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味のないガム

ミュータント。それは突然生まれた。隕石の衝突も、宇宙人の来訪も、世界征服を企む悪の組織も、何も関係はない。本当に突如生まれたのだ。

戦争が終わり、世界が安定を望み、急激な成長を迎えた時、彼等は突如、人類の新たな隣人として『人』から生まれた。生まれて数十年経った今でも、原因も理由さえも、誰にも何もわからっていない。ただわかるのは、わからないという未知への恐怖だけ。それは数十年経った今でも変わらない。彼等が隣人として認められるには、まだ時間が必要なようだ。


都内の一角に、建築されてから30年は経つ巨大なマンションがある。当時の建築技術の粋を集めたマンションは、駅だって建設予定だ。マンションに住む人間が裕福ならそのおこぼれにもあずかれる。そう言って近隣の住民に架空の金をちらつかせ、苦情を封殺する。予定通りになれば、マンションとこの一帯は、幸福、そして富の象徴になるはずだった。だがこのマンションのオーナーは変人や奇人の類であった。完成した瞬間、オーナーはミュータントとその家族に対して、空いている部屋をタダ同然で貸し与え始めた。そんな事をされれば、近隣の住民も、住もうとした人間もたまったものではない。最初に声を上げたのは高い金で部屋を買った者達だった。だが彼らの声を無視し、オーナーは空き部屋にどんどんとミュータントを詰め込んでいく。彼等はあらゆる方法でオーナーに対して、ミュータントを追い出すか、金の返金を求めた。だがこの件に関して言えばオーナーが上手だった。

一部の人間にはこの計画を事前に話し、マンションの購入を控えるように根回しをしていた。つまりマンションを購入した者達は、ほとんどが財界や政界にコネのない新興の事業で財を成した者。所謂、成金と呼ばれる者達であった。そんな人々を嫌う、古い財界の人間はこの一見で慌てふためく者を見て笑うエンターテイメントになる。政治家に関しても、扱いに困るミュータントを引き取ってくれることも有り、この事業の後押しをしていた。ここを高値で買った者は捨て値同然で部屋を手放す。そうして住人の全てはミュータントと、それに類する者に置き換わる。

納得しないのは近隣に住む者たちだった。男はマンションを売った費用をあてがい、彼らに少なくない金額を支払う事で、家や土地を買い取った。そうしてこのマンションを中心に、周囲の建物や土地の大半が男の所有物となる。土地や建物を増やした男は、それすらもミュータントに貸し与え、どんどんとミュータントを増やした。男は国籍も過去も無視し、国を捨てたのか、それとも捨てられたのか、国外からやってきたミュータントにさえ、違法入国者であろうと関係なく居場所を与えた。それに便乗しホームレスやヤクザ者まで住もうとすると、男は一計を投じた。彼等には外とのパイプを担わせることを条件に、建物を貸し与えたのだ。あぶれ者がどんどん増えれば、強引に建物を増やすよう住民に指示をする。いつの間にかその建物群は、マンションを中心にグルっと周囲を囲う。歪みあった建物が寄り添い合い、時には道を塞ぎ、迷路のようになる。いつしかそれは街に住む者を守る盾となった。食べ物は家賃代わりにやくざ者から徴収し、さらに男の有り余る資産で工面し、食と住には困らない土地が完成する。そうして男の全財産を賭けた計画はここに完成したのだった。

ミュータントの扱いに困っていた国にとっては、都合のいい牢獄のとなった。鼻つまみ者が勝手に一か所に集まってくれたおかげで国としても管理をしやすくなる。そのため違法建築や違法入国には目を瞑り、大きな混乱も無くこの難局を乗り越えられ、日本は一足先にこの混乱から抜け出す事が出来たのだった。

屋根のない場所で暮らし、食い物にもありつけない、そんな本当の地獄を味わった者はそこを楽園と呼んだのだった。


楽園の一角、そこだけは周囲に歪んだ建物は存在しない。。外観が奇麗な教会があり、その隣には寺院が、そして寺までありとあらゆる宗教施設が運命共同体のように繋がって横に並ぶ。宗教戦争がいつ始まってもおかしくない、違和感が仕事を放棄した建物群は、各宗教のトップが見たら自分の建物以外をすぐに爆発させておかしくない光景だ。だがこの周囲でそんな事をすれば殺されても文句は言えない。ここは孤児院を兼任した場所であり、まだ神という幻想を捨てきれない者たちにとっての聖域なのだ。ここでは喧嘩どころか口論すら許されない、文字通り神聖な場所なのだ。


朝日が昇り夜を追いやる。太陽のおこぼれが教会の窓に小さな明かりをもたらす。そんな光でも男には十分すぎた。裸の男が浅い眠りから目を覚ます。その肉体は筋肉質とまではいかないが、35歳という年齢の人間からすれば締まっていると言えるだろう。そこには少なからず傷跡はあったが、薄暗い部屋で目立つ様な深い傷ではない。長めの坊主頭には白髪が見え始め、本人はそこに薄っすらと老いを感じ始めていた。名前は無い。無いというのは正確ではない。正確には名無しの権兵衛と名乗り、皆からは権兵衛と呼ばれ親しまれている。20年前にこの街にやってきた男は、その時には名前を捨てていた。名前尾を語らない彼を面白がり、ある者が名無しの権兵衛と言ったのを気に入って、その名を語っている。ここに来るまで彼がどこで、どんな暮らしをしていたのか知る者はここには居ない。過去も名前も捨てた、そんな自分を受け入れたこの場所と、そこに住む人々のため日々街を駆け回っている。というわけでもない。ただ街をうろつき、困りごとに気分が乗れば首を突っ込むが、大概は働いていない。メシは基本他人にたかり、女癖は最悪。そういった認識をしている者が大半だろう。だがその体に刻まれた傷は古い物から新しい物まで有り、この場所を守るために負った傷という事を知る者はほとんどいない。だが権兵衛はその傷を自慢にも勲章にも思っていない。精々、女と寝る時にワイルドな感じがして受けがいい、自然に出来たタトゥーのようにファッションとして扱っている。だが体が資本であることには変わりはない。起来たばかりの体を調整するため、肩の可動域を確認するため腕を回す。腰を伸ばし、足腰を入念に揉んで異常がない事を確認し、最後に首を回せば関節がゴキゴと音を立てて、完全な目覚めを果たす。そうして隣で寝ている女性の肩を軽く揺らす。

「メアリ朝だぞ。」

それに応じてメアリは薄っすらと目を開ける。だが起きるどころか肌寒さを感じ、男から布団を引っ張って奪えば、小さくかわいらしい声を出して再び眠りにつく。未だに目覚めないメアリに対して、情熱的な目覚めのキスをするわけでもなく、起きるまで何度も辛抱強く肩を揺らす。権兵衛の甲斐甲斐しい努力も有り、ようやく目覚めたメアリは瞼を空け青色の瞳に少しだけ光を入れる。まだ完全に開ききっていない目のままベットから降りて身支度を始める。権兵衛はベットの上に腰を掛けて、メアリの着替えをジッと見つめる。女性が下着を着用する瞬間を見るのが、女性と一夜を明かした後のルーティーンなのだ。何度見ても飽きないその光景を、ジッと見つめ記憶に収める。そうして下着を着け終えシスター服を着れば、鏡の前に座り長い金髪を整え始める。一連の動作を見終えて、ようやくベットから降り着替えを始める。シャツとズボンを履くだけで終わる男の着替えを終えて、一人部屋から出ていく。部屋の先にある静かな廊下を、足音を殺して歩けば立派な礼拝堂に辿り着く。そこには真っ白な髪の老婆が磔の男の像に向かい祈りを捧げていた。権兵衛が来た事に気付いたからか、それとも彼女の信仰心は既に薄れているのだろうか、「以下略」と小さく呟き祈りを終える。老婆は祈っている時の神妙な顔を一変させ下卑た笑みを浮かべ、権兵衛に歩み寄る。

「昨日は何発やったんだい?」

指で輪っかを作りその間に指を通して尋ねる。権兵衛は何度もやったこのやり取りの回答を知っていた。近くの椅子に力強く座れば、ふんぞり返って無言で指を5本立てる。老婆が求めるのは羞恥に染まった顔か、答えが出ず慌てふためく姿を見たがっている。それに対しドヤ顔で、迷いなく突き立てられた5本の指。これはお前の思い通りにならないという事をわからせる強烈な答えだと確信している。

「お盛んだねー。6発目はこっちでどうだい?」

修道服を少したくし上げ、生足を見せつけられる。母親を越え、祖母と同様の年齢に達した女性の足はやせ細り、皺がいくつも刻まれていた。枯れ木のようなとい形容詞がここまで似合う足でも、権兵衛の目は男の性に従って視線を向けてしまう。先ほどま刻んだメアリの裸記という権兵衛にとってかけがえのない思い出が、老婆の足に上書きされれば表情は青ざめ、吐き気すら感じる。その表情に満足し、魔女のような笑い声を出して権兵衛の隣に座る。

「朝から飛んでもねえもん見せんじゃねえ。俺は博愛主義者だが、植物は対象外なんだ。しかも下半身は土に埋まってるじゃねえか。入れる場所を作ってから出直してこい。」

口に手を当てえづきがらの反撃は老婆に届かない。むしろまだ自分がおもちゃである事に気付かない権兵衛に感謝すらしている。

「そうかい?上も下もまだまだ使えると思うけどね。」

「うるせえ口をこれで黙らせろってことか?悪いがババアの口じゃサイズが合わねえんだ。」

「おや、こんなババアでも固くできるのかい?いやぁ私も捨てたもんじゃないねえ。」

そう言って再び下半身に手を伸ばす。権兵衛がぎょっとした表情でその手を素早く払いのければ、焦った姿を見て女は再びケタケタと笑う。一発貰っても懲りずに突っかかるが、先ほどよりも強烈な一発は権兵衛をKOするに至る。そのままうなだれ戦意を喪失していると、廊下からシスター服を着たメアリがやって来る。

「おはようございます。シスタークレア。」

「おはようメアリ。ところで…昨日は何発やったんだい。」

クレアはメアリに対しても同じジェスチャー、同じ質問をする。

「わっ…私は、そっ、そのような事は…。」

それを見た瞬間、メアリは顔を反らし焦った表情で否定する言葉を吐こうとする。だが像と目が合い誤魔化すための噓を飲み込むしかなくなると、赤面したまま俯いてしまう。結局、反論も出来ずに紅潮したで無言のまま駆け足で祭壇に向かい、跪いて祈りを始める。クレアはそのリアクションを見て、満足げな表情を浮かべ小さく頷く。

「そうそう。あれが100点の回答だよ。まあ、あんたの相手をするのも嫌いじゃないからね。私の相手が出来るようこれからも精進するんだよ。」

隣でうなだれる権兵衛の脇腹を肘で突いて、うなだれる男を起こす。

「そうやって生気を吸い取ってんだろ。あと何百年生きるつもりだ。」

まだ声に覇気は戻らないが、それでも先程よりはマシな状態で返事をする。

「月に行くのが夢だったんだよ。だからもうちょっと長生きする予定かね。」

そう言って権兵衛の背中を叩く。その手からは出会った頃のような力強さは感じられない。ただ共に過ごした年月の重さだけが、背中に重く圧し掛かり、表情が少しだけ曇る。そんな思いを知らず、クレアは先程の表情を一変させて、優しい目で祭壇に目を向けている。そうして祈りやすい環境を整えれば、若いシスターを静かに見つめれば、権兵衛もそれに倣ってメアリを見つめる。

太陽が角度を上げ、祭壇に光の線が差し込み始め、礼拝堂には神々しい光と静寂が訪れる。そんな朝の優雅な時間を裂くように、廊下からはバタバタと騒がしい音が響き始める。クレアはそれでも集中を切らさず祈っているが、2人は音のする方に視線を向ける。足音を鳴らす、トカゲと馬のミュータントが礼拝堂に来れば、権兵衛は少女達に軽く手を上げ、クレアは声だけで挨拶をする。少女達はそんな2人に丁寧な会釈で挨拶を返せば、足音を小さくし祭壇に向かいメアリの隣に跪いて祈りを始める。

「そういえば皐月は来月が誕生日か。もう…12…?いや13か…?はぁ~ダメだな。30越えると自分だけじゃなくて、他人の年齢も覚えられなくなっちまう。」

祭壇で祈るトカゲの少女を見て、曖昧になる時間の感覚を自覚しながら呟く。

「そうかい…もう5月になるのかい。はぁ…時間が経つのが早すぎて嫌になるね。」

権兵衛の倍以上生きるクレアに至っては、もう暦の感覚すら曖昧だ。それでも彼女が孤児達の誕生日を忘れるわけがない。別の心配事がありそれを隠すために、わざと大きなため息を吐く。

「ババアも800歳だもんなぁ…。流石に人間の感覚を求めるのは酷だよな。」

先程とは違う、憂いを帯びたクレアの態度に少し重苦しい気配を感じ、その空気を払拭するように軽口を叩くが、クレアは軽口に乗るほど気持ちをすぐに切り替えられず「そうだね」と呟くだけだ。

「景気が良くねえみたいだな。」

目を合わさぬよう、祈る彼女達を見続ける態度から大体を察した権兵衛は、クレアの心配事を当てる。誕生日ぐらいは幸福でいて欲しい。そんな願いもあり、誕生日だけは盛大に祝っていた。その事を絶対に忘れないよう、引き取られた月にまつわる名前を与えたクレアがその事を忘れているわけがない。だがその幸福を祝えないほど、教会の財政はひっ迫していた。ここの教会も、そしてシスターも、宗教内部の権力闘争に負けた者達だ。本家筋からすればそんな人間の居る教会に金を分配するわけがない。国からの補助も多少はある。だがミュータントは食事だけとっても一般的な孤児とは量も、中身も違う。そこにトイレや風呂、さらに寝床まで、彼らに合わせた物を用意するとなると掛かる費用は莫大だ。自分達で多少でも工面出来ればいいのだが、孤児の世話も有りお布施頼りなのが現状だ。教会の財政難は祈りで解決できない問題として常に付きまとっていた。

「…まあ十分暮らしていけるくらいはあるよ。」

それでもこの教会に寄付を続ける稀有な男を前に、もっと金を出せとは言えない。クレアは申し訳なさで押しつぶされそうになりながら、声を絞り出し強がって応える。

「デカい仕事があればいいが…まあとりあえず趙の店に行ってみるか。」

「あんたにはかなり世話してもらってんだ。それに金がなくても祝うことは出来るさ。」

「一年に一度しかない祝い事だ。めでたく派手にやった方がいいだろ。こんぐらいの頃の思い出ってのは歳を取っても忘れないんだ。それがいい事ならなおさらだ。あんただってわかんだろ。」

「あんたでもそうなのかい。」

権兵衛が普段は絶対にしない昔の話を持ち出す。いまなら語ってくれるかもしれない、そう思って聞いた質問。権兵衛はその質問に沈黙で返す。クレアは20年来の付き合いの男の過去を今日も聞き出せなかった。

「そうかい。それなら派手にやるための金を稼いできてもらうおうか。」

その質問をしたクレアもタブーに触れたと感じ強引に話を戻す。無言で立ち上がった権兵衛は、その言葉に応えるように片手を上げて応える。気まずい空気で教会を去った権兵衛が4月だというのに冷え切った街の空気を感じ取り、くしゃみを数回繰り返す。上着を寝室に忘れたことを思い出すが、戻る気にもなれずに冷たい風と共に街を歩くしかなかった。


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