第33話 時の魔女
白。
ただ、白。
上も、下も、右も、左も。
境界がない。
空も、地面も、影もない。
俺は――浮いていた。
いや。
浮いている、という感覚すら曖昧だった。
重力がない。
身体の重みがない。
呼吸の音も、心臓の鼓動も、何も聞こえない。
音が、存在していない。
世界から“概念”ごと削り取られたみたいに。
「……ここは……」
声を出したつもりだった。
だが、響かない。
音にならない。
言葉が、空間に溶けて消える。
自分が喋ったのかどうかさえ、分からない。
ただ――
光だけが、ある。
やわらかい。
温かくも、冷たくもない。
意味のない光。
永遠みたいな沈黙。
時間の流れすら、感じない。
一秒なのか。
一万年なのか。
分からない。
思考が、ゆっくりと溶けていく。
俺は、何をしていた?
どこから来た?
何を、失った?
……失った?
その瞬間。
光の奥に、“影”が生まれた。
いや。
影ではない。
輪郭が、曖昧な何か。
人の形をしているようで。
していない。
近いのか、遠いのかも分からない。
ただ――
“そこにいる”。
それだけが、確実だった。
目が、合った。
目なんて、あるのかも分からないのに。
確かに、“見られた”。
ぞわり、と。
魂の奥を直接掴まれるような感覚。
理解より先に、本能が告げる。
――人じゃない。
「……ああ」
声が、聞こえた。
耳ではなく。
頭の奥に、直接。
水面に落ちた雫みたいに、静かに広がる声。
「来たのね」
柔らかい。
けれど、温度がない。
男でも女でもない。
子どもでも老人でもない。
年齢という概念が、存在しない声。
「……誰だ」
問いかけた、気がした。
「名前は、たくさんあるわ」
光の中の“それ”が、わずかに揺らぐ。
「魔女と呼ばれたこともあるし」
「災厄と呼ばれたこともあるし」
「神と勘違いされたこともある」
くす、と。
笑った、気配。
「あなたたちは、いつも勝手に名前を付ける」
ふわり、と近づく。
距離がないはずなのに、近づいたと分かる。
存在感が、濃くなる。
「でも――」
「いちばん分かりやすいのは」
ほんの少しだけ、形が整った。
黒い影。
長い髪のような揺らぎ。
白い瞳のような光。
人型。
けれど決して、人ではない。
「“時の魔女”」
その言葉が、空間に落ちた瞬間。
世界が、軋んだ。
俺の胸の奥が、締め付けられる。
「……時……」
「あなた、面白いことをするのね」
面白い。
そう言った。
「時間を巻き戻すなんて」
「禁忌よ」
さらりと。
当たり前みたいに。
「本来、触れてはいけない領域」
「世界の骨組み」
「運命の流れ」
「それを、あなたは毎回、ぐしゃぐしゃにかき混ぜている」
怒っている様子はない。
責めてもいない。
ただ、観察している。
虫を見るみたいに。
「普通はね」
「一回で壊れるの」
「魂も、身体も」
「耐えられない」
白い瞳が、俺を射抜く。
「でも、あなたは壊れない」
「少しずつ、削れていくだけ」
「すり減って、濁って」
「人間から、遠ざかっていく」
ぞくり、と寒気が走る。
「魔に、近づいている」
静かに、告げられる。
事実として。
「代償は、もう始まってるわ」
「身体」
「魂」
「時間」
「ぜんぶ、食われていく」
なのに。
魔女は――
楽しそうに、笑った。
「……でも」
「面白い」
心臓を掴まれたみたいだった。
「あなたみたいなの、久しぶり」
「世界を壊してまで、ひとりを救おうとするなんて」
「滑稽で」
「愚かで」
「――とても、綺麗」
綺麗。
そう、言った。
「だから」
すっと、指先が伸びる。
触れられた。
触れた感覚はないのに。
何かが、刻まれる。
「少しだけ」
「利用させてもらうわ」
黒い紋様。
鎖みたいな輪。
それが、手首に絡みつくイメージ。
「あなたは、もっと壊れる」
「もっと深く、沈む」
「その先が、見たい」
囁く。
「この記憶は、残らない」
「これは夢」
「幻」
「都合のいい解釈」
「あなたは、私を覚えていない」
視界が、揺れる。
光が、砕ける。
「……待て……!」
伸ばした手が、空を掴む。
「また、会いましょう」
最後に。
微笑んだ、気がした。
人間みたいに。
とても、優しく。
とても、残酷に。
次の瞬間。
世界が、割れた。
白が、赤に変わる。
音が、爆発する。
重力が、落ちてくる。
身体が、引き裂かれる。
――叩き落とされる。
意識が、強制的に引き戻された。
――「また、会いましょう」
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