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テンダーブルーの箱庭  作者: 伏目しい
第3章 雨上がりの空に
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28 誰かが忘れてしまったとしても

 府中駅のホームに降りる。最寄駅まで送ろうかといった俺に高森は大丈夫ですと首を振った。


「少しお話していいですか」という高森と一緒に改札を出る。

 改札前にのびる連絡通路を、ただまっすぐに歩く。会話はなく、下のバスターミナルの喧騒だけが聞こえていた。


「なんという曲なんですか?」


 ふいに高森がこちらを見上げた。


「さきほど聴かせて頂いた曲です」

「ああ、あれか」


 曲名を口にすると、高森は呟くように繰り返した。


「矢口さん、よくヘッドフォンをつけているので。どんな音楽を聴いているのか気になっていたんです」


 高森がやわらかく微笑んだ。


「素敵な曲ですね」


 ポケットから音楽プレイヤーを出して高森に差し出す。


「気に入ったなら貸すよ、それ」


 高森が慌てたように両手を振った。


「そんな、悪いですから。矢口さんのお気に入りでしょう?」

「うん、お気に入り。おすすめなんだ。俺の好きな音楽。高森さんも聴いてくれると嬉しい」


 少し戸惑って、高森は音楽プレイヤーを受け取った。


「ありがとうございます。壊さないように大事にお借りします」

「そんな簡単には壊れないよ」


 恐る恐るといった様子で鞄にしまう高森に苦笑する。


「今日はそのバンドのアルバムの発売日だったから。しばらくはこればかり聴くだろうし、そっちはゆっくり借りてて構わないよ」


 買ったばかりのCDを見せると、高森は「それはとても楽しみですね」と笑った。


 少し深呼吸をして、「高森さん」と呼びかける。振り返った高森に頭を下げると、慌てるような気配がした。


「今日はごめん。気になって駅のホームに行ったら、ちょうど高森さんを見かけて。迷惑だとわかってたんだけど、ちょっと様子をみようと思って」


 案の定、新宿駅でめちゃくちゃ迷っていた。同じ駅員に三回道を訊ねて呆れられていたし、道路に出た途端に逆方向に歩き出していた。

 スクランブル交差点を縦横二回にわけて横断していたところは高森らしかったが。


「なんか、ストーカーみたいなことしてごめん」


 高森が首を振る。


「いいえ。こちらこそご心配をおかけしました。実は新宿へ行ったのははじめてで、あんなに人がいるとは思わなくて。一度終点まで行ってみたかったんです。八王子と高尾山は行ったことがあるんですが、新宿はまだだったので。駅もすごく広くて驚きました。いつまで経っても外に出られなくて。矢口さんはご存知だったんですよね。それで心配してくださったんでしょう? 私が世間知らずなばっかりに、気を遣わせてしまって。こちらこそ、すみませんでした」


 高森は肩を落として俯いた。


 随分と不慣れだとは思ったが、そうか、新宿で降りること自体はじめてだったのか。

 ついていって正解だったかもしれない。いや、ストーカー行為は不正解なんだけど。


「あのさ、高森さん」


 俺の声に、高森が顔を上げる。


「電車で高森さんに声をかけてくれた人、娘さんと買い物の途中だったみたいだよ。二人とも高森さんが具合悪そうなのを心配してた」


 高森ははっとした顔をして、悔しそうに唇をかみ締めた。


「私、なんてことを」

「うん。でもさ、よかったんじゃないかな。そういう人もいるってわかって。これから先、出かけた場所でまた具合が悪くなっても、きっと助けてくれる人はいるよ。もしいなくても、必ず発作はおさまる。だから、大丈夫だ」


 俺の言葉に高森は少し考えて、それから深く頷いた。


「実は私、今日は矢口さんにお礼をいおうと思っていて。誕生日プレゼントにこれをお渡しする予定だったんです」


 高森が差し出したのは新宿伊勢丹地下の店のチョコレートケーキだった。

 急な話に戸惑う。


「え、高森さん、誕生日だったの?」

「いえ、私ではなくて、矢口さんのお誕生日に」


 高森が首を傾げた。


「矢口さん、今日お誕生日なのでは?」

「いや、俺、四月生まれだけど」

「でも、昨日の電話で」


 ああと納得する。そういうことか。


「あれは兄貴の。今日、兄貴が誕生日なんだよ」


 高森はきょとんとした顔をして、それから両手で顔を覆った。耳まで真っ赤になっている。


「私、穴があったら入りたいです」


 しゃがみ込んでしまった高森を見て笑いがもれる。勘違いに居た堪れない気持ちなんだろう。


「ケーキ、せっかくだからもらっていいかな」


 高森が両手の隙間から顔をのぞかせた。


「高森さんのはじめてのおつかい記念に」


 ゆっくりと立ち上がると、まだ赤い顔のまま高森は頷いた。両手で頬をおさえて深呼吸する。


「今日はお礼ともう一つ、矢口さんにお伝えしたいことがあって」


 高森は姿勢を正してまっすぐに俺の目を見た。


「はじめて電車でお会いした時に、席を譲ってくださってありがとうございました」


 そのまま深く頭を下げる。


「あの時は酷い態度をとってしまってごめんなさい。あの後、教室でも声をかけてくださったのに、逃げ出したりして。あの時は心底自分に腹が立って、心配してもらっているのに何もいえなくて、動けなくて恥ずかしくて、ふざけるなって思ったんです。その次にお会いした時も焦って矢口さんを突き飛ばしたりして、私、失礼なことばかりしてしまいました。本当にごめんなさい」


 真摯な謝罪に背中がむず痒い。


「気にしてないよ。前にも謝ってくれたし」


 焦って早口でこたえる俺に、高森は首を振って微笑んだ。


「今の矢口さんが許してくれることを、私は知っています。でも私は、あの時の矢口さんにも謝りたいんです。不愉快な思いをして腹が立ったはずなのに、何度も声をかけてくださって本当にありがとうございます」


 高森の言葉が鼓膜を通って静かに心臓まで降りてくる。


 あの時、すごくショックは受けたけど。


 確かに、結構傷ついたんだけど。


 今さら、わざわざ謝るようなことじゃないはずだ。


「ありがとう。高森さんは本当に頭がいいんだね」


 そう返した俺に高森は不思議そうな顔をした。


 高森さんは本当に頭がいいと思う。

 俺も高森さんみたいに賢くなりたいよ。


 賢さは優しさだ。

 他人を思いやるには想像力が必要だとよくいわれるけれど、想像力なんて勝手に湧き出てくるものじゃない。知識と経験を元に自分の頭で考えて、はじめて相手の気持ちや状況や立場が見えてくる。


 正しさだけじゃない。優しくあるための賢さが欲しい。


 高森さんのように。


「高森さん、俺さ、高森さんのこと……」


 ポケットの携帯電話が音を立てた。覚えのない着信音を訝しみながらも、通話ボタンを押して慌てて耳にあてる。


「あ、直哉? ごめん、電池なんだけど、単三じゃなくて単四だった。もう買っちゃった?」


 電話口からは、間の抜けた兄の声が聞こえてきた。


「あ、それと、直哉のケータイ、ちょっと着信音変えてみたんだけど、どう? やっぱ九十年代のアニメソングは気合い入るよね、絶対無敵ライジ」


 無言で切る。


「矢口さん、どうかしましたか?」

「いや、なんでもないよ。そろそろ帰ろうか」


 高森を促して改札への道を戻る。不思議そうな顔をしながら高森も並んで歩き出した。


 改札前で会釈する高森に片手で応える。


「そのバンドの曲、もし気に入ったなら新しいアルバムも貸すよ。だから」


 今日はありがとう。


「また学校で」

「はい」


 笑顔で手を振りながら、高森は改札を抜けていった。

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