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第十三話 うごめく家康

 しばらくの間、俺は相変わらず家臣たちの屋敷を巡ったり、領内を巡視したり、城下町で買い物をしたり、伏見城下に行って兼続と打ち合わせをしたりした。


 三成の親友といわれている大谷吉継とも会った。イメージ通り、顔を白い布で覆っていたが義に厚い男であることは間違いなかった。彼にも自分のことを打ち明けた。みんなと同様に彼も驚いたようだが、結局は受け入れてくれた。


 8月になると、直江兼続とその主、上杉景勝がついに家康打倒のために領国へ帰った。兼続からは「会津に戻りましたら、挙兵の準備をいたします。家康が我が方に討伐軍を派遣してきましたら、かねてからのお話し通り、石田殿も立ち上がってくだされ」という内容の書状が送られてきた。といっても、まだ開戦するには早すぎるので、兼続は時間稼ぎをするようだった。


 家康が本格的に動き始めたのは、9月のことだった。まずは勝手に大坂に入って俺の屋敷を宿とし、次に菊の節句の挨拶を秀頼にすると、宿を俺の屋敷から兄の正澄さんの屋敷に変更した。そして最後には、大阪城に入り、政務を大坂城内でとるようになったのである。


 しかも自らの暗殺を企んだとして、四人の武将を処罰。その中には、あの前田利家の息子、利長もいた。これによって、前田家は骨抜きにされ、まったくあてにならなくなった。


 他にも諸大名の転封、加増をも勝手に行うようになった。


 こんな報告を俺は佐和山城内で聞いていた。どうにかしたいがどうしようもなかった。なにしろ謹慎中である。


 事がさらに大きく動いたのは年も越して、慶長5年(1600年)になってからである。上杉家の動きをついに不審に思った家康が伊奈図書を派遣したのだ。上杉の後釜として越後に入った堀秀治やもともと関係の悪かった最上義光の報告に加えどうやら、上杉家から出奔した藤田信吉が家康に密告したそうである。そう、兼続の書状には書いてあった。


 ついに家康が自らの野望、天下を我が物にするという野望を達成させようと動き始めたようだった。


 

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