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テンダーブルーの箱庭  作者: 伏目しい
第5章 吾唯足ルヲ知ラズ
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44 遠雷

 雷鳴が響く。音から察するに、どうやらさっきよりも近くなったらしい。


「百瀬は烏山生じゃない。そう考えれば全部の辻褄が合う。第二美術室の場所を知らなかったことも、傘立てに傘がなかったことも、校内で靴を履き替える習慣がないことも」


 百瀬の視線がわずかに床に落ちた。足元を一瞥して、また正面を向く。


「はじめの自己紹介で二年一組だといったのは、俺が二年七組だったからだ。制服のバッジを見たんだろ? 学年は同じ方が話を合わせやすいけど、教室は遠い方が誤魔化しやすいから」


 文化祭でピアノを弾くのを断ったのも、部外者が舞台に立つわけにはいかないからだ。当然、実行委員なんて務められるはずはない。


「その証拠に、先週の開校記念式典の日、百瀬は学年組章――クラスバッジをつけていなかった」


 百瀬は困ったように首を傾げた。


「やだな、たかやくん。あの時もいったでしょう? 家に忘れちゃったのよ」

「忘れて、それから?」

「え?」

「あの後はどうした?」


 百瀬がぱちりと瞬きをする。


「もちろん、ちゃんと式に出席したわ。たかやくんの後だから、少し遅れちゃったかもしれないけど」

「クラスバッジなしに?」

「だって、持っていないのは仕方ないもの」

「生活指導室へは行かなかった?」

「なぜ? そんなに叱られることかな?」


 百瀬がわずかに眉を顰めた。はじめて不快を表す百瀬の前に、生徒手帳を差し出す。手帳には校則についての記述があった。ページを開き、読み上げる。


「烏山高校校則。一つ、式典時は身なりを整えること。シャツ、リボンは指定の白とし、ベルトは学校指定のものを着用する。制服は過不足なく着用し、徽章は必ず見える位置につけること。なお」


 ひと呼吸おいて正面を窺う。


「なお、指定の制服及び物品を失くした場合、生活指導室にて借り受けること。不足のままの式典への参加は認めない」


 百瀬が、きゅっと唇を噛み締めるのが見えた。

 手帳を閉じてカウンターのすみに押しやる。


「話を戻そう。美術倉庫が荒らされた日、始業式には全校生徒が出席していた。式のあいだ自由に動けたのは、生徒の中では新聞部撮影担当の真木だけ。真木が疑われるのは道理だ、理解できる。だけど百瀬が学外の人間なら、その前提が覆る。そもそも部外者は式に出席できないからね。つまりあの日、始業式の最中に倉庫に入ることができたのは、真木の他にもう一人いた。百瀬、君だ」


 倉庫を荒らした犯人が百瀬だと断定する証拠は何もない。けれど、真木じゃないことだけはわかっている。生真面目な俺の相棒は、嘘がつけないやつだ。


「百瀬」


 呼びかけた声は思いのほか小さくて、雨音に紛れて消えてしまった。それでも百瀬の耳には届いたようで、細い肩が小さく跳ねる。


「関係者以外の人間が学校施設に立ち入ることは、基本的に禁じられている。もし通報されでもしたら、不法侵入で捕まってしまうかもしれない。それを知っていて、それでもやりたいことがあるというなら、俺は口を出さない。だけど、真木を利用したことを見逃すわけにはいかない」


 百瀬の目がゆらりと俺を捉えた。


「私が、いつ、しおちゃんを利用したの?」

「許可なく学校に侵入して、その上、生徒のふりをするのは、内部に協力者がいないと難しい。他校の制服を用意するのだって簡単じゃないよ。だから百瀬は、真木に協力を頼んだ。百瀬が着ている烏山指定の制服は、真木から借りたはずだ」


 百瀬はゆるゆると首を振った。


「たかやくん、残念だけど、私としおちゃんじゃ、背の高さが違うわ」


 確かに真木は長身だ。俺とこぶし一つ分しか変わらないから、たぶん、一六五センチはあると思う。女子の中でも小柄な百瀬とは、ずいぶんと差がある。


「小さなサイズの服は着られないけれど、その逆なら可能だ。ズボンと違って、スカートなら誤魔化しもきく。百瀬が真夏でもカーディガンを着ているのは、その長い袖と丈を隠すためだ。着丈が大きな服でも、上着で覆ってしまえば目立たない」


 百瀬が挑むような目で俺を見た。


「それだけで私としおちゃんを繋げるのは無理があるんじゃない? もし私が烏山の子じゃなかったとしても、制服くらい他から借りられる。しおちゃんとは偶然知り合いだっただけ。私がしおちゃんを利用しただなんて、どうしていえるの?」


 正面からひりつくような視線がつき刺さる。けれど、ここで引くわけにはいかない。


「百瀬と真木は、ただの知り合いじゃない。少なくとも、真木は、百瀬が烏山の生徒じゃないことを知ってる」


 百瀬の目が大きく揺れた。


「……どういうこと? しおちゃんが、何かいったの?」

「何も。真木の口から、百瀬の話を聞いたことは一度もないよ」

「それじゃあ、なぜ?」


 カウンターの引き出しからファイルを取り出し、百瀬の方へと向ける。


「これを見たんだ」

「なに?」

「図書委員会の記録だよ。開室の時には、いつも利用数をカウントしてる」


 困惑した顔でファイルを見下ろす百瀬に、ページを開いて見せる。


「百瀬がはじめて図書室に来たのは、五月二十六日。俺がクラスメイトの矢口と松嶋と三人で、松嶋の恋人の誕生日を推理していた日だ。その日の記録にはこう書いてある」


 該当のページを指で示す。




 二〇一四年五月二十六日(月)

 入館者四名 貸出二冊 返却一冊 返却箱十八冊

 レファレンス一件 遺失物〇件

 備考・特になし。




「そして二回目、七月十四日。夏休み前に、百瀬がホワイトチョコレートトリュフをくれた日だ」


 桜色の口元が不快げに歪んだ。




 二〇一四年七月十四日(月)

 入館者〇名 貸出〇冊 返却〇冊 返却箱十五冊

 レファレンス〇件 遺失物〇件

 備考・古本市への寄贈依頼あり。二百冊程。高谷と真木で対応します。




「おかしいだろ?」

「何が? ただの委員会の記録でしょ?」


 百瀬の顔に苛立ちが浮かぶ。その中にわずかに混じるのは、不安と焦りの色だ。


「五月二十六日。この日、俺たち以外に利用者はいなかった。最初に来室したのは矢口、その次に松嶋。そして松嶋は、この後に二回出入りしている。入館者の記録は図書室のドアを開けて入って来た数でカウントしているから、この日は四人。そして、七月十四日の入館者はゼロ」


 ページをめくってそれぞれの数字を示す指先を、百瀬の視線が追いかけてくる。


「入館者として数えるのは烏山高校の利用者IDを持つ者だけと図書委員会で決められている。つまり、この記録の対象は、烏山高校に在籍する生徒と教員だけ。そして、百瀬が図書室に来たことは、ここにカウントされていない」


 百瀬の顔色がさっと変わった。


「利用数は、いつも真木が記録してくれている。その真木がわざわざ百瀬を記録から除いているということは、百瀬が烏山生ではないことを知っていたってことだ」


 ファイルを閉じて正面を向く。百瀬が、そっと目を伏せた。


「……私が来たことを、うっかり見逃したということは?」

「絶対ではないけど、その可能性は低い。うちの図書室のドアは古いから、音がよく響くんだ。たとえこっそり入ろうとしても、すぐにバレてしまう。数え忘れることはないよ」


 思えば、はじめて百瀬が図書室に現れた日。あの時、ドアが開く音はしなかった。たぶん百瀬は、俺が来る前から図書室にいて、書架の奥の方に隠れていたんだろう。そこで俺や松嶋の話を聞いていたに違いない。もちろん、招き入れたのは真木だ。


 百瀬が長いため息をついた。


「……そっか、ちゃんと数えてたのね」


 天井を見上げて小さく笑うと、ぽつりと呟く。


「ほんとにあの子ったら、嫌になっちゃうくらい真面目なんだから」


 諦めたように微笑みながら、百瀬が俺を見る。大きな瞳の奥は、静かに色をたたえていた。


 遠くの方で雷が響く。

 長かった今年の夏が終わろうとしていた。

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