表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

34/50

第34話 代償

――目を開けた瞬間。


世界が、割れた。


頭の奥を、釘で貫かれたみたいな痛みが走る。


「……っ、ぐ……!」


喉が熱い。


咳き込んだ拍子に、口の中に鉄の味が広がった。


吐き出す。


赤い。


血だ。


「……は、ぁ……はぁ……」


息が、うまく吸えない。


肺が、擦れているみたいに痛い。


起き上がろうとして――


身体が言うことをきかなかった。


腕に力が入らない。


脚が痺れている。


視界の端が、白く滲む。


(……戻った、のか)


思考が遅い。


まるで、泥の中を歩いているみたいだ。


――でも、確認しなきゃいけない。


最優先は、リア。


俺は歯を食いしばり、身体を引きずるように起こす。


その時。


右腕が視界に入った。


「……?」


手首から少し上。


腕をぐるりと一周するように、黒い紋様が刻まれている。


入れ墨みたいに、肌に沈んだ線。


どんなに擦っても落ちそうにない、染みついた黒。


痛みはない。


熱もない。


ただ――不気味に、そこにある。


(……魔女の、痕……?)


さっきまでの白い空間。


音のない場所。


光だけの世界。


あの“何か”が言っていた。


記憶は残らない、と。


――なのに。


この紋様だけが、残っている。


腕を握る。


指先が震える。


その黒は、まるで言葉を持っているみたいだった。


静かに、確実に――代償の支払いを刻みつけて。


「……代償は、払ったぞ」


そう囁かれた気がして、背筋が冷えた。


……いや、今はそれどころじゃない。


時間だ。


時間を確認しろ。


俺は、歪む視界のまま、窓の外を見た。


朝だ。


まだ、人通りがある。


この光は――


(……昨日じゃない)


心臓が跳ねた。


俺は、必死に頭の中で整理する。


リアが「市場で買い物してきますね」と言ったのは――昼前。


そこから、夕方、夜。


あの洋館。


血の匂い。


冷たい身体。


俺の絶叫。


(……戻れたのか)


喉が鳴った。


震える膝に無理やり力を入れて、立ち上がる。


ふらつく。


壁に手をつく。


吐き気がこみ上げ、胃がひっくり返りそうになる。


それでも、行かなきゃいけない。


戻れたなら、次は――止める番だ。


俺は外套を掴み、部屋を飛び出した。



市場は、いつも通りだった。


屋台の声。


野菜を選ぶ女の人。


肉屋の呼び込み。


笑い声。


――あまりに普通で、眩暈がする。


あの夜の血の臭いが、嘘みたいに消えている。


(違う……嘘じゃない)


俺の中では、まだ終わってない。


ただ、世界だけが巻き戻った。


俺だけが、覚えている。


息が荒い。


胸が痛い。


視界が揺れる。


でも、足は止まらなかった。


人混みを縫って、探す。


銀髪の猫耳。


メイド服。


あの姿。


(……頼む)


焦りで喉が焼ける。


心臓が、早鐘みたいに暴れる。


そして――


見つけた。


卵を選んでいる。


指先で一つずつ確かめて、割れていないか見ている。


その隣に、ベーコン。


香草。


パン。


……いつもの朝食の材料だ。


俺の視界が、一気に滲んだ。


(……生きてる)


呼吸が止まりそうになる。


リアは何も知らない顔で、買い物袋を抱えている。


昨日の夜、血まみれで――なんて、欠片もない。


その対比が、胸を抉った。


俺は、足を止めた。


近づきたい。


今すぐ抱きしめたい。


でも、勢いのまま行けば、何かが変わる。


敵が近くにいるかもしれない。


この時点で、目をつけられていたら?


俺が動くことで、誘拐の流れが加速したら?


(……冷静になれ)


俺は、歯を噛みしめて、距離を取ったまま見守る。


リアが、ふと顔を上げた。


俺を見つける。


瞳がぱっと明るくなる。


「時人様?」


いつもの声。


いつもの笑顔。


それだけで、胸がいっぱいになった。


俺は、なんとか口角を上げた。


「……買い物、終わったか?」


「はい。もう少しで買い物終わりますから、待っていてくださいね」


「ああ……」


そう答えた瞬間。


喉の奥が、ひくりと震えた。


視界が、滲む。


――まずい。


慌てて顔を逸らす。


深呼吸。


落ち着け。


大丈夫だ。


リアは生きてる。


目の前にいる。


助かった。


もう失ってない。


……なのに。


ぽたり。


石畳に、水滴が落ちた。


「あ……?」


自分でも、何が起きたのか分からなかった。


次の瞬間。


ぽた、ぽた、ぽた、と。


止まらない。


「……っ……」


胸の奥に押し込めていたものが、一気に崩れた。


息が、うまく吸えない。


喉が締まる。


肩が震える。


「と、時人様……?」


リアの戸惑った声。


それを聞いた途端。


決壊した。


「……っ……ぅ……」


声にならない。


歯を食いしばっても、止まらない。


ぼろぼろと涙が溢れる。


みっともないくらい、ぐしゃぐしゃに。


「よ、よかった……」


やっと出た言葉は、それだけだった。


「……生きてて……よかった……」


リアが、呆然としているのが見える。


当然だ。


急に泣き出した俺なんて、意味が分からない。


でも――無理だった。


血の匂いが、まだ鼻の奥に残っている。


冷たかった。


軽かった。


呼んでも返事がなかった。


「……っ……くそ……」


拳を握る。


震えが止まらない。


「……もう……二度と……」


声が掠れる。


「……二度と、いなくなるなよ……」


情けない。


子どもみたいな言葉。


それでも、止められなかった。


リアは、しばらく迷うように瞬きをして。


それから。


そっと。


俺の袖を、きゅっと掴んだ。


「……はい」


小さく。


でも、確かに。


「……どこにも、行きません」


その言葉で。


また、涙が溢れた。


人混みのど真ん中で。


俺はしばらく、みっともなく泣き続けた。


周りの視線なんて、どうでもよかった。


ただ。


目の前に、リアがいる。


それだけで――


世界は、救われていた。


しかし、黒い紋様が、不気味に“そこにある”。

最後までお読みいただきありがとうございます。

『面白かった』『続きが読みたい』と思っていただけましたら、下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いいたします!


面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、正直な感想で構いません。

また、ブックマークもしていただけると嬉しいです。


是非ともよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ