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9.覚悟の問題

そうなるとツルさんの追及を阻むものは何もない。

「大学辞めるんだったらさ、実家帰った方が良くないー?なんとかなるって言ったって、まず家賃がでかすぎるでしょー」

確かにそれはそうだ。でも何年も副業なりで糊口を凌ぐつもりはない。

「ヤタ君、彼女がいるわけでもないしー。一応聞いておくけど、マジでいないんだよね?」

多分真剣に訊かれているんだろうなと感じた。ツルさんにとって、退学して地元にも帰らない僕の決断は受け入れがたいものなんだなと察する。

真剣に事実の言及を迫られている。

「マジでいないよ」

もし彼女がいるのであれば、他人から見ても実家に帰らないもっともな理由になるのだろう。残念ながら……当然いないのだが。ツルさんからすれば『漫画家を目指す』は進路の選択としては応援できたのだが、『大学を辞める』は咎めるべき行動だったのだろう。しかも金があるわけでもないのに帰郷もしないときたもんで、そこの譲歩はしてくれないようだ。

まとめると、僕の将来を案じてくれている発言だとしか考えられない。……僕はこの友達の評価を改めなければならない。

「あたしさー、向こうで夕飯とか誘うよ?」

それに対してさ……頷くわけないだろう。

……ちゃんと僕なりの考えをツルさんに話しておくべきだと感じた。

「僕は帰ったらさ、部屋から出なくなる」

「いや、あたし、外に誘うって言ってるしー。こっちに残ったって外なんか出ないんじゃないのー?」

誘うってのも本気で言ってくれてたらしい。

「実家に帰れば三食昼寝付きだ。本気で自発的に外出しなくなるに決まってる」

「私は実家暮らしだけど、そっか、うん、確かに卒論の時なんか必要最低限しか出なかったな。院試もあったし」

那青さんは応援するでもなく、咎めるでもなく、ただ自身の過去を述べた。

ただ、発言の選択からするとスタンスは若干肯定寄りな気がした。

「僕はその『必要最低限』が異常に低いタイプだと、自覚してる」

「それの何が悪いのかあたしには理解できない!」

ツルさんはもう批判的なスタンスを取り繕う気もないようだ。『あたしが夕飯誘う』の価値が存外に低くて拗ねちゃったのだろうか……今までのツルさんにならそういう感想を持ったかもしれない。そんなんじゃ決して無く、彼女にとっての妥当な発言に対し、正面切って対峙してないのが気に食わないのだろう。こちらの言い分は理屈ではないことを、もはや素直に語るべきだ。

「……ただの覚悟の問題だよ」

理屈にはならない精神論だ。普段の言動からするとあまりに僕らしくない。

「人生を懸ける時に甘えられる環境にいて、易きに流れない自信はないんだ。ちょっと怠けたりね。成果が出なくたって不自由なく暮らせていけちゃうのは僕にはきっと、良くない」

「えー、ヤタ君が精神論で事を決めちゃう人だとは思ってなかったー、そっかー」

これは同意を得たと見ていいのか?早くないか?

「でもさー健康管理はどうよ?ご飯とか作ってもらえた方が、甘えちゃった方が万全のコンディションで漫画に取り組めるってもんじゃないかなー?」

同意はまだだったようだ。

彼女は幾分冷静になり別方向からのアプローチに切り替えてきた。

でもそこに焦点が合うのは……それは僕にとって都合が良い。

「ヤタ君、自炊とかろくにできないでしょ?」

とんだ偏見である。再会してから今まで料理の話題がなかったのは、彼女のそういう決めつけがあったからかもしれない。

……喋る内容も大事だが、なるべく軽く、軽くいなして場の熱量を下げる。

「まぁ凝ったもんは作らないけど」

「らない?れない?」

……ここだ。

「らない」

「まさかだよー、初耳だよー!」

やっぱり食生活の水準低下も彼女の懸念事項のひとつだったようだ。

「自炊する人なんだ?何が得意料理?」

おそらく場の空気を読んで、軽めのトーンで那青さんが話を振ってくれた。その質問はありがたい。

きっと意図的だ、那青さんの発言は。

持論や感情の衝突を避ける話に移行しないと、そろそろ収拾がつかなくなるからね、と。

まったくだ、ツルさんと何かしらで対立したまま別れるのは申し訳ない。それが僕への心配事ならなおさらだ。

「特にないかなぁ。特別な器材を使わない料理なら、ある程度」

「最近作ったのは?」

「直近だと昨晩、肉豆腐」

祈るような掌の組み方をして、ツルさんは言った。

「揚げ物がー揚げ物がどうしても食べたいーそんな夜もきっとあるよ?」

『神に揚げ物を所望する人』を演じながらツルさんは忠告してきた。が、

「そしたら揚げるしかないね」

強く断言する。

「えっ、揚げ物できるのー?」

「うん」

「自分で?ホントにー?」

「後処理が面倒だからめったにしないけどね」

「だって、バチバチすごく飛ぶよねー?熱いよね?」

どうやら揚げ物が、ツルさんの自炊に対する何らかの分水嶺らしい。

「だって油なんかちゃんと見てれば普通に制御できるでしょう」

「ヤタ君は観察眼の使い方がおかしい!対人スキルは低いって自己分析してるくせに、油は自由に扱えるだなんて!人こそよく見てれば上手く付き合えるってもんでしょう!」

……と妙な理由で責められた。

「油はフィジカル、人はメンタルでしょ」

「油もメンタルだよ」

と那青さんが、会ってから初めて、一瞬だけ眉間にしわを寄せた。

「あっ、うちはね、揚げ物は『買うもの』なんで」

那青さんが顔を強張らせた意味はわからなかった。揚げ物に嫌な思い出でもあるのだろうか。

「いやーあたしは4年間で一度も揚げ物しなかったよー。参った参った。したことあるのとないのとでは深い溝があるよねー!」

ツルさんの話す調子は、とても軽やかになっていた。

まさか、揚げ物で話が決着するとは……。

「分かったよー!あたしはヤタ君が生活苦に負けて帰ることになっても温かく迎えるよー!」

「……その時はよろしゅう」


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