3.ヤタ君って呼んでもいいかな?
「そっか、うん、わかったよー。じゃあ次は那青ちゃんの紹介ね」
ツルさんは僕の融通の利かなさを知っているから、ここはさっさと退いてくれたようで、話題転換も速やかだ。
「えっと、あたしたちは大学同じだけど学部は違うんだ」
……何のための情報だそれは?サークルか何かに繋がるのか?情報がない中、詮索してもしょうがないので無言で『へぇ』みたいな顔をしておく。深めに帽子を被っているので表情が伝わったかどうかはわからない。
「那青ちゃんとあたしはバイト先で出会った2人なワケ」
「『なワケ』?」
特別強調するような話か?
「明日香ちゃん、『なワケ』って?」
特別強調する意図は彼女にもわからないようだ。
「いやいやー、例えばサークルの仲間だったら努めて友達にならなきゃじゃん?でもバイト先の同僚は別に友達にならなくてもいいじゃん?でもそこであえて友達になった2人というワケー」
「そっか、そうだね、最初は別に仲良くもなかったよね。明日香ちゃんのこと、私が仲良くなれるタイプの人とは違うかなぁとか思っちゃってたもん」
結構言うな、この人も。
「だから、大学だとかバイト先だとかいう括りが無くても、私たちはこれからもずっと友達なのでーす!」
ツルさんのハグを求めるかのような、肩甲骨から両腕を差し出す上半身の動きは何故か包容力に溢れ、前田さんがそのニュアンスに乗っかる。
「明日香ちゃーん、地元に戻らないでー!」
「むしろ那青ちゃんが私の地元の大学院に進学してよって話だよー」
「何がイヤって、あのパスタ屋もあの映画館も誰とこれから行きゃいいのさっていう話だよ!」
「百歩譲ってー、博士号は私の地元大学院でー!」
「明日香ちゃん転職しなよ転職。こっちの会社に!」
お互いムチャクチャ言ってるな。
なるほど、仲がいいんだな。
「引っ越すまでさー、たくさん思い出作ろうねー!」
ん?2人はまた会うんだな?バッティングの前提が崩れるじゃないかなどと思いつつ、ポンポンと続いていた彼女らの会話が途切れていることにふと気づいた。
前田さんはティーカップに口をつけていた。そしてそれを仕切り直しのきっかけとした。
「私ね昨日、院の第一志望落ちて、第二志望に行くことになって」
突然の喜ばしくない現状の報告をし出した理由は、僕のストーリーテラーの能力では計れない。
「ちょ、那青ちゃん、言いにくいことは別に言わなくても良い場だよ、ここはー」
おい……さっき掲載雑誌名を追及していたのは誰だ。
「だから今日はね、パーッと遊ぼうって明日香ちゃんが昨日すぐに誘ってくれたの。無理に連れ出してもらってなかったら私は今日は一人で部屋で丸まってたよ」
「え、ちょっとツルさん、そんなセンシティブな会合に僕をブッキングしちゃだめでしょう。しかも当日に」
僕は今朝なんとなしに打診しただけだ。そうとわかっていれば今日は避けていた。
「だってヤタ君から誘ってくれるなんて、今まで一度もなかったしー」
「いやもう全然断ってくれて問題なかったって。地元戻る前に会おうって言った義理を果たそうとしただけだし、こっちから誘ったっていう既成事実があれば、結果会えなくても不義理じゃないって見做せるわけだし」
「義理……」
「既成事実……」
ツルさんは怒りと落胆が混じり合った様な珍妙な表情で糾弾する。
「こういうヤツなんだよ、こいつはー!だからごめんねー那青ちゃん、あたしは今日を逃せなかったの!もー、義理人情に厚いヤタ君は今日はしっかり責務を果たしてよねー!」
義理云々は置いておいてそもそもだ、さっきの「今日はパーッと遊ぶ」の件は『直情型の人物が、落ち込んでいた友人を大変気遣ってくれたんだよ』という友達想いエピソードを伝えたかったのではなく、『邪魔者は帰れ』と僕に遠回しに伝えるために言ったのではないか?院試の結果を言い出した時点で、察しの良い人ならもしかしたらそこまで考えが及んだのかも知れない。それなら前田さんが人生の岐路で結果が出せなかったというおよそ他人には言いたくないようなことを、突然僕に伝えたことにも合点が行く。他に意図が思い付かない。僕は職業(?)柄、人の言動に理由付けをする方法としてキャラクターに当てはめたりストーリーを練ったりすることもあるが、そもそも他人の感情を慮ることに長けているというわけではない。やったとしても可能性のひとつをピックアップできるだけだ。
「いやいや、僕は帰るよ。パーっと盛り上げたい日に僕みたいな根暗はミスマッチでしょ。ツルさん、もう一度必ず誘うからさ」
飲みかけのコーヒーを諦め、少し腰を浮かす。
「ちょっと待って欲しいのー!正しく言い直してみる!」
oh~とかah~とかアテレコしたくなるような、日本由来ではないと思われる手振りと眉の激しい上下運動、センチメートル単位のたわみを伴った表情の変化でもって、左右の斜め上を忙しなく見つめる。あ、日本に帰ってきたようだ。
「うーん……あたしにとっては2人とも大事な友達で、ブッキングはもしかしたら2人に悪いかもってのはね、それは当然頭によぎったんだけどー」
そこで彼女はまた、思案の始末をつけに精神を異国に飛ばし、程なく帰ってきた。
「えーと、それ以上にヤタ君の黒さ、あるじゃん。それって那青ちゃんが面白がるんじゃないかなーって思って、それはあるいは気晴らしに使えるんじゃないかって思ってー!」
黒さってさぁ。もちろん白くはないけど言い方よ……
隣のカートゥーンのキャラクターとは違い、動きや表情から情報を意図的に消しているようにさえ見える前田さんは「うん、面白いよ」と真顔で答えた。この人はこの人で何を言ってるんだ。仮説が崩れるじゃないか。
「坂部君?」
「うぇ、う、うん」
仮説の中では邪魔者扱いされている人物からの優し気な呼びかけに対し、現実と妄想がごっちゃになって立ち位置が定められなかった僕は、妙な声を出してしまった。
「私も明日香ちゃんと同じで、ヤタ君って呼んでもいいかな?『ヤタ君、ヤタ君』って今まで話聞いてきたから『坂部君』って実は違和感があって」
その言葉は友好的で口調は優し気で、反射でそれに身を委ねてしまう。
「も、もちろん前田さんの好きに呼んでかまわないけど」
「私のことも『那青』……違うな、明日香ちゃんと同じで『那青ちゃん』って呼んでくれて構わないから」
「あぁ、うん。じゃあそうさせてもらうよ」
自分の言葉に思考が追い付かない。僕はどうやらそうするらしい。
「よくわかったね那青ちゃん、ヤタ君は女の子のこと呼び捨てしないタイプだよー」
そもそも下の名前で呼ぶタイプではないんだが……
あれ?これって今帰るとしたら全く意味の無い取り決めだよな。
前田……もとい、那青ちゃん……そんな軽薄な呼び方はしたくない、ええと、那青さんに『帰れ』『邪魔者』とは思われてなかった?
それどころか僕が、帰れと言われているように感じていることを察して、ここにいる許可をそのような形で与えてくれたのか?そんな意味深なこと一瞬で考えつくものなのか?それに女子の下の名前で呼ぶなんて、僕のような人種には扱いが極めて困難な問題のはずだが、駆け引きめいたやり取りも無く、アッサリと通過させている……弱者男性への気配りが神がかってないか?
「よかったー2人にちゃんと伝わってー」
空に向けて乾杯をし、背もたれに体を預け祝杯をあげている……ラテで。
いやいやツルさん、そんなシンプルな感想では済まない話だぞ、これは?
あとついでに言うなら、このブッキングで那青さんのことを僕がどう思うかが想定に入ってないっぽいんだけど……
そうか、ツルさんにとって、僕と那青さんはどちらも『大事な友達』だそうだが、その意味合いが違うのか。当たり前の話ではあるが。
例えば那青さんは庇護すべき友人で、僕は玩具的な役割で使える友人とか。もしかしてピエロとしての使いどころを窺ってたのかもしれない。……そうだ、僕を那青さんの『気晴らしに使えるんじゃないかって思ってー』とかハッキリと宣っていたな……。だったら僕が那青さんをどう思うかなんて勘定に入れないよな。