男+相棒+おんぼろ
「いつになったら死ねるんだ」
砂ぼこりでかすむ道路を水素エンジンを搭載した大型のトラックが走る。
機械達の整備が行われてから時間が経ちすぎたのか、歪んだ舗装の感触をハンドルから受け取りながら男はいつもの言葉を口にした。
隣の座席で、どんな素材で出来ているのかわからない黒い表紙の、今では絶滅指定と言っても良い本を大切そうに読む相棒には聞こえなかったらしい。
頭からすっぽりと黒い布をかぶった相棒の表情は深く読み取ることはできなかったが、わずかにのぞくカサカサに乾いた唇が歪んでいる点から機嫌が良いことは確かなようだった。
気分を変えようと、容赦のない夕日が差し込み始めた運転席のカーテンを広げて遮る。
パネルを見て、心配する必要のないエネルギー残量をチェックする。
左手でパネルを操作し、コンソール画面を呼び出し、荷台、そして商品の状態をチェック。
(問題なし)
平常時であれば起こるはずのない問題を確認するのは体に染み付いた習慣のようなもので、もはや治す事はできないし、出来たとしても治そうとは思っていなかった。
無意識にも等しい確認作業を終え、コンソール画面を閉じる前にエアコンを起動する。
(設定は10℃でいいか)
息を吹き返した動物のような音を大きく鳴らすと、エアコンは清音設計よろしく沈黙を運転席に返却した。
代わり映えなどしない砂まみれの荒野を確認する。対抗車線に見える車輌など、ここしばらくはいなかったので自分は道路のど真ん中を走らせていた。
もちろん、そんなことをすればシステムからの警告音が騒ぎっぱなしになるし、そんなのを役立たずのカーステ代わりにとBGMにする趣味も無い。何より、放置すればシステムが走行を停止させるので、色々いじくりまわしてシステムを停めた。その結果として自動運転が出来なくなったのはご愛嬌といったところである。
次の街まであとどれだけの距離だったろうかと思ったところで問題が起きた。
地図を確認するにはハンドルから両手を外さなくてはいけなかったのだ。
いい子ちゃんのシステムを停止させた際、音声入力とジェスチャー操作ができなくなり、不便極まりない。
トラックを停車させた後の再始動作業が面倒な事、なにより化石と言っても不足無いものにご執心の相棒は手伝う気持ちなど微塵も持っていない。もし持っていたらとんでもない事態で、明日には晴れ後槍の雨だろう。
「雨、降りやしないのにな」
寂しさか、それに近い感情に揺り動かされるように独り言をつい漏らしてしまうのは 、体に染み付いた習慣だった。
「雨なんか」
今度こそ独り言を聞かれてしまったようで、相棒から小さく返事をされた。
「降らない方が、いい」
それは、まるで老婆のようなしわがれた声で、とても耳障りだった。
「そうだな。雨なんか、降らない方がいい」
それ以上の返答は期待せず、むしろ遮るような勢いで相棒の言葉を肯定してやる。
ひひひ、といういかにも気味の悪い笑いをする相棒を尻目に作業を始める。
対抗車はもちろん、放置されたりしている物体(ここではなにがしらの死骸も物体として数えられる)もない事を視線を上げて安全確認。アクセルの踏み込みを少しばかり緩めてそのままキープ。
サスペンションが吸収するべき振動はやや大きく、今さらになって前の集落で修理すべきだったと後悔する。
(できれば、揺れないでほしいもんだが)
時の運に願いながら、ゆっくりとハンドルから手を離すと、急いで地図を呼び出す。
データの読み込みなど無いに等しく、現在地の呼び出し等々の作業は不要である。ただし、それは普通の場合においての話だ。
普通と呼ばれた頃がそれこそ神話のような扱いになった現在。
すなわち前提が前提として成立していない今は、不要が必要となっている。
すなわち手動で調整を行わなければならない。
骨董市で偶然みつけた座標受信機を休眠状態から起こして、現在地の数字を読み込ませる。
その間に天板からこれまた古い、スイッチ式の入力機を引っ張り出したところで 受信機が数字を吐き出したので即座に叩きこむ。
”崩壊”以前の、それもとっくに終わってしまったような形式のそれを使えるように噛ませた変換器のために、画面に反映されるのは鈍い。
(どうにかしたいもんだか)
実時間としては半秒にも満たない僅かな間であるのだが、指先が覚える感触としては許せない隙で、ささいな苛立ちを感じていた。
画面に数字が反映され、現在地が呼び出される。しかし、これで終わるはずもなかった。
道路群は機械達が維持するが、その周辺には見向きもされないので、考古学的な価値のあるはずの表示された地図は、脳内で更新しなければいけないのだった。
(次の集落の名前は・・・)
感電式の画面の地図を道路沿いに動かし、古代の都市が存在していた場所を探す。
大抵、人間が住めるのはそこ位なものなのだから。
(無事に荷物も捌けるといいのだがな)
そんな事を考えながら、男は諸々の道具を片付けて両手をハンドルの定位置に戻した。
かつては巨大な湖が広がり、国二つの食料を支えていたとされる都市は砂に埋もれようとしていた。
あらゆる技術は失われ、中身の無い、殻だけの都市。人間はしがみつくように、つぶれた中身を啜って生き長らえていた。
”崩壊”以前の事実を知る者は死んだ。伝える物体はなく、歌や口伝だけが、かつての栄光を教えているだけだった。
世界は、一巡りを終えてなお、滅びを続けていた。
「図書館ドラゴンは火をふかない」の作者、右さんとの会話で思い付いたネタをとりあえず形にしてみました。
5話程度で完結予定です。