第49話 目覚めの朝、王の呼び声
意識が浮かび上がる。
最初に感じたのは、柔らかい感触だった。
藁でも石床でもない。ちゃんとした寝具。身体の下で布が沈み、背中を受け止める感覚がある。鼻をくすぐるのは、木と薬草の匂い。乾いた木材の匂いに、煎じた薬草の苦さが混ざっていて、ここが“安全な場所”だと遅れて理解する。
耳を澄ますと、遠くで人の足音。階下の話し声。宿特有の、生活の気配。
――まだ王都は動いている。だから、俺も生きている。
ゆっくり目を開ける。
見慣れた宿の天井だった。梁の節、薄い染み、見慣れた木目。あの地下の湿った石壁と違って、ここは乾いている。呼吸が、少しだけ楽だ。
「……生きてるな」
喉が乾いて、声がかすれる。舌が貼りついて、言葉がざらついた。
その声に、すぐ反応があった。
「……時人様?」
震えた声。
視線を横に向けると、椅子に座ったまま眠りかけていたリアが、はっと顔を上げていた。
背筋が伸びきらないまま固まった姿勢。ずっと動けずにいたのが分かる。膝の上の手も、こわばったままだ。
目が赤い。涙の跡が、はっきり残っている。
泣いて拭いて、また泣いて拭いて――その繰り返しだったのだろう。瞼が少し腫れていて、瞬きが遅い。
「……起きた……」
次の瞬間、椅子が倒れそうな勢いで立ち上がり、ベッドの傍に駆け寄ってきた。
床板がきしむ音がして、部屋の空気が一気に動く。
「時人様……! よかった……本当に……」
今にも泣き出しそうな顔で、でも必死にこらえている。唇が震え、呼吸が小刻みに揺れている。
伸ばした手が宙で止まり、触れていいのか迷っているみたいに指先が彷徨った。
俺はゆっくりと上半身を起こそうとして――肩に鈍い痛みが走った。
「……っ」
骨の奥から鈍く響くような痛み。動かした瞬間に“まだそこにある”と突きつけられる。
視線を落とす。
包帯が、きれいに巻かれている。血の滲みもない。丁寧な処置だ。巻き終わりも整っていて、雑に応急処置をした感じがしない。
鼻をくすぐる薬草の匂いは、この包帯からもしている。
「しっかり手当てはしてあります。セネガル様の手配で、腕のいい医師を……」
リアが説明しながら、どこかほっとしたように肩を落とす。
言いながら、包帯の端を指でそっと押さえて確認するような仕草をした。触れない。触れないけど、確かめている。
「……リアは、ケガしていないか?」
思わず出た言葉だった。
自分がどうなっていたかより先に、それが出てしまう。たぶん癖だ。考える前に口が動く。
リアは一瞬ぽかんとしたあと、眉を寄せる。
「それはわたくしのセリフです。時人様はいつも無理しすぎです」
叱るように言う。けれど声は弱い。怒鳴れない。怒るだけの余裕がない。
胸の奥から出た本音が、喉で少しだけ絡んでいる。
その理由を、自分でも分かっているのだろう。
俺が無理をした理由が、自分だったことを。
だから言葉の刃は、途中で丸くなる。刺したくない相手に向ける刃は、鈍る。
文句を言いきれない。
でも、嬉しそうでもある。
大事にされたことを、ちゃんと受け取ってしまっている顔だ。
責めたいのに、心配されているのが嬉しい。守られたと分かっていて、同時に守らせてしまったと分かっている。複雑な色が、そのまま瞳に浮かんでいる。
「……悪い」
「謝らないでください」
即答だった。
かぶせるように、隙を与えない。謝らせたくない、という意思がそのまま言葉になっている。
少しだけ視線を逸らし、小さく呟く。
「……守ってくださったのは、わたくしですから」
その声は、誇らしさと、申し訳なさと、少しの嬉しさが混ざっていた。
胸を張りたいのに、胸の奥が痛い。そんな矛盾が、言葉の温度に滲む。
気まずい沈黙を破るように、リアがぱっと思い出したように立ち上がる。
場を変えないと、涙がまた落ちそうだったのかもしれない。
「スープを用意しましたが……食べられますでしょうか」
「腹は減ってる」
「よかった」
すぐに器を持ってくる。動きが早い。ずっと頭の中で手順を繰り返していたみたいに、迷いがない。
スプーンの触れる小さな音まで、やけに鮮明に聞こえる。
湯気の立つスープ。香草と肉の匂いが、妙に沁みる。
湯気が頬に当たって温かい。生きている、という感覚がそこにある。
一口飲む。
……うまい。
染み渡る。
喉の乾きがゆっくりほどけて、胃の底まで温度が落ちていく。
痛みが消えるわけじゃないのに、身体の芯が少しだけ戻ってくる。
「……うまいな」
「本当ですか?」
「ああ」
それだけで、リアの表情がぱっと明るくなる。
涙の跡が残ったままでも、笑う。笑える。それが嬉しい。
昨日の話になる。
「魔導具の残骸や書類などは、セネガル様が迅速に回収したそうです」
「早いな」
「はい。証拠はすべて騎士団預かりに」
さすがだ。
仕事ができる男だ。余計な感情を混ぜず、必要なことだけを最短で片付ける。だからこそ、王族相手にも踏み込めたんだろう。
「それと……」
リアが少し困った顔になる。
言いづらいことを、どう言えばいいか測っている顔。
「昨日の、あの巨大な魔物の姿……目撃者が多かったようで」
「ああ……」
想像できる。
灯りの下で巨体が暴れれば、噂は勝手に増殖する。真実より速く広がるのは、いつだって“面白い話”だ。
「街は噂でもちきりみたいです」
指折り数える。
「バハリュート第三王子が悪魔に魂を売った、とか」
「魔族が王都に侵攻してきた、とか」
「悪魔合体の実験施設があって、非検体が暴走した、とか……」
「好き放題だな」
「はい」
でも、少しだけ笑っている。
噂話で済んでいるなら、それでいい。噂は勝手に形を変える。だが“見た”という事実だけは残る。
王都は今日も平和だ。
少なくとも、この部屋の窓から見える範囲は。
そう思ったところで、扉が叩かれた。
コン、コン。
「失礼する」
落ち着いた男の声。
部屋の空気が、きゅっと締まるのが分かった。
リアが緊張する。肩がすっと上がり、俺の様子を見る視線が一瞬だけ鋭くなる。守る側の顔だ。
「王城より使いに参った」
嫌な予感しかしない。
扉が開き、礼装の使者が一礼する。靴音も姿勢も整いすぎていて、宿の空気から浮いている。
“王城”という言葉だけで、距離が一気に遠くなる。
「霧島時人殿。昨日の“バハリュート第三王子邸”での出来事について、聞き取り調査のため、王城まで来て頂きたい」
……休ませてくれよ。
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
ここで反発しても意味がない。王は王だ。呼ばれたら行くしかない。
良いように事実を曲げられるよりは、直接行ったほうがいい。
俺が黙れば、誰かが勝手に語る。その“誰か”が王側の都合を優先するのは目に見えている。
「分かった。すぐ向かう」
「承知した」
使者は礼をして去る。
扉が閉まる音が、やけに大きい。部屋に戻った静けさが、さっきより重い。
静かになる部屋。
リアが不安そうに俺を見る。
さっき笑っていたのに、目の奥がすぐ曇る。現実に引き戻された顔だ。
「……大丈夫でしょうか」
「さあな」
正直な答えだ。
王が何を望むか分からない。真実より、“王都が平穏に見える物語”を欲しがる可能性だってある。
「でも、逃げる理由はない」
王と口を交わす。
面倒だが、避けられない。ここで逃げれば、俺たちが悪者にされるだけだ。リアがまた狙われる口実になる。
スープを飲み干す。器の底が見えると、腹の奥が少し落ち着く。
肩の痛みは残っている。右腕の刻印の熱も、薄く燻ったままだ。だが、立てる。
「行くぞ」
リアが強く頷く。
その頷きは、怖さを消すためじゃない。怖くても、隣にいると決めた頷きだ。
不安はある。
でも、もう一人じゃない。
俺は立ち上がった。
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