一本目、新天地
僕は昔、彼女がいた。
昔とは言ってもたかだか数か月前だ。
ただその数か月前に僕は自分が持っているすべてを失った。色々と失った後に彼女まで、と言う訳だ。
彼女からしたら僕といる必要性すらも無くなってしまったのだろう。僕は一芸に秀でているだけで、それがなくなってしまったら彼女のアクセサリーにすらなれないのだ。
地震雷火事親父、などと言う天災の類ではなかった。と言うか天災の類であったならどれだけ良かっただろう。
端的に言うのであれば事故だった。死者はゼロ。怪我人は運転手と僕だけ。怪我人が少なかったのは不幸中の幸いだろう。巻き込まれたこっちからしたら不幸以外の何物でもないが。
まあ結果から言うと僕は車に撥ねられ、それに焦った車が左にハンドルを切った。スピードは止まらず街頭にぶつかってへし折り、それでも速度が落としきれなかったのか壁に激突し、やっと止まった。
車は止まったのだが、僕の不幸は撥ねられただけでは止まらなかった。へし折られた街頭が僕の足をぐちゃぐちゃにしたのだ。
その事故現場にいた人が通報してくれたのだろう、すぐに救急車が来たらしい。らしいというのは自分の足のスプラッタ具合を見て気絶してしまい、後で話を聞いたからなのだが。
病院では即手術だった。僕の足は切断されずに済んだ。無事に、や運よく、と言った言葉はつかない。僕の足は切断されずに済んだ、それだけだ。リハビリをがんばれば歩けるようになるらしいから日常生活には問題がない。その代わり運動ができない。
それなら僕はいっそ切断された方がよかった。僕の唯一と言っていい走る才能や趣味と言ったものがすべて足に集中していたのだ。
たとえば短距離走のタイムが少し早くなった時のあの感覚。
たとえば長距離マラソン後の達成感と足にたまる乳酸の感覚。
たとえばリレー終盤、自分で風を裂いていくあの感覚。
それが僕の全てだった。顔も平凡、学力も平凡、走る以外の全てが平凡。
僕、桐島要にはそれしかなかったのだ。
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僕は事故から半年で杖を使って歩けるようになった。
直ぐに疲れるし、片足はまだ引き摺っているが兎に角歩けるようにはなったのだ。
両足がほぼ直ったことがあったのだが、アニメや漫画でよくあるように実はもう走れるんじゃないかと一度走ろうとしたことがあった。
まあ直後にまた怪我がぶり返してしまったのだが。
僕が事故にあったのは大きな大会の前だった。しかもその大会はリレー形式のマラソンで、僕はアンカーだった。
事故で入院したため急遽入れ替え、大会に臨んだそうだ。結果は惨敗。勝負事なので僕が無事だったら負けなかったかも、なんてことは言えないが、もしかしたら勝てていたかもしれない、と言う事実が僕の心を苛んだ。
やはり陸上部の仲間もそう思っていたらしく、僕を見舞いに来た彼らの目がそう告げていた。
高校一年生の時点でいくつかの大学から勧誘されていたのだが、今回の怪我の件で先方から拒否の電話がかかってきた。
僕は本当にすべてを失った。未来も健康も友人も何もかも。
そして僕は地元から出ていくことに決めた。いても悲しくなるだけだし、このまま引き籠ってしまう気しかしなかった。
丁度季節はもうすぐ夏休み。学校には届け出も出したし、家族も賛同してくれた。仕事がある為一人暮らしになってしまったが、歩けさえすれば生活には問題ないだろう。
僕がこれからすることは夏休み中に僕の事を知らない土地へ引っ越して、何食わぬ顔で生活し、夏休み後に転校し、馴染むことだ。
要するに僕は逃げ出したのだ。過去と未来の全てから。
誰も僕の事を知らない。そんな土地へ。