一天地六
月曜の朝の通勤列車。車内の大半の人間は憂鬱な表情だ。その中でも一際暗い表情を浮かべる男が居た。この世の終わりのような悲壮感を醸し出し、その空気を察して男の両隣には誰も座らない。
どこで間違えたんだ。
男は頭の中で過去を振り返る。
小学校時代、コンビニすらないド田舎で暮らしていた。
隣に居るのはいつも同じ顔。親友と呼べる男子と可愛らしい兎のミュータントの女子。たまに祖父が修行と称ししごかれもしたが今となってはいい思い出だ。その2人以外は同世代の子供は居ない。彼らと陽が暮れるまで遊んだあの日々が最高の思い出だ。
中学校に上がる頃、少女は故郷へ去り親友と自分だけが残された。彼女が去った寂しさを埋めるように、親友と過ごす時間は増えたていった。
そんな日々の中、卒業が迫った頃、突然祖父が死んだ。親友は祖父の葬式に出ることもなく、卒業式を待たずにどこかへ消えた。
孤独になった少年は高校生になり、少し離れた町での新生活を始めた。孤独を埋めるため、新たな友人を作ろうと奮闘した。知り合いが1人も居ない環境でなんとかしようと道化を演じたりもした。
そんな中で自分と同じ、孤独なミュータントの同級生が目に入る。だが自分の事に必死でクラスの違う彼を気に掛けることはしなかった。ただの同級生それだけの関係だった。
そんな日々を過ごす中、彼がいじめの対象になっていると知ったのは全てが終わってからだった。クラスメイトも教師すらも、誰も彼のことを語らない。まるでミュータントが居ないことは当然のかのように、誰も彼が退学したという事象に興味すら持たなかった。
男は怒りと疑問が同時に沸いた。だがその答えを誰かに聞くこともしなかった。高校生活で彼が学んだのは同調という新たなコミュニケーションだった。
男はその時に誓ったのだ。ミュータントを、社会からはじき出されるような存在を次こそは守るのだ。
そうして成長した男は警官になった。大学を出てエリートコースと呼ばれる道へ続くレールは敷かれた。己の正義を全うすべく、その華々しい一歩を踏み出したはずだった。だが現実は男の想像と違った。ミュータントは守るべき存在ではなかった。警察官になり、日々犯人を追う。そのほとんどはミュータントだった。男は現実を否定するように、必死にミュータントが犯人ではない証拠を探す。そうして時間をかけて調べる程、彼らの悲し過去と、彼らが犯人であることを示す証拠を掘り起こす。
犯人がほとんど固まっていても粗を探すように細かな矛盾を指摘する男の行動は、素早い初動捜査を行いたい警察にとって厄介な存在になっていく。
結果も残せない男に出された辞令は降格だった。それでも男は信念を曲げない。交番勤務になっても彼らに手を伸ばそう。そんな思いで日々職務を全うした。
そんな男に最大の転機、いや最大の転落が訪れた。
コンビニで傷害事件が発生。
男は連絡を受け急いで現場に駆け付ける。ボロボロになったカウンター。大げさに痛がる店員。周囲に聞き取りを行えば口を揃えて、犯人は鹿のミュータントだという言葉が告げられる。
男の心はボロボロになった。守るべき存在が起こした犯罪行為に男の信念は、もういつ崩れてもおかしくなかった。
事件を録画したという目撃者がスマホの映像を見せてくる。
そこに映っていたのは客であるミュータントに汚い言葉をぶつける店員の姿だった。撮影者はそれを半笑いで撮影している。モラルが完全に消え去った空間で、遂にミュータントの怒りが爆発する。
カウンターからものすごい音が響き、カメラはブレ、店内には悲鳴が響く。ミュータントは自分の行動に怯えたように逃げ去っていった。
「やっぱりミュータントって凶暴ですよね?全員早く檻にぶち込んで下さいよ」
笑いながらそう語り掛けてくる目撃者の言葉がやけに耳障りだった。
なんでこいつらは笑っているんだ?
犯人は逃げた?犯人とは誰だ?お前らか?お前らこそ本当の悪ではないのか?
ならなぜこいつらを逮捕できない?
男の頭の中に数多の疑問が生じる。
「おい!早く救急車を呼んでくれ!痛くてたまんねえだよ!」
怒鳴りつけるような被害者の声。男は全てに絶望した表情で拳を握り、被害者に向かって歩みを進めていた。
人生をフラッシュバックするように男の頭の中にはこれまでの出来事が蘇る。
後悔ばかりの人生に、どこからやり直せば幸福になれるかを考える。だがやはり一番の後悔はあの男を殴れなかったことだろう。今思い出しても腹が立つが、あの男が死んだと聞いた時には、不謹慎ながら胸がすいた。
少しだけ気分が晴れた所で、電車は止まり目的の駅に到着する。降りるのは男だけ。乗り込む人物も居ない。そんな電車から降りていく男の背中に無数の視線が突き刺さる。
毎日こんな思いで駅を降りるのか。
ガランとした構内に1人取り残された男は、まるで異世界に来たような感覚に捉われながら、背中を丸めて歩き出すしかなかった。
何もない山の中。一つ一つが無駄に大きい建物が並ぶ。その中でも一際大きく、古い民家の縁側で権兵衛は寝っ転がって空を眺める。外から自分を呼ぶ声がして、今となっては無駄になった開けっ放しの門から外へ出る。1組の男女がそこに居る。体は大人なのに顔付は少年と少女というちぐはぐな2人。後ろを振り向けば老人が門の上からこちらを見下ろす。その瞬間、権兵衛はこれが夢だと理解して、目が覚める。
「最低な朝だ…。」
起きた瞬間に不快感はない。だが夢の内容を思い出すと不快感が沸き上がるな。1人で寝ると高確率で見るこの夢は権兵衛を苦しめる。こんな夢を見るくらいなら、今まで殺した人間の断末魔を聞かされ続ける方がまだマシだ。
俺はまだ幸せになろうとしているのか。
夢で見るこの時間は確かに幸福な時間だった。この少年時代がずっと続いてほしかった。それを自覚しているからこそ、恒久的な幸せを望む自分が居るのではないか。そんな気分にさせる過去の夢だけは嫌いだった。
刹那的な快楽。それこそいつ死ぬかわからない自分には相応しい。だから結婚しないしも子供もいらない。自分が死んだときには誰も悲しまない、そんな最後こそ自分の望む幸福だ。そう自分に何度も言い聞かせる。
権兵衛の部屋には家具がほとんどない。大きなマットレスが置かれそこにシーツと布団が敷かれている。あとはタンスが1つだけ。食器すら部屋にはない。唯一、文明的と言えるのは壁に掛けられた古い時計だけだ。ここが自分の家という認識はない。1人で寝るしかない時に来る、孤独を味わう場所だ。
枕元にある酒瓶を手に取り逆さにするが中身は空だった。仕方なく空き瓶に水道の水を入れて一口飲む。マズいと自覚しながらも、この男が水に金をかけるはずもない。水道水で喉の渇きを軽く潤す。タンスの中から数着あるうちの一着を手に、手早く着替えをすれば部屋を出る。次に帰ってくるのはいつなのか、それは権兵衛にもわからない。
夢の内容を酒で忘れるため栄落へと向かう。あまり人に会いたくないので普段は使わない道を使う。コンクリートの外壁が並ぶ、楽園の工業地帯に近い場所だ。機械音が鳴り響き、中では衣料品や簡単な日用品を作っている。ミュータント用の服などはオーダーメイドしかないので自分で作った方が早いのだ。権兵衛の着る服もここで作られたものだ。最短の道筋ではないが、日中は中で作業をしているので人通りはほとんどない。
誰にも会わず栄落に到着すれば、珍しく店内は静かで客は少ない。良いタイミングで来れたことを幸運に思いながら席に着けば、近くを歩く店員に酒を注文する。指で机をリズミカルに叩き酒が来るのを待っていると、珍しく表に出ていた趙が権兵衛に近寄り声を掛ける。
「もう案内は終わったんですか?」
「は?何の案内だよ。俺は無料案内所の仕事なんか受けてないぞ。」
風俗街でのバイトを受けた記憶もない権兵衛は、見に覚えのない話をする趙よりも、酒を持って来た店員に興味を示す。席から立ち上がりトレイに乗せられた酒を奪い取り一気に飲み干す。
「かっー!やっぱり朝から飲む酒は上手いな。次はどうすっかな。飯を食って一杯やるか、労働者を肴に一杯やるか。」
「今日でしたよね?交番に新人が入るから案内しろって話。」
最低な発言をして、次の予定を考えていた権兵衛の動きが止まる。そして先週、新之助とした会話が脳裏によぎる。
「この前言ってた新人だが、来週赴任予定だ。」
「あー。そういやそんな話もしたな。本当に使えるのか?」
新之助から話があると言われ、いつもの場所に集まった3人。仕事で呼び出されたわけではないことを知り、権兵衛は不機嫌そうに返す。
「使えるかどうかは知らんが能力自体はあるはずだぞ。」
「おいおい、煮え切らねえ答えはやめてくれよ。命を預ける関係になるんだぞ。半端なヤツ寄こされて困るのは俺なんだよ。」
「今回ばかりは権兵衛さんに賛成ですね。最悪、警察官を一人消すことになるかもしれませんからね。」
裏稼業に新人を、しかも会ったこともない人間を引き込むリスクを恐れ、趙は権兵衛に同調し拒否反応を示す。
「あー大丈夫だ、と思う。保証…はしないがそん時は俺も手伝ってやるよ。」
「まぁ…そこまで言うなら俺は問題ないぜ。」
「2対1ですか。多数決が原則なら、反論しても意味はありませね。」
楽天的に答える新之助だが、今回は自分もリスクを背負うことに同意する。蝶は最後まで渋ったが、もうこの話に興味のない権兵衛は、適当な返事をしこの場をお開きにしようとする。
「来週の月曜、8時には交番に着いて、なんやかんや9時頃には準備も終わるだろう。案内は、権兵衛お前さんに任せるぞ。」
「はぁ?なんで俺がやんなきゃなんねえんだよ。あんたが連れてくるんだ。あんたがやるのが筋だろ。」
「俺が平日の日中抜けれるわけねえだろ!お前も賛成したんだから頼むよ。」
「まさかタダでやらせるつもりじゃねえよな?」
「ケチな野郎だな!趙さん、こいつに酒と飯出してやれ。俺が支払うからよ。」
権兵衛はタダ飯にありつけ来た甲斐があったと喜び、普段は頼まない高い注文をして新之助を困らせるのだった。
安請負したことをようやく思い出すと権兵衛は勘定も払わず、すぐに店から飛び出す。出る直前、店の時計に目を向けると針は11時をとうに過ぎていた。交番に向かて走る権兵衛の頭の中で、狸姿の新之助が終わらない小言を繰り出し続ける。
午前中ならセーフだ。まだ間に合う。
そう自分に言い聞かせ、全力で走り交番に到着する。
民家と一体化した交番。己が役割を示すPOLICEの看板は、LとIの二文字が2階の窓に引っ掛かり少し曲がって設置されていた。看板よりも色褪せた外壁は、この場所が交番としての役割よりも民家として過ごした時間の方が長いことを示す。
中から箒を掃く音が聞こえ、まだ中の人物が準備を整えていないことを示していると勝手に解釈する。だが正解はやることが無くなりただ奥から引っ張り出した箒で宗司をする振りをしているだけだった。
権兵衛は息を整え、額の汗を拭って交番のガラス戸をノックする。
「おう、新人さん。楽園の案内人が来てやったぜ。」
白うさぎ気取りの三月兎は仰々しく頭を下げて気取った挨拶をする。視線を上げたその瞬間、くたびれた様子の警官は箒を床に落とし、こちらの顔を見て固まってしまう。それは権兵衛も同じだった。
「お前…業…だよな…生きてたのか…?」
「宗司……暗灯…宗司…なのか……。」
喜びと輝かしい思い出が、お互いの脳を刺激し時間を止める。もう会えないと思っていた。2人の考えはその瞬間、真逆の思考に支配される。
「よかった…生きててくれてよかった。」
宗司は友人の手を取り、その暖かさで幽霊ではないことを確認し、手を強く握る。権兵衛はその手を振り払こともできない。思考が捨てたはずの過去に囚われる。腕だけではない、全身に力が入らない。
目の前で涙を流し喜ぶ旧友が握った手を何度も振れば、放心状態だった権兵衛はなんとか現実に心を引き戻される。ハッと我に返れば気恥ずかしくなり素早く手を払い、周囲に人が居ないことを確認する。
「と、とりあえず中で話そうぜ。ここじゃ人目もあるしな。」
動揺は隠しきれず誰も居ないのに人の目を気にして中へと入る。中に入ってから、もう一度周囲を伺い交番の戸を閉める。焦って閉めた古いガラス戸からは、割れてもおかしくないほど大きな音が鳴り交番に響き渡る。
「本当に久しぶりだなぁ…。でも一目見てわかったぜ。今まで何やってたんだよ。」
潤んだ瞳で訪ねる旧友に、どう返せばいいかもわからずただ黙り込む。こんな感覚は久しぶりで、動揺を隠しきれぬまま埃のかぶった椅子に座ってしまう。
成長した旧友に当時の面影を重ね、懐かしい気持ちを抑え込み返すべき言葉を必死に探す。
元気そうでよかったよ。急に居なくなって悪かった。お互い老けたな。お前が警察官になってるなんて驚きだ。
頭の中で言いたい言葉が溢れ出す。だがどの言葉も口には出せない。最後に出る言葉は全て同じ答えに収束する。
どうしてお前なんだ。




