾してもらえるとばかり思っていた俺は驚いた。
「それはなぜ?」
「よいか、治部。今、内府と戦っても勝ち目はない、無謀じゃ。ワシもこれから、会津へと出陣する。重家をワシの軍に参陣させて、内府とはいったん仲直りをしよう。機会を待つのじゃ」
「家康と仲直りなんて絶対に無理だ! そんなことしたら直江殿との約束を守れぬ!」
「なに? 上杉家筆頭家老の直江山城守殿と約束? まさか、こたびの上杉の動きも……」
「そうだ、家康を焚き付けて出陣させたんだ、今こそが絶好の機会、俺の知識も役に立つんだ!」
「……分かった。考えておく……だが、ワシは絶対に挙兵には反対じゃ!」
吉継は立ち上がって、大広間を出て行った。本当に味方してくれるかな? 史実では、確かに吉継は西軍として出陣して。関ヶ原で奮戦。そして自刃したはず……信じよう。今回は絶対に死なせない。




