味のないガム-2
広い道路の隣にある、巨大な歩道を独占し権兵衛は早朝の街を歩く。
左手に見える下町感のある商店街は錆びつきながらも何十年も建物を守ったシャッター達が、風に吹かれる度にガシャガシャという音で活気を生み出すしかなくなっていた。
楽園側の建物も同様のシャッターで店を守っているが、中からは開店の準備を始める音がちらほらと聞こえ、活気を生み出す準備をしている。
それ以外には空いてる道を求めた車が時折通るだけだった。歩いているのは権兵衛意外に存在しない。そんな場所を一人寂しく歩いていくと、周囲の建物とは比較にならない立派な建物が現れる。
一栄一落とかかれた巨大な看板が掲げられ、路上には複数のバンが止められており早朝でも店の中からは活気の有る声が聞こえる。この場所からは先ほどまでは無かった賑わいを感じる。
権兵衛が店に入れば、日雇いの労働者を雇うための業者が、大量のミュータントに囲まれ、この中の誰を雇うか選別をしていた。ミュータントは力も強く頑丈だ。それは人間とは比較にならない。そんな彼らを重宝する者も確かに居た。正式な雇用は出来ない。だが正当な賃金で雇う。それが出来る真っ当な業者だけを選別し、業者を招き入れた。業者はこの場所だけで雇用する。ミュータント達は選ばれた業者以外からの仕事をしない。それは面倒ではあるが、さらに起きるであろう面倒事を避けるためには仕方のないルールだった。
そんな中一人の業者は選別が決まり、数人のミュータントを指差し、彼らを引き連れ店を出ていく。その中の1人、牛のミュータントが権兵衛に近寄り声を掛ける。
「珍しく早いじゃねえか。お前がこんな朝早くから来るなんて…まさか教会でなんかあったのか?」
ここの寄せ場で雇われるのはミュータントだけだ。ミュータントではない権兵衛がここに仕事を探しに来た訳ではない事を知っている男は不吉な予想をし、不安そうな顔で訪ねる。
「お前らを見れば労働意欲ってのが湧くかと思って来てみただけだよ。たった今無くなったんだがな。ちょうどいいや。行く前に1杯奢ってくれや。」
「枯れたもんが見るだけで湧くかよ。それが出来れば俺らの仕事はなくなっちまう。」
その言葉を聞いた男は安心した様にガハハと笑い、権兵衛の背中を軽く叩く。男にとっては軽くだがそれだけで人間の体は前に押し出される。
「今はダメだが帰ってきたら奢ってやる。それまでお前もせっせと働くんだな。」
「話してないでさっさと車に乗ってくれ。今日の現場はお前らが頼りだからな。」
雑談をしていると2人に、今日の雇い主が早く車に乗るよう親指で指示を出す。
「怒られちまった。そんじゃ行ってくるよ。」
悪びれもせず車に向かおうとして背中を見せた瞬間、権兵衛は男の背中を思い切り叩く。痛みもないのか、それに対して豪快に笑って返せば、ミュータントが詰め込まれた車内に背中を丸めて乗り込んでいった。
それに続くように他の業者も人選が決まり、大量の人が続々と店を出て行く。あぶれた者はそれに続いて店を出るか、そのまま居座り朝食を取り始め、権兵衛も残った者に倣い席に着けばメニューを立てて店内を観察する様に見回す。
大量の注文が入り忙しそうに走り回る店員。朝から酒を飲み豪快に笑うミュータント。そんな店内で何もしない異物のような権兵衛に、一人の店員が声を掛ける。
「これからお客さんも増えるんです。冷やかしなら帰って欲しいんですけど。」
「いいじゃねえか。水も出さない店にはお似合いの客だろ。」
若く小柄な、少女と呼ばれてもおかしくない年齢の店員が腰に手を当て権兵衛を睨む。それに対して視線を向けず、声だけで権兵衛は答える。
それを聞いた店員は無言で冷水機を指さす。冷水機にはセルフサービスと書かれた紙が貼りつけられている。楽園で権兵衛が使う店はここだけだ。それに気づいてないわけがない。水を入れなのは食事では来ていない、という符丁の様なやり取り。少女が声を掛けたのはそれに対して準備が出来たという合図だった。
「今日のおすすめはなんだ?」
「鼠です。牛も豚も最近は数が入ってこないんですよ。」
食材は仕事の金額だ。鼠が最も安く、次に鶏。そして豚、牛と続く。その上もあり、珍味なら高い仕事になるが今は安い仕事しかないという事だ。それを聞いて権兵衛は帰るかどうか悩んだが、仕事を選ぶ余裕はない。
「わかったよ。それでいいから持って来てくれ。ツケで頼むよ。」
「ダメに決まってるでしょ!文無しはお断りです!早く帰ってください!」
後はいつも通り、裏口から入り直してもらうため一芝居打つ。芝居のはずが少女の口調に熱がこもっている気もするが、何も知らない客達はそんな権兵衛を見て笑う。
「振られちまったな!どうだこっちで飲まねえか?一杯奢るぜ。」
「ありがてえが夜に奢ってもらう約束があるんだ。メモしとくから今度奢ってくれ。」
席で酒を飲む客が囃し立てるが、その申し出を断り店を出る。そうして店の脇の路地裏を進み、周囲に誰もいない事を確認して裏口から再び店に入る。入ってすぐの階段を昇り、2階の部屋に入れば先客が2人待ち構えていた。
「権兵衛さんがこんな早く来るなんて珍しいですね。でもタイミングは完璧ですよ。」
「あぁ本当に助かるよ。ちょうど話があったんだ。」
サングラスにスキンヘッドの男が笑顔を浮かべ歓迎する。小太りのスーツを着た男も同様に笑顔で迎える。2人とも裏の仕事仲間だが両者共、人としては熟年に入り、敦盛なら人間一生を終えた年齢を越えている。
現状実働は権兵衛だけ。その2人が笑顔で迎え入れるということは、それは確実に面倒な仕事をを押し付けられるということだった。それを理解しても、現状逃げ出す選択肢を取れないのでため息で返事をするしかない。
「まあまあそんなに不安がらないで座ってください。一杯だけなら奢りますよ。新さんもどうですか?」
「私はこれから仕事だから遠慮するよ。」
「俺は貰う。一番高いのよこせ。」
スーツの男、ここでは新之助と名乗っている。だがそれは偽名である。
偽名を語る割には警官、しかもエリートである。現在は警察とこの街を繋ぐ窓口としての役割を果たしている。調べれば本名などすぐにわかり、名無しの権兵衛を語る男より全てがオープンとも言えるが、本人曰く、かっこいいからと偽名を使っている。
「高い酒はすぐ飲めちゃうからダメです。これから仕事があるんですからね。」
「受けるって言ってねえぞ。それを聞いてから出す酒を選べばいいじゃねえか。」
「受けてもらわないなら出すお酒はありませんよ。それに受けてもらわないと困る仕事です。」
「そういう事だ。こいつを見てくれ。」
サングラスの男は権兵衛の返事を聞かず内線で電話をかけて、従業員に安酒を持ってくるように指示を出し、そのまま壁にもたれ掛かる。
新之助は静かになった部屋で、男の写真を取り出して権兵衛の前に置く。それは防犯カメラの映像を静止画にした物で、逃走経路を追うように順序立てて撮られている。
最後の写真で男は楽園へと足を踏み入れていた。
「中山鹿助。昨日コンビニで器物破損と傷害事件を起こしてここに逃げ込んだ。」
「なんだよ。強盗とか殺人はやってねえのか。」
どれほどの大罪人が来たのかと想像していた権兵衛は罪状を聞いて拍子抜けする。ここに逃げ込む人間はそれほど追い詰められている者が多いからだ。
「あぁ。しかも初犯だ。それまでは清廉潔白。真っ当な人間だよ。」
「はぁ~なんでその程度で逃げっちまうかねぇ。素直に捕まってくれりゃいいのに。」
頬杖をついて呆れた顔句を浮かべ、机に置かれた写真を一枚手に取る。そこにはスーツを着た鹿のミュータントが必死な形相で逃げる姿が映し出されていた。
「ところでなんでケガなんてさせたんだ?こんな格好してんだ。外で普通に働いてんだろ。」
詐欺を働こうにも信用されないミュータントが、わざわざ高い金を払ってスーツを着ている。それは真っ当な仕事をしている証でもあった。
「趙さ~ん。お酒持って来ましたよ。」
話を遮り、権兵衛の対応をした女性の店員が、グラスを3つ持って部屋に入って来る。趙は壁にもたれ掛かったまま指示を出し、酒の入ったグラスを権兵衛の前に、水を趙と新之助に手渡す。
「小春、あなたも残りなさい。万が一私に何かあれば跡を継ぐのは貴女なのですから。」
そう言われ、小春は寂しそうな表情を浮かべるが、その言葉に従い部屋に残り趙の隣に立つ。
「そんな心配そうな表情すんなよ。こいつが死ぬ時はその前に俺が死んでるだろうから。心の準備はしやすいぞ。」
「私も50ですよ。もういつお迎えが来てもおかしくないんです。腰も痛いし腕も思うように曲がりません。」
「俺はそのセリフを10年以上聞いてるんだ。まだ大丈夫だから安心しろ。だからたまにはあんたも動いてくれ。」
「それとこれとは話が別です。それに私が動いたら権兵衛さんの取り分は0ですよ。」
何度もやった掛け合いを見せ、小春のメンタルを安定させる。
(あとで趙からあまり甘やかすなと小言を言われるんだろうな。)
サングラスの奥から視線を向けられ権兵衛は視線を反らしてそう考える。それを理解しながらも年下に甘いのは権兵衛の性分なのだ。つらそうな顔をされるとつい口を出してしまう。
「そろそろ話を戻すぞ。こいつは店員の態度にイラついて、急に暴れだしたんだとよ。そんでカウンターを蹴っ飛ばしたら店員がカウンターを事壁に挟まれて一応骨折、って聞いてるが現場の人間の話だと破片で顔にかすり傷出来ただけって話もある。病院からの診断書もねえから現状はよくわかんねえな。本当の原因はわかってるけどな。被害者の対応が相当クソだったみたいだ。」
「じゃあ骨折じゃ安いな。」
「彼の事情を汲んだら安い方がいいでしょう。善良な青年がこんなつまらないことで刑務所は目覚めが悪い。」
「外で真っ当に生きてるやつはこの程度じゃ暴れない。結局、色々溜まってたのがこの結果だ。見えない爆弾が急に目の前で爆発したって意味じゃ、店員も不幸ではあったのかもな。」
中身を聞いて権兵衛と趙は対極の感想を漏らす。だが加害者に同情する立場ににあるのは同じだった。新之助も同様のスタンスではあったが、事件の全容が見えていない以上、過度な同情を控える。それは警官としての性なのだろう。
「とりあえず探しには行くが…素直に捕まってくれるかね。」
権兵衛は急いで印刷したせいで荒くなった写真を再び顔の前に持ってくる。焦りと、怒りでぐちゃぐちゃの表情は対話からは程遠いものだった。
「昔みたいに交番が機能してれば捕まえるのも簡単なんだが。無くなってからは不便この上ないぜ。」
「そうですね。あの頃は権兵衛さんが見つけて徳さんが捕まえてたから、色々楽だったんですけどね。」
2人は数年前までここの一角にあった、民家を改造した交番を思い出す。警官としては最低の男だったが、仲間としては最高と言える逸材だった。定年という制度がなければ縋り付いてでもやめさせなかっただろう。それくらい信頼され、重宝される存在だった。
「その事だがな。そっちも目星がついたぞ。」
それを聞いて権兵衛は顔を歪ませ、趙はサングラスの奥の目を光らせる。
「まだ若いんだがかなりミュータントに好意的だ。キャリアコースだったんだがミュータント関連の事件になると一々掘り下げるから上からの覚えは最悪。そんで色々やらかして交番勤務になったと思ったら、今回の事件で被害者殴って謹慎だ。どうだぴったりじゃねえか。」
「そんな警察の人も居るんですね。すぐ馴染めそうじゃないですか。」
ただ一人、趙の隣に立つ小春だけは、先ほどの会話から察し、その状況をポジティブに捉える。
「そういいもんじゃねえんだよ。小春は若いからわかんねえかもしんねえけど、ただの警官なら居るだけ邪魔だからな。」
「そうですね。あんな悪徳…逸材は貴重ですからね。」
二人は会いもしない人物だがリスクとリターンを天秤にかけ、リスクの方が大きいと考えてしまう。何より今の話を聞いただけでは、ミュータントに好意的だが正義感はある。そんな人物がこの仕事に関わって面倒にならないわけがないと決めつけてしまう。
「いい大人が子供をイジメるんじゃないよ。朱に交われば赤くなる可能性だって十分あるだろ。それにこういう人材が落ちてくること自体貴重なんだよ。徳さんだって…あの人は例外だが…。まあこいつもある意味、例外だからな。なんとかなる。」
肩を落とす小春を庇うように、新之助は明るい展望を語り笑顔を見せる。
「ならなかったらどうすんだよ。」
「そん時はそん時だ。いまはポジティブに考えようぜ。」
「お天道様の下を歩けない奴らが前向いてどうすんだよ。下向いて生きるような人間だぞ。」
「まあ今日、明日の話じゃない。来るときは事前に言うからそん時は頼むよって事だ。」
言いたいことを全て語り終え、新之助は腕時計で時間を確認すればスーツの襟を正して立ち上がる。椅子に立てかけてあったビジネスバックを手にして、別れの挨拶もなしに部屋から去っていく。
一人いなくなっただけで一気に静かになった室内。権兵衛は酒のグラスを持ち、空いた手で先程受け取った写真に目を下ろす。最後に取られた映像から、この男がどこから街に入ったのか、潜伏するならどこかをじっくりと考える。頭の中で描いた地図の中、楽園内の空き家を照合し潜伏場所の目星を付ければ、グラスを一気に傾け中身を空にする。そして新之助が持ち込んだ資料を灰皿に放り投げ、火を着けて燃え尽きるのを見守る。
「小春、携帯持って来てくれ。」
紙が燃え尽きたのを見てそう声を掛ければ、小春はその言葉に従い部屋を出る。権兵衛は右手を向けて指を5本立てれば、趙はそれを見て小さく頷く。楽園内の侵入者の排除はほとんどボランティアに近い。報酬は固定され、相手が誰だろうと決まった金額しかもらえない。
それを知りながら権兵衛は左手から指を二本追加する。それに対し趙は当然、首を横に振る。
「近々、皐月の誕生日なんだけど。難しいか。」
「子供を出汁にするのはズルいですよ…。わかりましたその分は寄付しておきます。」
「ありがとよ。」
それを聞いて権兵衛は口角が少しだけ上がる。廊下から足音が聞こえれば表情を戻して立ち上がり、廊下で通話とメールのみに機能が限定された携帯電話を受け取り店を出る。
陽射しが入らないビルの間は太陽が昇っても暖かい店内と違い、いまだ気温が上がりきっていない。
上着も借りるべきだったかと後悔しながら、自分の若さを信じて権兵衛は歩き出すしかなかった。




