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テンダーブルーの箱庭  作者: 伏目しい
第1章 桜色リップクリームの君
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7 桜色の恋心

 それじゃあ帰るよ、という矢口に手を振り、カウンターへ戻る。パソコンの前に座ると、カウンター内のイスに座って本を読んでいた真木がちらりと睨んだ。


「図書室では静かに」

「ごめん、うるさかった?」


 途中からは話に夢中で、まわりへの配慮が欠けていた。なんてこったい図書委員。


「うるさいってほどじゃないけど、声が大きい。聞いてるこっちが恥ずかしくなる」


 ため息をついて、真木は「他に利用者もいないから別にいいけど」と付け足す。

 そっかと返して、ふと気付いた。隣を向いて、恐る恐る訊ねてみる。


「矢口との話も聞いてた?」


 なんとなく、あれは聞かれたくないような気がする。絶対に嫌だってわけじゃないけど、なんかちょっと恥ずかしいっていうか、照れくさいっていうか。

 真木が冷めた視線を向けた。


「矢口くんの声はよく聞こえなかったけど。何? 図書室で変な話でもしてたの?」

「違う違う」


 慌てて手を振る。


「矢口はかっこいいって話をしてた」

「何それ」


 馬鹿馬鹿しいといった顔で真木がそっぽを向いた。

 へへへと適当に笑いながら、誤魔化しついでにカウンターのバインダーを手に取る。記録用紙に目を落とすと入館者数が四に増えていた。


「あれ、今日そんなに入館者いたっけ?」


 松嶋たちとの話に夢中で気付かなかっただろうか。

 首を傾げた俺を見て、真木が呆れた顔をした。


「あの大きな子が出入りした分。同じ人物でも、入館者数はドアを通った数で計上するって、この間の図書委員会で決めたでしょ」


 先月の図書委員会議を思い出す。そういえばそんな話をしたんだったか。


 我が烏山高校は図書室の利用が少ない。図書室に足が向かないのは、何も松嶋に限った話ではないのだ。右肩下がりになる入館者数に業を煮やした今期の図書委員長が「入館しているのは間違いないのだから、ドアを開けて入ってきた者は全て入館者として計上してしまえ」とのたまい、前回の会議でめでたく可決された。


 正直、記録数だけを増やしてもあまり意味はないような気がするが、他の委員がそれで構わないというのであれば異論はない。

 多数意見には従います。一般人だもの。


「そういや、そうだったな。忘れてた」


 へらりと笑ってバインダーを元の位置に戻す。

 突然、真木が開いていた本をぱたんと閉じた。そのまま何もいわずに立ち上がると、さっさと書架の方へ歩いて行く。

 何か怒らせるようなことをしてしまっただろうかと考えてみるが、心当たりはまるでない。心当たりがないこと自体が、そもそも問題なのかもしれない。女の子は複雑だ。


 カウンターで腕組みをしながら考え込んでいると、ふと目の前に影がさした。何気なく目を上げた姿勢のまま、固まる。

 そこには、昼に中庭で出会った桜色リップクリームの君が立っていた。


「こんにちは」


 ほんのり色付いた唇をきゅっと持ち上げて、桜の君がにこりと笑う。

 こんにちはと返そうとしたが、舌がもつれて「にちぇ」という音しか出なかった。


「こん、にちは」


 慌てて言い直すと、ふふと桜色リップクリームの君が笑った。


「さっきはありがと」

「うぇ? いや、はい」


 声がひっくり返って、心臓が謎の音を立てた。

 やばい、こんな時に心筋梗塞かと焦る俺の前で、桜色リップクリームの君の唇が動く。


「中庭で会ったよね?」


 首を傾げる様子が可愛い。目が大きくて、睫毛が長い。白くてするりとした肌にはほんの少し紅がさしている。多分、化粧をしているんだろう。高校生で化粧をしている子は珍しくないし、うちの学校でも何人かは見かける。けれど、こんなに綺麗に化粧をしている子を、俺は見たことがない。


 間抜けな顔をしているだろう俺の前で、桜色リップクリームの君がポケットから何かを取り出す。小さな爪の先まで整えられた指でつまんで見せたのは、さっき俺が拾った桜色のリップクリームだった。


「これ、お気に入りなの。失くしたら泣いちゃうところだった」


 長い睫毛をふるわせて、ぱちりと瞬きをする。頭のどこかで、カラコロと鈴鞠(すずまり)の鳴る音がした。

 桜色の唇がゆっくりと弧を描く。


「拾ってくれて、ありがと」


 まるで花が開くようにふわりと笑った。正面からこちらを見つめる目の奥に、俺の間抜けな顔が映っている。

 彼女の瞳の奥に、満開の桜が見えたような気がした。


 頭の中のカラコロが集まって、ぽおんと何かが落っこちた様な音が響く。


 ああ、これは、あれだ。

 これがいわゆる、世にいう、あの噂の。



 ――恋に、落ちたってやつだ。



 どうもと呟いた返事は喉の奥に引っかかって音にならなかった。桜色リップクリームの君が、ちょこんと首を傾げて俺の顔を覗き込む。


「図書委員なの?」

「ああ、うん、そう俺、図書委員」

「そうなんだ」


 にこりと笑う。天使か。


「さっきの、すごいね」


 天使がことんと首を傾けた。


「彼女の誕生日。当てちゃうんだ」


 名探偵みたいと笑う姿に、身体中の血が顔に集まるのがわかる。どうやら松嶋との話を聞かれていたらしい。


 どうしよう。俺、何か変なことをいってないだろうか。


 必死で記憶を探っていると、彼女の手が俺の腕にそっと触れた。柔らかな指先の感触に思わず肩が跳ねる。


「私も困ったことがあったら、相談しにきてもいいかなあ?」


 ね、名探偵さん?


 にこりと笑うと「それじゃ、またね」と手を振って天使は図書室を出て行った。ドアが閉まる音とともに、彼女の残り香がふわりと広がって消えて行く。


 残された俺はただ呆然と座っていた。頭の中では、まだカラコロと音が響いている。


 ぼんやりとした思考の片隅で、桜の匂いって桜餅とはちょっと違うんだなと思った。

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