2.漫画家の卵
「何か賞を取ったりするとそうなれるの?」
前田さんの質問は僕個人ではなく、あくまで業界に対する興味に基づくものだろうと、いちいち自分に弁明しておく。心の摩耗はなるべく避けたい。
「あ……いや、僕は担当がついてからだったよ、受賞は」
『受賞』という大きな括りで言ってしまったのは僕の見栄だ。大賞じゃなくたって受賞は受賞だ。入選止まりだったけど。……芽吹く見込みのない関係性の相手にまで見栄を張ってどうすんだ、僕。自己顕示欲と保身がせめぎ合う。
「受賞か、すごいなぁ。雑誌の受賞作品ページに『決めゴマ』とか載るんだよね?」
決めゴマとは読者に強い印象を残すために描かれたコマのことだけど、前田さんよく知ってるなぁと少し嬉しく思いつつも、「まぁ、うん」と、素っ気ない返事しかできなかった。その程度で喜ぶステージにはいないというスタンスが僕のリアクションの枷になっている。
……なにやら前田さんの横の辺りから強い圧を感じる。
「ちょっ……載ったんだったら教えてよー!記念に雑誌買ったのにー!!」
割と大きめの声で怒られた。
でも日頃からストーリーを練っている僕は思う。本当に興味があるならここで雑誌名、訊くでしょ。上っ面だ、コレは。こめかみあたりがピクリと引き攣った感じがしたので帽子のつばを下げる。もしかしたら2人だけで会っていたら、ちゃんと無遠慮に訊かれただろうか?ツルさんの距離感が今までとは少し違う気がする。いつものような対談相手ではなく、今日の彼女はさながら会話を上手く回すMCだ。上っ面で喋ってくるのは致し方ないと鑑みて、いちいち気にしないことにする。
そして僕は二の句が継げず、コーヒーを飲むしぐさに逃げた。
「短編描いて、編集部でゴーサインが出たら掲載して、人気がある程度取れそうだったら連載の話が出るんだよね?!」
前田さんは結構な勢いでさらに踏み込んできた。
本当に興味あるのか……うん、そうなんだね、前田さんは確かに漫画がお好きなようだ。業界に詳しくないと言う割には、詳しい。僕もその件については持っている情報に大差は無く、おおよそそういう流れで連載にたどり着くものだと思っている。だから、そうだと頷けばいい。頷いて話に決着をつけて、みんなの興味のある話に切り替えてもらおう。
「短編の掲載なら……あったけど……」
脊髄が反射的に言葉を紡ぐ。自己顕示欲に負けた。
「……!!」
「……!!きゃあ~!」
いや、絶句&絶叫するほどじゃないよな……。自己顕示欲がしっかり見透かされたような気がした。無言と過剰反応に対し一瞬、このまま帰る選択が頭をよぎった。言うんじゃなかった……後悔が雪崩込む。
しかし僕の一瞬の逡巡は頓珍漢だったようで、
「だ・か・ら、そういうことは言えってーの!!あたしって自分で思っているよりヤタ君にとっては他人なのかなー!」
またツルさんに割と大きめの声で怒られた。ここは引くのではなく、押すところだったらしい。
「そんなことはない……けど」
「じゃあ、ハイ雑誌名は?」
「言いたくない」
「何で、ほらっ!」
「未熟な作品を見せるのは、心の中を下手に晒すようで恥ずかしい」
ツルさんはテーブルに伏せられたスマホをひっくり返しフリック入力を始める。
「別にいいよ。検索するから」
「別にいいよ。本名で出してないから」
「むぬぬぬぬ」
入力を止めてスマホを元あった位置に戻す、多分恨めしそうな顔をしながら。やはり無遠慮に訊くのがツルさんの本領だ。さっきは考えが僕本位になりすぎていたようだ。
ツルさんが僕に拒否され唸ってる様子を目前にして、前田さんからの追及は無い。知人になったばかりという関係性からすればそりゃ当たり前だ。
しかし漫画家志望の立場からすると、もし漫画好きの『知人』に作品を見てもらえるのなら、実はそれはありがたい話だったりする。更に前田さんの属性……漫画好きならではの意見なら拝聴する気にもなる。そして距離感が良い。近すぎるとなあなあになりがちだし、遠すぎると聞くに堪えない程に好き勝手言われるか、そもそも関心を持ってもらえない。
ツルさんはまず『近い』。そして漫画そのものというよりは『友人の描いた漫画』に好奇の目があるだけのような気がずっとしていた。
「ごめんね。意外と小心者なもんで……」
「そこについては意外性はないけどねー!でも壁をー壁を感じるー!」
ツルさんがウネウネともだえる動きをしているのが、テーブルに落ちる影だけでわかる。
「あのさ……」
せめてそのウネウネから解放させてあげるために理由を述べた方がいいだろうか。
「ちょっとこっ恥ずかしいこと言うけど、むしろ友人だと思ってるからこそ僕は作品を見せにくいんだよ?」
……ウネウネが止まる。
「えーそうなのー?そういうもんかなー?」
ツルさんはテーブルに乗り出し、首を右に45度ほど傾けてガンを飛ばしてくる。
「明日香ちゃん、そうかもしれないよ。私たちが見たいだけで坂部君には見せるメリットが少ないかも。……ごめん坂部君、気を悪くしないでね」
僕の気分を害する発言でもするのだろうか、それを制止するのは僕らしくない気がして了承する。前田さんは腕組みをして「んん」と少しだけ考えてるようなそぶりを見せ、すぐに元のシャンとした姿勢に戻り、ツルさんに向かって語りかける。
「明日香ちゃん、もしも坂部君の漫画が面白くなかったらストレートに伝える自信ある?」
「……あー」
ツルさんは失礼ながら意外とすぐにピンときたようだ。何せ手をパンと叩いている。僕も気を悪くするどころか、問題を簡潔に一文で始末したことに驚喜した。
確かに一言で済ますならその問いかけが一番的を射る。
変に気を遣われるのは気分が悪いし、ストレートにつまらなかったなどと言われたらきっと理詰めで問いたださないと気が済まない。僕はなんとなくの感想は許せない。言い回しに文句があるのなら代案をお伺いさせていただく所存。考察のない感情論だけで評価を下されたら批評家としての姿勢を糾弾する。相手がツルさんなら、僕はきっとそうなる。
「そっかー。こじれるのは嫌だなー。『それが』ヤタ君なわけだしねー」
言い終えるや否やパンパンと手を叩いただけのことはある、『それが』はおそらく僕に対する妥当な評価だ。僕は面倒くさい人だという自覚はある。自覚があるからこそ、尚の事、ツルさんには漫画を見せたくない。