第37話 追跡
市場の喧騒が、朝の空気に溶けている。
焼きたてのパンの匂い。
野菜を並べる音。
笑い声。
平和そのものの光景。
なのに――
俺の胸の奥だけが、ずっと冷たい。
リアが隣を歩いている。
それだけで救われるのに、
それだけで、怖い。
失った未来を一度見てしまったせいで、
この「当たり前」が、薄い氷の上みたいに感じる。
(……もう二度と、間に合わないなんて言わせない)
俺はさりげなく視線を巡らせた。
前。
横。
屋根の上。
人混みの影。
――違和感。
ほんの僅か。
でも、確実に。
足音がひとつ。
ずっと、同じ距離。
俺が速度を変えると、同じだけ変わる。
(……いるな)
〈時戻し〉二秒。
世界が、わずかに跳ねる。
戻った瞬間から、最初から意識して視線を流す。
屋台の陰。
……いた。
外套を深く被った男。
顔を隠しているが、視線だけがこちらを追っている。
(確定だ)
胸の奥が、すっと冷えた。
怒りじゃない。
氷みたいな殺意。
俺はリアにだけ聞こえる声で囁く。
「……少し寄り道する」
「寄り道……?」
「俺の後ろに、ぴったり」
説明しない。
でもリアは頷いた。
「……分かりました」
すっと背後に回り、コートの裾をぎゅっと掴む。
これで余計な心配はいらない。
俺は追跡に集中できる。
――主導権は、こっちだ。
◆
わざと裏道へ入る。
角を曲がり、さらに曲がる。
人通りが薄くなる。
男は、まだついてくる。
一定の距離。
慎重な足運び。
(もっと近づけ)
三歩。
二歩。
一歩。
〈時戻し〉三秒。
時間が巻き戻る。
男がまだ俺の背後にいて、
俺が気づいていない“数秒前”の位置へ戻った。
位置は把握済み。
だから――
最初から動く。
反転。
一気に踏み込む。
「――っ!?」
男の目が見開く。
遅い。
胸ぐらを掴み、壁に叩きつけた。
「ぐぁっ……!」
鈍い音。
息が止まる音。
喉元に短剣を押し当てる。
「騒ぐな」
低く言う。
「次に声出したら、切る」
男の顔から血の気が引いた。
◆
リアが、少し離れた場所でこちらを見ている。
不安そう。
でも、止めない。
俺を信じている。
……だから。
俺は、容赦しない。
「誰に雇われた」
「し、知らねぇ……!」
刃を少し押す。
皮膚が裂ける。
血が滲む。
「ぎっ……!?」
「次は深くいく」
感情は込めない。
ただ、事実だけ告げる。
「俺は今、機嫌が最悪だ」
男の歯が、がちがち鳴る。
「ば、場所は言う! 言うから!」
「どこだ」
「王都の外……! 南門から二時間……古い採石場……!」
二時間。
遠すぎず、近すぎない。
衛兵も目を向けない距離。
「中か?」
「……奥に坑道がある! 表からは見えねぇ!
崩れた壁の裏……木の板で塞いでる……!」
「合図は」
「三回、短くノック……コン、コン、コンだ……!」
――よし。
道順。
目印。
入口。
「次に狙うのは」
男の顔が青ざめる。
「……今日の夕方だ……買い物の帰りを……」
リアが背後で、裾を握る手に力を込めた。
「……時人様……」
震えている。
だから。
ここで終わらせる。
「……余計なことをしたな」
俺は男の耳元で囁いた。
「お前の依頼は、失敗だ」
「……っ……!」
男が暴れようとする。
俺はその動きを読んでいた。
顎の下――急所。
掌底を、叩き込む。
「ぐっ……!」
男の目が揺れる。
膝が折れる。
そのまま、崩れ落ちた。
気絶。
もう、起きない。
◆
俺は南の方角を見た。
採石場。
坑道。
復讐者。
そして、その“上”にいる黒幕。
「……行くぞ、リア」
「……はい」
小さく、でも強い声。
俺は拳を握る。
守るために。
壊す。
今度こそ。
失う前に、全部終わらせる。
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