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第32話 断絶

リアの身体は、冷たかった。


抱き上げた腕の中で、もう二度と温まらない冷たさだと分かっているのに――

俺は、手を離せなかった。


「……リア……」


名前を呼ぶ。


返事はない。


それでも呼ぶ。


「リア……リア……!」


声が掠れ、喉が痛んでも、呼ぶのをやめられない。


指先で、髪を撫でる。

頬に触れる。


冷たい。


あまりにも冷たい。


「……なんで……」


吐息みたいな声が漏れる。


「なんでだよ……」


膝が震えた。

床に落ちる血の匂いが、鼻の奥にへばりつく。


目の前にあるのは現実だ。

何度まばたきしても、変わらない。


リアは――


動かない。


「……っ……!」


胸の奥が引き裂かれる。


叫びたかった。

叫んで、暴れて、全部ぶち壊して、

この現実が嘘だって証明したかった。


「う、あ……っ」


声にならない。


嗚咽が先に出る。


俺は、リアを抱いたまま、床に額を叩きつけた。


ごん、と鈍い音。


痛みなんてどうでもよかった。


「……嘘だろ……」


もう一度、額を打つ。


「嘘だって……言えよ……」


血が滲んだ。

視界に赤が混じる。


でも、赤なんて、ここには最初から溢れていた。


「……俺が……」


言葉が歪む。


「俺が……守るって……」


言った。


そう言ったのに。


「……俺が……」


指が、震える。


リアの服の裂け目。

血で濡れた肌。


――傷。


数え切れない。


誰かが、わざわざ、時間をかけて。


そう思った瞬間。


怒りが、腹の底からせり上がる。


「……ふざけるな……」


唇が裂けるほど噛みしめる。


「ふざけるな……!!」


俺は立ち上がり、周囲を殴った。


壁を。

柱を。

扉を。


拳が砕ける音がした。


痛みが走る。


でも、それが何だ。


「出てこい!!」


叫ぶ。


「誰だ!!」


返事はない。


静寂だけが返ってくる。


それがさらに俺を狂わせた。


「出てこいよ……!」


声が裏返る。


「ここにいるんだろ!!」


誰かが見ていたはずだ。

これをやった奴がいる。


必ずいる。


でも、いない。


いない。


どこにも。


――どこにもいない。


その事実が、次の感情を引きずり出した。


自責。


「……俺が……遅かった……」


呟いた瞬間、自分の声がひどく他人事みたいに聞こえた。


「俺が……一緒に行けば……」


市場に。


あの日のいつもの会話。


“すぐ戻ります”って笑って――


俺は、頷いただけだった。


「……俺が……」


リアを置いて。


俺が。


「……俺が……!」


今さら、取り返しのつかないことを何度繰り返しても、

結果は変わらない。


変わらないのに。


頭の中が、その一点だけを責め続ける。


「……俺は……何もできなかった……」


〈時戻し〉がある。


何度もやり直せる。


それが俺の武器だ。


なのに。


リアが死んだ。


現実を、俺は止められなかった。


「……何が……やり直せるだ……」


笑い声みたいな嗚咽が漏れる。


「……結局……」


声が震える。


「俺が助けられるのは……目の前の命だけで……」


「守りたいものは……守れない……」


リアの身体を抱き締める。


骨が折れそうなくらい。


「……ごめん……」


謝る。


意味がないのに。


「ごめん……ごめん……」


言葉を吐くたび、胸が潰れる。


もう戻らない。


もう、何をしても。


――違う。


違う。


戻らない、なんて。


そんなことは、許されない。


俺は、顔を上げた。


涙で視界が滲む。


でも、その滲みの中で、たった一つだけ、はっきりした。


「……取り戻す」


声は小さい。


でも、自分の中で、決定になる音がした。


「……取り戻す」


どんな代償でも。


どんな罰でも。


「……払う」


俺は、リアを抱いたまま、震える息を吸った。


〈時戻し〉。


これまで、三秒だの、一分だの。

その程度しか戻せなかった。


それでも苦しかった。


それでも――


やるしかない。


リアが生きている時間まで。


たとえ半日でも。


それ以上でも。


俺の身体が壊れようが、

心が壊れようが、


そんなものは――今さらだ。


「……戻れ……」


呟く。


「戻れ……戻れ……戻れ……!」


意識を、頭の奥に集める。


あの感覚。


時間の縫い目に指を突っ込んで、

無理やり引き裂く感覚。


〈時戻し〉――


世界が、軋んだ。


まず、目の奥が熱くなった。


焼けるように、痛い。


「……っ……!」


血が、滲んだ。


涙じゃない。


赤い。


視界が、赤い。


それでも止めない。


次に、耳鳴りが来た。


きぃぃぃ――


高い音が、頭蓋骨の内側を削っていく。


音が大きくなるたび、

現実が遠ざかっていく。


「……っ……ぐ……!」


吐き気が込み上げる。


堪えきれず、胃の中のものを吐いた。


床に落ちる音。

酸の匂い。


それでも止めない。


手足が、痺れた。


指が開かない。


膝が笑う。


視界がぐらつき、身体が勝手に揺れる。


「……まだだ……!」


喉の奥から無理やり声を絞り出す。


「……戻せ……!」


痙攣が始まった。


腕が跳ねる。

足が跳ねる。


自分の身体なのに、言うことをきかない。


それでも、頭だけは――止めない。


止めない。


止められない。


世界が、赤く染まった。


床も、壁も、天井も。


血の赤じゃない。


もっと、薄い赤。


夕焼けみたいな赤が、全てを塗りつぶしていく。


音が、遠くなる。


誰かが叫んでいる気がした。


でも、それが自分なのか、分からない。


耳鳴りだけが残って、他の音が消えていく。


触覚も、消えた。


冷たさも、痛みも、重さも。


リアを抱いている感覚すら、薄れていく。


「……リア……」


名前だけが、口から漏れた。


言葉が溶ける。


時間が溶ける。


自分が、どこにいるのか分からない。


生きているのか、死んでいるのかも分からない。


ただ――


戻す。


戻す。


戻す。


それだけ。


世界が、ひび割れた。


赤い空間に、黒い亀裂が走る。


そこから、何かが覗く。


闇。


深く、底のない闇。


吸い込まれる。


引きずられる。


落ちていく。


時間の底へ。


意識が、ほどける寸前。


俺は最後に、歯を食いしばった。


「……取り戻す……」


祈りでも、呪いでもない。


ただの、執念。


そして――


世界が、完全に崩れた。

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