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テンダーブルーの箱庭  作者: 伏目しい
第3章 あおく、やわく
76/103

20 委員会トラブル

 帰り支度をして教室を出る。

 廊下に並んだロッカーから鞄を取り出したところで、隣のクラスの山下に呼び止められた。振り向くと目の前に一冊の本。


「高谷、確か図書委員だったよな。これ返しといてくんない?」

「俺、今日は当番じゃねえんだけど」


 じろりと睨むと、山下はいいじゃんと笑った。


「俺とお前の仲だろ? かたいこというなって」

「どんな仲だよ。去年クラスメイトだったってだけだろ」

「頼むって。今から部活なんだよ。俺んとこの主将、マジおっかねえからさ。遅刻したら、どやされるだけじゃ済まねえんだよ」


 自然とため息がもれる。


「仕方ねえな。今度は早めに返しにこいよ」

「サンキュー、助かるぜ」


 数少ない利用者のためだ。これも図書委員会サービスの一環と思うことにしよう。


「仕事ですから」


 ツダセンの口調を真似してみる。

 渡り廊下から西棟へ移動し、階段を下りて三階へ向かう。西棟の端、日当たりのいい一角が図書室だ。新校舎建設の際、「生徒が心地よく過ごせる明るい図書室」をコンセプトに設計されたらしいが、あまりにも日当たりが良すぎたために本が日に焼けてしまうという問題が生じた。学校の財産でもある本が傷んでしまうのは困るということで、数年前に図書室のカーテンを全て遮光カーテンに取り替えたそうだ。そのため、烏山高校の図書室は昼間でも全てのカーテンがぴたりと閉め切られている。


 建設当初の計画にあった「明るい図書室」は果たされなかったが、こういううっかりミスは人間らしくて嫌いじゃない。貴重書や古書を所蔵している専門図書館ではないし、高校の図書室なら多少本の背が焼けるくらいは許容範囲だとも思う。


 図書室前の返却箱に山下から預かった本を放り込む。こうしておけば今日の図書当番が返却してくれるだろう。ここ最近の仕事ぶりを考えるとあまり期待はできないが、まあその時はその時。来週月曜の当番で俺と真木が片付けるだけだ。


 さて、今度こそ帰ろう。

 踵を返したところで、あたりに桜色の香りが広がった。振り返った先、俺の目の前に、百瀬がちょこんと首を傾げて立っている。思いがけない登場に、思わず固まってしまった。


「こんにちは、貴文くん。今、ちょっといいかなあ?」


 両手の指先を合わせて百瀬がにこりと笑う。


「この間はごめんね? 急に帰っちゃったりして。実はお母さんから電話があって、用事があるから早く帰りなさいっていわれちゃったの」


 形の良い眉を下げて、百瀬が申し訳なさそうに小首をかしげる。


「ああ、うん、そっか。そうだったんだ」


 よかった。俺が何かやらかしたんじゃないかと心配していた。

 百瀬がこくりと頷いた。


「貴文くん、なんだか大事な話をしてたみたいだったから、声をかけづらくて。ごめんね、何にもいわずに帰っちゃって」


 上目遣いの目がきらきらと揺れる。


「いや、いいんだ。俺こそ、約束してたのに待たせちゃってごめん」


 頭を下げると、百瀬は嬉しそうな顔を見せた。


「よかった! 貴文くんなら許してくれると思った」


 両手を後ろに組んだ百瀬が「やっぱり貴文くんは優しいな」と笑う。


「それでね、貴文くん。ちょっとお願いがあるんだけど、今、時間あるかなあ?」


 もちろんですとも。

 イエス以外の答えはない。前回の失敗を取り返すべく大きく頷いてみせる。


「いいよ。髪飾りを探すんだよね?」

「ううん、バレッタは見つかったの。だから、大丈夫。ほら」


 ぱたぱたと手を振った百瀬が、くるりと後ろを向く。やわらかな髪には、ピンク色の飾りがついていた。


「ローズクォーツなの。可愛いでしょう?」

「うん。いいね。とても似合ってる」


 素直に感想を伝えると、百瀬は嬉しそうに笑った。


 そうか、もう見つかってしまったのか。いや、見つかったのはいいことなんだけど、約束を果たせず仕舞いというのは情けない。そりゃそうだ。百瀬と美術室へ行った日から、もう二週間は経っている。


 あの後、約束を守れなかったことを謝りに一組へ行こうかともしてみたが、他科の奴が突然教室まで訪ねるのは迷惑かと思って、結局行かなかった。

 がくりと肩を落とす俺に、百瀬が優しく微笑みかける。


「あのね、今、写真部が展覧会をやっているの。知ってる?」

「ああ、モノクロ写真の作品展だろ? 知ってるよ」


 頷くと、百瀬が嬉しそうに両手を顔の前で合わせた。


「その展覧会がとても素敵だって聞いたから、見に行ってみたくって。でも、友達はあんまり興味がないんだって。私、写真部に知り合いはいないし、一人だと不安だから、貴文くんについてきてもらえるとすっごく嬉しいんだけど」


 百瀬がちょこんと首を傾げる。「ダメかなあ?」と少し不安そうな顔が、とても可愛い。男子たるもの、可憐な女子からのお願いを断る理由があろうものか。


「もちろんいいよ。俺、放課後は大抵暇だし。いつ行こうか?」


 作品展の開催期間は来週までだったはずだ。来週木曜からは試験前で部活動が制限されるから、確か水曜が最終日だったと思う。

 百瀬の顔が輝いた。


「ほんと? それじゃあ……」


 その時、後ろの方で誰かが叫ぶような声がした。続いて、何かが倒れる音。振り返るが廊下には誰もいない。あたりを見回す俺の耳に、もう一度声が届く。少しこもっているが、これは女の子の声だ。声は、図書室から聞こえていた。


 不審に思って図書室へ近付こうとした俺の背中に、「高谷くん」と呼びかける声がある。見ると、鞄を肩にかけた矢口がこちらに歩いてくるところだった。


 俺の前で歩みを止めた矢口が、不思議そうな顔をする。


「どうした? 今日は当番じゃないだろ?」


 説明しようと口を開きかけるが、今はそれよりも図書室の物音が気になる。ちらりと図書室に視線を向けると、俺の様子を見て何かを察した矢口が表情を変えた。再び、図書室から誰かの怒鳴り声。


 顔を見合わせた矢口と無言で頷き、二人で図書室へ近付く。建て付けの悪いドアの隙間から真木の声が聞こえてきた。次いで、男の笑い声が響く。

 とっさに後ろを振り返り、きょとんとした顔の百瀬に向かって両手を合わせる。


「ごめん、百瀬。俺、ちょっと見てくる」


 早口で言い残すと、呆気に取られている百瀬を残して図書室のドアに手をかけた。

 勢いのままに飛び込むと、図書室の真ん中、カウンターから少し離れた閲覧席で、二人の男子が机に腰掛けているのが見えた。一人は片足を机に乗せ、もう一人はイスの背に両足を引っ掛けるようにして座っている。足元にはさっき倒れたと思われるイスが転がっていた。そのイスの横で、真木が二人の男子を睨みつけている。俺が声をかける前に、真木が大きな声で二人を怒鳴りつけた。


「もう一度いいなさい。何をしていたの」


 二人の内、明るい髪色をした男子がにやにやと笑った。染髪は校則違反だが、地毛だと言い切れなくもない程度の焦茶色だ。


「図書委員のお仕事に決まってんじゃん。なあ? 吉沢」


 吉沢と呼ばれた方もにやにやと笑いながら、両足でイスの背を揺らしている。


「そうそう、僕たち真面目にイーンカイカツドーしてたんですけど、何か?」


 二人揃ってわざとらしく首を傾げて見せる。茶髪の方が声をたてて笑った。隣のやつを吉沢と呼んでいたところを見ると、多分、この茶髪が野島だ。金曜の図書当番。委員会議にもほとんど出席しないので顔を覚えていなかったが、いかにもサボり常習者といった雰囲気だ。二人揃って「僕たち不真面目です」という面構えをしている。


 ……いや、人を見た目で判断するのはよくない。普段は何かのっぴきならない事情で図書委員会の仕事が疎かになっているだけで、根は真面目という可能性だってあるじゃないか。うん、よく見たら、雨に濡れた仔猫に傘を差し出しそうな青年に見えなくもない。


 真木が男たちに詰め寄る。


「よく言うわ、ろくに本の片付けもしないで。飲食禁止の図書室でお菓子を食べていた上に、ゴミを本棚に押し込んだでしょう。私、見てたんだから」

「えー? なんすかそれ? 知りませーん」

「僕たちがやったって証拠でもあるんですかー?」


 ぎゃははという笑い声が図書室に響く。

 前言撤回。一部の人間は見た目で判断しても構わない。


 真木の手にはジュースの空缶とスナック菓子の袋が握られていた。もう片方の手に持ったハードカバーの本を握る指先が小さく震えている。


「真木」


 声をかけると、唇を噛んだ真木が振り返った。その目の力強さに思わず息を呑む。

 真木が空缶を俺に突き出した。


「これ、本の間にはさまってた。中身がこぼれてて、本も棚もめちゃくちゃ」


 ぐっしょりと濡れた本を受け取る。ふやけたページは無理に開くと破れてしまいそうだった。ブックコートをかけた表紙の端がベタついているのは、多分、スナック菓子の油だろう。


「だーかーらー、俺らじゃないって」


 足でイスをがたがたと揺らす吉沢を、真木が睨んだ。


「イスを蹴らないで。机からおりなさい」

「こっわ」


 二人がにやにやと笑いながら顔を見合わせた。

 唇を震わせる真木の手から、ジュースの空缶をそっと受け取る。ぴくりと真木の肩が跳ねた。

 空缶を手に二人に向き直る。


「それじゃ、棚を片付けるから、二人とも手伝ってくれ」


 真木がぱっと振り向いた。何を言っているんだという表情で俺の目を見る。

 野島が舌打ちした。


「は? だからオレらじゃねえっつってんじゃん」

「お前らがやったかどうかなんて関係ねえよ。ただの図書委員会のお仕事だ。本と棚が汚れてたら片付けんだよ。当然だろ?」


 不愉快そうに顔を顰める二人の前で、これ見よがしにため息をついてやる。


「当番のお前らだけじゃ頼りねえから、俺が手伝ってやるっつってんだよ」


 吉沢の頬が不快に歪んだ。勢いよくイスを蹴倒すと、俺の前まで来てシャツの胸元を掴み上げる。


「んだよコイツ、マジうぜえ」

「真面目くんかよ、バカじゃねえの」


 あーあ、ちくしょう。こりゃ一発殴られるかもな。


 ため息と共に痛みを覚悟した時、ぴしゃりとした声があたりに弾けた。


「馬鹿なのはあんたたちの方でしょ」


 驚いて声の方に目を向けると、真っ赤な顔をした真木が二人を睨んでいた。


「決められた仕事もしないでふざけてばかり。他人に迷惑をかけて馬鹿笑いして。何それ、かっこいいつもり? 真面目なことを馬鹿にするあんたたちの方がよっぽど馬鹿で卑怯だわ。自分たちがダサいことを自覚しなさい」


 真木の凛とした声が図書室中に響いた。普段小声でしか喋らないので、その迫力に圧倒される。

 野島が大きく舌打ちをした。のろりと机からおりると、真木を睨む。


「メガネブスが調子に乗んなよ」


 野島の言葉を聞いた吉沢が大袈裟に嗤う。

 真木の顔が赤く染まった。唇を噛み締めて俯く姿に、頭の奥と目の端がぴりぴりと痺れる。


「やめろよ、そういうの。傷付くだろ」


 気付いた時には声が出ていた。耳に届く声の温度に、自分が腹を立てていることがわかる。

 真木を睨んでいた野島の視線が俺を向いた。


「は? 何が?」


 真木を顎で指した野島が、眉を上げてにやにやと嗤う。


「そいつがメガネでブスなのは事実じゃん。おまけにデカくてうぜえし、マジ終わってんじゃねえか」


 嬉しそうに嗤う吉沢が、掴んでいた俺のシャツを強く引いた。バランスを崩しそうになって、両足に力を込める。


「俺たち、現実を教えてあげてんのよ。ほんとのこと言われていちいち傷付いてたら、このさき、生きていけねえからさ」

「そうそう、むしろ親切ってやつ?」


 癇に障る笑いが部屋に響く。


「やめろっつってんだろ」


 胸ぐらを掴む吉沢の腕に手をかけ、指先に思い切り力を込めて握り締める。舌打ちした吉沢がシャツから手を離した。


「傷付く方が悪いっつーのかよ。んなわけないだろ。傷付ける奴が悪いんだ。何が親切だ、ふざけんじゃねえぞ。そんなふうに言われたら、誰だって傷付くんだ。いいか、間違えんなよ、いつだって傷付ける方が悪いんだよ。てめえの無知と暴力を正当化すんな。無責任な言葉が他人をどれだけ苦しめんのか、それすら想像できないなら、一生口閉じて黙ってろよ」


 頭の奥のどこかで、落ち着けという声がする。

 腹は立てていい。友達が理不尽に貶められて怒るのは当然だ。だから、落ち着け。必要以上に相手を貶す言葉を吐くなら、俺もこいつらと同類だ。


 ああ、でも、ちくしょう。クッソむかつく。


 野島が鬱陶しそうに顔を歪めた。


「何なのお前、そのブスの彼氏なわけ?」

「はあ?」


 何だこいつ。彼氏かどうかが関係あんのか。

 ちらりと真木に視線を向ける。俯いて表情は見えないが、肩が小さく震えていた。


「俺は真木の友達だ。友達が傷付けられて、黙ってられるか」

「ジャンプマンガの主人公かよ。マジうざいんだけど」


 舌打ちした吉沢が、もう一度俺のシャツに手を伸ばす。身構えた瞬間、背後でドアが開く音がした。

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