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此岸の花

作者: 白田マコ

こちらは彼岸花をモチーフにしたホラー、『彼岸の華』の続編となります。


黄昏時と、川と

そして赤い華が嫌いだというのです。




此岸(しがん)の花




ええ、ええ。

どうということもない村の、どうということもない娘でございましたよ。

細っこい身体にすぐ切れてしまうような髪の娘でね。

そうそう、名はちや(・・)と申しましたか。


…――――ちやは、不運な娘でございました。

どうということもない村で、それでも病にかかることもなく年頃まで育ち、そして優しい良人を見つけた。そこまでは、そう、そこまではよかったのでございます。


ただ、祝言をあげて一年と少しも経ったときでしょうか。その良人―――弥七と申しました―――が、突然行方知れずになってしまったのでございます。

弥七は薬売りでございました。月に一度、様々な薬の入った薬籠を背負って、街へ下りるのです。――――街へ逃げたのではないか?いえいえ、穏やかな村の生活に、弥七は何の不満も抱いているようには見えませんでした。何より、弥七は幼いころから共に育った妻、ちやを心から大切にしておりました。私は村の年寄りの一人として、その男を良く知っています。そう、弥七はちやを置いて、一人街などに逃げるような性根の男ではなかったのです。


では、弥七は何処へ消えてしまったのか?

…なにもない村とはいえ、それでも野盗野獣の類は尽きぬものです。

おそらく、町へ降りる中途で、それらの性質の悪い奴原に襲われてしまったのでしょう。それが、私どもの大半が出した結論でございました。

そして、それは事実であったのです。



…――――弥七がいなくなったのは、炎天をいただく鮮緑の夏。

そして弥七が帰ってきたのは、彼岸花の咲き乱れる朱紅の秋でございました。


ある日、ふらりといなくなったちやは、日も沈んだ頃、とぼとぼと彼を抱えて帰ってきました。

細い娘にも抱えられるようになってしまったそれ(・・)。それは、丁寧に泥を払われた骨。そして血の染みた着物と薬籠。


…弥七は、(むくろ)となって帰ってきたのです。

それからのちやの嘆きようは、それはそれは痛ましいものでございました。年若い娘が細い肩を震わせて泣く様は、見ているこちらにしても胸を裂かれるような心持でした。

それでも、少しすると、ちやは少し元気を取り戻したのでございますよ。

なぜなら、彼女の腹には弥七の忘れ形見が宿っていたのですから。


しかし、天のなんと残酷なことか――――唯一の女の心の支えも、産み月に達する前に腹から流れてしまいました。


………


それ以来、です。ちやの家の周りに、彼岸花が咲き乱れるようになったのは。

ちやは、弥七を持ち帰って以来、うわ言のようにこう呟き続けておりました。


『黄昏、川、赤い華。ぜんぶ、ぜんぶ、大嫌い。』

と。


しかし異な事かな。その彼岸花、どうやらわざわざちやが、自分の手で植えたもののようなのです。

良人と子を亡くした哀れな娘。それでも、その娘のことをずうっと気にかけていられるほど、私たちにも余裕はありません。ちやを気遣いながら、それでも私たちが各々の生活に忙殺されているうちに、弥七がいなくなって幾度目かの秋が巡ってまいりました。

そして、あの赤子は現れたのです。



■ ■ ■



初め、誰もそれを信じようとはしませんでした。いや、薄気味悪がって、近づこうとしなかったのです。


『ちやの家から、赤子の泣き声がする』


狭い狭い村の中。単なる噂ともいえません。なにせ、村の者のほとんどが、実際にその声を聞いていたのですから。

そして村で集まりを開いた結果、比較的ちやや弥七と親しかった私がそれを確かめに行くことになったのです。


変わらず巡りくる秋の、ある一日。

寂寞(せきばく)とした風。赤い彼岸花。そして、頃はちょうど――――黄昏時でございました。


「ちや。」

薄い戸を開けて、私はなんでもない風をよそおってその人影に声をかけました。

「少し、味噌を貸してもらいたいのだが――――おや?どうしたのだい、その赤子は?」

戸を開いた途端、異様な雰囲気に舌が乾いて口蓋に張り付きそうになるのを必死で抑えて、私はその問いを口にしました。

そう、ちやは、赤子を抱いていたのです。ぐずりもせず、ちやの胸元に大人しく収まっている赤子。しかし、腹の膨れたちやを見た者はなく、最近子を生んだ娘も無く。


音吉(おときち)。男だったら音吉、女だったらさよ(・・)。そう、決めていたの。』


そう、嬉しげに笑ったちやは、私の知る頼りなげな娘となんら変わりないはずでした。

しかし、しかし。私の全身を刺す違和感は消えませんでした。窓から差し込む赤い光が、さらにそれに拍車をかけました。

「どこから、もらってきた。」

ごくり、と大げさに喉を嚥下させて、私はそれだけの台詞を搾り出しました。一方、ちやはというと、どこまでも穏やかな声で

『もらう…?違う。この子は、わたしの子。

 わたしの坊や。取り返してきたの。彼岸花の下から。』

ちやが軽く、その柔らかそうな背を叩くと、赤子は眠そうなぐずり声をあげました。

「彼岸花…?」

その言葉から、私はちやがどこかの捨て子を拾ってきたのだと思いました。いや、そうならいいと思いました。しかし、そんな果敢ない望みを断ち切るように、幾分干からびた娘の唇は、さらに奇怪な言葉を吐き出します。


『剃刀花を、灯篭花を、捨て子花を、死人花を――――

 彼岸花を摘み取って、こちらの世に奪い取ったの。

 弥七は取り戻せなかったけれど、この子は、取り戻せた…私の坊や。


 この子はもう彼岸花じゃない。彼岸などに返すものか。

 わたしの愛しい、此岸(しがん)の華……』


くすくすと笑うちやは、本当に幸せそうでありました。

しかし、幸せそうに笑う娘の傍で、私は気づいてしまったのです。違和の正体に。


赤い光に照らされ、濃い影をおとすちや。

しかし、その赤子は、かすかな影すらもたぬことを――――…




■ ■ ■




私の話せることは、もうありますまい。

その赤子、ですか?

…おりますよ、ちやと共に。一面彼岸花に囲まれた其処には、もはや誰も近づきませぬが。


―――…ちやは、一体何をしてしまったのでしょうねえ。

赤子は、一体何者なのでしょうねえ…


わかりませぬ。禍々しいとは、感じませなんだ。それでも、あの影のない赤子は、黄昏の光と相まって、いまだに不吉の一つとして私の心に影を落としているのでございます。


………

おや?


おやおや?

わからないといえば、もう一つ。


あなたは、果たして何方(いずかた)のお方でございましょうかな?

いえ、私のこの両の目には…





あなたも、影を持たぬように映るのですが。










種田山頭火が好きすぎてどうしようもない。

影のない誰かは何のためにちや達の話を訊いていたのか。

“音吉”を連れ戻すのか、ちやにつけこむのか、はたまた元より意味など無いのか。

そもそも影のない誰かは一体何者なのか。

解釈はご自由に。

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