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テンダーブルーの箱庭  作者: 伏目しい
第3章 あおく、やわく
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25 あたたかな家

 玄関のドアを開けると、見慣れない靴があった。うすい水色にキラキラしたラインの入ったスニーカーが、踵をきちんと揃えてすました顔をして並んでいる。

 首を傾げながら廊下を進んでドアを開けると、リビングのソファに小さな女の子が座っていた。


「なんだ、リン坊か」


 見知った顔に声をかけると、猫のような目がこっちを睨んだ。


「その呼び方やめてよ、バカ文」

「年上に向かってバカとはなんだ、バカとは。そんな子に育てた覚えはないわよ」


 歳の離れた従姉妹の生意気に、本気になることもない。鞄を投げ出しながら軽口で返してやると、べえと舌を出された。かわいくない。


「帰りが遅いじゃない。フリョーよ、フリョー」

「高校生には付き合いってもんがあんだよ、お子様にはわかんねえだろうけどな」

「失礼ね、私だってもう小学五年生なの。子どもじゃないもん」


 小五は立派なガキだろうがよ。


「りっちゃん、カステラ食べる?」

「食べるー」


 奥のキッチンから出てきた母が、テーブルにお茶とカステラを並べていく。空腹を感じてカステラに手を伸ばすと、小さな手に「洗ってきなさい」と叩かれた。


 しぶしぶ立ち上がって洗面所へ向かう。リビングに戻ると、生意気娘は母と楽しそうに話をしていた。

「みっちゃんにお礼いっといてね」という母に、「はーい」と素直に返事をしている。


 ソファに腰を下ろすと、母が湯呑みを差し出した。あたたかな湯気がふわりと立つ。


「みっちゃんが阿闍梨餅くれたのよ。修学旅行のお土産」

「遠く京の都から頂いたお菓子です。ありがたく食べなさい」


 リン坊がふふんと胸をはる。


「別に、新宿のデパ地下でも買えんじゃねえか」


 小声でぼやくと、今度は母にぱしりと頭をはたかれた。


「感謝が足りない」


 頭をさする俺を見て、リン坊がけたけたと笑う。

 二人が楽しそうに談笑する横で、黙ってカステラを口に放り込む。久々に会う母方の従姉妹は見ない間にずいぶんと背が伸びたようだが、よく笑う顔は幼いままだった。


「りっちゃん、そのスカートいいわね」


 褒められたリン坊はその場に立ち上がると、得意気にターンして見せた。藍色のスカートがひらりと揺れる。


「ちょっと短すぎやしないか?」


 カステラを飲み込みながらもがもがと喋る。腰のあたりで何重にも折り曲げられたスカートは、丈がだいぶ短いように見えた。


「仕方ないじゃん、お姉ちゃんのお下がりだもん。そのままだと長すぎるの」


 リン坊の頬が大きく膨らんだ。リスのような顔に笑ってしまう。


「そうかも知んねえけど、それはさすがに不恰好だろ。腹のまわりがだいぶぐしゃぐしゃだぞ」

「上からカーディガンとかで隠せば平気だもん」


 ソファの背にかけられていたカーディガンを羽織ったリン坊が、「ほら」と両手を広げて見せる。大きめのカーディガンは裾が長く、指先は袖口の中に隠れていた。

「はあ」と気のない返事をすると、ぎろりと睨まれる。


「このふわっとしたのが可愛いの。貴文はオシャレのこととか全然わかってないんだから、余計な口出ししないで」

「へいへい」


 口は出してない。

 ふわっていうより、だぼっと見えるなと思っただけで。


 玄関が開く音がして、父がリビングに顔を出した。「ただいま」という声に、揃って「おかえり」と返す。


「お、いらっしゃい、りっちゃん」

「お邪魔してまーす」


 元気に挨拶する姪に、父が相好を崩した。


「いやあ、少し見ない間にでっかくなったなあ。ちょっと前までこーんなにちっちゃかったのに」


 親指と人差し指で小さな丸を作って見せる父に、リン坊が口を尖らせた。


「おじさん、いっつもそれ言う。そんなにちっちゃいわけないじゃん」

「いやいや、ほんとだって、小さい頃おじさんのポケットに入って遊園地に行ったの覚えてないかい?」


「ウソばっかり」と舌を出すリン坊に、両親が声を立てて笑った。


 カステラを平らげて茶を飲み干し、席を立つ。皿と湯呑みを流しに置いてリビングを出ようとすると、母が声をかけてきた。


「あら、付き合い悪いわね」

「勉強だよ。来週から期末だから」


「意外と真面目に高校生してるのねえ」と笑う母の隣で、口いっぱいにカステラを頬張った父が「ほどほどにしとけよ」と頷く。


「あのな、仮にも教師なら、息子がちゃんと勉強してんのかくらい気にしろよ」

「やあねえ、ちゃんと気にしてるわよ。勉強し過ぎで禿げたりしないかって」


 うふふと笑う母に、そうだそうだと父が頷いた。


「父親がふさふさだからって油断するなよ、貴文。禿げは隔世遺伝らしいからな」


 うちの祖父さんたちはちょっと怪しいぞというと、二人揃って大笑いする。

 どこまでも呑気な両親にため息をつきながらリビングを出ると、リン坊が追いかけてきた。


「はい、これ、お姉ちゃんから」


 階段を上りかけていた俺に、クリアファイルを手渡す。受け取って中を見ると、京都の寺や神社のパンフレットがはさんであった。


「貴文はこういう地味なのが好きだろうから、あげるってさ」


 アイツ、いらないものを押し付けやがったな。


「そりゃどうも」


 受け取って、さっさと階段を上がる俺の耳に、下から不満そうな声が届いた。


「わざわざ届けにきてあげたんだからね」

「はいはい、姉ちゃんによろしくな」




 自室のドアを閉めて、鞄を床に放り出す。靴下を脱ぎ捨てると、部屋の電気もつけないままにベッドへと倒れ込んだ。


 目を閉じ、今日あったことを思い出す。小野の隣で楽しそうに話をしていた百瀬が浮かんで、自然と口元が緩んだ。


 小野はいいやつだ。

 明るくて賑やかで、裏表なく誰に対しても笑顔で。黙っていればそこら辺のアイドルよりよっぽど整った容姿をしているのに、おどけた顔でいつもみんなを笑わせている。


 小野と初めて会ったのは、一年の入学式の日だった。

 緊張からか前日になかなか寝付けなかったせいで、入学式の当日、俺はかつてないほどの睡魔に襲われていた。それでも式典中はなんとか耐えていたが、そのあと教室に入ってホームルームが始まる頃には、重すぎる瞼はほとんど閉じかかっていた。一年七組担任の岡崎が「それじゃ、順番に自己紹介な」という声が教室に響く。その騒がしい声すら子守唄に聞こえるほどに、意識は徐々に夢の中へと沈んでいった。


 うつらうつらと船を漕いでいると、突然、自分の名前を呼ばれた気がした。

 とっさに立ち上がり、寝ぼけた頭で慌てて自己紹介をする。


「三中から来ました、高谷貴文です」


 下げた頭を戻して前を向くと、教卓で岡崎がぽかんとした顔をしていた。

 教室が、しんと静まり返る。


 不思議に思ってまわりを見回すと、斜め後ろの席できょとんとした顔で立っている小野と目が合った。


 途端、教室が笑いに包まれる。

「自己紹介で割り込みとは、やる気あるなあ」と大きな声で岡崎が笑った。


 ホームルームが終わった後、小野が声をかけてきた。


「いい自己紹介だったな」


 楽しそうに笑う小野に、照れ笑いを返す。


「すっげえ恥ずかしかった。初日から大失敗だよ」

「いいじゃん、めっちゃインパクトあったし、これでもうクラス全員に名前覚えてもらえただろ?」

「名前はともかく、出来事自体は忘れて欲しいんだけど」


 わすれろ草とか使えねえかなと情けなくため息をつく俺を見て、小野が声をあげて笑う。屈託のない笑顔に、こっちまで笑ってしまった。

 右手を差し出した小野が、俺の目を見て満面の笑みを浮かべた。


「これからよろしくな、タカちゃん」




 下のリビングからは賑やかな声が聞こえてくる。


 楽しそうな笑い声。明るい会話。穏やかな日常。

 ゴッホの「夜のカフェテラス」のような、幸福な黄色につつまれた家。満たされた我が家。


 夜空のような暗い部屋の中で、優しい黄色があふれるように溶けていくのを思いながら、俺はゆっくりと目を閉じた。

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