作家志望と女児の夢
二十歳の私へ
まず最初に、はっきり申し上げておきたいことがあります。あなたには、小説家になる適性がありません。冷たく聞こえるかもしれませんが、これは感情に任せた決めつけではなく、長い年月を経た末に私がたどり着いた、ひとつの結論です。適性がないことは、残念ながら続きません。そして、これまで何ひとつ結果を残していないという現状が、そのことを静かに、しかし十分に証明しています。
ここでいう「結果」とは、なにか大きな賞を獲るような、立派すぎる話ではありません。また、短編を一本完成させなさい、などという要求でもありません。本来であれば、その前段階として、まず一文字でも書いているはずなのです。一文字でも書いたか?それが結果です。書くことが本当に向いている人は、理由を探すより先に、手が動いてしまうものです。気がつけば書いている。書かずにはいられない。そうした自然さがあるはずです。けれど、あなたは違いました。書いていない。だからこそ、私は申し上げているのです。そこに適性はなかったのだ、と。
実りある人生を送りたいのであれば、どうか間違った夢を見続けないでください。そもそも、その夢は勘違いだったのです。小学生の「将来なりたい職業ランキング」を思い出してみてください。お花屋さんになりたい、ケーキ屋さんになりたい、そうした願いと、あなたのそれは、根っこの部分では同じでした。男の子であれば、ゲームプログラマーなども同じ部類でしょう。花が好き、ケーキが好き、ゲームが好き。その「好き」という一点だけをもって、将来の職業へとつなげている。読書家であるあなたも、まったく同じ理屈で作家になりたがっていたのです。あまりにも強引ではありませんか。
しかも、その強引さは、年齢が上がるにつれて自然に消えていくはずのものでした。対象年齢が上がっていけば、「花屋になりたい」という言葉はいつしか口にしなくなります。誰もが、少しずつ現実を知るからです。もちろん、花屋という仕事を馬鹿にしたいわけではありません。それを夢見る女児を、愚かだと言いたいわけでもありません。ただ、二十歳にもなって、なお同じように夢を信じているあなたは、どうにも見苦しい。失礼ながら、馬鹿だと言わざるを得ません。高校生活、大学生活、その夢を抱き続けてしまったせいで、どれほど多くの機会を見過ごしたことでしょう。おそらく、あなたはその機会の存在にすら気づいていないのです。なんとも惨めなことです。
そして今、就職活動の時期。周囲に合わせて、なんとなく会社説明会に参加しているあなたは、どうしてそんなにぼんやりしていられるのでしょうか。本来であれば、あなたはもう作家になっているはずだ、と、まだ心のどこかで思っているからでしょう。自分で言うのもつらい話ですが、それは狂気です。正気の沙汰ではありません。やるべきことは山ほどあるのに、いざ体を動かす段になると、「夢」を言い訳にして、結局なにもせずに終わる。そういう逃げ方を、あなたは繰り返してきたのです。
私は動けない身体になってから、愚かにもようやく夢から覚めました。その時には、もう遅かったのです。私は、自分のこれまでの人生がたまらなく嫌になりました。ですから、未来ある君へ。どうか、自分を「夢」に逃げ込ませるのをやめてください。明日から、そうしてください。できることなら、今晩にでも、これまでの人生を静かに省みてください。私の言っていることは、別段、特別なことではありません。むしろ、あまりに当たり前のことです。私は昔、気がつくと本を読んでいる若者でした。ありふれた読書家でした。それ以上でも、それ以下でもありません。
だからこそ、読書が好きだからといって、書くことができるとは限らないのです。好きであることと、続けられることは違います。憧れと適性も、同じではありません。あなたにはその区別がまだ曖昧なのです。どうかそれを、若さの特権などと思わないでください。
夢を捨てろ、とは申しません。ただ、夢に逃げないでください。現実のなかで、自分にできることを見つけてください。書けないのなら、書けないなりの道を行ってください。続かないものを才能だと勘違いしないでください。女児の抱く花屋への夢、もうよろしいでしょう。




