第31話 夕暮れの向こう側
その日は、拍子抜けするくらい平和だった。
ゴブリン退治の残党処理。
小さな魔物の追い払い。
危なげなく終わって、
気がつけば、まだ夕方前。
「今日は早いな」
「はい。洗濯もできますね」
リアが、くすっと笑う。
その笑顔が、昨日と同じで。
今日も同じで。
――当たり前みたいに、そこにあった。
宿に戻り、
軽く汗を流して、
装備を外して。
いつもの時間。
「時人様」
「ん?」
「少し、市場で買い物してきますね」
昨日と、同じ台詞。
「卵と、ベーコンと……あと、牛乳も切れていたので」
「了解。気をつけろよ」
「はい。すぐ戻ります」
にこっと笑って、
軽く一礼して、
扉を開ける。
小さな背中が、廊下の向こうへ消えていく。
――いつもの後ろ姿。
だから。
何も、疑わなかった。
◆
夕方。
窓の外が、橙色に染まる。
「……遅いな」
ぽつりと呟く。
でも、まあ。
リアは真面目だから、きっと良い食材を探しているんだろう。
俺はベッドに転がりながら、
ぼんやり天井を見上げる。
そのうち帰ってきて、
「お待たせしました」って言う。
いつも通り。
きっと。
◆
日が、沈んだ。
部屋が薄暗くなる。
ランタンに火を灯す。
……まだ、帰らない。
「……混んでるのか?」
独り言が増える。
腹が減ってきた。
リアがいたら、今頃もう飯ができてる時間だ。
……おかしい。
少しだけ、胸がざわついた。
◆
夜。
完全に、夜だ。
宿の廊下からも人の気配が減る。
笑い声も止み、
静かになる。
なのに。
扉は、開かない。
「……遅すぎるだろ」
立ち上がる。
喉が、嫌に乾いていた。
◆
市場。
片付けの音だけが響いている。
屋台はほとんど閉まり、
人もまばらだ。
「すみません! この子見ませんでしたか!?」
銀髪の猫人族。
メイド服。
何度も説明する。
だが――
「いや……」
「今日は見てねぇな」
誰も知らない。
胸が、きゅっと締まる。
◆
酒場。
「メイドの嬢ちゃん?」
「見てねぇなぁ」
◆
冒険者ギルド。
「昼以降は来てないよ」
◆
衛兵詰所。
「すみません、連れが帰ってこなくて――」
「捜索願か? 明日来い」
「明日……?」
「今日はもう業務終了だ」
淡々とした声。
「事件性があるかも――」
「明日だ」
突き放される。
扉が、閉まる。
世界から拒絶されたみたいだった。
◆
走る。
路地。
水場。
裏通り。
何度も同じ道を往復する。
「リア!」
返事は、ない。
息が荒い。
喉が焼ける。
嫌な汗が背中を伝う。
――おかしい
――遅すぎる
――何かあった
頭の中で警鐘が鳴り続ける。
それでも。
「考えすぎだ……」
そう思わないと、崩れそうだった。
◆
気づけば、同じ場所を何周もしていた。
同じ屋台。
同じ角。
同じ灯り。
どこにもいない。
どこにも。
……いない。
足が、止まった。
胸が、ひゅっと冷える。
この感覚。
前にも、あった。
最悪が起きる直前の、あの感覚。
そして。
ふと。
脳裏に、あの建物が浮かんだ。
薄暗い廊下。
血の匂い。
鎖の音。
貧民街の奥。
人身売買のオークションが行われていた、あの洋館。
「……まさか」
違う。
違ってくれ。
あそこだけは、違ってくれ。
祈るみたいに呟きながら。
それでも、足はもう止まらなかった。
◆
洋館の前。
静まり返っている。
風の音だけ。
扉に手をかける。
嫌な汗が、止まらない。
「……頼む……」
押す。
ギィ……と、重い音。
中は、暗い。
誰もいない。
静かすぎる。
一歩。
また一歩。
靴音だけが、やけに大きく響く。
奥の部屋。
扉が、半開き。
……血の匂い。
「……っ」
喉が、締まる。
ゆっくり、押し開ける。
そして――
そこに、いた。
リアが。
床に、横たわっていた。
ズタズタだった。
服は裂け、
肌は切り裂かれ、
血に濡れている。
腕も。
足も。
顔も。
原形が、分からないくらい。
「……あ……?」
声が、出ない。
膝が、崩れる。
這うように近づく。
触れる。
……冷たい。
「……リア……?」
返事は、ない。
「……おい……」
揺する。
「起きろよ……」
動かない。
理解が、追いつかない。
「……なあ……」
喉が震える。
「……冗談だろ……?」
――理解した瞬間。
何かが、壊れた。
「……なんでだ」
抱きしめる。
軽い。
あまりにも、軽い。
「なぜだ……!」
声が、勝手に漏れる。
「なんでだ!!」
喉が裂けるほど叫ぶ。
「リアが何をした!!」
「なんで奪う!!」
「誰だ!!」
「誰でもいい!!」
涙と鼻水と嗚咽が混ざる。
「……許さない……」
歯が、軋む。
「誰であろうと……許さない……」
抱きしめたまま。
震えながら。
絞り出す。
「……全部、壊してやる……」
世界が、滲んだ。
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