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テンダーブルーの箱庭  作者: 伏目しい
第5章 箱庭の中の僕ら
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52 その罪の名は

 ゆっくりとした動きで、鈴川が壁際の棚からファイルを取り出した。机に腰掛けると右手でぱらぱらとめくっていく。目的のページを開くと、小さな声で読み上げた。


「二〇一三年十二月十七日。期末試験明けに水泳部から被害届が出ている。荷物の一部を置いていた女子更衣室から水着が失くなっていたらしい。水泳部ではそれ以前にも何度か盗難が発生しているが、特に手がかりはなく、これまで犯人は捕まっていない」


 ファイルを机に放り投げると、鈴川は目を伏せた。


「つまり、これまでの盗難騒ぎの犯人はお前だってことか」


 ぽつりと零した声に塚田の肩が跳ねる。


「違う」


 震える声で塚田が呟いた。


「違う、違う、違う違う違う違う!」


 喉の奥が潰れるような声で叫ぶ。


「俺じゃない。俺はやっていない。それは、俺がやるようなことじゃない。俺は空手部の主将で、生徒会の副会長だ。まわりから信頼されて、生徒を助ける立場にあるんだ。校内のトラブルだって俺が対応している。だから、そうだ、あれは見回りにいっていたんだ。プールで盗難が発生したという相談があって。それに」


 赤く揺れた塚田の目が、鈴川が持つ鍵を捉えた。


「それに、鍵だ。その鍵。それを入れ替えたのは俺じゃない。誰か違う奴がやったんだ」


 塚田が震える手で鍵を指差す。


「十五日の朝に高坂先輩が返却して以来、貸出用キーボックスにあった印刷室の鍵は誰も使用していません。試験一週間前の十六日から今日までは職員室への生徒の立入は禁止されています。十五日の放課後に生徒会室の鍵を返却した塚田先輩以外に、鍵の入れ替えができた人物はいません」


 塚田が鬼の形相を見せる。


「それなら今日だ。鈴川、お前が職員室へ鍵を取りに行く前に、誰かが鍵を入れ替えたんだ」


 鈴川がゆっくりと首を横に振った。


「やぐっちゃんにいわれて、生徒会室と印刷室の鍵を朝のうちにかみやんに借りてもらった。試験期間中は生徒の鍵の貸出は禁止だからな。試験が終わってすぐにかみやんから鍵を受け取って、それから今までずっと俺のポケットの中だ」


 塚田の顔が石のように固まった。それから、徐々に溶け出すような怒りが溢れてくる。目の奥がいっそう強く燃え上がった。

 鈴川が正面から塚田の目を見る。


「何を、やってんだよ、お前は」


 絞り出すように零した鈴川の声が、生徒会室の床に転がる。

 塚田が吠えた。


「やめろ! なんだよその目は、俺が、俺を、この俺をそんな目で見るなよ」


 震える唇の奥でカチカチと歯が音を立てる。


「なんで、ちくしょう」


 呟きと共に塚田の肩が力を失ってだらりと下がる。抜け殻のような顔でその場に立ち尽くした。

 鈴川がゆっくりと俺を振り返る。


「プールの女子更衣室から出てきた塚田を見た時に、高森さんは何も気付かなかったのか?」


 鈴川の声は落ち着きを取り戻していた。


「高森さんは入学以来、一度もプールの授業を受けていません。更衣室の場所も正確には知らなかったんでしょう。でなければ、すぐにおかしいと気付いたはずです」


 鈴川が小さく「そうか」と呟く。


「高森さんが西棟の塚田先輩に気付いたように、塚田先輩も北棟の高森さんに気付いた。まずいところを見られてしまったと焦ったはずだ。すぐにでも何とかしたかったが、高森さんは保健室に篭りがちであまりまわりと関わろうとはしなかった。塚田先輩は安心したはずです。ひとまず様子を見ることにしたんでしょう」


 病弱な引きこもりなら、放っておいても害はないと判断したのかもしれない。


「ですが、今年から少し事情が変わった。高森さんが少しずつ保健室を出るようになったからです。放課後の教室をうろついたり、体育の授業に参加するようになった。焦った塚田先輩は、城崎涼子を屋上から突き落としたのは高森千咲らしいという噂を流しました。城崎涼子の霊が出るという怪談にまぜて、噂は少しずつ広まっていった。さらに二年八組で盗難騒ぎを起こしたりもしましたが、それでも高森さんが学校を辞めることはなく、夏休み明けには教室で授業を受けることさえあった。八組の教室前にいる高森さんを見て、塚田先輩は恐れたはずだ。十二月の件がいつバレるかわからない。だから、体育祭の応援旗を切り裂いた犯人に仕立て上げようとした。結局、どれもさしたる成果はなく、塚田先輩は今回の試験問題の事件を起こしたんです。教師も巻き込んだ騒ぎになれば、さすがに高森さんも学校から遠ざかると考えた。すり替えた試験問題は印刷室でシュレッダーにでもかけたんでしょう。わざわざ持ち出すことはないし、そもそも塚田先輩には必要ないものだ」


 淡々と語る俺の話を、鈴川は頷くこともなく黙って聞いていた。もしかしたら聞いていなかったかもしれない。


「なんで、こんな」


 なんでこんなことをしたのか。

 鈴川の口が音もなく動いた。音にならなかった声は誰の耳に届くこともなく消えていく。

 塚田が動いた。


「なんで?」


 のろりとした緩慢な動きで顔を上げる。口元には笑みがあった。


「そうだよな、お前にはわからないよな、鈴川。お前みたいな、なんでもできてまわりから好かれるような奴には、俺みたいな奴の気持ちなんか死んでもわからねえ」


 喉の奥から低い笑いを響かせながら、塚田は鈴川を指差す。


「いつだってそうだ、お前は。まるで舞台の上から見下ろすみたいに、偉そうに人を見下して。俺が必死になってやってることも、お前は指先一つでこなしていくんだ。俺がどれだけ尽くそうが、他の奴や教師連中はお前を選ぶ。生徒会長だってお前が選ばれた。俺じゃない。俺は、選ばれなかった」


 鈴川が静かに口を開く。


「お前だって生徒会のメンバーだろうが。選ばれて生徒会になったんだ。まわりからの信頼も厚い。校内でトラブルが起きたらみんながお前に相談するだろ」


 鈴川の言葉に塚田が嘲笑った。


「当たり前だ。面倒ごとが起きなきゃ誰も俺のところには来ない。何もなくても人が寄ってくるお前とは違うんだ。現にこいつも、お前にはすぐに懐いてんじゃねえか」


 塚田が俺を指差した。


 勝手に決めるな。懐いてねえよ。


「これは俺の勝手な想像です。たいした根拠もない。おそらく塚田先輩は、事件の自作自演をしていたんじゃないですか? 盗難騒ぎを起こして、自分がその対応をする。それで生徒や教師から信頼を得ようとしていた。盗難事件の担当は塚田先輩だと聞きました。その多くは、たぶん三年生で発生したものでしょう。でなければあの笹山が盗難の話を知らないわけがない。彼女は同学年と後輩から慕われていますから。笹山が知らないということは、鈴川先輩がいう去年から増加した盗難事件の被害者は主に三年生、それもおそらく特選科と特進科の生徒だったはずです」


 鈴川は再び机のファイルを手に取り、ぱらぱらとページをめくっていった。


「確かに、被害届のほとんどが特選と特進の三年からだ」


 鈴川の言葉に頷きを返す。


「東棟五階は特進科三年と特選科のフロアです。違う階の教室へいくのは目立ってしまいますから、塚田先輩は近場で盗難騒ぎを繰り返していたんでしょう。学年が同じ方が相談も受けやすいですから」


 塚田が俺を睨みつける。舌打ちの後、開き直ったようにまくしたてた。


「そうだよ、悪いかよ。そこまでしなきゃ、そこまでしたって、誰も俺なんか見向きもしない」


 机に拳を叩きつけ、頬を痙攣させて塚田が叫ぶ。


「入学した時は俺の方が上だった。鈴川よりな。勉強も、まわりからの信頼も、俺の方が上だったんだ。俺の方が頭がよかった。それをこいつはあっさり飛び越えていきやがった。軽々と、なんの努力もしてませんって顔でな。ふざけんなよ。ずっと努力してきた俺はなんだったんだよ」


 震える声がだんだんと小さくなっていく。


「他にどうすりゃよかったんだ。教えてくれよ」


 肩を震わせて俯く塚田に、鈴川が話しかける。


「なんでいってくれなかったんだ」


 まっすぐに塚田を見据えたまま鈴川が続けた。


「いえばよかったじゃねえか、悩みがあるって。一人で抱えて、結果まわりに迷惑かけてちゃ世話ねえよ」


 塚田がどろりとした目で鈴川を見返した。

 鈴川の声が生徒会室に静かに響く。


「俺だってコンプレックスがないわけじゃないし、努力してないわけでもない。他の連中だってみんな同じだ。不安抱えながら他人には見えないところで歯あ食いしばって頑張ってんだろうよ。悩んでんのはお前だけじゃない。助けてくれっていえば手を貸してくれる奴もいたはずだ」


 鈴川の声はまっすぐに透き通っていた。


 ああ、鈴川先輩。

 だからですよ。

 だからあなたの言葉は、塚田先輩には届かないんだ。


「鈴川先輩は眩しすぎるんです」

「はあ?」


 鈴川が気の抜けた声で振り返った。


「え、何、やぐっちゃん。後頭部の話? 俺もしかしてハゲてきてんの?」


 いつもの調子でおどける鈴川に苦笑を返す。


 どんなに悔しくて悲しくても、人前では明るく振る舞おうとするんですよね、先輩は。

 あなたは、とても強い人だ。

 見えないところで努力し続けていることも、好きなものに向かってまっすぐに進んでいくところも、どれも輝きにあふれていて、とても強い。


 その強さは眩しくて、誰もが普段心の奥にしまっている嫉妬や卑屈の影を濃く浮き上がらせてしまう。

 痛くて曖昧で理不尽なこの箱庭の中では、鈴川のような光はあまりに眩しすぎる。


「塚田先輩は鈴川先輩のようになりたかった。どれだけ否定しても、あなた自身がそれを知っている。光に憧れて妬む気持ちは、俺にもあります。理想と現実の差に、きっと塚田先輩も苦しんだんでしょう」

「勝手な、ことを」


 塚田が呻いた。


「はい。勝手です。だけど知ったこっちゃない。俺の主観だ。勝手にいわせてもらう」


 塚田がたじろぐ様子を見せた。後輩にいい返されるとは予想していなかったのかもしれない。


「あなたは間違えたんだ。あなたのやり方は優しくなかった。あなたがまわりに選ばれないのは、選ばれなかったと思い込んでいるのは、あなたが優しくないからだ。まわりのことも考えず、ただ自分のためだけに動いた。勝手に嫉妬して、勝手に卑屈になって、他人の気持ちに無頓着で、その努力を軽んじた。あなたがしたことで高森がどれだけ傷付いたか想像したことがありますか?」


 塚田が鼻白んだ。


「俺のせいだけじゃない。半分は自業自得だろう。俺が噂を広める前から、高森千咲の変人ぶりは有名だった。普段から仮病で引きこもってる奴なんか、俺が何もしなくてもまわりからまともに相手にされるわけがない」


 頭の奥でしんとした冷たい音が響いた。


 ふざけるな。

 だからなんだよ、いい加減にしろ。

 何も知らない奴に、勝手に決め付けられてたまるかよ。


「高森は仮病じゃない。彼女が保健室から出られないのには理由がある。人にはそれぞれ事情があるんだ。あなたに見えていないだけで」


 神谷先生のいう通り、俺たちは子どもだ。身体ばかり大きくて、中身は幼い子どものまま、中途半端な知識や正義を振りかざして生きている。子どもの世界は狭くて、想像の翼を広げようとしても上手く羽を伸ばせない。

 こんなに小さくて窮屈な箱庭の中じゃ。


「知らねえよ、そんなこと。そいつの事情なんか聞いてない」

「だから優しくないといったんです。知らなければ想像できないとでも? 校内の誰からも不信の目で見られることがどれだけつらいか、説明されなきゃわからないんですか? そんなの、いじめをした人間が、そんなに傷付くとは思いませんでしたという理屈と同じだ。ガキじゃねえんだからもう少し考えろよ」


 塚田の顔が赤く染まる。


「誰に口聞いてんだ。想像したらなんだっつーんだよ。俺が優しければ、みんなが俺を選んでくれるとでもいうのかよ。大体、優しいかどうかなんて誰にわかんだ。偉そうなことをいって、腹で何考えてんのかなんてわからねえだろ。お前だって、鈴川だって、他の奴らだってな。おともだちには優しくしましょう、か? 馬鹿馬鹿しい。道徳の授業なら小学校でやってろよ」


 ああ、そうだ。

 塚田のいう通りだ。

 どんなに優しい言葉でも、口先ではなんとでも取り繕える。

 思いやりとか優しさとか、それが本物かどうかなんて誰にもわからない。


 けれど。


 あの時、村沢を助けたかった俺の思いに嘘はなかった。

 誰も知らなくても、村沢に否定されたって、俺だけはわかっている。

 俺は本気で村沢の力になりたかった。


 正義のヒーローに憧れた正しさだって間違いじゃない。

 ただ、気付かなかったんだ。

 俺が正しいと信じた言葉に、相手を思いやったつもりの行動に、傷付く人間もいるという事実に。

 優しさは人の数だけ存在していて、こちらの信じる優しさが相手に伝わらないこともあるんだということに気付かなかった。


 中学のクラスメイトたちだって、決して悪い人間じゃなかった。

 人を思って涙を流したり、誰かを手助けできる優しさは彼らの中にも確かにあった。

 それでも、村沢を排除する流れに逆らえる者はいなかった。

 排除される側がどんな思いで学校に来ているか、ほんの少し想像すればわかったはずなのに。

 思考を止めて、何も考えようとしなかったんだ。


 人を大事にすることは、気持ちだけの問題じゃない。

 人のためを思うには、やり方を考えなきゃいけない。

 心だけじゃなく、頭で。

 相手を理解するために、思考し続ける努力をしなきゃいけなかったんだ。


 俺を睨む塚田の目は怒りに震えていた。

 一歩、足を前に進める。


「俺は感情じゃなく、理性の話をしているんだ」


 ひりつく喉の奥がやめろと叫んでいた。


「優しいってのは心だけの話じゃない。考える頭が必要なんだよ」


 先輩、あんたは俺と同じだ。

 悲しいくらいに考えが足りない。

 人を思う想像力が欠けている。

 それは、つまり。


「あなたはただ」


 塚田がいわれたくないだろう言葉。

 俺が、決して認めたくなかった言葉。


「ただ、頭が悪かっただけですよ」


 塚田の顔がぐにゃりと歪んだ。

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