男+少女+星空
「うう・・・ひっく・・・」
ゴトゴトと、だんだんと衰えている機能が吸収しきれぬ揺れを運転席に伝えながら、水素エンジンを搭載した大型トラックは荒野を走っていた。
灼熱の砂風を切り裂く最前部の運転席には、専ら骨董じみたトラックの主の立場にいる男と少女が居た。
運転席にはしずしずと清音設計のエアコンが平穏をもたらす23℃の冷風を吐き出し、少女は声をおさえる事も出来ずに涙を流し、男は黙ったままハンドルをにぎっていた。
(どうしたもんか)
男は肌の見えない左手でヒゲの生えていないアゴを撫でながら一時あるいは恒久、どちらにせよ新たな同居人の事を働かない頭でぼんやりと思案していた。
ちらりとサイドミラーを覗いて後方を見るが、少女の故郷はもはや黄土色に輝く熱砂に隠れて見えない。
少女の名はミルヒャ。
先の集落のブロンドの女、ローニャの娘だった。
「ひっく、えぐ、ぁう・・・」
小さな背負い袋と粗末な人形を抱えた、十にも満たないと思われる少女は、確かに昨日の女を思わせる容姿をしていた。
「おが、おがあさぁん・・・」
少女がいるのは男が運転するトラックの荷台、その一角である”安置室”で、今朝発見された死体が窮屈な台に安置され、親と子の再会を果たしていた。
(まるで皮肉じゃないか)
男は冴える事のない頭でそんな事を考えながら、習慣じみたアゴをなでる仕草をしていた。
(あいつなら、たぶん――)
今は運転席で黒い本を眺めている相棒の言葉を思い出そうとしたところで男の思考は泣き止んだ少女に戻された。
涙を袖で拭き取り、それでもぬぐいきれない悲しみを訴えるように口からは白い吐息がぜえぜえと漏れる少女は、男を見上げながら口を開く。
「あた、あたしを、お、おか、お母さんと一緒に連れていってください」
幼い、あどけなさを大きく残す少女然とした少女はか細く、そして力強く言いのけた。
「アレは、あの死体はお前の母親ではない」
だが男の言葉は刃物が滑るようにスラリと安置室に響く。
少女の脚は震えている。
安置室に充満する冷気、はたまた少女の感情によるものか。
身体の保全と精神の保全。そのどちらもなのか。
「でも、でも・・・」
止めた涙を再び目にためる少女に男は面倒な気持ちが沸き上がる。
男はため息をつこうとした所で意味などない事に気がつく。どうも癖のような習慣には違和感しか覚えない。
「君の名前は何だ?」
ひざをついて少女と同じ目線になり、男は問いかける。
「ミ、ミルヒャ・・・です・・・」
仕草は自身の心の一旦を表している、とは誰の言葉だったろうかと男は思い返すと同時に、仕草は相手の心を誘導するものだと冷たい気持ちが胸に差し込まれるのを覚える。
「俺は死体を売り買いする商人だ。」
突然投げ掛けられた言葉に困惑するミルヒャは顔をあげて男と正対する。
「だから、自分はこの死体を買い取った」
子供であるミルヒャに言い聞かせるような落ち着いた口調ではあったが、どこか男自身にも言っているようにミルヒャは感じていた。
「なんのためだ?」
常識を問われるような言葉に、つっかえながら答える。
「死体に、するため・・・・・・」
「そうだ。そして死体を買い取る際に、それが生きていた頃に所持していた装飾品を一緒に買い取る事は出来るのが習わしだ」
習慣。
習俗。
どれも男が嫌いなものではあったが、同時にそれがあるからこそ成り立つ部分があることを男は理解していた。
そして、男はそれを利用することに決めたのだった。
「私、ミルヒャは、この死体が・・・・・・」
少女は男が何を言っているのかを的確に理解し、自分が何を口にすべきなのかを理解していた。
「生前所持していた装飾品・・・です・・・・・・」
そう言わなければ、親を失った子供の行き着くさきなどわかりきっているのだから。
「そうか、なら自分はこの死体を装飾品と一緒に買い取る事にしよう」
茶番。
見え透いた茶番。
優しい茶番。
灼熱と相反する冷たい部屋で約束は行われた。
日が完全に沈むか沈まぬ宵の頃、運転席・居住車・荷台の三部から成る大型のトラックは誰も通ることなどない道路の路肩に止められていた。
「出来たぞ」
居住車といっても、一人分の寝台と着替え、水素エンジンと共用の水をわずかばかり贅沢に使えるだけの質素な――それでも男が使うことはあまりない――ものであるため、男と少女の二人は簡易的なキットを持ち出して食事の準備をしていた。
「ありがとう、ございます」
日が落ちた後の荒野は寒さに震える気候となる。それに耐えられるよう、ミルヒャは男から渡された防寒性の布を羽織って金属製のカップを受け取った。
湯に溶かされた栄養材は簡素な味付けで、香りも味気ないものだった。
育ち盛りのミルヒャにとってはなかなかに酷な食事内容であったが、大柄な体つきをしている死体商人の男も同じものだったため文句などつけられなかった。
「それを飲み終えたら、これも食べておくといい」
簡易キットでもって温められた鍋の中身が空になった頃、男はスティック状の食べ物を5本ほどミルヒャに差し出した。
「自分は慣れたものだからコレで十分だが、お前にはこういうのも必要だろう」
クッキーのような素材で水気が少ないものであったが、中にはコリコリとした食感の何かが練り込まれていたためミルヒャは思いの外、気に入ったのだった。
男は手際よく新たに沸かした湯の中に小さなキューブを落とし、お茶を用意する。
「星・・・こんなにたくさん・・・・・・」
両手でカップを持ちながら、人心地ついたミルヒャはようやく夜空に浮かぶ月と星々に気がつく。
「あれ・・・流れ星・・・・・・?」
ミルヒャの視線の先を追うように男が振り替えると、宝石箱をひっくり返したような星空の中にゆっくりと、しかし他とはちがって早く動く星がひとつあった。
「あれは、流れ星じゃない」
「え?」
ミルヒャは視線を下ろすと、どこか死人のような顔色の男が目に入る。
「人工衛星だ」
「警察官?」
「遥か昔、人が”崩壊”を迎える依然、天上の星々とも繋がっていた頃に作られたかみさまだ」
どこかで、しかしどこでも聞いた事が無いような話にミルヒャの目は輝き、動き続ける小さな星を追いかけるように顔を星空に向ける。
発光器の明かりを反射するミルヒャの目は、母親ではなくなった死体とは違う、生きた者の証左だった。
「お母さ・・・あの死体が生きていた頃に、流れ星は願い事を叶えてくれるって聞いた」
男は少し驚いたような顔になったが、星空を眺め続けていたのでミルヒャが気づくことはなかった。
「叶うかは知らないが――」
男は知らぬうち、人々が失ってしまった昔話を語る。あたかも男が語り部となったかのように。
星は代わらずにあり続ける。
人は代わり、変わり続ける。
時代と呼ばれる言葉は失われ続け、世界は滅び続ける。
あたかもその滅びを受け入れる代わりはいないのだと主張するかのように。
世界は、一巡りを終えてなお、滅びを続けていた。