永田町で逢いましょう ~転職ヒーローズ外伝~
父も母も、いわゆる「先生」と呼ばれる人種だった。
父は政治家、母は大学の教授、だからあやめも自然と先生になるべく育てられた。
「あやめは将来何の先生に成るのかしら」
「政治家だったらパパの地盤を譲ってやるよ」
「お医者さんとか法律家もあるわね」
「あやめは何の先生になりたいかな?」
父と母に期待を込められて見詰められ、子供心にプレッシャーを感じていた。でも先生だったら何でも喜んでくれるんだろうと思ったあやめは、
「漫画家!」
と言って両親をガッカリさせた。
「漫画家だって先生なのにねー」
あやめは国立の超ハイレベルな大学に現役で合格し、サークルは漫画研究会に入っていた。
今日も講義は一番後ろの席を陣取り、原稿のペン入れをしていた。
「やっぱ開明墨汁だよね」
そんなふうに気ままに自由に学生生活を満喫していたが、家に帰るとお嬢様に変身した。
「ただ今戻りました」
「大学はどうだ?」
「はい、優秀な教授陣の興味深い講義のお陰で、先日の試験では全科目優でした」
「そうか。油断しないで頑張りなさい」
「かしこまりました」
父には超真面目な学生を演じていて、漫研に入っている事は極秘だ。
母は去年からアメリカの大学に呼ばれて向こうの大学で教鞭を取っていた。
何か研究もしているらしく忙しそうにしていて、向こうに行ってから一回も帰って来ていなかった。
それを良いことに、父も家に帰って来ない日が増えてきた。たまに家にいても説教ばかりであやめには迷惑でしかなかった。
そんなあやめが卒業を控え試験を受け、合格したのが国家公務員だった。
「どこかの省庁に入れれば、将来議員になった時有利だ」
一つの省庁について詳しくなれば将来重要な役割、上手く行けば大臣も有るかもしれないと父はとても喜んだ。
しかしいざ勤務先が決まり、それが国会職員だと分かると父は落胆した。
「まあ早く辞めて私の秘書でもやればいい」
あやめは父の秘書なんか真っ平だった。だって父の側にはいつも綺麗な女性がいた。いつもだ。朝から晩までだ。
国会職員の仕事は超多忙だった。普段でさえ定時で終わる事なんて無いが、国会会期中ともなると、夜中まで仕事なんてザラだった。
「あー、今日も漫喫で寝るかー」
家に帰る時間が勿体無いので、あやめは漫画喫茶に泊まる事がよくあった。だが大の漫画好きなあやめは寝るのを忘れ漫画を読んでしまう。若いから睡眠時間が少なくても働けたが、ついつい昼食後はうとうとしてしまう。
「月嶋、ヨダレ垂れてるぞ。書類汚すなよ」
後ろから頭を殴られた。と言っても書類でだったが。
「本宮主任、もっと優しく起こして下さい」
上司の本宮は、とても仕事が出来た。スピードも早いが間違いなど無く、完璧な仕事をする。
部下の能力も見極めていて、適材適所の仕事をさせる。本宮がいなかったら毎晩徹夜でも仕事が間に合わないんじゃ無いかとあやめは思っていた。
「この法案関連の資料を一時間以内にまとめてておけ」
分厚い資料をあやめの机の上に置いた。
「一時間以内? 無理です」
自分だったら出来るからと他人にも無理な仕事を押し付けてくる。
「この資料の付箋貼ってあるページをまとめればいいだけだから出来るはずだ」
不可能を可能に出来る男はやる事が違うなあと感心してしまう。
本宮はやたらとあやめに仕事を言いつける。まだ新人のあやめに仕事を教え込もうとしているのか、それとも単に意地悪なのか、あやめには分からなかった。
そもそも本宮は他人に対してはにこやかに、穏やかに、丁寧な話し方を普段はしている。
それなのにあやめに対してだけはぶっきらぼうで命令口調で指示を出す。
あやめは意味が分からなかった。
本宮に鍛えられる日々が続き、あやめも他の職員に迷惑を掛けない程度に仕事が出来るようになった。
仕事に余裕が出来ると、年頃のあやめは化粧や髪型を気にし出した。
今までは仕事に明け暮れていて気付かなかったが、周りを見ると綺麗なお姉さんばかりだった。
さすが最高峰の仕事をこなす女性達はお洒落も最高峰だ。私もその一員なんだから頑張らないと、と張り切ってお洒落を始めた。
そんなある日。国会もやっと閉会し、嵐のような忙しい日々が一段落した。
「おい、飯食いに行くぞ」
本宮があやめに声を掛けてきた。
あやめはてっきり部署の仲間達も一緒だと思って付いて行ったら、本宮と二人っきりだった。
「他の人は来ないんですか?」
「職場の連中と飯食ったって面白くもねーだろ」
え? 私も職場の人間なんですけど。
ん? 他の人とは面白く無いけど、私とだったら面白いって事?
あやめはちょっと期待をしてしまった。
本宮はあやめの希望も聞かず、さっさとウェイターに注文をしていた。
「まあ、ご苦労だった」
そう言って本宮は勝手に食前酒を飲み始めた。
「お疲れ様でした。国会職員がこんなに大変だなんて知りませんでした」
「知ってたらならなかったのか?」
「もちろん」
「だったら何になってたんだ?」
「漫画家!」
「ま、漫画家?」
「はい、私漫画大好きだから。親に反対されたからならなかったけど、反対されなかったら絶対漫画家になってました」
それからあやめは延々と漫画の素晴らしさを本宮に聞かせた。本宮は不機嫌さと驚きと面白さの入り交じった、何とも言えない表情で聞いていた。
「……と言う訳です」
言いたい事を言い終え、あやめはすっきりした顔をしていた。
「……お前、面白いな」
「え?」
「面白いよ。今まで俺の周りにはいなかったタイプだよ。だから何か調子が狂うって言うか、つい本性見せちまうって言うか。……俺も良く分からねえ」
本宮は考え込んでしまった。
今まで本宮の周りには、綺麗で仕事も出来る完璧な女性がたくさんいた。皆上品でおしとやかで、猫を被るのが大好きな本宮にはぴったりの女性達だった。
本宮は本宮なりに自分の未来像を持っていた。仕事をバリバリこなし、皆の尊敬を一身に集め、国会にこの人有りと言われる様な人物になる。勿論結婚相手は上品で和服の似合う、夫の後を黙って付いてくる静かな女性が良いと思っていた。
だがあやめに会って、何か調子が狂わされた。あやめと話していると素の自分が出てきてしまう。あやめがそうだからなのだろうか。
あやめはそこら辺の女とは違い、自分を飾らない。出来ない事は出来ないと、分からない事は分からないと正直に言う。変な意地もプライドも持たない素直さが、本宮にも感染してしまった。
飾らない自分でいると何て楽なんだろう。職場では勿論だが、本宮は家でも猫を被っている。常に完璧な自分を演じ続けていた。
それでいいと思っていた。それが理想の自分だと思っていた。でも、あやめといると気が楽だ。飾らずに自然でいると幸せだと思うようになってきた。
こういう女と暮らしていけたら楽しい人生なんだろうな。
本宮のそんな思いも知らず、「わー、美味しい」「本宮主任、食べないなら私が食べてあげますよ」と無邪気に料理を食べていた。
「月嶋は色気より食い気だな」
「最近は色気も出てきたんですよ! 流行のお化粧品に流行の洋服……」
「口紅なんて飯食えば落ちるんだから何でもいいんだ」
本宮は「これも食え」「デザート何食うんだ」とあやめの世話を焼いた。嬉しそうな顔をして。
忙しい合間を縫って、本宮はあやめを誘い、食事やドライブによく行くようになった。
あやめは本宮と会うのが楽しみだった。仕事の出来るパーフェクトな先輩だが、自分といる時だけ子供みたいにすねたり乱暴な口をきく。私だけが彼の本当の姿を知っていると思うだけで嬉しかった。
そんなある日、食事を終え、遊園地で観覧車に乗ろうとあやめが言い出し、普段だったら「えー、子供じゃあるまいし。俺やだ」と断る本宮だったが、今日は素直にあやめの提案を受け入れてくれた。
今日は最初から雰囲気が変だった。
本宮は口数も少なく、あやめの冗談に素直に笑っていた。いつもは「バカじゃねーの」とか言ってバカにするのに。
観覧車から都会の夜景を眺めながらあやめは妙にはしゃいでいた。
「綺麗だね。あ、国会議事堂だ。あんな所で私達働いてるんだねー」
窓ガラスに張り付き、あやめは言った。
「何か今日は元気ないみたいだね。どうしたの?」
本当は聞きたく無かった。もし、もう会わないとか言われたら、立ち直れないかもしれない……。
でもあまりに元気の無い本宮を見ていられなかった。
「もう、こうやって会えないかもしれない」
……やっぱり。あやめは全身の力が抜け、観覧車からネオンの街並みに落ちていく様な感覚になった。
「俺、転勤する事になった」
「え、転勤? 他に彼女が出来たとかじゃなくて?」
「え? うん、転勤」
「何だ、転勤か」
振られた訳ではなさそうだったのであやめはホッとした。しかし本宮は尚も暗い顔をしていた。
本宮の仕事ぶりは総理大臣の耳にも届いていた。総理は新たなプロジェクトの責任者にと本宮を指名した。
そのプロジェクトは極秘なもので、例え家族だろうと友人だろうと漏らしてはいけない。
「どこ行くの? 会いに行く」
「まだ分からない」
仕事内容だけではなく、場所も他人に話してはいけなかった。
「分かったら連絡してね」
「うん」
観覧車は頂上に来ていた。二人はしばらく黙っていた。
「私も行く! 主任に付いて行く!」
あやめは耐えきれず泣き出した。
「月嶋……」
「やだ。主任と離れるのはヤダ!」
涙を拭きもせず、あやめは駄々をこねた。
「危険なプロジェクトなんだ。お前を危険な目に遭わせたくない」
「だったら尚更主任を一人にさせたくない」
あやめの真剣な、真っ直ぐな瞳に見詰められ、本宮はあやめを抱き締める事しか出来なかった。
まだ国重教授による能力付帯システムは完璧では無かった。出来上がってはいたが、安全性の確認はまだだった。
これから本宮が行って実験台になる。もしかしたらもう普通の生活が出来なくなるかもしれない。もうあやめと会えないかもしれない。
本宮は怖くて震えていた。それを感じてか、あやめが本宮を強く抱き締めた。
「目処が付いたら迎えに行くから、待っててくれるか?」
「うん、絶対待ってる」
本宮は安心感でいっぱいだった。恐怖が薄れて行く。
あやめのために頑張ろう。あやめを迎えに行くために絶対無事でいよう。
「主任……」
観覧車が地上近くまで降りてきていた。頂上からずっと二人は抱き合っていた。そろそろ人に見られる所まで来ていた。
「あ、やばっ……」
慌てて二人は離れ、観覧車を降りた。
夜の街並みを歩きながら、あやめは本宮に聞いた。
「待ってていいんだね」
「おう、待ってろ」
「うん!」
あやめは本宮の腕に抱き付いた。
「お、おい」
「幸せー」
あやめは前を見ていなかった。全てを本宮に任せ、ただ本宮に寄り掛かっているだけだった。
「ま、いいか」
本宮も幸せを感じ、少し頬がゆるんでいた。
それから二年、あやめに転勤が命じられた。
行き先は「性格改善研究所」だった。