一本目、新天地
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一週間ほどして片付けが終わった。終わったように見えてまだクローゼットには段ボールが積まれているが、今すぐに必要って言う訳でもないので放置されているだけだ。必要になったら直ぐに出そうと思っている。
この一週間で足を引き摺らなくなった。まだ杖は必要だが、もう片足が使えるようになったのは大きい。これでやっと親から送られてきた調理器具の鍋以外が活躍できる機会がやってきたのだ。片足を引きずってスーパーに行くのは正直疲れる。
ここ数日ずっとインスタントのラーメンだった。別に嫌いではないし、最近の物はかなり進歩していてなかなかの味だ。だが一週間三食ずっとラーメンは流石に飽きる。なんていっても二十一食ずっとラーメンだ。五袋セットの奴を四個とバラで一つ買った換算だ。
少し早いが学校を見に行きたいと片付けばかりしていたからお手軽な料理を選んでしまったという理由もある。
まあ実際は毎食料理を作らなくてはいけないと言う謎のプレッシャーにやられてしまったからだと思う。正直に言えば面倒くさかった。確かに節約もしなければいけないし、ずっとラーメンを食べているわけにもいかない。なので自分なりに制限を付けたのだ。インスタントラーメンに頼るのは片付けが終わるまで、と。
自分で健康にいい食事を作れる自信はないが、流石に野菜を食べなければいけないというのはわかるし、インスタントラーメンについてきたかやくに入っている野菜では栄養の摂取元足りえないというのも分かっている。もしかしたら科学の進歩で凄いことになっているのかもしれないが。
兎に角学校に行った帰りにスーパーに寄って買い物をして帰ろう。
まだ新しい学校の征服が届いていないのだが、前の学校の制服を着て行った方がいいのだろうか。
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電話して聞いてみたところ、私服でもいいそうだ。まあ前もって連絡したから特例で、と言う話だったが。
普段通りの私服ではさすがにマズいだろう。少しまともな服で行こうととっておきを引っ張り出す。
取って置きとはいってもVネックシャツにズボンと言う服装に一枚足しただけなのだが、この服装は前に大会で賞を取った時に監督たちがくれたものだ。各自千円を出し立っただけなのに、部員の多さが絡んでブランドのTシャツに変化したのだ。
申し訳ない気持ちになったのだが丁度僕の趣味ど真ん中だったのでもらってしまった。
赤いチェックのシャツ。こういった類の物はパっと見はわからない癖にピンからキリまであるのだが、このシャツは確か五万くらいする代物だったはずだ。僕が持っている私服の中で一番高い。
大会の日は必ず着て行ったし、元彼女に告白した時も着ていた。今すぐにでも忘れたい物事と、これからもずっと覚えていたい思い出が拮抗しているのだ。いくらあんなことがあったからとはいえ、捨てることは勿論の事、実家においてくることもできなかった。
シャツを羽織る。
このシャツは勝負シャツだ。勝負事で着て行った日に失敗したことはない。勿論今日も失敗せずに、このシャツは連勝記録を増やしていくのだろう。
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校内の窓口で名前を伝え、夏休み明けに転校してくる事と永田先生と言う方に許可をもらった事伝えたら新学期から僕の担任になると言う永田先生が出てきた。偶然僕の電話を取ったようだった。
軽く挨拶をし、夏季課題は無いのか、教科書等はどこで買えばいいのか、などと質問すると答えてくれた。転校してくるのも転校していくのも含め、慣れているようだ。
一応電話口で話してはいるが、改めて僕の体について説明する。説明するとは言っても「ドクターストップで運動ができない」の一言で終わるのだが。
感謝の言葉と九月からよろしくお願いします、と伝え、窓口から去る。
若干坂道が入った校門から外に出る。やはり慣れない人と話すのは緊張した。昔は得意な事だったのに、暫く他人と話さなければこんなものだ。
溜息を吐く。
校門の柱に寄りかかっている人がいた。
まるで墨のようにつややかな黒髪をセミロングに伸ばしていて、墨色との対比のようにまっしろな肌をしていた。ちょこんと乗っかった唇はわずかに朱がさしていて、杏子型の少しツンとした目でこちらを睨んできている。
比較的河ヶ華市より都会にあった僕の地元では見たことがないほどの美少女だ。睨んできてさえいなければ、と言う注釈はつくが。
「ねえ、あなた転校生?」
睨んだ瞳のまま問いかけてくる美少女A。美少女の時点でモブを表すAはいらないような気もする、なんて無駄な事を考えながら返事を返す。
「九月からだけどね」
今までに会った事のない美少女に緊張しているのもあるが、睨まれている以上少し声が強張る。
彼女は一度僕から目をそらすと、目をギュッと閉じ、少したってから開いた。
今度は睨みを利かせた目ではない。同情や憐れみの目でこちらを向く。
「ねえ転校生、いえ、桐島要元選手」
……こいつは僕の過去の事を知っている。
「仲間から逃げた時はどんな気分だった?」
悲しかったに決まっている。僕が悪いのだが、あの目は二度と忘れられそうにない。
「恋人にフラれた時は?」
あの時は消沈していて何も考えられてはいなかった。彼女は直に振ってきたのではなく、メールの一本で終わらせてきたから特に何もなかった。
喉が否定の音を上げようとする、が、強張って掠れた囁きしか出てこない。
この話は噂で聞いたとかそういったレベルではない。実際に見てきたかのように言ってきている。
「学校中にバラされてまた引き籠りたくなかったら」
これは悪魔の声だ。交渉もへったくれもない。餌だと――面白いおもちゃだとバレてしまっていた瞬間から、僕の逃げ場は無かった。
「私の言うことを聞きなさい。これはお願いじゃないわ、命令よ」
僕は逃げ出したはずだった。過去も未来もすべてを捨てて。
でも僕は出会ってしまった。僕の過去を知り、脅しをかけてくる女と。