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テンダーブルーの箱庭  作者: 伏目しい
第3章 あおく、やわく
77/103

21 幕引き

 二人の目がドアを向いた隙に、真木の手を引いて背中に隠す。気の強い真木のことだから、泣いてるところを人に見られたくないに違いない。真木の背は俺とあまり変わらない。壁にはならないが、ないよりはマシだ。

 ドアの方から大きな声が響いた。


「図書室でバカ騒ぎしてる奴がいるって聞いたんだが、お前らのことか?」


 振り返ると、仁王立ちの松嶋がいた。その横には航一の姿もある。


「何だよ、関係ねえだろ」


 吉沢が後退った。突然現れたでかい二人組に驚いた顔をしている。


「関係ならある。俺は図書委員に世話になったからな。図書室で好き放題してる阿呆がいるなら、見過ごすわけにはいかねえんだ」


 松嶋がにやりと笑った。満面の笑顔の背後に、なぜか金剛力士像が見える気がする。さすがパワーヒッター。威圧感が凄い。


「別に騒いでねえよ。ちょっとゴミが散らかってたってだけだろ」


 言い訳じみたことをいう野島を一瞥し、へえと航一が笑った。


「ゴミが散らかってただけ、か。そりゃ美化委員としては聞き捨てなんねえ話だな。高谷、どいつがやったのか心当たりはあるか? そいつごと捨ててきてやるよ」


 ポケットに両手を入れたまま立つ姿は、まるでヤのつく自由業の方だ。学生服の白シャツが、なぜか派手な柄シャツに見えてくる。


 ドアの前に立つ二人の大男に、野島と吉沢が怯むのがわかる。そりゃそうだ。普段、教室で気さくに話をするクラスメイトたちの凶悪な顔に、むしろ俺の方がビビるくらいだ。


 二体の仁王像の後ろから矢口が顔を出した。いつも通り穏やかなその表情に、少し安心する。軽い動作で近付いてきた矢口は、俺と真木の隣で足を止めてにこりと微笑んだ。俺が手にしていた空缶にちらりと視線をやると、ジュースと油で汚れた本を手に取り「これはひどいな」と呟く。


「この本、もう貸出できないよね?」


 矢口の言葉に真木が頷いた。「これじゃさすがにな」と俺も答える。


「そっか」


 矢口が少し顔を伏せた。


「この本、次に借りようと思ってたやつなんだけどなあ」


 残念そうに呟いた矢口の目が、野島と吉沢を捉えた。長い前髪の奥、少しだけ隠れた瞳が小さく光る。


「どうしてくれんだよ、なあ?」


 これまで聞いたことがない、低い声。静かなはずなのに、ものすごい圧力を感じる。ぴりぴりとした威圧感に、怖くて隣を向くことができない。


 二人がひっと息を呑んだ。そりゃそうだろう。隣にいる俺ですら怖いのに、正面からまともに喰らったら逃げ出したくなるはずだ。普段穏やかなやつがキレるとヤバいってのは本当らしい。


 ちらりと後ろを振り向くと、航一が堪え切れないという顔で笑っていた。いや、めっちゃ怖いんですけどと目で訴える俺に、航一は澄ました顔で肩をすくめて見せた。


 あんにゃろう、他人事だと思って楽しんでやがるな。


 ふっと息をはいた矢口が、顔を上げてにこりと笑った。


「で? とりあえず片付けは図書委員がやってくれるんだよな?」


 野島と吉沢が不愉快そうに顔を歪ませる。小さく舌打ちが聞こえたが、反論しないところを見ると了承したということだろう。二人に代わって、俺が頷く。


「任せとけ。今日の当番と一緒に片付けておくよ」


 ぱっと顔を上げた真木がぴしゃりと言い放った。


「高谷が片付ける必要はない。この二人に任せればいい」


 それから俺を見て眉間に皺を寄せる。


「お人好しもいい加減にして」

「あ、はい」


 思わず頷くと、真木はふんとそっぽを向いた。野島と吉沢を睨みつけ、カウンターを指差す。


「雑巾とアルコール、それとバケツに水を汲んで来なさい。棚をキレイにして本を元通りに並べるまで帰さない」


 淡々と指示を出す真木を野島と吉沢が睨み返す。しかし、矢口たちを見て分が悪いと踏んだのだろう。二人はぶつぶつと文句を言いながらカウンターに入って行った。

 振り返り、正面から真木を見る。


「何?」

「いや、泣いてないなと思って」

「泣くわけない」


 真木がぎろりと睨んできた。


「そこに転がってるイスを振り回して暴れないように我慢してただけ」


 うん、まあ、良かった。とりあえず図書室が修羅場と化す事態は避けられたらしい。

 真木は小さく息をはくと、そのままくるりと踵を返して何も言わずに奥の本棚へ向かって行った。すたすたと去っていく背中に、ひとまず安堵する。


 倒れたイスを起こしていた矢口が、ドアに向かって片手を上げた。手を上げて合図を返す二人に駆け寄り、頭を下げる。


「ごめん、二人とも。来てくれて助かった。ありがとう」


 松嶋が大きな口を開けてにかりと笑った。


「いいって。こないだは世話になったからな。また何かあったら呼んでくれ。いつでも手を貸すぜ」


 ばしばしと俺の背中を叩くと、じゃあなと手を振って図書室を出ていく。相変わらず豪快なやつだ。

 赤くなっているだろう背中をさすりながら松嶋を見送っていると、横から伸びてきた手がぽんと肩を叩いた。


「それじゃ、俺もバイトあるから」


 足元に置いていた鞄を担ぎ、航一が右手をひらひらと振る。


「悪いな。忙しいのに」

「問題ねえよ、まだ時間はある」


 もう一度「ありがとう」と頭を下げると、航一は少し照れくさそうな顔を見せた。


「俺はただ呼ばれたから来ただけだ。礼なら矢口に言ってくれ。階段を下りたところでばったり会ってな。ちょっとポケットに手を入れて立っててくれって言うから、その通りにしてただけだ」


 まあでも、と俺の後ろに視線を投げた航一が笑う。


「俺がいなくても脅し役は十分だったみたいだけどな」


 いつの間にか俺の後ろに立っていた矢口が「なんの話?」ととぼけたように首を傾げている。


「矢口もありがとな。俺、なんも考えないで突っ込んでったからさ。おかげで俺も真木も助かったよ」


 あのまま殴られていたら、真木にもっと怖い思いをさせたかもしれない。あの時は冷静なつもりだったが、思い返してみれば俺も頭に血が上っていたんだと今ならわかる。状況を把握した矢口がすぐに助けを呼んでくれていなかったら、騒ぎを大きくした上に、最悪、怪我人がでていたかもしれない。


「しかし、矢口も怒ることがあるんだな」


 航一が含み笑いをした。さっきの矢口を思い出しているんだろう。唇が楽しそうに弧を描いている。


「別に怒ってないよ。少し釘を刺しといた方がいいかなと思っただけだ。あのまま暴力に訴えられるのも困るからな」


 苦笑した矢口が気まずそうに頬をかいた。

「なんだ、はったりか」と航一が笑う。


「確かに、効果はあったかもな。あいつらも十分肝が冷えただろ」

「いや、効果ありすぎだって。俺、隣にいてめちゃくちゃ怖かったんだからな」


 勘弁してくれよという俺に、ああと矢口が笑った。


「あれは兄貴の真似だよ。普段へらへらしてるけど、怒るとやたら迫力あるんだよね」


 曖昧に笑う矢口が小さく肩をすくめる。


「俺はあんまり兄貴と似てないから、凄んでもそんなに怖くないんだけどさ」


 松嶋くんと航一くんのおまけかなと矢口が笑う。隣に視線を送ると、俺と目が合った航一が片眉を上げてにやりとした。こちらも無言で肩をすくめて見せる。


 矢口よ。君はちゃんと兄に似ているぞ。会ったことないからよく知らんけど。


「で、あれはあのままでいいのか? 同じ図書委員なんだろ? また揉め事を起こしたりするんじゃねえか?」


 航一が親指でカウンターを指す。カウンターの向こうから、雑巾を手にした野島と吉沢がのろのろと出てくるところだった。


 確かに、二人とはこれからも委員会で関わることはあるだろう。いつでも航一たちが助けに来てくれるわけじゃないし、確か二人とも真木と同じ総合科だ。総合科と特進科は、普段ほとんど接点がない。俺が気付かないところで、真木がまた嫌な目に遭うのは避けたかった。


 どうしようかと考え込んでいた俺の横で、壁の時計を見上げた矢口が「そろそろかな」と呟いた。


「大丈夫だと思うよ。他にも強いのを呼んでおいたから」

「強いの?」


 俺が聞き返したのと同時に、図書室のドアが大きな音を立てる。扉を開けて入って来たのは、一人の女子生徒だった。ドアの前に集まっている俺たちをさっと一瞥すると、険しい顔で「どこ?」と矢口に訊ねる。にこりとした矢口が無言で野島たちを指すと、つかつかと歩み寄って、カウンターから出てきた二人を睨みつけた。


 カウンターに平手を叩きつける音がぱしりと小気味よく鳴り、野島が嫌そうに顔を顰める。隣の吉沢が「げっ、笹山」と呻く声が聞こえた。


「あなたたち、うちの真木ちゃんに因縁つけてくれたそうじゃない。どういうつもりよ」


 よく通る声が図書室に響く。その声を聞いて、奥の本棚から真木が顔を出した。野島たちの前に立つ女子を見付けると、「茜、どうしたの?」と驚いた表情を見せる。目を丸くする真木に小走りで駆け寄った笹山が勢いよく飛びついた。


「真木ちゃん!」


 がしりと真木の肩を掴むと、力任せにぐらぐらと揺らす。


「ごめんね、途中で野崎先生に捕まって遅くなっちゃって。大丈夫だった?」

「わかったから、ちょっと落ち着いて」


 呆れた顔で真木がため息をついた。


 笹山ささやまあかねは烏山高校の有名人だ。学力優秀な上に行動力と実行力に優れ、二年特選科の委員長や放送委員副委員長、その他諸々の実行委員を兼任し、どんな場所でもそのリーダーシップを遺憾なく発揮している。真木が所属する新聞部の部長も務めている彼女は、取材と称して色々な組織や団体のトラブルに首を突っ込んでいるそうだが、その全てを持ち前の判断力と度胸で見事にまとめ上げるため、トラブルシューターや調停役としてまわりの評価は高い。過去には、暴力で威圧してくるパワハラ教師を黙らせたり、クラスメイトを恐喝していた不良を説教一つで更生させたりと、数々の逸話を持つ豪傑だ。


 話に聞くエピソードだけでは気の強そうな印象だが、本人は至って人当たりが良く、同学年からも後輩からもよく慕われている。

 教師からも一目置かれているため、今期生徒会への推薦もあったそうだが、本人はあっさりと断ったらしい。部活と委員会に集中したいからというのが表向きの理由だったらしいが、「生徒代表としてまとめ役になるより、生徒会と議論する立場にいた方が、よっぽど面白くてスリリングだわ」と図書室で真木に話しているのを聞いたことがある。


 真木の目を覗き込み、「ほんとに大丈夫なのね?」と念を押す笹山に、真木がほんの少しだけ表情を緩めた。


「平気。ありがと」


 笹山は安心したようにほっと息をはくと、次の瞬間には虎のような目で振り返った。睨まれた野島と吉沢が、その場でぴたりと動きを止める。

 もう一度カウンターに歩み寄った笹山が、声を張り上げた。


「話は矢口くんから聞いているわ。今度同じことをしてご覧なさい。あなたたち二人とも、二度と教室で顔が上げられないようにしてやるから。卒業までごめんなさいしか言えない生き物になりたくなかったら、金輪際ふざけた真似をしないで頂戴」


 両手を腰に当てて立つ笹山の後ろに、不動明王が見える気がする。うん、なんというか、あれだ。今日はやたらと仏に縁のある日だ。


 野島と吉沢が何事かをもごもごと呟く。弁解をしているんだろうけど、声が小さくてよく聞こえない。


 大きく息を吸った笹山が、片足を上げて勢いよく床を踏みつけた。小気味よいダンスステップのような音と共に、「いいわね!?」という声が響く。

 航一がにやりと笑った。


「ありゃ強いな」

「だろ?」


 いや、強すぎだろ。


 笹山を敵に回すということは、すなわち二年と一年の大半を敵に回すということだ。男女共に信頼の厚い笹山の頼みなら、大抵のやつが二つ返事で引き受ける。俺なら、笹山に睨まれた瞬間に抵抗することなく白旗を上げると思う。


「用意周到だな。通りで来るのが遅いはずだ」


 航一が呆れた顔で矢口を見下ろす。視線を受けた矢口が小さく微笑んだ。


「その場限りの喧嘩で済めば話は早いんだけど、そう単純なものでもなさそうだったからさ。俺にはアフターフォローの能力はないし、真木さんと笹山さんは同じ新聞部で仲がいいからね。適材適所ってやつだ」


 いつも通りの穏やかな顔だが、口元にほんの少し黒い笑みが見える。矢口を見下ろす航一が面白そうに目を細めた。


 四月に出会ってから二ヶ月と少し。矢口と航一のことは少しわかってきたつもりだったが、まだまだ理解は足りていないらしい。出会った頃は二人ともクールで大人びたやつだという印象だったが、結構子どもっぽいところもあるし、思っていたより情に厚い。


 真木は俺のことをお人好しだというけど、それならこの二人だって相当なお人好しだ。


「ありがとう」


 もう一度、頭を下げる。

 今度は何となく照れくさくて、二人の顔を正面から見られなかった。


 少しだけ顔を上げると、驚いた顔をした二人と目が合う。その表情がすごく幼くて思わず吹き出してしまった。二人は急に笑い出した俺をぽかんと見下ろしていたが、互いに目を合わせると、やがて声を立てて笑い出した。


 馬鹿みたいに笑う俺たちを、少し離れたところから不思議そうな顔で真木が見ている。真木の隣で、笹山が呆れたように小さく笑った。


 笑いすぎてあふれた涙を拭って顔を上げる。

 トラブルは、これで幕引きだ。

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