第43話 割り印
氷の匂いが、まだ広間に残っていた。
白く凍った床の上で、俺は肩を押さえたまま息を整える。痛みは鋭いのに、思考だけが妙に冷えていた。
「時人様、動かないでください」
リアが近づき、俺の肩口を見て眉を寄せる。血が温かく流れて、服の布を重くしていた。
「……止血、できるか?」
「はい」
リアは指先をかざす。冷気が、傷口の周りをなぞるように走った。
ひやり、と骨に届く冷たさ。次の瞬間、血の流れが目に見えて弱まる。
「……冷た……っ」
「深くは凍らせません。表面だけです」
薄い氷の膜が、裂けた肉を“縫い留める”みたいに固まる。痛みは消えない。むしろ鋭さが増す。けれど――血が止まる。それが今は一番大事だった。
「……助かる」
「あとで、ちゃんと縛ります。今は動けますか」
俺は小さく頷いた。動ける。動けなきゃ困る。
「……行くぞ」
◆
ここから先は戦いじゃない。――証拠を拾う。
通路は、さっきまでの雑さが嘘みたいに整っていた。壁には鉄の留め具、床は踏み固められ、足音がやけに通る。灯りも等間隔で、影が少ない。
(……管理する側の場所か)
扉の一つが、妙に“ちゃんとして”いた。板戸、金具、鍵穴。
俺が鍵穴を覗いた瞬間、リアが察して指先を向ける。
「……凍らせます」
「音は小さく」
リアが頷き、金具に冷気を流す。白い霜が走り、錠の芯がぱき、と小さく割れた。
俺が押すと、扉が音もなく開く。
中は事務室だった。粗末じゃない机。帳面。封筒の束。小さな金庫。壁には地図。棚には銀貨袋がいくつも並んでいる。
俺は机の上の封筒を一つ取り上げた。
封蝋。
赤い蝋の上に、押された紋。
冠と鳥の意匠――王都の“上”が使う印だ。
息が、少しだけ詰まる。
「……王家の紋章ですか」
リアが囁く。
「似てる。……少なくとも、王都の権力に繋がる印だ」
封筒の中身は短い。符丁だらけの指示書だったが、読める部分だけで十分だった。
“銀髪”“猫耳メイド”“相棒の前で泣かせろ”。――狙いは、最初からリアで間違いない。
俺は紙を布に包むように折り畳み、証拠としてまとめた。
怒りを膨らませる時間は、今はいらない。
次に、棚の奥から小さな木箱を引きずり出す。蓋を開ける。
金属の札。通行用の札みたいな作りで、角に同じ紋が刻まれている。
そして、蝋の印を押すための割り印。
……ここまで揃ってるなら、偶然じゃない。
さらに帳面をめくる。支出と収入。名前のない入金。符丁の列。
その中に、妙に具体的な項目が混じっていた。
高級な酒。香。衣装。
そして、王宮近辺の区画にある店の名――“御用達”の記録。
端の走り書きには、名前を避けた書き方があった。
「殿下筋」
直接の名はない。
でも、こういう書き方をする時点で、表に出せない相手だ。王族の中でも“黒い噂”が立つ相手――問題児。
(……大物だな)
俺は包みを結び直し、割り印も札も帳面も、全部まとめて確保した。
「これだけあれば……」
リアが言いかけて、口をつぐむ。
“法で裁ける”とは、簡単に言えない。分かっているんだ。
「……まずは、握る。逃げ道を消す」
俺は短く答えた。
◆
別の扉を開けると、鉄格子が見えた。
檻。
子どもがいた。老人がいた。痩せた獣人たちが、いくつも重なって震えていた。
目が合った瞬間、怯えが走る。
「……っ」
声にならない息。
俺は鍵を探し、錠前を外す。
リアが檻の前にしゃがみ、低い声で言った。
「大丈夫です。もう、終わりました。……出られます」
誰かが泣きそうな息を漏らす。
俺は命じる。
「歩ける奴から出ろ。声は出すな。支え合って動け」
優しい言葉は出ない。
今は“連れて帰る”だけでいい。生きて外へ出せば、それが何よりの勝ちだ。
◆
王都へ戻る頃、空は傾き始めていた。
ギルドの扉を開けた瞬間、受付嬢が顔色を変えた。
「……時人さん!? リアさん!? その人たち……!」
「保護した。……説明はあと。休ませてくれ」
受付嬢は即座に動いた。奥から職員が出てきて、毛布と水が運ばれる。獣人たちの肩が、少しだけ落ちた。
俺はその隙に、包みを抱えたまま、受付嬢にだけ囁く。
「……これ、どこで見せればいい。揉み消されない場所がいい」
受付嬢は一瞬迷って、すぐに答えた。
「……ギルド長に。今すぐ呼びます」
頷いた。
俺が欲しいのは“正義”じゃない。逃げ道のない形だ。
◆
個室。机。ランタンの灯り。
ギルド長は、包みの中身を順に見ていった。
封蝋の紋。割り印。通行札。帳面。指示書。
ひとつひとつ確認するたび、顔から冗談が消えていく。
最後に、割り印を指でなぞった。
「……これは、王家の紋を“使える”連中の品だ。盗品で片づけるには、筋が悪すぎる」
ギルド長が視線を上げる。
「時人。これを表に出すなら、覚悟がいる。相手は“揉み消す側”だ」
「分かってる」
俺は即答した。肩の痛みで息が荒いのに、声だけは冷たく出た。
「だから、揉み消せない形にする」
ギルド長が黙る。
その沈黙が、“同意”の重さに変わる。
リアが隣で、ぎゅっと唇を噛んだ。
俺の肩口の氷を、もう一度だけ確かめるように見てから、顔を上げる。
「……時人様と、一緒にやります」
ギルド長が短く頷いた。
「……まずは保護した連中を安全な場所へ移動させよう。時人、お前たちは傷の手当てを優先しろ。今夜は動くな」
俺は言い返しかけて、やめた。
今夜動いても、情報が足りない。確保した証拠を“武器”に変える準備が要る。
俺は椅子から立ち上がる。肩が痛む。視界が少し揺れる。
それでも、足は止まらない。
廊下に出ると、リアがすぐ隣に並んだ。
「時人様」
「……何だ」
「……あまり無理をしないでください」
短い言葉。だけど、刺さる。
俺は息を吐いて、頷いた。
「ああ。……次は、気を付ける」
リアが小さく頷く。
その瞬間、背中の奥に残っていた冷たさが、少しだけほどけた。
王家の印。殿下筋。黒い噂。
ここから先は、力だけじゃ届かない。
だからこそ――届かせる。
俺は包みを握り直した。
「……次は、尻尾を“現行”で掴む」
リアの声が、すぐ返ってくる。
「はい。隣で」
灯りの向こうに、王都の夜が広がっている。
その奥で、誰かがまだ“遊んでいる”。
自分の足元が、もう燃え始めていることも知らずに。
最後までお読みいただきありがとうございます。
『面白かった』『続きが読みたい』と思っていただけましたら、下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いいたします!
面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、正直な感想で構いません。
また、ブックマークもしていただけると嬉しいです。
是非ともよろしくお願いします!




