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第44話 餌

私邸の場所は、地図に載っていなかった。


王都の“外れ”――と言っても、ただの郊外じゃない。人通りは少ないが、貧しさはない。むしろ逆だ。手入れされた石畳。無駄に広い敷地。植え込みは剪定され、窓は閉じられ、生活の匂いがしない。


石壁が高く、門が重い。通りは静かで、足音が妙に響く。自分の靴音だけがやけに大きく聞こえて、誰かに監視されている気分になる。


ここに住んでいるのが“王族の一人”だなんて、普通なら信じない。王城とは違う。誇示するための建物じゃない。

――隠れるための場所だ。


けれど、俺の手の中にあるものが、それを否定させない。薄い金属の印章。王家の紋。細工は繊細で、重みは軽いはずなのに、握ると掌が冷えるほどの、嫌な重みがある。


ただの金属じゃない。

これが動かしている人間の数を思えば、軽いはずがない。


リアは隣を歩く。俺の肩の傷を見て、何度も視線を泳がせていた。言葉にしない不安が、横顔に浮かんでいる。


「……時人様、その傷……」


声は小さい。怒るでもなく、責めるでもなく、ただ心配だけが滲んでいる。


「動ける」


短く返す。

本当は痛い。鈍い疼きが肩から背中へ抜ける。だが、それを言えば止められる。


それだけ言うと、リアはそれ以上言わなかった。言いたいことは顔に出てるのに、飲み込む。唇を結び、俺の歩幅に合わせる。


アジトから連れ出した獣人たちは、もうギルドの手に渡してある。“保護名目”という形で、ギルドが動く。

街で騒ぎになる前に、公式な処理にしてしまう。それがセネガルの判断だった。


だから俺たちが、次にやることは一つだった。


証拠で裁くんじゃない。

――動かして、口を滑らせさせる。



ギルド裏手。人目の少ない倉庫の陰。

積み上げられた木箱の影は濃く、昼間でも薄暗い。


セネガルが待っていた。騎士団長。鎧はいつも通りだが、顔は硬い。


「……王族相手だ。紙や印だけじゃ足りない。偽造だ、知らない、で終わる」


声は低い。断言だった。

経験から来る重みがある。


「分かってる」


俺は即答した。


「だから“証拠”じゃなく、“餌”にする」


セネガルの目が細くなる。

ほんのわずかに、口元が動いた。


「餌、か」


「俺とリアを“捕まえたこと”にして、私邸へ運ばせる。そこで本人に喋らせる。開き直ってでも、侮辱でもいい。人前じゃなくても、立ち会いがいれば、後で逃げられなくなる」


リアが息を呑んだ。喉が小さく鳴る音が聞こえた。

王族の私邸。護衛も私兵もいる。逃げ道はない。


それでもリアは、視線を逸らさなかった。


「……分かりました」


小さな声だったが、揺れていない。

覚悟だけは、もう決まっている。


セネガルは短く頷く。


「……私も行く。ただし、表には出ない。顔を隠し、部下を装う。私が“騎士団長”だと知られた瞬間、相手は引く。警戒して、口も塞ぐ」


「それでいい」


「立ち会いはする。だが、指揮は取らない。お前が主導しろ」


「当然だ」


セネガルは、フード付きの外套を持ち上げた。徽章も剣帯も外してある。重厚な鎧の威圧感が消え、ただの兵に見える。


だが、消えないものがある。

立っているだけで空気が締まる。



仕込みは、必要最小限でいい。


“捕縛”の縄は本物に見える程度。だが締め切らない。ほどける位置に結び目を置く。

暴れたときに切れる余白も作る。


問題は、俺の肩の傷だ。血が出れば演技じゃない。弱点になる。

それでも隠しきれない。


(……ここで倒れるわけにはいかない)


呼吸を整える。

痛みを押し込める。

動ける。まだ、動ける。



“運び役”は二人。


俺たちが捕まえた下っ端を、生かしたまま縛っておいた連中だ。命が惜しい。だから従う。


「……分かってるな」


俺が低く言うと、男は青い顔で頷いた。汗が首筋を伝っている。


「し、私邸まで運ぶ……それだけだ……!」


セネガルは、その男たちの後ろに立つ。フードで顔を隠し、声を出さない。

だが背筋が伸びすぎている。兵士としての癖は消えない。


俺とリアは縄を掛けられた“ふり”をする。

歩幅も呼吸も、わざと鈍らせる。


王都の通りが遠ざかる。

商人の声が消え、静かな道へ入る。


高い壁。重い門。

石の匂いが、冷たい。


そこが、私邸だった。


門番は私兵。鎧は簡素だが、目が死んでいる。仕事として人を見ている目だ。

感情がない。命令だけで動く目。


下っ端が一歩前へ出て、頭を下げた。


「……受け取りに来ました。殿下のご命令通り、銀髪の猫耳メイドと、その相棒を」


門番の視線が俺とリアを舐める。縄。血の匂い。俯いたリア。


「合図は」


「――コン、コン、コン。三回、短く」


門番が小さく顎を上げた。


「通せ」


門が開く。鉄が軋む音が、やけに大きい。

逃げ道が閉じる音にも聞こえた。



中は静かだった。整いすぎている。


“見せるため”じゃない。隠すための屋敷。

廊下の装飾は控えめ。豪華さよりも、実用性。


廊下を進む。絨毯が靴音を吸う。

階段を降りる。地下へ。


空気が重い。湿気。油。鉄。

肌の奥がざわつく、嫌な気配。


扉がひとつ。


鍵が外される。


中は広間だった。ランタンが等間隔に並び、影が少ない。逃げ場所がない作り。


私兵が俺たちを椅子に座らせる。縄を締め直した“ふり”をする。

手首に残るわずかな隙間が、命綱だ。


リアは俯く。俺も、目を伏せる。

呼吸だけを整える。


捕まった顔を作る。


セネガルは部下の一人みたいに、壁際に立つ。フードの影。顔は見えない。

だが、そこにいるだけで空気が締まる。


扉が閉まる。


――待つ。


ここまで来たら、出てこない方が不自然だ。自分の獲物を、自分の目で見ない人間じゃない。

舞台を汚されたなら、なおさら。



足音。


軽い。慣れている。踏みしめない歩き方。

自分が安全だと信じている人間の足音。


扉が開く。


灯りが差し込んで、入ってきた影を見た瞬間――胃の奥が冷えた。


来た。


王族本人。


この場で、口を滑らせるまで。

この場で、“自分の罪を自分の舌で語る”まで。


俺は息を殺した。


リアの呼吸が隣で震える。

壁際のフードが、ぴくりとも動かない。


そして、甘い声が広間に落ちた。


「……ふふ。ようやく、俺の“邪魔者”が来たか」

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