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テンダーブルーの箱庭  作者: 伏目しい
第1章 いつかの少年
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3 北棟四階外階段

 昼休みの合図と同時に席を立つ。

 購買であんパンと鮭おにぎりを買って北棟へ向かう。


 外階段を登り四階の踊り場に出ると、粟國が手すりを背に座っているのが見えた。俺に気付くとロールパンをかじりながら右手を上げる。


「高谷くんは?」

「数学のノートを提出してから来るそうだ」


 粟國が笑う。


「ギリギリなんだよな、いつも」


 階段に腰掛けて弁当を開く。粟國はロールパンを二口で飲み込んでいた。


「一袋まるごと?」


 ロールパンを指差して訊ねる。

 粟國は袋から最後のパンを取り出して口に放り込むと、袋をもう一つ目の前に掲げて振ってみせた。


「寝坊した。米を炊く時間がなかった」


 肩をすくめて、二つめの袋を開ける。


「味気ないが、質より量だな」


 量は大事だが、何も全部ロールパンでなくてもいいと思うけれど。まあ本人が気にしていないようだから問題ないか。


 弁当を食べ終えてあんパンにかじりついたところで、階下から賑やかな足音が聞こえてきた。

「腹減ったー」と騒ぎながら高谷が姿を現す。踊り場に座ると同時に紙パックのいちごオレを開けて勢いよく流し込んでいる。あっという間に飲み干し「生き返るぜー」と息をはいた。ビールのコマーシャルみたいだ。


「ツダセンのヤツほんと頭にくるよな。期限内にノート提出してるってのに、次からはもっと早く出しなさいってさ。なんなんだよ」

「一言いわずにいられないんだろ、ほっとけよ」


 文句をいいながら箸を動かす高谷に、粟國がにやりと笑う。食べ終えたパンの袋を丸めてポケットにつっこんだ。


「高谷は津田に気に入られているからな」

「嬉しくねえよ」


 心底嫌だという顔をして高谷が弁当をかき込んだ。


「そういえば、ここにくる途中で変な噂を聞いたぜ」

「噂?」


 口いっぱいに頬張った玉子焼きを飲み込み、高谷が声をひそめた。


「北棟の幽霊の話」


 怪談か。確かに、そろそろそんな季節だ。高谷が両手を顔の前でぶら下げる仕草をした。


「去年、北棟で飛び降り自殺した女生徒の霊が、夜中に学校中をさまようんだとさ」


 それらしい雰囲気で喋る高谷の口元には、玉子焼きのかけらが付いている。


「去年自殺した女生徒って、あの〈烏山絶世の美少女転落死事件〉の?」

「なんだそのサスペンスドラマみたいな事件名は」

「去年、俺のクラスの奴が噂してたんだよ。例の奇跡の美少女の話だろ」

「ああ、城崎きのさき涼子りょうこな」


 去年の入学式から噂になった女生徒だ。

 かなりの美人だとかで、一年の時に隣の席の奴が騒いでいた。総合科のクラスらしいから見かけたことはなかったが、わざわざその美人を見に行った奴もいたらしい。


「俺は城崎涼子に会ったことはないから知らないけど、名前だけならよく話に出ていたな」

「俺は何度か見かけたよ。確かに、ちょっと驚くくらいの美人だった。美人すぎて近寄り難いっていうか。笑ったところを見てないから余計に冷たい印象だったのかもしれないけど」


 高谷が思い出すように目を閉じて首を傾げた。


「その城崎の霊が出るってのか?」

「噂ではな。生徒の間で話題になってるって先生たちが話してた。受験生だってのに緊張感がないって唐沢が怒ってたよ」


 箸を振り回しながら、高谷が進路指導主任の唐沢の真似をする。


「まあ、美少女、謎、自殺ときたら、怪談の一つや二つ作られても不思議じゃないけどな」

「自殺じゃなくて事故だろ」


 粟國が口をはさむ。そういえば珍しく今まで黙っていた。怪談話なんて真っ先に鼻で笑いそうなのに。


「そうなのか? 詳しいことは知らない。噂では自殺ってことになってた」


 高谷の言葉に俺も首を傾げる。


「俺が聞いたのは原因不明の不審死って話だったけど」


 粟國がつまらなさそうに小さく舌打ちをした。


「死因云々ってのもそうだが」


 両手を頭の後ろに組んで壁に寄りかかる。


「ついこのあいだ死んだ人間がまだそのあたりをうろついてるって話は、そいつと近しい人間が聞いたらあんまり気分のいいもんじゃねえだろうな」


 高谷がバツの悪そうな顔をした。

 確かにそうだ。俺たちにとっては単なる噂話の登場人物だが、城崎涼子は実在した人間で、家族や友人がいたはずだ。


「悪い。確かに、面白半分で話すようなことじゃなかったな。無責任だった」


 申し訳ないといった顔で頭をかく高谷に、粟國は右手を振って応えた。気にすんなという意味だろう。

 ほんのわずか沈黙が落ちる。


 気まずい空気を振り払うように立ち上がり、階段の手すりから下を覗く。

 気まぐれに向かいの新校舎を見ると、渡り廊下を女生徒が一人歩いていた。

 今朝の電車で会った女生徒だ。


「あ」


 思わず声が出てしまった。

 高谷が隣に来て俺の視線の先を見る。


「知り合いか?」

「いや、ちょっと電車で見かけただけ」


 ふうんと気のなさそうに高谷が相槌を打つ。


「あれ、高森たかもり千咲ちさだろ?」

「知ってるのか?」


 聞き返しながら、どこか聞き覚えのある名前だと思った。クラスメイトではないはずだが。

 高谷が頷く。


「有名だよ。〈保健室の高森さん〉。去年の途中くらいからほとんど保健室で過ごしてるらしい。矢口も名前は見たことあるはずだぜ。先週の中間試験の特選科トップ。成績上位常連組だ」


 なるほど覚えがあるはずだ。定期試験の上位五名は学科ごとに掲示板へ貼り出されることになっている。先週の中間成績は昨日掲示されたばかりだ。高森の名はそこで見たんだろう。


「いつも保健室にいるってことは、身体が弱いのか」


 粟國も隣に来て訊ねる。高谷は首を振った。


「俺も八組の奴に聞いただけだから詳しくは知らない。教室には時々来るらしいんだが、授業の途中で突然出て行ったりするらしい。いつも俯いてあまり喋らないし、ちょっと変わってる子って話だったな」


 話を聞きながら高森の方を見る。東棟から渡り廊下を通って西棟へ入り、階段を下りる途中でその姿は見えなくなった。


「学校に来てるってことは不登校じゃないし、体育に参加したりもしてるみたいだけど。確かに身体があんまり強くないのかもな」


 高谷の言葉に粟國も頷く。


「特選はハードだからな」


 特選科。正式には特別進学選抜科は、国公立難関大学への進学を志望する生徒が所属するクラスだ。授業の難易度はもちろんだが、ハードだと粟國がいうのはそれだけが理由じゃない。課題の多さと、なんといってもあの悪名高いゼロ時限がある。つまり、通常授業の一時間前に一コマ授業があるわけだ。


「零時限な。ありゃキツイよな」


 高谷も大袈裟に頷いた。


 手すりにもたれて高森が消えた方を見る。

 朝はやっぱり具合が悪かったんだろう。学校にいるところを見ると、少しは回復したようだ。


 まあ、それなら良かった。


 俺の精神は若干痛むことになったが、これもいずれ回復するだろう。

 ピリピリとした痺れが心臓に響く。


 平気だ。あの時の痛みに比べたら、この程度は傷にもならない。

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