第50話 間に合った一秒
王城は、静かだった。
昨日あれだけの騒ぎがあったとは思えないほど、廊下は磨かれ、兵は無表情に立ち、空気は澄みきっている。
まるで――すべてを「なかったこと」にする準備が、もう整っているみたいに。
(……面倒だな)
肩はまだ痛む。包帯の下で鈍く脈打つ。
だが歩ける。問題ない。
謁見の間の扉が開いた。
玉座の上に座る男。
この国の王。
老いてはいるが、目は濁っていない。
その視線が、まっすぐ俺を射抜いた。
「霧島時人」
低く、よく通る声。
「昨日の件について、確認したいことがある」
俺は片膝をつく。
「お答えできることは、すべて」
王は静かに言った。
「第三王子は――魔族の干渉を受けた可能性がある」
来たか。
「王都に侵入した魔族が、殿下を惑わせた。そう考えるのが妥当ではないか?」
「いいえ」
間を置かず答えた。
空気が張り詰める。
「殿下は、自ら魔導具を使用しました」
「証明できるのか?」
「目撃者がいます。騎士団、私、そして騎士団長セネガル殿」
王は指先で肘掛けを軽く叩く。
「操られていた可能性は?」
「ありません」
俺は続ける。
「魔になった直後、殿下は私兵も使用人も区別せず攻撃しました。あれは操りではない。力に酔った暴走です」
王は沈黙した。
「第三王子は“獣人保護”のために動いていたという報告もある」
「違います」
「グリムフォード侯爵の人身売買を調査していた、と」
「指示を出していたのは第三王子です。侯爵はコマに過ぎません」
玉座の間が凍りつく。
「殿下は邸内で言いました。“舞台を台無しにした”“良いコマを潰した”と」
長い沈黙。
やがて王は、重く息を吐いた。
「……王家の恥だ」
それで決まった。
「バハリュート第三王子は、魔導具の違法使用および魔への関与の罪により、王位継承権を剥奪する」
ざわめき。
「地方の城へ移し、監視下に置く」
「誘拐された獣人は、ギルドを通じて帰還手配を行う」
そして。
「霧島時人。魔を防いだ功績として、金貨五十枚と馬車を与える」
なるほど。
「ありがたく」
――金は払う。だから、黙って去れ。
そういうことだ。
「この国を離れるなら、今が良い」
王は最後にそう言った。
俺は頭を下げ、謁見の間を出た。
◆
城門を抜ける直前、背後から足音が近づく。
「時人殿」
振り向くと、セネガルが立っていた。
鎧越しでも分かる、揺るがない立ち姿。
戦場でも王城でも変わらない、騎士団長の顔だ。
その目は、どこか疲れていて、どこか安堵していた。
「……礼を言う」
真っ直ぐな声だった。
「第三王子を止めてくれたこと。そして――これ以上、王都に血を流さずに済ませてくれたこと」
俺は肩をすくめる。
「止めただけです」
「違う」
セネガルは首を振る。
「殿下があのまま力を得ていれば、王都は地獄になっていた。騎士団でも止められた保証はない」
一歩、近づく。
「お前は命を削った。何度もな」
その言葉に、右腕の刻印がじわりと疼いた。
「……もう無理はするな。と言っても、聞かないのだろうが」
少しだけ口元が緩む。
「何かあれば、私を頼れ。出来る限り、力になる」
それは騎士団長としてではなく、一人の男としての言葉だった。
「お前たちは、もう王都の“外”の人間だ。だが、縁は切れない」
リアが静かに頭を下げる。
「ありがとうございます、セネガル様」
セネガルはリアを見て、わずかに目を細めた。
「……見事だった」
セネガルはリアを見て、わずかに目を細める。
「あの氷がなければ止めきれなかった」
そして俺に向き直る。
「二人で掴んだ勝利だ」
「守るだけでは足りない日も来る。だが――隣に立てる者がいるなら、お前は折れない」
その言葉は、妙に胸に残った。
「……世話になりました」
「こちらこそだ」
短い握手。
騎士の硬い掌が、現実を伝える。
「生きていろ、時人」
「はい」
セネガルは背を向け、城門の中へ戻っていった。
◆
王城を出ると、空はやけに高かった。
王都はいつも通りだ。
商人の声。子どもの笑い声。
昨日、あの地下で何が起きたかなんて、知らない顔をしている。
それでいい。
知らなくていい。
守れたなら、それでいい。
「……時人様」
隣を歩くリアが、少しだけ距離を詰める。
触れない。でも、離れない。
肩の痛みはまだ残っている。
腕の刻印も、じんわりと熱を持ったままだ。
あの時、もう一度戻っていたら――
きっと何かを失っていた。
あの笑い声。
あの甘く冷たい気配。
(……あそこまでだ)
今は、リアの呼吸の方がはっきり聞こえる。
「……もう、狙われませんよね」
小さな声。
俺は少し考えてから答える。
「分からない」
正直に。
「でも、来たら潰す」
リアがくすっと笑う。
「頼もしいです」
頼もしい、か。
俺は空を見上げる。
あの駅のホーム。
あと一秒、早ければ救えた命。
あの夜。
あと一歩、間に合えば失わなかった未来。
俺はずっと、間に合わなかった。
でも――
今回は、間に合った。
それだけで、胸の奥の何かが少しだけ軽い。
正義じゃない。
勇者でもない。
俺がやったことは、決して綺麗じゃない。
それでも。
隣にいる。
生きている。
温かい。
それだけで、十分だ。
「……行くか」
「はい」
王都の外へ向かう道を歩き出す。
刻印は消えない。
俺は確実に、“何か”に近づいている。
魔王かもしれない。
化け物かもしれない。
それでもいい。
守れるなら。
リアが半歩だけ前に出て、俺と並ぶ。
置いていかない。
置いていかれない。
もう、一人じゃない。
そして俺は、心の奥で静かに決める。
――戻れなかった一秒を、
――これから先の全部で、取り返す。
そのためなら。
何度でも、戦う。
第一章 完。
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