第45話 三つ目
「……殿下」
下っ端の一人が頭を下げる。
「ご命令通り、銀髪の猫耳メイド、確保しました。相棒の男も――」
「ふふ。よろしい」
男――バハリュート第三王子は、手袋の指で顎を撫でた。上品な仕草のくせに、目だけが濁っている。獲物を見る目だ。
俺とリアは椅子に座らされ、縄を掛けられたまま。痛む肩が、じくじく熱を持つ。血の匂いが鼻の奥に残って、妙に頭が冴えた。
王子は、俺の前まで歩いてきて、わざとゆっくり言った。
「よくも舞台を台無しにしてくれたな」
口角が上がる。
「グリムフォードという良いコマも、よくも潰してくれた。あいつは頭が悪いが、金と人間の扱いだけは上手かったのに」
次に、リアを見る。まるで品物を値踏みするように。
「……お前、そんなにそれが大事か?」
俺の縄を指先でつつくように触れ、厭味ったらしく囁いた。
「獣人のくせに、随分と“相棒”に愛されているじゃないか。なら――お前の前で、ズタズタにしてやろう」
リアが息を呑む。肩が震えた。
俺の中で、何かが静かに崩れた。
怒りじゃない。もっと黒い、冷たいものだ。
王子は満足そうに笑って、今度は俺へ視線を戻す。
「冒険者風情が、この俺の邪魔をしてくれたな。身分も分からぬ虫けらが、王家の意志を踏みにじった罪は重いぞ?」
――王家の意志。
自分で言った。
この瞬間、ここにいる全員が聞いた。
壁際の“下っ端”の一人が、ゆっくり前へ出る。フードを深く被ったまま、声だけが落ちた。
「……殿下」
王子が眉をひそめる。
「何だ。勝手に口を挟むな」
フードが、わずかに上がる。
隠していた顔が、灯りに晒された。
「騎士団長――セネガル……!?」
ざわ、と空気が震えた。下っ端たちの顔色が変わる。私兵の一人が反射的に剣に手を掛ける。
セネガルは淡々と告げた。
「今の言葉、聞き捨てならない。あなたは自ら、王家の名で人攫いと私刑を指示した」
王子は、一瞬だけ驚いた顔をして――すぐに笑った。
「はは。立ち会いか。ご苦労だな、騎士団長」
余裕を崩さない。むしろ楽しそうに、俺とリアを見下ろす。
「だが、何だ? 証拠でも持ってきたつもりか? 聞き間違いだと言えば終わりだ。お前の“耳”に価値はない」
セネガルの目が鋭くなる。
「殿下――」
「黙れ」
王子が、軽く手を振った。
その瞬間、私兵が一斉に動いた。数歩、セネガルへにじり寄る。逃げ道を塞ぐ陣形。ここは王子の私邸。数も権限も向こうが上だ。
――その上で。
王子の手が、懐へ伸びた。
俺の背筋が凍る。
(来る)
ただの武器じゃない。
前に見た。何度も何度も。どうしても勝てなくて、傷だらけになって、死にかけて――それでも戻って、戻って、戻って。
グリムフォード侯爵が最後に出した、あの水晶の髑髏。
あれが出た瞬間、世界のルールが変わる。
「……っ」
叫ぶ前に、時間を裂く。
〈時戻し〉四秒。
世界が、鈍く軋んだ。
◆
戻る。
王子の指先が、まだ懐に触れる“直前”。
痛みが頭蓋の内側を叩き、視界が一瞬だけ滲む。だが倒れない。今ここで崩れたら終わりだ。
俺は息もつかず、リアにだけ低く言った。
「リア。今から――あいつが“水晶の髑髏”を出す。腕ごと凍らせろ。出させるな」
リアの瞳が大きく揺れる。
何を言ってるのか分からないはずなのに、俺の声の温度だけで察したのか、短く頷いた。
「……はい」
王子の手が、懐へ――。
その瞬間、リアの魔力が走った。
白い霜が、王子の袖口から一気に這い上がる。手袋ごと、肘まで。
「な――!」
王子の動きが止まった。氷が“掴んだ”みたいに、関節を固めている。
懐から半分だけ覗いた透明な髑髏が、凍りついた腕の下で鈍く光った。
セネガルが一歩踏み込む。
「殿下、これ以上の抵抗は――」
「……黙れ」
王子の声が低くなる。さっきまでの余裕が、剥がれ落ちた。
「凍らせた? 凍らせたくらいで止まると思ったか?」
王子は笑った。歯を見せて。
「俺は“選ばれた”人間だ。世界を征服する人間だ。全ては俺のものだ」
凍った腕を、無理やり引く。氷が軋む。砕ける音。リアが息を呑んだ。
王子は、凍結の隙間から髑髏を引き抜こうとする――だが完全には抜けない。腕が言うことを聞かない。
それでも王子は、往生際悪く叫んだ。
「なら、俺が器になればいい……!」
凍りかけた腕を、自分の胸へ叩きつける。水晶の髑髏が、服越しに押し当てられた。
「――来い。来い、来い、来い……!」
空気が、沈む。
灯りが揺れた。音が消えた。
水晶の髑髏の眼窩が、黒く光った。
(やめろ――!)
俺が動くより早く、黒い靄が噴き出した。王子の胸へ、腕へ、喉へ。
王子が笑う。喉が裂けるような笑い声で。
「そうだ……これだ……!」
次の瞬間。
肉が盛り上がる音がした。
骨が鳴る。関節が歪む。王子の身体が、人の形を保てなくなる。
布が裂け、鎧みたいに皮膚が硬化し、背中から“何か”が膨らむ。
そして――
顔の中央、額のさらに上。
三つ目が、開いた。
薄い膜が破れ、ぎょろりと眼球がこちらを見た瞬間、俺は確信した。
(……同じだ)
前に見た“あれ”。
この先、何度も俺たちを追い詰める気配。
王子だったものが、巨人になっていく。天井に頭がつかえるほどの、三つ目の怪物。
セネガルが剣を抜いた。
「全員、下がれ!」
私兵が凍りついたように動けない。
リアが一歩、俺の横へ出る。震えていない。目が、冷えて澄んでいる。
俺は縄を引きちぎるように腕を捻り、短剣を握り直した。
肩が痛い。頭が重い。息が荒い。
それでも――目の前の怪物は、もう笑っていた。
「さあ。続けよう」
三つ目が俺たちを映す。
「泣かせるのは、どっちだ?」
リアの息が、俺の隣で一度だけ跳ねた。
俺は短く言う。
「……リア、来い」
「……はい」
返事は、いつも通り。けれど今までで一番強い。
怪物が、大剣を拾い上げた。
次の瞬間、広間の床が震えた。
――戦いが始まる。
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