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テンダーブルーの箱庭  作者: 伏目しい
第3章 雨上がりの空に
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26 フラッシュバック

 電車が大きく揺れたはずみで窓ガラスに額がぶつかる。新宿発京王八王子行きの特急電車。朝の通勤ラッシュのように満員ではないが、それでも人の数は多く、座席はまばらに空いているだけだった。


 新宿での買い物を終えて電車に乗る。ホームを離れる時に少しだけ足が震えたが、無理やりに動かして車内に入る。


 ドアのすぐ前に立ち深呼吸をする。


 大丈夫。

 これまで何度もできたのだから。だから、今日も大丈夫。


 電車が動き出して景色が変わる。余計なことを意識しないように目を閉じて、この時間をやり過ごす。


 大丈夫。私はもう大丈夫。きっと。


 ほんの少し肩の力を抜いた時、後ろの席で誰かが咳き込む声がした。無意識に、肩が跳ねる。喉の奥が渇いたような違和感に軽く咳をする。


 いけない。

 咳をしたら、いけない。


 ふと、朝の肌寒さを思い出した。


 ああこれは、これはダメだ。


 抑えようとしても胸の奥から何かが込み上げてくる。視界が大きく歪んだ気がした。心臓の音が耳の奥で響く。から嘔吐をごまかすために無理やり咳をする。涙で目の前が滲んだ。汗が背中をつたって流れ落ちていくのがわかる。気持ちが悪い。心臓も胃袋も、まるで自分のものではないかのように動く。


 誰かが肩に触れた気配がした。咄嗟にそのあたたかさを振り払う。


 嫌だ。邪魔しないで。


 冷たくなった指先が震え出した。悔しさに涙が出る。自分の身体なのに何ひとつ思うように動かない。いうことを聞かない身体に、強く爪を押し付ける。皮膚が裂ける感覚と同時に痛みがはしる。


 もう黙って。勝手なことをしないで。私は私のものなのにどうしていうことを聞いてくれないの。


 電車が停まり目の前のドアが開いた。わけもわからずに外へ飛び出す。ホームに転がり出て改札の方へと走った。


 逃げなきゃ、早く、ここから離れなくては。


 頭と身体がバラバラになる。


 もう嫌だ。こんな身体なんていらない。いっそ思い切って捨ててしまえば、こんな思いをすることもないのだろうか。


 くだらない考えが頭をよぎる。そのあいだにも身体の震えは止まらない。


 足がもつれて座り込む。洪水のような人の渦の中で、膝を抱えてうずくまる私を人が避けていく。何人かの足がぶつかり、邪魔という声と舌打ちが降ってくる。


 目を強く閉じて発作の波が過ぎるのを待った。


 苦しい。苦しい。苦しい苦しい苦しい。


 人の声が押し寄せてくる。


 この音が嫌だ。この音は怖い。


 嫌だ。苦しい。怖い。嫌だ嫌だ嫌だ。――嫌だ。


 突然、何かが柔らかく耳をふさいだ。

 はじめて聴く音楽が耳朶を打つ。心地よいリズムとメロディ。高く透きとおった声に心が落ち着くのがわかった。




 顔を上げると目の前に矢口さんがいた。

 ヘッドフォンを私の耳にあてるように両手を添えている。怒った顔をしているのはなぜだろうか。

 矢口さんは私の手を取ると足早に歩き出した。

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