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テンダーブルーの箱庭  作者: 伏目しい
第5章 箱庭の中の僕ら
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47 とある事情と新たな事実

 二十分後に化学室のドアをノックする。


「失礼します。鈴川です」


「はい」という返事の後、鈴川がドアを開ける。

 部屋の中には神谷と野崎がいた。神谷は窓辺に立ち、野崎は教卓に近い席に座って不機嫌な顔をしている。鈴川は落ち着いた態度でゆっくりと話し出した。


「野崎先生、本日は御足労頂きありがとうございます」


 野崎は鈴川を見た後、後ろに立つ俺にちらりと視線をよこしてため息をついた。


「どういうことなの鈴川さん。私は神谷先生が話があるというから来たのよ。あなた、今がどういう時期かわかってるの? 受験前の大事な時に何をしているのよ。二学期の成績は評定に関わらないと思って手を抜いているんじゃないでしょうね」


 イライラを隠そうともせずに野崎がまくしたてる。鈴川が丁寧に頭を下げた。


「心配して頂いてありがとうございます。気にかけて頂いて嬉しいです。ですが、例の試験問題紛失の件が気になってしまって、どうしても勉強に身が入らないんですよ。事情がはっきりしたなら、心穏やかに勉学に集中できると思いますので、どうかお時間を頂けませんか?」


 普段とは全く違う話ぶりに呆れて何もいえない。まるで別人だ。

 野崎がため息をついた。


「ならさっさとして頂戴、私も忙しいのよ」

「ありがとうございます」


 鈴川が柔らかな笑みを浮かべた。


「はじめに確認しますが、野崎先生が試験問題を印刷したのは先週の水曜、十月十五日で間違いないですか?」

「そうよ」

「その日は生徒総会の打ち合わせのために生徒会室へ来て頂きましたね。試験問題保管用の封筒が入ったカゴを抱えていらっしゃいました。あのカゴの中に試験の原本があったのだと思いますが、あの後すぐに印刷されたのですか?」


 野崎が頷く。


「ええ。打ち合わせが終わって生徒会室を出た後、一度職員室へ寄って森川先生に試験内容を確認して頂いたわ。その後すぐに印刷室へ向かったの」


 森川は副校長だ。


「印刷した試験問題は、印刷室の金庫へ保管すると聞いています。野崎先生も、印刷後はすぐに金庫へしまわれたんですよね?」


 野崎が眉を顰めた。


「試験保管用の金庫のことを、なぜ鈴川さんが知っているのよ」


 鈴川がちらりと神谷の方へ視線を送る。神谷は無表情のまま鈴川の視線を正面から見返した。


「……ある方に教えて頂きました」


 鈴川がにこりと笑う。

 ため息をついた野崎に、鈴川は質問を繰り返した。


「それで、金庫へはしまわれたんですか?」

「……ええ」


 野崎の顔に苦い色が浮かぶ。


「金庫にしまった後、問題用紙は教務部のチェックが入るということも聞きました。その時、例の紛失した二年八組の問題用紙は間違いなく封筒にあったということですか?」

「……そうよ」


 野崎が目を逸らした。窓辺に立つ神谷をちらりと見て目を伏せる。

 明らかに怪しいが、鈴川は何もいわない。


「先生のお話の通りなら、私たち生徒は紛失した試験問題に触れることすらできません。つまり、我々生徒会も新聞部も、高森さんも、疑いは晴れたと思ってよろしいでしょうか?」


 野崎が苦虫を噛み潰したような顔をした。鈴川がにこやかな笑みで続ける。


「私たち現生徒会は、この十月末で任期を終えます。最後に、今回の紛失が生徒によるものではないということが確認できてよかったです」


 野崎が唇を噛み締める。

 たっぷり一分ほどの間をおいて、野崎は大きくため息をついた。


「……わかった、説明するわ。その話をしたくて私を呼んだんでしょう? 回りくどい聞き方をしないで頂戴」


 野崎が横目で神谷を睨む。よくも騙してくれたといいたげな表情だが、当の神谷は涼しい顔をしていた。


「試験問題を印刷したのは十五日で間違いないわ。ただ、その後すぐに金庫にしまったわけじゃない。少しの間、印刷室に置きっぱなしにしてあったの」


 予想していた通りの答えなんだろう。鈴川の顔に驚きはない。


「すぐに金庫へしまわなかったのは、何か事情が?」

「……封筒がなかったのよ。特選科用のね」


 なるほどと頷いた鈴川が俺を振り返って説明を加える。


「烏山高校では、試験問題をそれぞれの教室へ運ぶ時に間違いがないように、学科別に色分けした封筒を使っているんだ。総合科が黄緑、特進科が水色、特選科が白というふうにね。封筒の表にはマジックでクラスと担当教諭の名前を記入している。矢口も試験の時に見ているはずだ」


 試験監督の教師が持っている封筒にそんな意味があったとは知らなかった。試験中の様子は自分のクラスしか知らないから、他学科の封筒の色まで知るはずはないけど。

 野崎がため息をついた。


「印刷が終わってそれぞれのクラスに仕分けた問題用紙を封筒に入れようとしたら、特選科の白い封筒が見当たらなかったの。確かに用意したはずだったんだけど」


 忌々しげに小さく舌打ちをする。


「仕方ないから、一度職員室へ予備の封筒を取りに戻ろうとしたわ。すぐに戻ってくるつもりだったし、印刷室に鍵をかけておけば大丈夫だろうと思ったのよ。そうしたら、印刷室を出たところで塚田さんに呼び止められたの」


 少しだけ鈴川が反応した。


「生徒総会の確認事項でいくつか漏れがあったから改めてチェックして欲しいって。印刷室前の廊下で十分程度立ち話をしたわ。そうしているうちに職員会議の時間になってしまったの。印刷室には鍵がかかっているし、その日の職員会議はたいした議題もないからすぐに終わるだろうと思った。それで、問題用紙を印刷室に残したままその場を離れたわ。もちろん、改めて施錠は確認してね」


 鈴川は丁寧に相槌を打ちながら話を聞いていた。神谷は無表情のまま微動だにしない。


「会議は二十分程度で終わったわ。職員室で封筒を取って、印刷室に戻った。印刷室の中は特に変わった様子はなかったわ。仕分けていた問題用紙をそれぞれの封筒に入れて金庫にしまった。以上よ」


 鈴川が穏やかな笑みのまま首を傾げる。


「野崎先生は問題用紙を封筒に入れる際、一度その束に触れていますよね? 白紙ならその時に気付いたのでは?」


 野崎が首を振った。


「全てが白紙だったわけじゃないのよ。正確には、一番上の紙だけ問題が印刷されたものだったの。問題用紙をすり替えた誰かが小細工したんだわ。全くずる賢いったら」


 ぶつぶつと文句をいう野崎の頭には、印刷室へ忍び込んで試験問題をすり替えている誰かの姿が明確にイメージされているに違いない。そして、その想像の人物はおそらく高森なんだろう。


「わかったかしら? 私が職員会議へ行っている間、印刷室に入って問題用紙を盗んだ人物がいるの。卑怯にも白紙にすり替えて発見を遅らせるという小細工までしてね。印刷室の鍵を持っていた誰かになら、それが可能よ」


 ふんと野崎が鼻を鳴らした。


「高森さんが印刷室の鍵を届けたのは、職員会議が始まる前だったと聞いています。彼女に問題用紙を持ち出す時間があったとは思えません」


 黙って聞いているつもりだったが、つい口が出てしまった。野崎が俺を見て不愉快そうに眉根を寄せる。


「会議前に資料を準備する必要があったから、少し早く職員室へ戻ったのよ。問題用紙のすり替えなんて五分もあればできるでしょう。私が印刷室を出てから会議が始まるまでに作業を終えるのは不可能じゃないわ。手際の良さを考えると、初犯ではないかもしれないわね」


 吐き捨てるような野崎の言葉にいい返そうとした俺を、鈴川が目で制した。野崎に向き直り、大きく頷いて笑みを深くする。


「なるほど、事情はわかりました。確かに、生徒側にも改めて確認が必要なようですね。ところで」


 鈴川がちらりと神谷に視線を送った。


「事前の教務チェックですが、二年生の試験はどの先生が担当されたのですか?」


 野崎があからさまに嫌そうな顔をする。その表情で大体察しはつくが、鈴川は気付かないふりをしたまま話を続けた。


「生徒会は生徒を守る立場にあるべきと思っています。教務部のチェックの時に試験問題に不備がなかったのなら、生徒側の疑いは晴れると思うのですが」


 笑顔の鈴川に、野崎が険しい視線を投げる。

 やがて観念したように大きくため息をついた。


「今回の教務チェックの担当は私よ。二年生の試験は全て確認したけど、自分が用意した試験だけは二重にチェックしなかったわ。怠慢だったわね」


 野崎が神谷を振り返る。


「申し訳ありません、神谷先生」


 表情を崩さないまま、神谷は「いいえ」とだけ答えた。


「確かに今回の騒ぎはこちらの確認作業に手落ちがあったために発生したわ。けれど、それと試験問題盗難の件とはまた別よ。印刷室に忍び込んで試験を盗んだ者には相応の処分が必要なの。わかるわね、鈴川さん」

「もちろんです。私は生徒側の立場ですが、盗難の犯人を庇う気はありません。事実が確認でき次第、真っ先に野崎先生に報告します」


 野崎が満足気に頷いた。


「よろしくお願いするわ。話は以上かしら」

「はい。本日はお忙しい中ありがとうございました。また生徒会でお目にかかります」


 野崎は立ち上がるとさっさと化学室を出ていった。

 野崎の後ろ姿がドアの向こうに消えた途端、鈴川が盛大なため息をつく。


「かみやんさあ、もうちょっと援護射撃してくれてもよくない? 結局ひと言も喋んなかったし」


 無表情を崩した神谷が口元に皮肉な笑いを浮かべる。


「子どもの探偵ごっこに付き合ってられるか。話し合いの場所を提供しただけ感謝しろ」


 ちぇーケチー、と口を尖らせた鈴川が振り返って笑った。


「かみやんは俺が一年の時の副担なんだよ。俺が今みたいなかっこいい生徒会長になる前を知ってるから、今さら取り繕えなくてさ」

「取り繕えてるつもりなのは本人だけだがな」


 神谷が鼻で笑う。


「胡散臭い優等生の真似事なんぞまともな教師に通じるかよ。大人を舐めるな」


 あっかんべーをする鈴川を片手で払い除ける仕草をしながら、神谷が俺を向いた。


「高森が世話になってるらしいな。助かるよ。おかげで、最近は随分と明るくなってきた」

「いいえ、俺はなにも」


 たいした返しも浮かばずぼそぼそと呟く俺に、神谷は「そうか」とかすかに笑った。


 後ろで口を尖らせて拗ねたふりを続ける鈴川に向き直る。


「すみません。つい口が出てしまいました」

「いいって、いいって」


 へらりと笑った鈴川が大きく伸びをする。


「野崎女史は頑なだからさ、一度こうと思い込んだら他が見えなくなっちゃうんだよね」


 困っちゃうねえ、と鈴川が笑う。


「十五日の打ち合わせの後、塚田先輩が野崎先生のところへ確認にいったことを知らなかったんですか?」

「ん? んー、そうね。ちょっと出てくるとはいわれたけど、野崎女史のところへいったとは聞かなかったな」


 鈴川が不思議そうに首をひねる。


「まあ、いうほどのことでもなかったんだろうし。その日は、打ち合わせの後に塚田がふらっと出てっちゃったから、その塚田が戻ってくるのを待って解散したんだよ。でもたいした時間じゃなかったし、俺たちが帰る頃にも、まだ職員会議は始まってなかったと思う」


 腕を組んで思い出すような仕草をしながら、鈴川は一人頷いた。その鈴川の頭を神谷が丸めたプリントのようなものでぽんぽんと叩く。


「用が済んだならさっさと出ていけ。俺はこれから採点があるんだよ」


 ケチケチと騒ぐ鈴川をつまんで廊下へ放り出すと、神谷はドアの前で不敵に微笑んだ。


「面倒なことになりそうだったら報告しろ。手助けくらいはしてやるよ」

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