第47話 限界
三つ目の巨人は、もう「人間」の形をしていなかった。
天井に頭が届きそうな巨体。岩みたいに厚い腕。胸の中心――裂けたように開いた第三の目だけが、やけに冷たく光っている。
灯りの揺れ方が変だ。火が“逃げている”みたいに、巨人から目を逸らす方向に揺れている。床が軋み、壁が震える。息を吸うだけで肺が重い。喉の奥に、鉄と埃と、焦げた匂いが貼りつく。
(……勝てるか、こんなの)
答えは一度、出ている。
俺は“前に”見た。何度も何度も死にかけて、どうしても勝てなかった記憶。
あの絶望の輪郭が、目の前で形になっている。思い出すだけで、胃の底が冷えて、背中に汗が滲む。
「時人様……!」
背後で、リアの声。
震えてない。逃げない。――だから余計に、腹が決まる。
この子が一歩でも引けば、俺の心が揺れる。揺れた瞬間に終わる。分かっている。
「来るぞ」
巨人が踏み込んだ。
一歩が、崩落みたいに重い。石が鳴る。土埃が跳ねる。次の瞬間、腕が横に振られる。払う軌道。まとめて薙ぎ払う一撃。
風圧が先に来る。肌が切れそうな、刃みたいな風だ。
俺は低く沈んで躱す。リアも氷で足場を固め、後ろへ滑る。
――避けるだけなら、できる。
“今のところ”は。
だが巨人の動きは「雑」じゃない。
大振りに見せかけて、急に角度が変わる。こっちの位置をずらさせる。逃げ道を狭める。
足が床を踏むたび、わずかな間合いの差が削られていく。息を吸う時間すら、奪われていく。
(……いやらしい)
守りを崩すために、わざと大きく振っている。
そして、こちらが“守る相手”を抱えていることも分かった上で――狙いを変える。
巨人の第三の目がぎらりと光った。
次の腕が、今度は縦に落ちる。
狙いは俺じゃない。
リアの頭上だ。
「――っ!」
リアが氷を走らせようとする。だが、間に合わない。
落ちてくる重さが違う。速度が違う。間に合う“余地”がない。
空気が押し潰される。視界が一瞬だけ狭まる。鼓動が耳を殴る。
俺が踏み込めば、止められるかもしれない。
でも、止められたとしても――肩が飛ぶ。腕が死ぬ。
それでも、リアを守れるなら。
(……だったら)
〈時戻し〉四秒。
世界が、軋んで跳ねた。
耳の奥で、ぎしり、と嫌な音がした気がした。自分の頭蓋の内側が擦れるみたいな音。
◆
戻った瞬間、喉の奥まで込み上げた吐き気を噛み殺した。
視界がぶれる。心臓が一拍遅れて鳴る。身体が軽く、気持ち悪い。足の裏の感覚が薄くて、地面が遠い。
――次の瞬間。
右腕の刻印が、じわりと熱を持った。
黒い輪の奥――皮膚の下で何かが蠢くみたいに脈打ち、そこから一気に痛みが広がる。
熱が“線”になって走り、骨に沿って食い込み、指先の方へ滲む。自分の腕の中に、別の火種があるみたいだった。
焼き鉄でえぐられるみたいな感覚。
神経が剥き出しになったみたいな痛みが走った。
「――っ……!」
声が漏れる。止まらない。
腕の内側が熱い。針で何百本も刺されるみたいに、じわじわ、じわじわと広がる。握った短剣の柄が、遠い。指の感覚が薄いのに、痛みだけは鮮明だ。
(……くそ、ここで来るのか)
でも、今は倒れられない。
今、やることは決まってる。さっき見た“落ちる軌道”を、最初から潰す。
巨人が腕を振り上げる前に――俺は動く。
リアの背中を掴んで、横へ引いた。
押すんじゃない。引く。巨人の落下点から、確実に外へ。
氷の上を滑るリアの足が、ぎりぎりで止まる。
「――っ、時人様……!」
言葉に返せない。息が痛みで切れる。肺がひゅう、と情けない音を立てる。
次の瞬間。
巨人の縦の一撃が、床を叩き割った。
轟音。破片。土煙。
空気の塊が身体を叩く。砂が歯に当たる。目の端が痛い。
だが、リアはそこにいない。
(効かせたわけじゃない。避けただけだ)
――だからこそ。
今度は、こっちが殴る番だ。
◆
土煙の向こうで、巨人の腕が床に沈んでいる。
引き抜くには、一拍要る。ほんの一拍。だが、命を奪うには十分な時間。
その一拍を、逃さない。
俺は巨人の懐へ入った。
第三の目の下――開閉する肉の縁。湿った生臭さ。硬い。だが、弱点がないわけじゃない。
“嫌がる場所”がある。今の一撃で、それは分かった。
短剣を逆手に持ち替える。
刃じゃない。柄尻。
「……っ!」
殴るように、叩き込んだ。
ぐちり、と嫌な感触。
第三の目が一瞬だけ歪み、光が揺れた。
効いた――わけじゃない。致命傷でもない。
でも「嫌がった」。そこが大事だ。
巨人の呼吸が乱れ、怒りの呻きが喉の奥から漏れる。
その瞬間、リアの氷が走った。
床から、足へ。足から、関節へ。
線じゃない。面で絡め取る凍結。巨体の動きを、確実に鈍らせる。
氷が生まれる音が、戦場の中でやけに澄んで聞こえた。
「……今だ、リア!」
リアは頷く。目が澄んでいる。冷たい。迷いがない。
その眼が、俺の“揺れ”を許さない。
氷が、槍になる。
一本じゃない。三本。五本。
巨人の足元から、胸へ向かって突き上がる。
巨人が腕で叩き落とそうとする。
だが腕が重い。足が遅い。間に合わない。
氷槍が刺さる。刺さるだけで終わらない。
刺さった先から凍結が広がり、肉の内側を固めていく。体温を奪い、動きを奪い、怒りの勢いを鈍らせる。
巨人が吠えた。
第三の目が光り、視界が揺れるような圧が広がる。
鼓膜が震える。息が吸えない。心臓が跳ねる。
(来る)
幻惑か。衝撃か。
分からない――けど、避ける。
俺は床を蹴らず、滑るように体をずらした。リアの前に立つんじゃない。横に並ぶ位置へ、最短で。
並ぶ。守るじゃない。二人で受ける位置だ。
巨人の腕が横薙ぎに来る。
俺は刃を“刺す”んじゃない。“切って止める”。
肘の内側。関節の腱。
す、と刃を滑らせる。
巨人の腕がわずかに落ちる。
その隙に、リアの氷が上書きする。関節を固め、動きを奪う。
凍り付く音が、骨に染みる冷たさみたいに背筋を走った。
(……効かないなら、止める。止めたら、壊す)
俺は息を吐き、短剣を握り直した。
腕の痛みが、まだ焼けている。視界が白く滲む。だが、足は止めない。
止めたら、次はリアが持っていかれる。
巨人の胸元へ踏み込む。
第三の目の“下”――さっき柄尻で歪ませた場所へ。
今度は刃。
躊躇はない。
刺して、引いて、もう一度。
第三の目が閉じかけ、また開く。光が揺れる。怒りの呻きが漏れる。
倒れない。
それでも、確実に鈍る。
その“鈍り”を、積み上げるしかない。
リアがさらに氷を走らせる。
巨体の足元を固定し、腕の可動域を削り、逃げ道を消す。
まるで檻を作るみたいに、戦場そのものを狭めていく。
俺はその“枠”の中で、短剣を振る。
「――っ!」
巨人の第三の目が、ぎらりと俺を捉えた。
次の一撃の気配。床が鳴る。空気が重くなる。
風が止まり、音が一瞬だけ遠のく。嵐の前の静けさ。
腕の奥が、また焼ける。
神経を露出したまま熱風を浴びるみたいな痛み。視界が瞬く。
指が震える。柄が滑る。歯を食いしばる。
(……限界、近い)
でも、終わらせる。
ここで止まったら、また奪われる。
俺は息を吸い、吐いた。
「リア……次で決める」
リアが頷く。声が強い。
「……はい。時人様」
氷が、広間を支配する。
巨人の足が止まる。腕が止まる。第三の目が揺れる。
“止まった瞬間”は、必ずどこかに生まれる。そこを刺す。
俺は、短剣を構えた。
痛みで指が震える。
それでも握る。握り切る。
――守れる未来に辿り着くまで。
俺は、前へ出た。
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