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味のないガム-4

「不思議な場所だ。みんな笑ってる。」

「マネキンじゃねえんだ。楽しければ笑うさ。それよりあんま目合わせんなよ。」

明るくなった通りにはミュータントが堂々と歩き、時にはミュータントと人間が笑い合って会話をしていた。まるで異世界に来たような感覚に陥った鹿助だったが、見慣れている権兵衛の反応は冷ややかだ。むしろ面倒なのが居やがると言いたげな表情を浮かべ、下を向き早足で進む。

「いい服着てるじゃない。どっかいいとこで働いてるの。」「最近店に来ないと思ったら男に乗り換えたのね。」「権兵衛、新入り連れてるなら私達に挨拶が先だろ。」

「うるせえ、うるせえ、うるせえ。社会科見学だ。見せもんじゃねえから散れ散れ。」

姦しい声で話しかけられれば、権兵衛は顔も向けず追い払うように手を振る。

「あいつらは暇人だから新しい話のネタが欲しいんだよ。捕まると面倒だから早く行くぞ。」

素直に返事をしようとしていた鹿助に軽く肘を入れ、権兵衛は歩くペースをさらに上げる。後ろからは勝手な憶測で盛り上がる会話が聞こえるが、それを無視して前へと進む。

「三人集まれば姦しいって言うけどな、あれはやかましいの部類なんだよ。真面目に答えてたら一時間は捕まるぞ。」

そのやり取りを見て、鹿助が小さく笑う。

「なにもおかしくねえぞ、あれがここじゃ普通なんだ。」

「そうなのか。これが普通なのか。」

感慨深そうに、だが楽しそうに呟く鹿助を見て、権兵衛は少しだけ嬉しそうに笑う。だが今後の境遇を考え複雑な、心持ちになり聞こえないほど小さなため息を吐いて正面を向き直す。


栄落に到着すれば正面から店内に入る。14時を過ぎた辺りだが、店の中は朝よりも賑わいがあった。

「なんで勝手に電話切るんですか。一方的に切るのやめろっていっつも言ってますよね。」

「そのうち覚えるから今度また言ってくれ。二階は空いてるよな。ほらこっちだ。」

店に入ればすぐに小春が詰め寄り、幾度も注意したであろう言葉を再び浴びせる。その言葉を再び右から左へ受け流し、鹿助を連れて勝手に階段を上がろうとする。

「えぇ、構いませんよ。小春、お客様の前ですからそれくらいにね。メニューと水を頼みますよ。」

小春はさらに強い言葉を使おうとするが、いつの間にか近くに来ていた趙が小春の肩を掴みそれを収める。趙が先導し2階にある扉を開けて部屋に招き入れれば外から扉を閉める。個室の窓からは店の正面の入り口を見下ろせる。部屋の中の防音性は高く、外からの音は多少聞こえる造りではあったが、車はほとんど通らない。先ほどの大衆食堂のような空間とは違う、静かで落ち着いた空間だった。

「親父さんが来ることになってるが俺達は顔もわからねえ。悪いがちょくちょく外を見て確認してくれや。俺は、ちょっと便所に行ってくる。」

権兵衛は鹿助を窓際の席へ誘導し、股間を抑えて一人部屋を出る。部屋の外で静かに立っていた趙は権兵衛と足音をピタリと合わせてその後ろを歩く。足音が重なり一つに聞こえ、耳のいいミュータントにも気づかれない、不気味な歩行方法だ。

「新さんには連絡してあります。どこの署に連れていくかは後から連絡するとの事です。」

「それでいいよ。あと新さんに被害者の情報、聞いといてくれるか。念のためな」

「わかりました。」

被害者の情報を聞くことに何の疑問も持たず、必要最低限の会話を終えて趙は店の奥に消える。権兵衛はトイレには向かわず、水とメニューを受け取り少し時間を空けて個室へと戻る。扉が開く音に反応しこちらを見る鹿助の顔は、先ほどまでと違い穏やかな表情に変わっていた。

「いい顔になったな。落ち着いたみたいで安心したよ。」

「そうですね。まだ複雑な気分ですが大分落ち着いてきました。色々ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。」

「急に敬語は勘弁してくれ。」

「自分はこっちの方が慣れてるんです。両親以外とはあまり砕けた喋り方をしたことがなかったので。」

その言葉だけで鹿助がどれだけ人を避けて生きていたのかを感じる。敬語は丁寧で落ち着いた印象を与えるためのものではない。相手との距離感を縮めない、一定以上踏み込まない喋り方だ。目の前の男はずっと誰とも距離を縮めず、孤独に生き抜いてきたのだ。

「俺はさっきまでの喋り方の方が好きだけどな。背中が痒くなるんだ。」

「すいません。でも癖になっちゃってるので、いきなりは難しいですね。」

それを聞きここからは先は押し問答になると、考え諦めてメニューを手渡す。中身は全て中華料理だが、種族によってページが分かれている、配慮の行き届いたメニューを見て鹿助は目を輝かせる。

「あんま、外食とかしなかった感じか。」

「出来る場所がありませんからね。臭いが強いのが苦手なんですよね。最近はアレルギーへの配慮はされてるんですけど、ミュータントに配慮するって店は…まあわかってはいるんですけど。」

「その辺は心配すんな。ここで何十年も店開いてんだ。大体わかってるさ。」

「本当ですか。でも…名前だけ見てもわからないんですよね。これってなんですか。」

その質問はまともな注文をしたことのない権兵衛には答えようがない。仕方なく席を立てば、階段で待機している小春を手招きし部屋に入れる。

「おう、お前の店のメニューがわかりづらいから教えてくれってよ。」

「そんなこと言ってませんよ。すいません、自分の勉強不足で…申し訳ありませんがよろしくお願いします。」

「任せて下さい!何でも聞いてくれて構いませんよ!」

この場所でほとんど聞くことのなかった、丁寧な対応や言葉遣いに感動した小春は、張り切って鹿助の質問にすべて答えていく。

「俺の時もそれくらい丁寧にやってくれていいぞ。」

それを見ていた権兵衛が茶化すように言葉を挟めば、鋭い視線だけ向けて再び鹿助の質問に笑顔で答えていく。

「丁寧に教えてくれてありがとうございます。それじゃあ私はそれにしますね。」

「俺は肉と酒。酒は弱くてもいいけど高いやつな。」

ようやく鹿助が注文を決めれば、権兵衛はいつも通り横暴な注文をする。小春は丁寧に書かれた注文の下にバカと二文字だけ書いて、鹿助にだけ向けて深いお辞儀をして部屋を出て行く。

「あいつちゃんと接客できたんだな。」

始めてみる丁寧な対応に驚きを隠せずそう呟くが、それが自分に告げられたものとは気づいてはいない。鹿助はそれに気づいているが敢えて何も言わず、再び道路に視線を向け家族を探し始める。

「知らない場所は落ち着かないか。それとも親父さんが怖いのか。」

小刻みに足を震わせる鹿助を見て尋ねる。

「そうですね…父は怖いです。でも怒られるのが怖いとかじゃないんです。どちらかと言えば…。」

「捨てられるのが怖いか。」

「それは…ないと思います。それならとっくの昔に捨てられてますから。自分は…泣かれるのが怖いですね。」

その言葉がピンと来ない権兵衛は、素直によくわかんねえやと返す。

「そうですか。親に泣かれると、心が締め付けられて、怒られるよりもずっと嫌だと思うんですけど。」

「俺は親父の顔も見た事ねえし、お袋はガキの時に死んだからな。その辺はよくわかんないんだよ。」

「すいません。踏み込みすぎました。」

「踏み込んでねえし話を振ったのは俺だ。気にすんなよ。」

その言葉通り、権兵衛は気にする素振りを見せずただ机に突っ伏して扉を見つめている。そう言われても鹿助にとっては気まずく、再び道路に視線を向ける。そうして父を待ち続ければタクシーが店の前に止まる。

「父さんが来ました。」

熟年の男性がタクシーを降りるのを見て席から立ち上がる。

「俺が行くから座って待ってな。」

部屋を出ようとする鹿助を静止し、権兵衛は部屋を出て店の入り口に向かう。

「鹿助が待ってるよ。着いてきな。」

誰であろうと関係ない、砕けた言葉遣いで初対面の男に話しかける。鹿助の父親はその言葉を聞いて頭を下げようとするが、権兵衛はここじゃ目立つと下がりそうな頭を抑え、礼を受け取らず鹿助の元へと案内する。

個室で二人が対面すれば、鹿助の想像した通り父親は目に涙を滲ませる。鹿助は父の肩を抱いて何度も謝り、権兵衛はどうすればいいかわからず扉の前で棒立ちするしかなかった。

「息子がご迷惑をお掛けしました。」

そう言って今度こそ父親が頭を下げれば、それに続いて鹿助も頭を下げる。こういった状況に慣れていない権兵衛はやめて欲しくてたまらないのだが、親子の平謝りは続く。戸惑いながらもうやめてくれと言い続けるしかできない。そんな奇妙な空間に、趙が料理を手にして部屋に入る。

「出直してきましょうか?」

「いや、むしろ最高だ。ほら、飯が出来たんだ、冷める前に食おうぜ。」

状況が読み込めない趙だったが、権兵衛にとってはこの時間が終わる最高のタイミングだった。まだ誤り足りない2人だったが、趙が料理を机に並べ始めるのを見れば、素直に座るしかなくなる。

「お父様は何か食べられますか。」

「結構です。」

料理を権兵衛と鹿助の前に置き、趙がそう尋ねれば、今は何も喉を通りそうにないという表情をして、絞り出したような声でそう返す。

食事を始めた権兵衛に対して、鹿助は初めての外食に感動し固まって動かない。

「ほら、早く食え。冷めちまうぞ。」

権兵衛は無遠慮に料理を箸で指して指示を出すが動かない。

「冷めてしまうよ。いただきなさい。」

父親がそう告げれば、ようやく我に返り食事を始める。始めて食べる外食。それを美味しそうに笑顔でする息子を見て、父親は悔しさと喜びの混じった複雑な表情で見る。

権兵衛は顔を向けず視線だけでちらりと、2人のやり取りを見ながら食事を続ける。

「ごちそうさまでした。」

皿を空にした鹿助は、最後にコップに入った水を飲んで静かにテーブルに置いて趙に対して頭を下げる。先に食事を終えた権兵衛は、酒を飲み干し半分に減った酒瓶を傾け追加の酒を注ぐ。

「ご満足いただけたようで何よりです。それでこの後の話ですが…。」

「自首します。」

二人の食事を終えるのを待っていた趙が話を切り出そうとする。その言葉に被せるように鹿助は覚悟を決めそう告げる。

鹿助は覚悟を決めた力強い眼差しを父親に向けるが、向けられた当人は目に涙を浮かべ暗い表情を見せないよう俯き、そうかと小さく呟くしかなった。賛成も、反対も、今は出来る心境ではなかった。

「そう言っていただけて助かります。迎えも来ています。ミュータントだからと無下に扱う人間ではありません。安心して下さい。」

「ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしました。」

「料理、とても美味しかったです。権兵衛さんもありがとうございました。」

趙に対して深々と頭を下げ、丸めてポケットに入れていたネクタイを締めスーツを直して席を立つ。

父親にも何か声を掛けようとするが、俯き泣くのを我慢している姿を見て言葉が出ず隣に座る権兵衛に声を掛ける。

「あぁ…なんだ…あっちでも達者でな。」

「なんですかそれ。もうちょっとなんかないんですか。」

「俺にそういうの求めるんじゃねえよ。まあ、なんだ。出てきたらまた一緒に飯食おうぜ。今度はお前の奢りでな。」

堅苦しい別れ方を嫌う権兵衛は酒の入ったコップに口を付けながら軽い口調で答える。その姿は声を出さず泣く父親とは対照的で、鹿助の心も少しだけ軽くなる。

「裏に車を回してあります。案内しますよ。」

趙が扉を開ければ、鹿助は最後にもう一度、深く頭を下げて部屋を出て行く。父は遠ざかる息子の背中に何かを言おうとするが言葉は出せない。去っていく息子をただ黙って見送り、部屋には権兵衛と鹿助の父親だけが残され、すすり泣く声だけが部屋に響く。

「酒はいける口か。」

そう聞きながら、答えも聞かず鹿助が使ったコップに酒を注ぐ。

「私が間違っていたんでしょうか。」

注がれた酒を半分ほど一気に飲み喉を焼かれながら、父親はぽつりぽつりと話を始める。

「私はあの子がミュータントになった時、家内に内緒でどこかの孤児院に捨ててこようと考えたんです。あの頃はもっと風当たりが強かったし、ミュータントの家族というだけで口さがないことを言う人間も多かった。私は弱い人間ですから、後ろ指を指されて生きるのに耐えられなかった。でも家内は違った。何か言われれば言い返す、気丈な女でね、そんな家内を見て私が弱気になってどうするって、覚悟を決めてあの子を育てることにしたんです。」

残った酒を飲み干しせば、権兵衛は相槌の代わりに空になったコップに酒を注ぐ。

「あいつが外でどんな思いで過ごしているか、なんとなくは察していたんです。でも鹿助は賢く、私にはもったいないくらい、素晴らしい子供に育ってくれた。だからいつかみんなにもあいつの良さがわかってもらえるって、私達はそう信じてたんです。いっつも暗い顔で帰ってくるあいつを励まして、一緒に頑張ろうってそうやって成長して、大学を出て、就職した時に、ようやくあいつが社会に認められたんだって。少しだけ満足気だった。」

「自慢してもいいと思うぜ。今どき大学を出てるミュータントなんてほんの一握りだろうからな。」

「それはあいつが頑張ったからです。私は何もしていない。だからこそあんな事になって後悔するばかりだった。電話が来た時だってそうです。しかるべきか、謝るべきか、何を話せばいいかわからなくて、だが家内の手前黙ってるわけにもいかず、名前を呼ぶことしか出来なかった。正直電話口であなたの声を聞いた時、少しだけホッとしたんです。直接会えば何か言えるかと思ったんですが、結局何も話せなかった。」

後悔を滲ませ拳を握る。まだ空になっていないグラスに酒を注がれれば、グイっと酒を飲み干す。顔が少し赤くなった気がするが、それは酒のせいか、不甲斐ない自分に対しての怒りなのか、本人にもわかっていない。

「そんなあいつが、最後に笑っていた。見知らぬ人間を前にですよ。そして確信しました。あの子を追い詰めたのは私のエゴだと。真面目に生きるミュータントだって居る。ミュータントは何も怖くない。周りの人間もいつかはそれをわかってくれる。そう信じていたのに、結局、誰もあいつを知ろうとしなかった。それは私も同じだ。あいつの苦労を私は見ていなかった。間違えたのは私なのに、罰を受けるのはあの子だけだ。」

「あいつを追い詰めたのはあんたじゃねえだろ。もし誰かがあいつを追い詰めたって言うなら…それは社会ってやつなんじゃねえのか?」

「社会ですか…。社会の風当たりが強いなら、なおさらだ。私はあの子をそんな場所で育てるべきじゃなかったんです。こういったミュータントに寛容な場所に連れて行くべきだったんです。そうすればもっと穏やかに過ごせていたはずです。事実、ここの人達は笑って過ごせている。それが何よりの証拠だ。私の間違った選択があの子を追い詰めたんですよ。」

「悪かったって、俺が飲ませすぎたんだな。あんたは立派な父親だよ。だからあんま気にすんなって。あんたも鹿助もなんも悪くないんだ。いや悪かったかもしれねえけどよ。気にしすぎんなって。」

鹿助に対して思っていた全ての後悔を吐露し、顔を覆って泣き出す。権兵衛は父親とは別ベクトルで後悔し、慰めの言葉を並べる。

「俺が言ってもあんま意味がねえかもしれねえがな、あんたのやったことは何も間違っちゃいない。確かにここは、ミュータントにとっては優しい場所だ。だけどよ、なんていうかな。味のないガムを噛み続けるっていうか…あーちょっと待っとけいま考えるから。」

権兵衛は慰めようと言葉を並べるが、上手く言語化出来ない。天井を見上げ必死に自分の答えを出そうと考える。

「ようするにここは沼なんだ。ただ沈んで死ぬのを待つだけだ。本当はそこから這い出して、辛くても前に進まなきゃいけなんだ。だけど似たような奴らが集まって、周りもそうしてるから何もしない。もちろん俺だってそんな人間だ。だからそういう奴らには居心地はいいし、それが悪いってわけじゃないだぜ。」

目の前の男以外に聞かせるつもりもないのだが、ここには居ない住民と、自分に対しての言い訳もきちんと入れる。

「あんたがやったことは…そうだな、いばらの道をコンクリートで舗装して歩かせるような行為だ。そりゃ体は傷だらけになる。だけどその道だって誰かが行かなきゃいけない道だと思うぜ。本当に辛い道だが、進まなければ何も変わらない。確かに今回は失敗したかもしれねえけど、失敗したことは重要じゃないだろ。あんたなりに答えを出して、その道を示した。それを失敗だって思っちゃいけないんだよ。」

らしくないことを言ったと後悔し、権兵衛は顔を赤くし酒を飲んで誤魔化す。鹿助の父親はその言葉を聞いて、涙を流して感謝を何度も述べる。

その行動は権兵衛の照れ臭さを余計に増幅させ、酒瓶に手を伸ばすが既に中身は空になり水滴が落ちるだけだ。

仕方なく席を立ち酒の追加を頼もうと外に出る。そこで開いたドアの陰に居た、小春を見て権兵衛の表情がギョッとする。

「まさか…聞いてたのか。」

「えぇ。扉が少し開いてたので聞こえました。すごくいい話でしたよ。私感動しちゃいました。」

小春が涙を拭う動きをして、茶化せば権兵衛の耳が少し赤くなる。

「講演料代わりに酒持ってこい。一番高いやつだぞ。」

「今の話、趙さんにも聞かせたいので録音させてくれたらいいですよ。」

「いいから早く持ってこい。」

「セクハラですよ。」

小春の尻をぺちんと叩き、催促すれば小春が恥ずかしそうにお尻を抑えて抗議する。

「いいから持ってこい。本当のセクシャルを教えてやってもいいんだぞ。」

そう言って空気を揉みしだきながら、尻に腕を伸ばそうとすれば小春は逃げるように去っていく。階段付近で再び小春が顔に腕を伸ばし涙を拭う動きをしたが権兵衛はそれを見ていない。

「待たせて悪かったな。もういい時間だ、あんたもなんか食うか。」

窓の外では陽が沈み始め、空が暗くなり始めていた。権兵衛はメニューを指さし夕食に誘う。

「いいえ。家内を待たせているのでそろそろ帰ります。それに先ほどの話を聞かせたいですしね。」

ここに来て始めて笑顔を見せてそう語る父親を見て、権兵衛は何も言い返せずメニューで赤くなった顔を隠す。帰りのタクシーを呼ぶ電話をしようと、父親が携帯を取り出したタイミングで、趙が酒を持って部屋に入って来る。

「先ほど引き渡しが終わりました。」

「そうですか…。」

それを聞いて、電話を鳴らす指が止まる。権兵衛の話を聞いたおかげか、もう泣くことはなかったが、それでも悲しそうな表情は隠しきれない。

「タクシーを呼ぶご予定でしたか?よければ私が送っていきますよ。タクシーのような乗り心地は期待できないですが。」

「本当に何から何まで、ありがとうございます。それではお言葉に甘えさせていただきます。」

父親は権兵衛と趙に対して深々と頭を下げ部屋を出て行く。権兵衛は机に置かれた、新しい酒瓶を手にして後に続く。

裏口に案内されれば、買い出しに使うバンに2人は乗り込む。父親は車に乗る前に一度、乗った後にさらにもう一度、深々と頭を下げれば、権兵衛は酒瓶を持ったまま手を振って見送るのだった。



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