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テンダーブルーの箱庭  作者: 伏目しい
第5章 箱庭の中の僕ら
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48 先ゆく者たち

 化学室を出て階段を下りる。

 東棟の昇降口へ向かいながら、鈴川があーあと声をあげて伸びをした。


「結局、高森さんの疑いを晴らすまではいかんかったか。すまんね、やぐっちゃん」


 軽い口調の中にも申し訳なさがにじんでいる。普段はへらへらとしているが、生徒会は生徒を守る立場にあるべきという言葉に嘘はないらしい。その点、鈴川は信用できる人間ではある気がする。生徒と教師、両方の推薦がなければ入れないという生徒会の中で、会長を務めているのは伊達ではないということだ。


 野崎も相手が鈴川だったからこそ話をしたんだろう。仕方なく一時的なことだったとはいえ、試験問題を金庫にしまわず置きっぱなしにしたというのは責任問題になるはずだ。あまり生徒に聞かせたい話ではないに違いない。


「先輩は野崎先生に信頼されているんですね」


 前を歩く鈴川が頭の上で腕組みをする。


「ん? うーん、そうね。まあ優等生だからね、俺」


 自分でいうか。

 思わず半目になる俺を見て、鈴川が口を尖らせた。


「なによ、その目は。いいでしょうよ自分で優等生っつったって。俺、頑張ってるもん」


 拗ねた口調の後に胸を張って続ける。


「好きなことを続けるには、それなりに努力が必要なわけよ」


 優等生くらいは演じ切って見せるさと笑う。

 知り合ったばかりで鈴川のことはよく知らないが、ただふらふらとふざけてばかりいる人物ではないということはなんとなくわかってきた。

 鈴川が生徒会に入る条件として、演劇部への参加をあげていたという高谷の話を思い出す。


「先輩のいう好きなことって演劇部ですか?」


 俺の質問に鈴川が驚いた顔をする。


「あらやだ。俺ってば有名人ね」


 それから振り返って嬉しそうに笑った。


「そう。俺、美術スタッフになりたいんだよね。小道具担当のさ」


 意外な返しに今度は俺の方が驚く。


「役者志望じゃないんですか?」


 振る舞いも派手で、人前に出るのが好きだとばかり思っていた。

 いつもより幼い顔で鈴川が笑う。


「部活では役者もやってるよ。舞台の上からしか見えないものもあるからさ。でも、一番やりたいのは小道具なんだ」


 鈴川は階段を下りながら手すりをリズムよく叩いた。


「小さい頃に家族で刑事ドラマを観てたんだよ。弟は拳銃を撃つシーンとかが大好きで真似してた。俺もかっこいい刑事には憧れたりしたんだけど、ドラマの中で一番目を引いたのは警察が容疑者の持ち物をあらためる場面でさ。財布とかハンカチとか鍵とか、持ち物の種類は同じでも、人によって品物が全く違うわけ。ハンカチの柄とか、ぶら下がってるキーホルダーとかがさ。ああ、その人の個性に合わせて変えてんのかって気付いた時に、すっごく感動したんだよね」


 トントンと階段を下りると振り返って俺を見上げる。


「それからは映画とかドラマとか観てても画面の隅に映る小道具なんかが気になっちゃってね。この人物の部屋にはこんなものが置いてあるのかとか、こんな物を持ってる人物ってのはどんな設定なんだろうとか、そんなんばっかり考えてた。役ってのはあくまで架空の人物だから、その作りものの人間の存在を丸ごと一から創るってのが、なんかすげえなって思ったんだ」


 くしゃりとした顔で嬉しそうに笑う。


「役を演じるのは役者だけど、役を表現してるのは役者だけじゃない。舞台装置とか衣装とか、そういったもの全部で人間と世界を創り出してる。その世界を創り出す一部に、俺もなりたいんだよね」


 まっすぐに前を見据える瞳に背中まで刺された気がした。身体に少しヒビが入ったみたいに、指先がピリピリと痺れる。


「なんか語っちゃったな。ごめんごめん、つい夢中になっちゃって」


 鈴川が照れたように笑った。


「そういうのって、不安になったりはしないんですか?」


 自分の声に混ざる陰が不快だった。この黒さの正体を俺は知っている。鈴川に気付かれないように必死で無表情を取り繕った。


「なるよー、なるなる。特に俺なんか勉強もできる優等生だからさ、演劇なんて先のわかんないことやめて、ちゃんとしたとこに進学しなさいって親からも教師からもいわれるわけよ」


 俺の胸の内を知らないまま鈴川は続ける。


「舞台美術について学べるとこへ行きたいとは思ってんだけど、恋人との将来とかを考えると、普通の大学行って、普通の就職をした方がいいかなとか思う瞬間がないわけじゃないしね」


 鈴川の目が少しだけ翳りを帯びた。笑っている口元にわずかな苦さが混じる。


 その表情にはっとした。

 いつだったか、これと同じ顔を見たことがある。

 あれは確か、高校卒業前の、兄貴の。


 腹に溜まっていた黒い靄が少しだけ溶けていく気がした。


 そうか。

 そうだな。

 不安なのは誰だって同じだ。


「恋人って、高坂先輩ですか?」


 からかい混じりに訊ねると、鈴川がぴたりと動きを止めた。


「……なんでわかった?」

「なんとなく。わりと見たままだと思いますけど」


 鈴川が自分の髪をくしゃくしゃとかき回す。


「あー、うん。まあね。一応ね」


 口調は素っ気ないが、耳まで赤い。役者をしているわりには咄嗟のごまかしは苦手らしい。

 鈴川が咳払いをした。まだ朱がさす頬のまま真面目な顔を作る。


「だからさ、やぐっちゃんが高坂を疑うってんなら、味方をするわけにはいかないかな」


 そういいながらも向けられた表情は穏やかだった。


「ちょいケータイ貸して」


 差し出された右手に携帯電話を渡すと、カチカチとボタンを操作する。やがて鈴川のポケットに入っていた携帯電話が震えた。


「ま、先輩として協力できることはやるからさ。なんかあったら連絡してよ」


 携帯電話を投げ返すと、ひらひらと手を振って歩き出す。

 俺は先をゆく鈴川の後ろ姿を立ち止まって眺めていた。


 兄貴といい鈴川といい、先をゆく人の背中は大きく見える。どんどんと離れていくはずなのに、その背中はいつまでも大きいまま、追い付けずにいるこちらの焦りばかりが増してゆく。


 受け取った携帯電話を握りしめてポケットに押し込み、ゆっくりと歩き出す。


 今はまだ無理に追い付けなくたっていい。俺にだって、前に進む足はあるから。

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