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テンダーブルーの箱庭  作者: 伏目しい
第2章 レンズ越しのあなたへ
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17 一幕の茶番劇

 二人の先生が出て行った後、部屋の中には気まずい沈黙が落ちていた。全員が机の上に並べられた篠原先輩の写真を静かに見つめる。それぞれ何かをいおうと口を開くが、思い付く言葉がないままに開いた口を閉ざしてしまう。

 しばらく経って、ようやく木島が意を決したように篠原先輩に笑いかけた。


「大丈夫ですよ、部長。松本先生なら許してくれますって」

「そうだな、松本先生なら、たぶん大丈夫だ」


 すかさず石上も同意を示す。


「とりあえず、ペンキを拭いて部屋を片付けるか」


 俺の声に頷いた真木が、落ちていた雑巾を拾い上げた。気まずさを振り払うように、全員がそそくさと掃除用具を手にする。


「あ、そうだ!」


 突然、柴本が大きな声をあげた。


「現像済みのフィルムを松本先生に返すの忘れてた!」


 木島が呆れた顔をした。


「お前な、人様から預かったものはちゃんとしろよ」


 えへへと笑った柴本が、嬉しそうな顔で篠原先輩を振り返る。


「部長、ネガがあれば写真はまた焼けますよ」


 はっと顔を上げた篠原先輩が、小さな声で「ありがとう」と呟いた。

 ほっとした空気の中、檜山先輩がふむと腕を組む。


「詳しい事情はわからんが、ひとまず何とかなったみたいだな。では、さっさとここを片付けて帰るとしよう。ところで、美……あー、篠原。どうして写真を隠そうとしたんだ?」


 ぴしりと篠原先輩の顔が凍りついた。


「先生たちがいうように、どれも素晴らしい写真だ。写っているのは、俺が去年貸した作品だろう? 結局、撮った写真を俺に見せてはくれなかったが。これを見られたくなかったようだが、そんなに隠すような写真か?」


 木島が「げ」と声をあげ、石上が「部長、それは」と首を振った。真木はため息をついて檜山先輩を睨み、柴本は「あ、部長、飴食べます?」と慌ててポケットを探っている。


「ん? どうした?」


 後輩たちの様子に檜山先輩が首を傾げる。純粋に不思議そうな顔をしているところが少々憎たらしい。

 仕方ない。篠原先輩には悪いけど、こうなったら茶番に付き合ってもらおう。


 ブラッド先生が並べた写真を一枚取り上げる。雨打つ窓辺に佇む彫刻を写した写真。木彫りの彫刻は目を伏せた少年の像で、小さな両手で抱えた何かを静かに見つめている。少年の手の中には小鳥が横たわり、指の隙間からはほんの少し開いた柔らかな羽がのぞいていた。後ろに見える窓枠の錆びついた鉄釘から、少年の頬に落ちる影まで、その全てが穏やかな光に包まれている。少年の眼差しはどこまでも優しい。


 一瞬を切り取った写真の中から、今にも窓を打つ雨音が聞こえてきそうな、あたたかな白と黒。

 一目見た時から気に入っていた。


「檜山先輩、この写真に写ってるのって、先輩の作品なんですよね?」

「そうだ。去年の文化祭で展示した」


 頷く檜山先輩に「へえ」と笑う。摘んだ写真を、これ見よがしにひらひらと振って見せた。


「あんまりいい作品じゃないですね」

「何?」


 檜山先輩が低い声を出す。石上が驚いた顔で仰け反った。


「彫りが粗いし、仕上げも雑です。全体的にバランスが悪いせいかな、この像、ちょっといびつなとこありますよね。一番気になるのはこの鳥かな。先輩、鳥の羽って見たことあります? 俺、文鳥を飼ってたことあるんですけど、こんなふうには広がったりしませんよ。この少年も……うーん、及第点かなあ。指先の形がよくないですね」

「おい、高谷!」


 早口で批評を続ける俺の肩を、石上が掴んだ。


「お前、それは言い過ぎだろ」


 木島が顔を顰め、柴本が心配そうに俺の顔を覗き込む。


「なんだよ高谷、急にどうした?」

「別にどうもしない。思ったままをいっただけだ」


 にやりと笑って見せる。


「作品は確かに作者のものだけど、発表した瞬間から観覧する側のものでもある。好き嫌いはあって当然だし、批評するのは観る側の自由だ」


 ちらりと篠原先輩を振り返る。先輩の目の奥が赤く光った。


「よくないものをよくないといって何が悪い」


 思わず逸らしてしまった目を慌てて閉じる。背中に刺さる篠原先輩の視線が痛い。


 ごめんなさい、篠原先輩。

 すみません、檜山先輩。あとで全力で謝ります。


 ふうと息をはき、目を開いて木島たちを見回す。


「みんなもそう思うだろ?」


 あ、わ、せ、ろ。

 口の動きで木島、石上、柴本に伝える。


 木島と石上がはっとした顔で目を合わせた。ちらりと篠原先輩を見て同時に頷く。

 咳払いをした石上が、ぎこちない仕草で写真を指差した。


「やあやあ、なんだこれは、まるで小学生の工作みたいだなあ」


 木島が腕組みをしながら大袈裟に頷いて見せる。


「いやあ、ちげえねえ。これなら俺にだって作れそうだ。なあ?」

「いやはや、まったく本当に。なんというか、えーっとアレだな」

「そうだな、確かにちょっとアレだ。アレがなんか……アレだな」


 おい大根ども。普段の口喧嘩の勢いはどうした。

 一人ぽかんとしていた柴本も、慌てて口を合わせた。


「確かにこりゃあひでえや。ね、親分」


 どこの親分だよ。お前さんはうっかり八兵衛かい。


 目の前で繰り広げられる茶番劇を見つめる真木の目は、氷の女王もかくやというほどに冷たかった。それでも口を挟まないところを見ると、消極的ながらも協力する気はあるらしい。


「もっといい作品が被写体なら、これよりいい写真が撮れたのに。そうですよね、篠原先輩」


 へらへらと笑いながら振り返る俺を、篠原先輩がきっと睨んだ。両手を高くあげると手のひらを思いきり机に叩きつける。

 篠原先輩が怒鳴った。


「なんてこというの! あなたたち、本物の作品を見たことないでしょう! 藤吾くんの作品は本当に素晴らしいのよ! 私の写真じゃ表現できないくらいに!」


 篠原先輩が俺の手から写真をひったくる。


「写真じゃ上手く表現できなくて諦めちゃったけど、この彫刻の中には光があるの。窓から差し込む月明かりに照らすと幻想的ですごく素敵なんだから。他の作品もそうよ。全部に藤吾くんの情熱が込められてる。どんなに見る目がない人にだって伝わるわ。だって藤吾くんの芸術には愛があるもの」


 驚いた顔をした檜山先輩に気付かず、篠原先輩は小さく息をつくと長い人差し指をぴしりと俺に向けた。


「それを、あなた、あんまりいい作品じゃないなんて、よくもいったわね。私の写真なんかじゃなくて、本物を見てみなさいよ! 間近で見たら文句はいえないわ。そうでしょ、藤吾……檜山くん」


 勢いのまま檜山先輩を振り返った篠原先輩が、我に返った顔で言葉を切った。呆気に取られた顔の檜山先輩と篠原先輩が、しばし見つめ合う。さっと朱がさした頬を両手で覆って、篠原先輩はへたりとイスに腰を落とした。


 俯きながら「ああ、やだもう、なんで」と呻く篠原先輩を見て、柴本が楽しそうに笑う。


「部長は、檜山先輩が大好きなんですねえ」


 木島と石上の手が左右から伸び、柴本の口をそっと塞ぐ。不思議そうな顔をした柴本が、もがもがと抗議の声をあげた。

 座り込む篠原先輩に、檜山先輩が近寄る。


「どうした篠原、大丈夫か?」


 俯いていた篠原先輩が力なく頷いた。


「檜山先輩と篠原先輩は、もしかして昔からのお知り合いですか?」


 ちょっと気になっていたことを檜山先輩に訊ねる。下の名前で呼び合っているところを見ると、かなり親しいんじゃないだろうか。檜山先輩が眉間に皺を作って、むうと唸った。


「おさな……ああ、いや、違う。俺たちは知り合いではない。断じて違う。家は隣同士だが、知り合いではない」


 いやいや、嘘が下手すぎるだろ。あまりの下手さに、一瞬つっこみ待ちのボケかと思うが、相手は檜山先輩だ。真面目に答えているに違いない。目がありえないくらいに泳いでるけど。

 篠原先輩がゆるゆると首を振った。


「ううん、違うの。ごめんなさい。私と藤吾くんは幼なじみで、昔から家族ぐるみの付き合いがあるのよ」


 檜山先輩の「話していいのか?」という呟きに、篠原先輩が小さく頷いた。


「私が藤吾くんに頼んだの。知り合いだってこと、学校ではいわないでって」

「どうしてです? 別に隠すようなことじゃないでしょ? いってくれれば俺たちだって……」


 木島が気まずそうにもごもごと言葉を濁した。たぶん「美術部の悪口はいわなかったのに」と続けようとしたんだろう。


「だって、写真部と美術部って、ものすごく仲が悪いんだもの」


 篠原先輩は悲しそうな顔で俯いた。


「烏山に入学して、私が写真部に入った時から、うちの部と美術部は仲が悪かった。今よりもっと酷かったのよ。常に険悪な雰囲気で、お互いの作品を馬鹿にして酷評し合ってた。昔よりは随分マシになったと聞いてるけど、それでも去年の三年生の代だって、お互いにかなり敵視していたわ。去年の文化祭のことはあなたたちも覚えているでしょう?」


 木島、石上、柴本の三人が微妙な表現を見せる。篠原先輩が小さくため息をついた。


「写真部の私と美術部の藤吾くんが昔からの幼なじみだなんて、とても言い出せる雰囲気じゃなかった。でも私は写真が好きだし、藤吾くんは美術のことしか頭にないから、お互いに学校では他人のふりをしましょうって私がお願いしたのよ。顧問の小杉先生とブラッド先生も仲が悪いって噂だったし、それが真実だとみんなが思ってた。まさか先生たちの噂がただの誤解なんて、ついさっきまで私も知らなかった。去年の部長たちが卒業して、そろそろ二つの部も仲良く……とまではいわなくても、上手く付き合っていけたらと思っていたけど、相変わらず小さな諍いは絶えないし、後輩たちも喧嘩ばかりだし」


 木島と石上がさっと目を逸らした。


「それなのに今年は私が部長に選ばれちゃうし、藤吾くんも美術部の部長になっちゃうし、写真部と美術部の部長が知り合いなんて、ますます言い出せなくなっちゃって」


 木島と石上が声を出さずに頭を抱えている。根は真面目で人の良いやつらのことだ。自分たちのせいで篠原先輩に気苦労をかけていたことを知り、後悔に苛まれているらしい。後悔先に立たず、反省しなさい。


「もうこうなったら卒業まで隠し通すしかないって思って。だって今さら、どんな顔をして説明して良いかわからなかったし、写真部のみんなから裏切り者と思われるのも怖かった。だから、今年の写真部の部長と美術部の部長も相変わらず仲が悪いんだって思わせるために、藤吾くんに嫌みをいったりひどい態度をとるようにしていたのに。なのに、あんな写真を見られちゃったら、私が藤吾くんのことを」


 篠原先輩が慌てて咳払いをした。


「藤吾くんの作品のことを好きだってわかってしまう。写真はごまかせないもの。小杉先生に見られたらすぐにバレちゃうから、だから私、慌ててしまって」


 目の前にあった写真にペンキをばらまいてしまったわけだ。他人が聞いたら「なんだそりゃ」な理由でも、本人にとっては死活問題ということもある。篠原先輩の行動を馬鹿にすることはできない。俺が同じ状況だったら、もっと間抜けなことをしてたかもしれない。


 篠原先輩がゆっくりと顔を上げる。心底情けないといった様子で、何度も首を横に振った。


「でも、先生たちはまるで親友みたいに話しているし、あなたたちも仲良しみたいだし、結局、私が一人で勘違いしてバタバタしてただけみたい。その結果こんなことになって、みんなに迷惑かけて。本当にごめんなさい」


 深々と頭を下げる篠原先輩に、木島と石上が慌てた。


「いや、そんな、部長、頭上げてください」

「俺たちこそ、なんつーか、まわりが見えてなくてすみませんでした」


 お互いを肘で突き合いながら「お前のせいだぞ」「いや、お前だろ」と小声でやり合っている二人を見て、篠原先輩の目に涙が浮かぶ。

 柴本が「仕方ないやつらだな」と笑った。


「それにしても本当によく撮れてますよね。いつ撮ったんですか?」


 にこにこと嬉しそうに訊ねる柴本に、篠原先輩がようやく少しだけ笑った。


「これは去年撮ったものよ。本当は去年の文化祭に出展しようかと思っていたの。藤吾くんが創った作品と私が撮った写真を並べて、二つの部で企画展ができないかって。さっきブラッド先生がいっていたような案を私も考えてた。藤吾くんにも協力してもらって、しばらく作品を借りて撮影したの。先生に提案する直前まで準備したんだけど、この写真を誰かに見られるのはやっぱり恥ずかしくて。それに、去年はあんなことになっちゃったから」


 篠原先輩の目が悲しそうに伏せられる。


「ずっとしまってあったのに、昨日自分の部屋を整理していたら机の中から見つけてしまって、ついうっかり持ってきちゃったの。しかも今回の写真部用の作品と間違えて木島くんに渡しちゃって。知らないふりするわけにもいかないし、慌てて回収しようとしたら失敗してしまうし、本当、もう、情けない」


 再び肩を落とす篠原先輩に、柴本がにこりと笑いかけた。


「部長、その写真、今度の写真部の作品展に出しませんか?」


「ああ、いいなそれ」と木島も頷く。


「せっかくこんなにいい写真があるのに、発表しないなんてもったいないですよ」

「ダメよ! 絶対ダメ!」


 にこにこと笑う柴本に、篠原先輩が慌てて手を振った。


「だってあんな写真見られたら、私が藤吾くんを……藤吾くんの作品を好きだってみんなにバレちゃうじゃない。そんなの絶対ダメよ」


 檜山先輩が「へえ」と呟いた。


「美奈がそんなに俺の作品を気に入ってくれているとは知らなかったな」


 檜山先輩が嬉しそうに笑った。いつも真面目な顔をしているから、なんだか珍しいものを見た気がする。


「俺も美奈の写真は好きだ。小杉先生がいうように、愛がある。あんなに愛情深い写真に残してもらえるなら俺の作品も本望だ。やはり美奈とは、お互い想いの深さが同じだな」


 篠原先輩の顔が真っ赤に染まる。


「芸術を志す者同士、創作への愛と情熱はとても深い。さすが写真部の部長だ、これからも互いに切磋琢磨して、素晴らしい作品を創り上げていこう!」


 檜山先輩が差し出した右手を見つめて、篠原先輩が短く息をはいた。


「ああ……そう、そうね」


 篠原先輩が檜山先輩の手を握り返す。「これからも頑張りましょう」という声が暗いのは、たぶん気のせいじゃない。ため息をつく篠原先輩とは対照的に、檜山先輩は満面の笑みで握手した手を振っている。


 先輩たちの後ろで、木島が呆れた顔で石上を小突いた。


「お前んとこの部長、どうなってんだよ」

「すまん。これに関しては言い訳できん」


 後輩たちの冷たい視線に気付かず、檜山先輩は上機嫌で雑巾を手に取る。


「では、さっさと片付けて創作を始めるとしよう。これから楽しくなりそうだな。なあ、石上」


 振り返った檜山先輩に、石上がやれやれと首を振る。


「唐変木」

「朴念仁」

「鈍感野郎」

「すっとこどっこい」

「む。なんだ突然」


 後輩から口々に浴びせられる雑言に、檜山先輩が顔を顰めた。

 まったく、この人はどうしようもない美術馬鹿だ。芸術への愛は知っていても、身近な恋には気付かないらしい。


 肩を落とした篠原先輩がバケツを手にとぼとぼと部屋を出ていく。篠原先輩の想いが檜山先輩に届くのは、まだしばらくはかかりそうだ。

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