『国宝』レビュー
先日、映画『国宝』を観た。
任侠の一門に生まれながら、女形としての才能を見出され歌舞伎役者の家に引き取られた喜久雄。彼はやがて、その家の御曹司と切磋琢磨し、芸に青春を捧げていく──。
結論から言えば最高だった。心の底から「観て良かった」と思える一本だ。
ただ正直に白状すると、俺は最初からこの映画が観たかったわけじゃない。デートで彼女が観たいと言い出したから、しぶしぶ付き合ったというのが本当のところだ。俺はどちらかといえば子供っぽい趣味で派手なアクション大作の方に心が躍る。国宝よりはジュラシックワールドのほうを観たかった──まあ、少なくともどの映画を観るか決める時点ではそう思っていた。
上映時間が3時間というのも、正直なところ及び腰だった。
そもそも、俺は歌舞伎に全く興味がない。独特のセリフ回しは何を言っているのか分からないし、「女の役は女性が演じればいい」とさえ思っていた。女形が生まれた歴史的背景は理解しているつもりだが、それは昔の話だろう、と。
要するに、観る前の俺は『国宝』という映画に対して、完全に否定的だったのだ。
しかしそんな先入観は、映画が始まってすぐに打ち砕かれた。
これは歌舞伎の映画じゃない。一人の人間が「芸」というものに人生を捧げる、壮大なヒューマンドラマなのだ。
芸を極めるために犠牲にしてきたもの、そして得たもの。芸の頂には一体何があるのか。人生の全てを捧げてまで、それを高める価値はあるのか。そうした問いとその答えが、理屈ではなく感情の波となって押し寄せてくる。
歌舞伎とか関係なく、創作者全般に刺さるんじゃないだろうかこのテーマは。
例えば物書き──俺たちとか。
俺たち物書きはまあ良いものを書きたいと思っている。その理由は誰かから認められたいからとか、書籍化して稼ぎたいからだとかそういうものがあるだろうが、根底には「良いものを書きたい」という念があるはずだ。「取り合えず文章を書ければなんでもいいし、その質や他人からの評価にも一切こだわらない」みたいな人はそもそもwebになど作品を投稿していない。ノートでも買って、そこに書くだろう。俺たちのほとんどは、その「良いもの」を他人が理解してくれたら嬉しいとも思っている……はず。
じゃあだからといって、創作の為に何もかもを捨てられるか? 家族や友人、恋人なりを失っても創作に人生かけられるか?
これはなかなか難しいと思う。色々と理由をつけ、そこまでする理由や価値はないと自分を納得させるだろう。
この「国宝」には、そういう「色々な理由」をつけなかった者が出てくる。
そういう生き方はとても悲しいと思うが、同時に、まあなんというか陳腐な言い方をすれば「凄い」と思う。
そう、凄いのだ。
「男が女の役をなんて」などと考えていた俺のような俗物が、"役者という生き方"の気高さと、その裏にある悲壮さに心を揺さぶられ、気づけば涙腺が緩んでいた。作り手の掌で転がされていると分かっていても、これは凄い作品だと認めざるを得ない。
唯一の不満を挙げるなら、3時間という時間があまりに短く感じられたことだろうか。いっそ5時間かけて、彼らの人生をもっと見せてほしかった。
『国宝』は、かつての俺のように「歌舞伎なんて興味ない」と思っている人間にこそ観てほしい。きっとその食わず嫌いを後悔させてくれる、忘れられない一本になるはず。
追記
逆に、この作品が胸糞悪いとかつまらないという評価も分かる気がする。家族や友人、恋人なりを芸のために犠牲にできるかどうかという観点で観た場合、「本当に大事なものを見失ってない?」という感想が出てくることも理解はできるから。娯楽として見るにはいささかテーマが重すぎる。
観る前になんらかの履修が必要だとしたら、うーん、演目名が表示されるから、その演目の粗筋くらいは調べておくとより楽しめるかも。
『関の戸』、『藤娘』、『連獅子』、『曽根崎心中』、『鷺娘』、『京鹿子娘二人道成寺』とか。
それそのものを見なくても、どういう話なのかをさらっておくと良い気がする。作中でその演目についての説明は特にされないので。
『関の戸』(せきのと)
雪が降る逢坂の関が舞台。関守の関兵衛は、実は天下を狙う大伴黒主という謀反人である。黒主は野望を成就させるため桜の木を切ろうとするが、桜の精である傾城墨染に阻まれる。二人が互いの正体を現し、激しく争う様を描く。
『藤娘』(ふじむすめ)
大津絵に描かれた「藤娘」が、絵から抜け出してきたという設定の優美な舞踊。藤の花の精が娘の姿となって現れ、藤の花をかざしながら、恋する乙女の複雑な気持ちや恨み言などを艶やかに踊り分ける。特に、藤の枝を担いで踊る姿は非常に有名。
『連獅子』(れんじし)
親獅子が我が子を谷底へ突き落とし、試練を乗り越えて這い上がってきた子だけを育てる、という故事に基づいた舞踊。前半は狂言師が親子の情愛と試練を踊り、後半では獅子の精霊となった親子が登場する。勇壮な音楽に乗り、長く白い毛(親)と赤い毛(子)を豪快に振り回す「毛振り」が見どころ。
『曽根崎心中』(そねざきしんじゅう)
醤油屋の手代・徳兵衛と、遊女・お初の悲恋の物語。徳兵衛は友人に騙されて公金を失い、進退窮まる。この世では結ばれないと悟った二人は覚悟を決め、深夜の曽根崎の森で共に命を絶つ。実際に起きた心中事件をもとにした作品で、義理と人情に引き裂かれる男女の姿が描かれる。
『鷺娘』(さぎむすめ)
人間に恋をした白鷺の精の物語。娘の姿に化けた白鷺の精が雪の降る水辺に現れ、恋の喜びや苦しみ、嫉妬といった様々な感情を踊りで表現する。しかし、恋が叶わぬと知ると地獄の責め苦に遭い、最後は力尽きて息絶えてしまう。
『京鹿子娘二人道成寺』(きょうがのこむすめ ににんどうじょうじ)
「道成寺物」と呼ばれる一連の作品の一つ。鐘の供養が行われている道成寺に、美しい白拍子が二人(または一人)現れる。彼女たちは見事な舞を次々と披露するが、その正体は、かつて僧・安珍への恋の恨みから蛇となり、鐘ごと焼き殺した清姫の亡霊であった。
こんなかんじ。
あとは心の態勢を整える。目標なり夢なりある人は、その目的を達成するために何をどこまで犠牲に出来るかを考えておくと良いかも?