第29話 ふたりの居場所
朝のギルドは、いつも通り騒がしい。
酒の匂い。
依頼書を剥がす音。
笑い声と、怒鳴り声。
なのに今日は――
俺とリアが扉を開けた瞬間、空気が一拍だけ止まった。
「……来た」
「また、あの二人か」
「早いんだよな、仕事が」
「成功率、百パーだろ?」
「クレームも聞かねえし」
ひそひそ、ひそひそ。
視線が、ざっと集まる。
悪意じゃない。
どちらかと言えば、興味と、驚きと――ほんの少しの敬意。
リアは居心地悪そうに肩をすくめて、小さく俺の後ろへ隠れる。
「……私なんて、まだ……」
「胸張れよ」
俺は軽く言った。
「リアがいなきゃ、俺はもっと時間かかってる」
「……っ」
リアの耳が、ぴくりと動いた。
それだけで、少しだけ背筋が伸びる。
◆
掲示板に向かう途中も、視線は途切れない。
「おい、あの二人、今日も帰ってきたぞ」
「また夕方前には戻ってくるんじゃね?」
「組ませたら最強じゃね?」
そんな言葉が、背中を追ってくる。
俺は苦笑いして、リアの横を歩く。
「……ねえ、時人様」
「ん?」
「本当に……私、役に立ててますか……?」
声が小さい。
自信がないというより、まだ“許可”を求める癖が残っている。
「立ててる」
即答した。
「むしろ、助かってる」
リアが、ほっとしたように息を吐いた。
「……よかった」
その一言が、やけに胸に残った。
◆
掲示板の前。
依頼書の紙が、風で微かに揺れている。
……と。
背後から、ずしりとした足音が近づいた。
振り返ると、がっしりした男が立っていた。
短い髭。
傷のある頬。
鎧は使い込まれていて、体に馴染んでいる。
明らかに場数を踏んだ、ベテランだ。
男は、顎で笑った。
「噂の二人ってのは、お前らか」
そして、少しだけ胸を張って言う。
「俺は戦士のデルファイ。このパーティのリーダーをしている」
背後には、同じように武装した仲間が三人。
斥候風の男、魔術師、弓手。
“ちゃんとした”パーティだった。
デルファイはリアを一瞥して、続ける。
「二人とも腕がある。仕事が早い。無駄がない」
「どうだ。うちに来ないか」
「……」
リアが、不安そうに俺を見る。
誘われるのは悪いことじゃない。
むしろ、普通なら光栄だ。
でも――
俺は首を振った。
「悪い」
デルファイの眉が僅かに上がる。
俺は言葉を続けた。
「俺たちは……二人でやるって決めてる」
沈黙。
一瞬、ギルドの喧騒が遠くなる。
デルファイは、ふっと鼻で笑った。
「なるほどな」
怒ってはいない。
むしろ、納得した顔だ。
「そういうの、嫌いじゃねえ」
「……ただ、気が変わったら言え」
仲間の斥候が肩をすくめる。
「そのうち引く手あまたになるぜ」
デルファイが最後に言った。
「二人でやるなら、なおさらだ。生き残れよ」
それだけ残して、去っていく。
リアが、俺の袖をきゅっと掴んだ。
「……時人様」
「ん?」
「……ありがとうございます」
顔が、ぱっと明るい。
“選ばれる側”じゃなくて、“選ぶ側”になれた。
その喜びが、分かりやすく出ていた。
俺は、少しだけ笑った。
「当たり前だろ」
◆
昼過ぎ。
依頼の確認や、道具の補充を済ませた帰り。
街の屋台通りへ寄った。
香ばしい匂いが、腹に刺さる。
串焼きの屋台。
肉汁が、鉄板の上で弾けている。
リアは、きょろきょろと落ち着かない。
「……屋台って、初めてです……」
「じゃあ、記念だな」
俺は二本買って、一本を渡した。
リアは両手で受け取って、恐る恐る一口。
次の瞬間――
「……っ!」
目が、見開かれた。
「おいしい……!」
声が、素直に弾む。
「こんな……熱くて、香ばしくて……」
「だろ」
「……すごい……」
感動しすぎて、ちょっと言葉が追いついてない。
その表情が可笑しくて、つい笑った。
「……あ」
リアが口元に指を当てる。
ソースが、頬にちょんと付いていた。
「付いてる」
俺が指摘すると、リアは一瞬固まって――
「……っ」
耳まで赤くなった。
慌てて袖で拭こうとして、余計に伸びる。
「ちょ、待て」
俺はティッシュ代わりの布を出して、軽く拭った。
「……す、すみません……」
「謝ることじゃない」
「……はい……」
リアは小さく頷いて、もう一口。
今度は、幸せそうに目を細めた。
……いい。
こういう時間が、ちゃんと“居場所”になる。
昨日までの地獄が、嘘みたいに。
◆
夕方。
日が傾き始めた頃。
俺たちは並んで宿へ戻る道を歩いていた。
石畳が赤く染まり、人の声が柔らかくほどけていく。
リアが隣で、小さく笑っている。
それだけで、胸の奥が少し温かくなる。
――その時。
ふと。
視線を感じた。
背中に、針で刺されたような感覚。
誰かに、見られている。
気のせいかと思って、振り返る。
……誰もいない。
人混み。
夕暮れ。
いつも通りの街並み。
――いや。
嫌な予感が、消えない。
「……念のため」
小さく呟く。
〈時戻し〉。三秒。
世界が、わずかに軋んだ。
時間が跳ね返る。
振り返る“直前”へ。
そして、今度は意識して、ゆっくりと視線を向ける。
……見える。
路地の影。
黒づくめのローブ姿。
フードを深く被り、顔は見えない。
確かに、こちらを見ていた。
「――っ」
次の瞬間。
フッ。
煙のように、姿が消えた。
気配すら、残らない。
……こちらを探っていたのか。
それとも、ただの偶然か。
寒気が、遅れて背筋を上る。
「……時人様?」
「……いや。なんでもない」
そう答えたが。
胸の奥のざわつきは、消えなかった。
穏やかなはずの夕暮れが、ほんの少しだけ色を失った気がした。
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